2話 異世界からの訪問者はぬいぐみ!?
「うわぁっ!」
ガシャン!
「げふっ!」
一瞬の浮遊感の後に襲ってきたのは、床に叩きつけられる衝撃だった。
気づけば僕は、自分の部屋で椅子と一緒に寝転がっていた。
あれは一体なんだったんだろうか……夢……だったのか?
いや、夢にしては奇妙なほどリアルだった。
今も尚、鮮明に思い出せる肌を焼き焦がす熱……あれは熱かった……死んだと思った。
初めて、直火で焼かれる肉の気持ちが分かった気がする。
「痛てて……」
ぶつけた腰を摩りつつ、体を起こして時計に目をやれば時刻は0時少し過ぎ……
時間はさほど進んではいない。
あたりまえか……
椅子から転げ落ちて、床にぶつかって起き上がる。
どんなに長く見積もっても、三十秒とかからない動作だ。
「なんなんだよ……アレ」
「どーだったっスか? 初めての“チューニング”は」
「っ!?」
突然、背後から知らない奴の声がした。
飛び起きて、振り返るが……誰も居ない。
もしかしてテレビの音声かと思い確認するが、電源は入ってはいなかった。
あんなにはっきりと聞こえたのだ。幻聴……ということはないだろう。
中世的な声色だったが、たぶん女性だ。
「誰だ……」
僕は壁を背にして、机の横に立てかけていた素振り用の木刀へと手を伸ばした。
「ちょっ! 暴力反対っス!! あちしは怪しい者じゃないッスよ~!」
「不法侵入しておいて、何が“怪しくない”だ。
自分の事を怪しいなんて言う不審者は居ないんだよ」
「たっ、確かに……それはごもっともっスね」
まさか本当に、うがいをしながら出迎えてくれるカバの親子がやってきたのだろうか?
連絡するならサツか? それともテレビ局か?
僕は、木刀を手にすると正眼に構えた。
正直、一刀には自身がないが仕方がない。
「じっ、じゃあ、こうは考えられないっスか?
本当に怪しい奴なら、声なんて掛けずにずっと隠れてると思うんスよ。
声を掛けて存在を示すってことは、少なくとも危害を加える意思はないという証明……にはならないっスかね?」
「ならないな」
「そっ、そんなばっさり!」
しかし、声の言っていることは確かに一理はある。
強盗の類ならこのまま隠れて、夜中に犯行に及んで逃げればいい。
だからと言って、全てを鵜呑みにして信用するほど僕もバカじゃない。
今はこの家には僕しかいないのだ。僕がこの家を守らなければならないのだ!
僕は、テーブルの上に置いてあったスマホへと手を伸ばした。
「ちょっ、何処に電話するつもりっスか!?」
「……ケーサツ」
「あーあー!! 待つっス! マジ待って欲しいっス!! 警察はシャレにならないっスから!!
あちしは本当に悪い奴じゃないっスよぉ!! 信じて欲しいっスよぉ~!!」
声はかなり切羽詰った様子で訴えてきた。
もしこれが演技なら、オスカーだって狙えるだろう。
「一階は全部施錠を確認してる、一体どこから入ってきた?
いや、その前に信用されたいなら隠れてないで姿を現せよ」
とりあえず、スマホはもったまま僕は犯人へと姿を見せるように勧告してみる。
たぶん犯人は一人でそれも女性だ……
油断さえしなければ、いくら僕でも遅れを取ることはないだろう。
……いや待てよ。
そもそも女性がこんな強盗まがいのことをするだろうか?
もしかして、女性の声に聞こえるが若い男なのかもしれない。
もしくは、女性は囮で他の奴がどこかに隠れているのかも……
誰がどこから現れてもいいように、僕は隙なく身構えた。
「え~っとっスね、入ったのはそこの窓からっス」
いつからだろうか……机の横、ベランダへと繋がっている窓が20cmほど開いていた。
もし本当に、あの隙間から進入したとなれば、かなり線の細い人物ということになる。
それこそ子供レベルでだ。
ってか、ここ二階だぞ!? よじ登って来たっていうのか!?
「姿は……さっきから目の前にいるじゃないっスか」
目の前……もちろんそこには誰もいない。
今僕が見ている物といえば、ベッドと壁と本棚くらいなものだ。
そこに、人が隠れられる場所なんてあるわけがない。
陽動か何かだろうか?
「ふざけてるのか! いいから早く出て来い! じゃないとほんとに警察に電話するぞ!」
「だから、さっきから目の前にいるって言ってるじゃないっスか!?」
「だから、どこだよ! 誰もいないじゃないか!」
「目の前っ! ベッドの上っスよ!」
「ベッドの……上?」
今、僕が立っているのはベッドの真ん前だ。
もちろん僕の正面に人影はない。
もしかして、ベッドの中に潜り込んでいるのかっ!? と思い、素早く視線を下げる。
と、
「やっと見つけてくれたっスね」
そこには“ぬいぐるみ”がいた。
ぬいぐるみ……だよな?
僕は部屋にぬいぐるみを飾る趣味はない。まったく見覚えのないぬいぐるみだ。
それが動き、しゃべっていた……
「あちしの名前はチェルルル・ティエル……」
ブォンッ!!
「ひぎゃぁぁ!!」
ボスンッ!!
「何でっ!? 何で木刀振り下ろしたっスかっ!! 当たったらどうするつもりっスか!!
今の間違いなく仕留める一撃だったっスよね!? 手加減とかなかったっスよね!?
殺意が迸ってたっスよね!?」
ぬいぐるみは、僕が振り下ろした木刀をギリギリで飛び退いて回避した。
あまりに非現実的な光景に、思考する以前に“ヤらなければならない”という衝動に駆られた僕は、無意識の内に木刀を全力で振りぬいていた。
「いや……驚いて……つい……ごめん」
ぬいぐるみがすごい剣幕で怒ってきたので、条件反射的に誤ってしまった。
「ついじゃないっスよ! ついじゃ! ついで潰されたら、あちしだってたまらないっスよ!
って、今度は何処に電話しようとしてるっスか?」
「……テレビ局」
「オーケー!! オーケー、ダンナ!! そういった俗物的な発想は捨てて、お話しをしようじゃないっスか!? ね!?
とりあえずスマホは手放して欲しいっス! 手放してください!! お願いしますっ!!」
「……」
なんか、ぬいぐるみが泣きながらペコペコと土下座していたので、とりあえずスマホをベッドの上へと放り投げた。
「ありがとうございますっス! ありがとうございますっス!
で、ものは相談なんスが、ダンナのその木刀も手放しては頂けないっスかね?」
「……」
強盗の類ではなかったし、このぬいぐるみも別に敵意や害意があるようにも思えなかった。
まぁ、“しゃべるぬいぐるみ”という時点で十分不気味といえば不気味なのだが……
ぬいぐるみらしきものがしゃべるという光景に、信じられないという思いは確かにあった。
が、目の前にその信じられないものが現にいるのだ。信じねばなるまい。
事実は小説よりも奇なり、という言葉だってある。
こういう事もあるのだろう。
ともあれ、僕は木刀を元の位置へと戻した。
「ありがとうございますっス! ありがとうございますっス!」
ぬいぐるみは平身低頭、ペコペコと土下座を続けていた。
まるで、アカベコのようだ……
僕は、倒れていた椅子を元に戻すと、背もたれをまたぐようにして座りぬいぐるみと向かいあった。
本人も言っていたが、悪い奴ではなさそうだ。話くらいは聞いてやるか……
「で、お前って一体何者なんだよ? さっき、何か言ってたけど……」
「むっ! それを説明しようとしたらダンナがいきなり殴りかかってきたんじゃないっスかっ!!
あちしも長いこと導体者やってるっスけどね?
逃げられたり、悲鳴を上げられたりしたことは数あれど、襲われたり、ましてやテレビ局に売られそうになったのは初めてっスよ!!」
ぬいぐるみは憤懣遣る方ないといった表情でプリプリと起こっていた。
よくよく見れば、不思議なぬいぐるみだ。
手足は勿論のこと、目や口元など細部に渡って細かく動いて、涙まで流していた。
そのせいで、デフォルメされた概観なれどそこに感情を見出すことができた。
外見はデフォルメされ過ぎていて、何の動物をモデルにしたかさっぱり分からなかったが、個人的な感想で言うなら、茶色をした潰れた“でっていう”というのが一番近い気がする。
一言で言えば、とにかく不細工な何かだ。
「コホン、では改めて自己紹介をさせて貰うっス。
あちしの名前はチェルルル・ティエルル・シーアンカー。“チュートピア・ネイルズ”で導体者をしてるっス」
「ちぇるるるる? てぃ……るる? るるるるー?」
「何っスか……その魔法少女の呪文は……チェルルル・ティエルル・シーアンカーっス。
呼びにくいようならチェルでいいっスよ、ダンナ」
「……僕も自己紹介したほうがいいのか?」
「お願いするっス」
「浅間 剣護だよ」
「浅間……剣護……さんっスね。登録したっス」
「で、その“請負者”が僕にどんな用があるわけ?」
「“請負者”じゃないっス、“導体者”っスよ!
オホン……“あちしと契約して、魔法少女になって欲しいっス”」
「……」
ぬいぐるみ、いや、チェルはビシッ! と効果音が付きそうなポーズでドヤ顔をキメていた。
ってか、魔法少女って……どこの淫獣の台詞だよ。
「……男だがや」
「言ってみたかっただけっス。前回はコレで一発OKもらえたっスからね。ダメ元ってやつっスよ」
誰だよ……こんな陳腐な台詞にホイホイ付いていっちゃった奴は……
ん? 前回?
こういうことを他でもしてるってことか?
「でも、実際大した違いはないんスよね~。
“魔法少女”が“同調者”に変わるだけっスからね~」
「って、ことは僕となにかしらの契約? をしたいってことか?」
「はいっスよ。でも、今はそれを一から説明している時間はないんスよ……」
チェルはその短い手(前足か?)で、あらぬ方をビシッと指した。
釣られて視線を動かしたその先で、僕が見た物は……
「一時回ってるじゃん!」
「ダンナは学生さんっスからね。これ以上の長居は迷惑になるっス。
今日はこれくらいでおいとまして、また明日来るっスよ」
チェルはぴょん、とベッドから降りるとトテトテと窓の方へと歩いていった。
「今日はお邪魔したっスね。ではまた明日、ダンナが帰ってきた頃に伺うっス」
「おっ、おう……」
「……そうそう、くれぐれもテレビ局に連絡とか、あちしを捕獲するワナとか仕掛けないで下さいっスよ?
この体には、機密防衛のためなら自爆も持さない血も涙もないプログラムが組み込まれるっス。
爆発すれば半径500mにおいて、向こう百年ペンペン草一本生えない焦土になるっスからね」
「ウソ……だろ……?」
「信じる信じないはダンナに任せるっスけど、試そうとか絶対に思っちゃダメっスからね?
では、お邪魔しましたっス」
チェルはぺこりと頭を下げると、ベランダへ出て開いていた窓を閉めた。
律儀な珍獣だ。
しばらくして窓を開けると、そこにチェルの姿はなかった。
一体何処へ行ったのか……
なんか明日も来るとか行っていたが……
「あ~、わけわからん! なんだったんだよ一体……」
何だかわけの分からない事が起きて、わけの分からない者がやってきて、わからないままどこかへ行ってしまった……
そして、僕は考えるのを止めた……
「もう寝よ……」
そして、僕は全てをなかったことにして眠りについたのだった……
おやすみなさい。ぐー……
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翌日。
「ただいまぁ~、をいう相手はいないってね……」
うがいをしながら出迎えてくれる、カバの親子の有無を確認する。
って、このネタはもういいか……
今日は部活プラス食料調達日(近所のスーパーの特売日なのだ!)のため多少帰ってくるのが遅くなってしまった……
あ~、体がベタつく。さっさと着替えてシャワーを浴びたいものだ。
僕は買い込んだ食材を手早く片付けると、トットットッと足早に階段を駆け上り自室へと向かう。
ガチャ
「おっ、ダンナおかえりまさいっス。今日は遅かったスね? 寄り道でもしてかんスか?」
「……」
そこにはなぜか昨日の淫獣……もとい、ぬいぐるみのチェルがいた。
……今の今まですっかり忘れていたよ。
そういえば、明日も来る的なことを言っていたような気がする。
チェルは当たり前のように僕のベッドに頬杖を付きながら寝っ転がり、テレビのリモコンをポチポチとしていた。
「不景気な話ばっかりスね~。たまにはこう……ぱーっと景気のいいニュースでもやらないっスかね」
ぬいぐるみに日本の景気がどれほど影響するというのか……
チェルはつまらなさそうにそう言うと、シリ(に相当する部分)をボリボリと掻いた。
はたして、ぬいぐるみであるチェルがそんな行動をとる必要があるのか甚だ疑問だが
、その姿はご家庭のおっさんにしか見えないのでやめて頂きたい。
「どっから入ってきた?」
「ん? あっ!? そーっスよ! ベランダのカギ開いたままになってたっスよ?
ダメじゃないっスか……ちゃんとカギは閉めたいと。最近は物騒だって言うっスからね……」
思い返せば、窓のカギは閉めていなかったように思う。
しかし……当の不振な不法侵入者に防犯について注意を受けるとは……言っていることは正しいが、納得いかん。
人間は、正しいことだけで生きてるわけではないのだ。
「僕、これから風呂に入ってメシ食べるんだけど?」
「ん? そーっスか。じゃあ、あちしはここで待ってるっスよ。ゆっくりしてくるっス」
ちっ。
暗に“出て行け”と言ったのだが、所詮はぬいぐるみ。
そこまでの配慮には至らなかったらしい。
僕はさっさと着替えると、部屋を出て風呂場へと向かった。
着替えている途中で、チェルの奴が「おほっ!」とか「うほっ!」とか言っていたのが気になるが、あいつの考えていること自体よく分からないので、とりあえず無視をしておくことにした。
シャワーを浴びて、メシを食って、部屋に戻ってきたのはそれから一時間くらい後のことだった。
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「ギャハハハハハ!! ヒッヒッヒッ ギャーハッハッハッ!!」
戻ってくると、チェルが頭の○っちゃった人のように、文字通り笑い転げていた。
人のベッドの上でゴロゴロと……
チェルが見ていたのは、ごくごくフツーのバラエティ番組だった。
僕もたまに見たりするが、正直そんなに面白いとは思っていない。
どこにそんな大爆笑要素があるのか教えて欲しいくらいだ。
「こひゅー こひゅー ぱないっスよ……“物質界”のエンタメ……ぱないっスよ……」
おい、なんか過呼吸ぎみになってんぞ……てか、ぬいぐるみに過呼吸とかあるのか?
「ふー……満足満足……っス」
チェルは一通り番組を見終わると満たされた表情を浮かべ、ぴょんとベッドから飛び降りた。
そして、そのままベランダの方へと歩いて行ってしまった。
「おい。何か話があったんじゃないのか?」
「へっ? ……っ!?
そーっス!! そーっスよ!! 危うく本題忘れて帰るところだったっス!
恐るべし……“物質界”のエンタメ……」
いや、エンタメ関係ないだろ。
「ウォッホン! ちょっとマジな話するっスから、そこに座るっスよ」
「座ってるよ」
僕は、チェルがシャ○中よろしくラ○ってるあたりから、ベッドを背もたれに座っていた。
何時正気に戻るか観察していたのだ。
結局、番組か゜終わるまでずっとダメなままだったが……
「そっスね。この体は何でも大きく見えるのが欠点なんスよね~」
なんて言いながら、チャルはベッドへとぴょんと飛び乗った。
優に、チェルの身長の二、三倍は飛び上がっていた。
見かけによらず、身体能力は高いのかもしれない。
「話とは、ズバリ!! ダンナのスカウトについてっス!!」
チェルはベッドの上に仁王立ちすると、ズビシッと短い手(やっぱり前足なんだろうか?)を僕の方へと突きつけた。
まぁ、この後チェルが語った内容は無駄に長かったので、省略するとして要点をまとめると次のようなものだった。
チェルの長話概略
・チェルたちはこの世界ではなく、別の世界の住人である。
チャルたちは自分たちの世界を“境間世界・チュートピア”、僕たちの世界を“物質界”と呼称している。
(昨日、僕が夢だと思った場所……丸焼きになったあの場所が、チュートピアなのだと言っていた)
・“境間世界”とは有り体に言ってしまえば精神世界である。
そのため、全てに実体はなく、また物質を持ち込むこともできない。
時間の概念も全く違う。
“境間世界”に行けるのは、人間の精神体のみである。
“境間世界”に滞在できる最長時間は、体感覚で二時間程度。理由を詳しく説明されたが、よく分からなかった。
(“境間世界”と“物質界”では、時間の流れが大分異なるらしく、“境間世界”に滞在した時間=“物質界”の時間。とは、ならないのだという。
“境間世界”から帰還するとき、“境間世界”の滞在時間に関わらず“境間世界”へと出発したほぼ同じ時間に帰されるのだそうだ。逆浦島太郎のようなものだろうか……
まぁ、これに関しては、実体験しているのでよく分かるっているつもりだ)
・既に僕らの世界“物質界”には、チェルのような“異世界人”が相当量流入している。
彼ら、彼女ら、は皆ある任務を帯びて“物質界”に滞在している。
この任務に従事している者たちを導体者という。
(チェルのような奴のことだな)
・導体者の任務の一つは、幻想事象転換結晶体“チュウニウム”の力を使うことが出来る者“同調者”|の探索だ。
(“チュウニウム”というは、僕が道端で拾ったあの石のことだ。“チュウニウム”は、同調者が強くイメージしたことを具現化させることができる力があるという。しかし、同調者は非常に希少な存在で、見つけるのが難しいらしい。
と、いうのも“チュウニウム”は自ら同調者を選ぶというのだ。
“チュウニウム”毎に総当り的に同調者を探さなくてはいけない。そりゃ、大変なわけだ。
幸か不幸か、どうやら僕はその同調者に選ばれてしまったようなのだ。
因みにだが、この“チュウニウム”の能力はチュートピアでしか使えないらしい。残念だ)
・そしてもう一つは、発見した同調者の確保と説得だ。
(チュートピアは現在、五つの勢力が次期統括権をかけて抗争状態にあるという。
しかし、チュートピアの人々は自分たちでは戦うことができないらしく(この辺りの事情はいまいちよくわからなかったが)、代理人を介した代行戦争を行うことにしたらしい。
その代理人というのが同調者、つまり僕のことだ。
各勢力の同調者と同調者が戦い勝敗を決する。
チェルは、僕に“自分たちの代わりに戦争をしてくれ”と、頼みに来たのである)
「嫌だよ。戦争なんて……なんで命かけてまで他所の世界のために戦わないといけないのさ……」
「勘違いしないで欲しいっス! 生命の危機は一切無いっスから!
ほら、思い出して欲しいっス。昨日、ダンナはチュートピアで華々しく爆死したっスが、今はピンピンしてるじゃないっスか」
確かに……あの時は熱くて痛かったが、今は特になんとも無い……
「ってか、なんでそのことをチェルが知ってるんだよ?」
「なんでって、そりゃあのときチュートピアへ送ったのがあちしだからっスよ!」
エッヘン、と言わんばかりに胸を張る淫獣のドタマを鷲掴みにして持ち上げた。
感触としては、低反発クッションを少し硬くしたような感じだった。
こう、意味もなくにぎにぎしたら気持ちいいかもしれない。
「あれさぁ……結構怖かったんだよ。
わけもわからないままヘンなとこいてさぁ……熱いし痛いしでさぁ……」
僕は淫獣の頭を掴んだ手に力を込めた。
そりゃもう、全力だ。
「ちょっ!? はっ、離して欲しいっス! なんか……なんか出るっスから!!
頭部に詰まったミソ的な何かが出ちゃうっスから!?」
テメーの頭に詰まっているのは、低反発素材化かなにかだ。
「僕が聞きたいのはそんな言葉じゃないんだよ……
ああ、なんならお前も今から火の中にくべてやろうか?
僕と同じようにね……」
「ダンナっ、目がマジっス、怖いっスよ!?
ごめんないっスすみませんでたっス申し訳ありませんでしたっス!! 許して下さいっス!!」
手の中で、ジタバタ暴れるチェルを僕は、ぽいっとベッドの上へと投げ出した。
「たっ、助かったっス……」
「で、本当に命とか健康とかその他諸々に影響はないんだろうな?」
「本当っス!! チュートピア人ハウソツカナイッス」
なんで片言なんだよ……余計に不安になるわ……
「こう……負け続けるとか死ぬとか、魂が抜かれるとか、いや負けなくても、力を使いすぎると結晶が濁って魔女になったりしないだろうな?」
「はははっ、ダンナ、漫画やアニメの見過ぎっスよ~。
そんな闇のルールなんて、そうそうあるわけないじゃないっスか~。
ダンナは意外とビビリさんなんスね。あはははっ……ヘブンッ!!」
僕は高笑いをする淫獣のドタマを鷲掴むと、フルスイングで床へと叩きつけた。
フィクションよりファンタジーな存在してるくせに、フィクションをディスてっんじゃねぇよ!!
あと、僕はヒビリじゃない! 断じてないっ!!
淫獣は空気の抜けたボールのように、弾むことなく床へにべちゃりと張り付いていた。
流石、低反発素材。衝撃吸収力はバツグンだ!!
「ダンナはヒョロ男系の人畜無害顔をしてるっスけど、意外とヴァイオレンスなことするっスよね……
DVの素養がある気がするっス……」
チェルはもそもそと立ち上がると、またベッドの上へと飛び乗った。
「真面目な話、ダンナたちへの害は一切ないっス。信じて欲しいっス。
ダンナは“VRな格ゲーで遊ぶ”くらいの軽いノリで戦ってくれれば十分っス!
あちしたちには、どうしてもダンナの……同調者の力が必要なんっスよ!
だから……だからどうか、力を貸して欲しいっス……」
「……」
淫獣は土下座をしていた。
淫獣の土下座を見るのは二度目だが、雰囲気がまるで違った。
そこに、つい先ほどまでのおちゃらけたチェルの姿はなかった。
誠心誠意、真摯に頼んでいることが伝わってくる、そんな土下座だった。
案外あのフランクな態度は、チェルなりに親しみやすくしようと努力した結果なのかもしれないな。
「……それでも、断ったらどうなるんだ?」
「そのときは仕方がないっス。諦めて別の同調者を探すっスよ。
無理やりはよくないっスからね……
ただ、その場合はダンナの記憶を消させてもらうっス」
「記憶を……消す?」
どういうことだろうか?
巨大なハンマーで頭を叩いて、クルクル○ーにでもしようというのか?
「はいっス。
一応、機密保持っちゅーことであちしに関する……というか、チュートピアに関する全ての記憶を消去するっス。
チュートピアにはそういった技術があるんスよ。勿論、人体に悪影響は一切ないので安心するっス」
よかった……クルクル○ーにならずにすむらしい……
「でも、残念っス……ダンナからは高い適正反応が検出されたから期待してたんスけど……」
チェルは本気で残念そうに、がっくりと項垂れていた。
「別に……まだ、断るとは言ってないだろ……」
「じゃ、じゃあ! 引き受けてくれるっスね!?」
「まぁ……一応……正直、チェルの話には興味あるし……ね。
とりあえずは仮契約……ってことでいいかな?」
「仮……っスか?」
「うん。話を聞いただじゃ、僕もまだ理解が追いついてない所もあるし、その……不安な所もあるんだよ……自分なりに納得できたら、本契約ってことで……」
「わかったっス!! ダンナがそういうなら任せるっス!
じゃあ、ダンナにチュートピアをもっと知って貰うために、早速チュートピアへ案内するっスよ!!
時間もいい感じっスからね!」
「時間?」
僕は机のデジタル時計に目をやると、時刻は0時少し前だった。
そんなに話し込んでたのか……全然気が付かなかった。
「チュートピアへと至る門が開かれるのは物質界時間で0時丁度っス。
0時になった瞬間、あちしたち導体者とチュウニウムを手にした同調者はチュートピアへと召還されるんスよ。
なので、ダンナは早めにチュウニウムを手にしておいて下さいっス」
言われ、僕はテーブルの上に置いていた自作のネックレスへと手を伸ばした。
そうだ。折角、ネックレスに加工したのだから着けなくては勿体無い。
早速首から下げてみる。うん、悪くない。
「チュウニウムは同調者にとって武器であり防具であり、そして鍵なんスよ。
絶対失くさないで下さいっスよ!」
「分かったよ……
で、昨日の召還はチェルがやったんだよな? 今日はどうやってその“チュートピア”ってとこに行くんだよ?」
「ん? 何もしなくてOKっス。
昨日は、登録前の同調者を無理矢理飛ばした、いわばウラ技みたいなものなんスよ。
今は、バッチシ登録済みなんで何もせずにぼーっとしてれば勝手に召還されるっス」
「登録済みっていつの間に……って、まさか名前をいったときか?」
「そうっス。ぶっちゃけ、折角登録までしたのに断られたらどうしようって内心ヒヤヒヤものだったっスよ」
ピピッ ピピッ ピピッ
0時を知らせるアラームの音と共に、チュウニウムの結晶が赤い光を放ち始めた。
「始まったっスね。それじゃあ、チュートピアで待ってるっス。
……ちゃんと見つけて下さいっスよ、ダンナ」
「っ!?」
チュウニウムの結晶は、更に強い光を放ち部屋を赤一色に染め上げた。
次の瞬間には、僕はあの虹色の空間にいて何かに引っ張られるように落ちて行った……