ティンダハナ
島を略一周した一行は、ヨナのクニ町近郊の祖納港広場に入り、急遽オープンカーの幌を張った。
「直ぐにスコールが来るわ!」
ミーコの言葉が終わる間もなく、一寸先も見えない凄まじい豪雨が降り注ぎ、一行は停車して雨を遣り過ごす。
「幌を張るのがジャスト・タイミングでしたね!」
リュウがミーコに耳を聾する雨音に負けず大声で話しかけた。
「雨が上がると、此処から台湾がはっきり見えるわよ!
ヨナに取って、此の地は最果てじゃなく、魂の中心、世界の中心地なの!」
リュウはミーコを見つめる。
「その世界の中心に貴女は住んでる!」
「独りアヤミハビルの絹を織りながら!」ミーコがウインクする。
「アヤミハビル?」
「ヨナグニサン!世界で最も大きく美しいスーパーな蛾よ!」
「蛾ですか!」リュウは顔を顰めた。
「蛾は御嫌い?!」
「粉っぽくて旨く無さそう!」
ミーコは吹き出した。
「ハビルは食べ物じゃ無いわよ!」
「人は略、食欲と性欲で出来ている。性欲で無ければ食欲で判断するさ!」
ミーコがリュウの耳元に口を寄せる。
「私は如何かしら?不味そう?」
リュウは一瞬間を置いてから答える。
「……ぶち旨に美味しそうです」
「それって、食欲?それとも、性欲?」
「どちらとも」リュウはミーコの熱気を感じ、喉の乾きを覚えた。
ミーコが嬌声を上げた。
「家に立ち寄ってくれる?きっとハビルを好きになるわ!」
リアシートでは、サチコとカイトが何やら大声で楽しそうに盛り上がっている。
…… ……
ミーコの住むアトリエ兼住居は、町の全貌を見渡せる伝説の女酋長イソバが居たティンダハナ丘の麓に在り、半円の窓とドアのスペイン風石造りの洋館で、タイル張りプール付きの豪壮な建物だった。
「豪邸ですね」
「島では、最も由緒ある建物の一つなの」
四人が車から降り立つと、麦藁帽子に作業着の老人とジーンズに割烹着姿の聾唖の娘が出迎えた。
「代々の執事を承っているガジュマル樹の与那城と、メイドをしている孫娘のサワです。こんな格好で済みません。屋外の作業中だったので」
と、老人と娘は頭を下げた。
娘はスラリとした長身で中々の美形だ。
「与那城は全てに霊が宿り、代々の自分等がガジュマルの精だって信じているの」
ミーコが耳打ちした。
「汎神論だね」
「リュウは此処ティンダハナのイヌガン伝説を御存知かしら?」
「いえ、全く疎いんで」
「女と犬の悲しい恋物語なの」
ミーコはイヌガン伝説を簡略に話した。
久米島から琉球へ向かう貢納船が、嵐のために遭難する。
そして、無人島のドゥナンに漂着して生き残った美しい女と大きく逞しいオス犬が、何時の間にか種を越えて愛し合い、その愛の巣として住み着いたのが、このティンダバナだった。
そこに、同様に遭難し漂着した小浜島の漁師が女と出会う。
女に恋した男は、女が愛して止まない大犬を秘密裏に銛で突き殺して埋葬し、やがて夫婦となり、七人の子宝を儲けた。
その子孫が今のドゥナンの人々と言われており、その七人のうち長男だけは犬との間の子で、それが与那織家のルーツと言われている。
「なぜ悲しい物語なの?」
「七番目の子が産まれ育ち、二人の愛に確信を持った男が犬を殺した事を告げ、その埋葬場所を打ち明けるのだけど、数日後に犬の墓を抱くように、自らの喉を突いて死んでいる女を見つけるの」
「まさに、ザ伝説だな」
「でも、私たちは信じているわ。実際、DNA検査でも与那織家だけは他家と一寸異なり、異種の混入が認められるのよ。 此処では、昔から異種動物間の恋愛も違和感がないし、人間と異種の区別すら曖昧模糊としているの」
…… ……
「御部屋は幾つあるんですの?」サチコは付き添う執事に尋ねる。
「セヴン・ベッドルーム在りまして、嘗ては尚家の隠れ別荘です」
与那城は慇懃に答えた。
「尚家って、琉球王家の?」
「はい。それを、絹織りの与那織家に機織り場として下賜されました。一昨年まで、米軍将校のリゾート用に徴用されておりましたので、一部趣が異なりますが」
執事はアメリカ人好みに支那風の赤と金に塗りたくられた内壁を指差した。
リュウとサチコは邸宅に隣接する養蚕場に案内される。
巨大ガジュマル樹の木陰、開放されたガラス張りの温室には、びっしりと蚕の食采樹トベラが植え込まれており、巨大な蛾が飛び交っている。
ミーコが虫笛を吹くと、一メートル半大の金色の蛾が飛んで来て、ミーコの傍らに翅を休めた。
「今度の男はコブ付きなの?」話す巨大蛾の顔は人間の女だ。
「失礼ね。此方はヤマトゥからお出でになった原田御夫妻よ」
「二人は夫婦と言うより、父と娘って感じだわ」
ハビルはゆったりと翅を煽っている。
「ハビ、随分と人っぽく成ったわね」
「人間に成るのも、かったるく容易じゃないさあ!」
口の減らない巨大蛾が、煌く蛇の目文様の翅を羽ばたかせた。
「蛾が話すのに驚いて?」
ミーコの問いにサチコは首を振った。
「この所、驚くことが有り過ぎなの」
大広間で、サワをメイドに自家製のティとスコーンを取りながら、ミーコは養蚕と機織りの日常を話した。
「これも八重山マジックかしら?此処には前からずーっと居るような感じ」
サチコはすっかり寛いでいる。
「明日にでも、富久山荘の非常部屋から脱出して、こちらで過ごしません?マティが有るんで、富久山さんも部屋の調達に苦慮してるようだし、面倒なことも無いと思うわ」
と、ミーコは転宿を誘った。
…… ……
富久山荘は夕暮れの鮮やかな茜色に染まっていた。
一行の車が着くと、家族、宿泊客が一斉に外に出て爆竹を鳴らし、歓声を上げて迎える。
「お帰りなさい、プリンセス!」
「伝わるのがバカっ速い。もう知ってるんだ」
「我らの日巫女が当宿に御泊りなんて、名誉この上ない。御部屋のほうは特等室になるので、荷物は移しておきました」
「特等室?」
「神棚の在る我らの家族用居間です。マティ御用達の日巫女を倉庫に押し込めて置く訳にもいかんのでね。原田さんの部屋は隣の寝室になります」
「じゃあ、富久山さんたちは何処で寝起きするの?」
「物置と大部屋に分散するしかないんだわさ」
得たりと、ミーコが言った。
「宜しければ、御二人を我が家に引き取るわ。ティンダハナの古屋敷は部屋が余っているさあ」
「それは、正直助かるさあ。ヒミの王女には与那織邸の方が相応しい」
「何なら、今からでも宜しくてよ」
「否!せめて今宵だけは、家で目一杯の歓迎の宴を設けたい」富久山は拝み手をした。
…… ……
石垣空港の親切なチケット・カウンターのアイカ嬢が玄関受付に待っていた。
「石垣空港では失礼を致しました。今日からマティのため、休みを取ったんです。まさかのまさか、奥様がマティのプリンセスって聞いてビックリしました」
サチコは声を潜めた。
「実は……何が何だか、私自身、まだ事態をはっきりと把握している訳じゃないの。だって、五十路のプリンセスだなんて。笑っちゃうでしょ?」
「いいえ、奥様は如何見ても四十が好い所。気品と言い、美しさと言い、プリンセスと言うより、クイーンに相応しいかも。それに、気のせいか、昨日お会いした時より一段と若くなってるような気がします」
「豚も煽てりゃ木に登る。その気になって行くのが怖いわ」
その夜は果てるとも無く、古酒とビール(オリオン)、それに、三線と歌と踊りが続き、リュウとサチコは前後不覚に爆睡した。
真紅に燃える一羽の火の巨鳥は夜空を覆い尽くし、
生きとし生ける全てを鮮やかに赤く染め抜いた。
導きの声は天地に轟き、湧き上がる歓喜に身を委ねる時、
目覚めよ!と、聖なる声があった。
不死鳥記




