一体どうしたらいいんだろう
我ながら潔い。
完璧な逃走、まさに脱兎のごとく。
…………の、はずだったのだが。
「ちょっ、待って」
「えっ?」
ガシッ
美少女に服の裾を掴まれて、足止めをくらった。
「……!」
走って逃げようとした僕だったが、底辺体力の僕には容易に追い付けたようだ。
やっぱりなかったことには出来なかったか。
となると通報されるか。
仕方がない、これは全面的に僕が悪い。
初対面でしかも出会って10秒でプロポーズなんてした僕が悪い。
僕は素直に足を止めて彼女へと向き直る。
そして今度は丁寧に頭を下げた。
「すみませんでした。」
まだ緊張しているのか、口がうまく回らなかったが、なんとか言うことができた。
勇気を奮って顔を上げる。
彼女を直視した。
やっぱり美少女、惚れ直した。
……じゃなくて、彼女は明らかに困った顔をして僕を睨んでいた。
慌てて追いかけてきたのかギターはむき出しのまま肩にかかっている。
空のギターケースを左手でぶら下げていた。
右手は僕のジャージの裾を掴んでいる。
髪も少し乱れて、走ったからか頬はうっすらと赤い。
分かってる。
そんな場合じゃないことは分かっているんだ。
でも萌えてしまうんだ!仕方がないだろう!
困りがおで服の裾掴んでて上目遣いだなんてもう萌えるしかないだろう!
なんという美少女だ!
可愛すぎて話が進まない!
…………落ち着け僕。
これ以上変態になってどうするんだ。
たぶん今の彼女の僕への好感度は底辺、いやいやマイナスといっても過言ではない。
これはもうここから甘い展開など期待できない。
それならばせめて変態の汚名だけでも払拭しないと。
「あの、」
そう思って口を開いたはいいがどうしたらいい。
変態の汚名の払拭方法なんて知らん。
開けた口はそれ以上言葉を紡ぐことなく閉ざされた。
微妙な沈黙が僕と彼女の間に降りた。
ど、どうしたら、一体どうしたらいいんだこの状況……!!
僕の目線は先程から彼女の手に釘付けになっている。
僕のジャージを掴んで、しかもそのまま離さない右手の方だ。
親指と人指し指と中指に、絆創膏が巻かれた彼女の手だ。
白魚ってなんのことだか分からないけど、その慣用句に相応しい、白くて綺麗な手だった。
小さくて子供のようであるのに、あそこまで激しく強く、音をかき鳴らすことができるのか。
好きですともう一回言いそうになった。
ときめきすぎだろ僕。
思春期かよ。
……そんな思春期系成人男子こと僕を、彼女はなにやら熱心に見つめている。
なんか顔についてるかな、とか話しかけたかったけどそれを許さないくらいの熱心さで僕を見つめている。
これが恋愛小説なら、一目惚れされてそうな感じで。
いや、だから僕は思春期かよ。
そんなの中学生でも考えないような、二次元ベタベタなラブコメだった。
そんな幸運が、こんな一個人に、まるで奇跡か運命のように降りかかるなんて、ありえない。
僕は大人だから、ちゃんとこの世が現実だと知っている。
……とかなんとか。
ごちゃごちゃ考えてるけど。
誰にともなく言い訳してるけど。
この静けさを誤魔化すための暇潰しだから、真実とか本音は含まれていない。
暇潰しだ。
そろそろ限界だけど。
こんな美少女に見つめられて、正常な思考がいつまでも続くわけがない。
目を合わせないように頑張ってはいるけれど、恥ずかしいよ!
そんなに見つめないで!
これは美少女に限った話じゃないけどさ、至近距離で顔面ガン見されてるなんて、なんていう羞恥。
しかも道の真ん中だよここは。
人通りが少ないとはいえ、駅の構内で、往来の中心で、愛は叫ばないまでもそんな熱視線、そのうち僕は消えて無くなるよ。
いつの間にか困り顔の彼女は真顔になり、どんな感情なのか推測すらできなくて、それも僕の心を不安定にする。
この時間が僕には永遠に感じられる。
「ねぇ、あなたって神山 夏希よね。」
と思ったら、彼女の方から言葉を発した。
永遠だと思った時がゆっくりと動き出す。
彼女を見ると、ゆっくりと僕から手を離す。
その顔には確信の色が浮かんでいた。
「かみやま なつき。 私、あなたにお願いがあるの。」
僕の確認もとらず、彼女は言った。