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観覧車が止まった夜、片想いが動き出した

作者: 長月かよ
掲載日:2026/05/07

ゴン、と鈍い音がして観覧車が止まった。

頂上まで、あと少し――というところで。


安全確認のための一時停止だと、

ゴンドラ内のスピーカーが告げる。


窓ガラスが風にあおられて、細かく震えている。

足元から、じわりと不安がせり上がってくる。


「揺れてますね」


向かい側に座っている東雲(しののめ)さんは、

まるで気にしていないみたいに外を見ている。


「はい……」


私は、うなづくだけで精いっぱいだ。

今は景色を楽しむ余裕がない。


コートの袖口からのぞく、彼の腕時計に目がいく。

21時30分を過ぎたところ。

秒針が、やけにゆっくり進んでいる気がする。


視線を上げる。


――好きな人が、目の前にいる。


会社では、二人きりで話したことなんてない。

当然、私の気持ちを彼は知らない。


クリスマスのイルミネーションを、

一緒に眺めるなんて奇跡は、もうないと思う。


こんな状況じゃなければ良かったのに。


(ごめんなさい。

今は、地上の方が恋しいです……)



――ほんの数時間前。

私はまだ、彼とこんな距離になるなんて、思ってもいなかった。



「皆さーん、グラスを持ちましたか~!?」


所属部署の上司、時任(ときとう)さん。

彼女の陽気な声とともに、

大小様々な飲み物グラスが持ち上がった。


「かんぱーい!」


軽やかな音とともに、グラスが打ち合わされる。


時任さんが私の隣に座ると、

笑顔でビールグラスをこちらに向けた。


「朝倉さんも楽しんでね~」


「はい!」


私は、ウーロン茶を持った右手をそっと伸ばす。

コツンと軽い音が鳴る。


今日は、異なる部署で集まった会社の飲み会。

お酒が飲めない私は、普段はこういう会に参加しない。


今回は、お世話になっている時任さんに誘われて、思い切って来てみた。


お鍋の取り分けをしながら、ぐるりと室内を見渡す。


二十人ほどがゆったり座れる和モダンな座敷。

壁の中央には金属製の時計があり、その針は19時を少し過ぎている。


その下で――


東雲さんが、同じ部署の人と話している。


色白の額の中央から、ふわりと分かれた黒髪。

整った目鼻立ちなのに、どこかあっさりとした印象。


淡いブルーのシャツからのぞく、細長い指。

その手には、ストロー付きのグラス。


(東雲さんも、ウーロン茶なんだ)


思わず、じっと見てしまう。


「!」


目が合って、慌ててお鍋に視線を戻す。


(見すぎたかも……!)


動揺して、豆腐が崩れた。



東雲さんとは、同じフロアでも部署が違う。

私が入社して一年後、彼は別の事業所から異動してきた。


細身で、控えめな挨拶をする静かな人――

最初はそんな印象だった。


フロアの各所に複合機が設置されていて、

私のデスク近くの機械を彼はよく使う。


コピーに来るたび、時任さんが話しかける。

二人は以前、同じ部署だったらしい。


新入社員の頃の天然エピソードを面白おかしく語る時任さんに、

東雲さんは困ったように笑いながら応じる。


その笑顔に、胸がときめく。


二人の間に挟まるかたちで、私も会話に混ざる。

――といっても、相槌を打つくらいだけど。


それでも、彼のコピーが終わるまでの時間は、私には特別だった。



飲み会がお開きになり、店の外に出る。


観覧車の前を通りかかったとき、時任さんが足を止めた。

娘さんに、観覧車からの夜景写真を頼まれたらしい。


けれど、お酒を飲んでいると利用できないと知り、

私たちにチケット代を押し付けて、

どこか満足そうに二次会へ行ってしまった。


観覧車の前に、二人で取り残される。


「せっかくだから、乗りましょうか」


苦笑しながら言うと、東雲さんは乗り場へ歩き出した。



――今もまだ、観覧車が動かない。


沈黙が続く……。


チラリと東雲さんを見ると、彼は外を見つめたまま。


(私と一緒じゃ楽しくないよね……)


時任さんがいないと、会話が続かない。

何か、話したい。


……でも、言葉が出てこない。


ふと、彼の肩越しに見える別のゴンドラ。

カップルらしき後ろ姿。


(……え)


思わず息を止める。


(キス、してる……?)


慌てて視線を逸らした、その瞬間。


「?」


不思議そうに、東雲さんがこちらを見る。

そして、そのまま振り返ろうとする。


「わーーー! 待ってくださーいっ!!」


反射的に立ち上がってしまった。


「!?」


東雲さんは驚いた顔をする。


(ど、どうしよう!)


「わっ!」


慌てた勢いで、前に倒れそうになる。


「おっと、大丈夫!?」


「ご、ごめんなさいっ!」


気づいたら、東雲さんの両腕に支えられていた。

掴まれた部分がじんわり熱くなってくる。


焦りと気まずさでパニックになった。

たぶん、私の顔は外のイルミネーションよりも真っ赤だ。


頭をペコペコ下げて座りなおす。


不思議そうに、彼は私を見つめている。


「えーっと……」


(うわーん!)

(何か言わなくちゃ)


そこで閃いた。


「そ、そうだ!

――しりとり、しませんか!?」


ぱん、と手を打つ。


(何言ってるんだ、私は……)


あまりの苦し紛れに、自分で自分に呆れる。


けれど。


「いいですよ」


予想外に、彼は小さく笑いながらうなづいた。



「からす」


「す、すなどけい」


「いす」


「す」


やたらと“す”が続く。


(わざと?)


さっきから、私をじわじわ追い詰めてくる。

余裕のある顔を向けられて、むっとしながら言葉を探す。


「す……す……」


焦るほど、何も浮かばない。


飲み会を思い出していたら、ちょうどいい言葉が浮かんだ。


口を開いた、その時――


――ガタン。


ゴンドラが揺れた。


「す! き……!」


驚いて、変なところで言葉を切ってしまう。


「え?」


彼は目を丸くした。


「……“好き”?」


(そんなこと、まだ……!)


「ち、違います! “すき焼き”ですよー!!」


思わず「飲み会で食べましたよね」と、

無駄な説明も加えてしまった。


慌てて言い直す私に、彼はくすっと笑った。


「やっと動きましたね」


くっついていたカップルも、少し離れていた。

ほっとして、思わず手を叩く。


その音に紛れて、彼が何かを言った気がした。


「……」


「え? 何か言いました?」


尋ねると、彼はチラリとこちらを見て。


「いや、何も?」


軽く首を振る。


でも。

その表情は、なんだか楽しそうだった。



私たちのゴンドラが、ちょうど頂上に差しかかった。


東雲さんが窓の外を指差す。


「ほら見て。あっち」


「わぁ、すっごく綺麗ですね」


夜景が静かに広がっている。

イルミネーションの光が、ゆっくりと流れていく。


さっきまでの緊張が、少しずつほどけていく。


観覧車は、静かに進み続ける。


ほんの少し前まで、早く降りたいと思っていたのに。


今は――。


(このままでいたい)


そんなふうに思ってしまう自分に、驚いた。



地上に戻ると、冷たい夜風が頬を撫でた。

それが妙に心地いい。


東雲さんが自販機で温かいココアを買ってくれた。

ベンチに並んで座る。


「それにしても……時任さん、無茶ぶりでしたね」


スマホを開いて、後で送る画像を確認した。


「時任さんと仲が良いよね」


ホットコーヒーを飲みながら東雲さんが言う。


「はい、すごくお世話になってます」


私はうなづいた。


「私のことを、娘にそっくりって言うんです。

娘さん、中学生ですよ? 一回りも歳が違うのに」


思い出して、吹き出してしまう。


「俺もよく、甥っ子みたいと言われたな」


私たちは笑い合った。


いつの間にか、お互いの最寄り駅や休日の話になって。

会社では知らない話が自然に続いていく。


(楽しい)


肩が触れ合うほどの距離に、照れくさくなってきた。


夜のおかげで、顔の熱もごまかせている気がした。


ライトアップされた観覧車を見上げる。

光がゆっくりと巡る。

まるで、大きな時計みたいだと思った。


「――時間、気になる?」


東雲さんが、のぞき込んできた。

あまりにも近くて、心臓が大げさに跳ねる。


首を振るしかできない。


東雲さんは体を戻した。


(心臓に悪い……!)


落ち着こうと、ココアを口にする。

じんわりと、暖かさが身に染み込んでいく。


「そういえば。東雲さんは、お酒飲まないんですか?」


「ああ」


少し間を置いて。


「朝倉さんも参加するって、聞いてたから」


(?)


「……えっと?」


それ以降、何も言わない。


彼も観覧車を見上げた。

横顔が、いつも以上に素敵に見えた。


「さっきの、しりとりなんだけど……」


「はい?」


首をかしげる。


「“すき焼き”の続き――」


一瞬、言葉を区切って。


「“キス”と、言おうと思ってた」


イタズラっぽい目でこちらを向く。


「!!!!!」


私の反応を見て、彼は肩を揺らして笑う。



「――そろそろ、帰ろうか」


東雲さんが立ち上がると、

コートのポケットからキーケースを取り出す。


「送るよ」


車の鍵がキラリと光った。



私の心臓は限界まで高鳴っている。


(これは、夢?)


片想いの距離が、近づいた気がする。



彼の背後で、観覧車が回っている。

さっき私たちが乗っていたゴンドラを探す。



(きっと、あれだ)


それは、頂点を越えていくところだった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


観覧車という特別な空間で、距離が近づいていく時間を書きたいと思い、このお話を書きました。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

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