第8話 労働と対価
修学旅行の班決めが終わってひと段落――のはずが、真白のお願いにより黒瀬川の平穏はまた削られていく。
今回は日常回らしく、放課後の教室で二人きり、アンケート集計に奮闘するお話です。
数字を数えるだけなのに、どうしてこうも甘酸っぱくなるのか。
学生っていいね!!!
「黒瀬川君、お願いがあります」
「お力になれず申し訳ない」
俺は適当に手をひらひらと振り、申し訳なさを全面に押し出し謝罪する。
修学旅行の班決めが無事終わり1週間。
俺の求めた平穏はまたも存亡の危機に見舞われている。
というのもーーーーーーー
「まだなんも言ってないのに!」
「やだよ。どうせ聞いたらなし崩し的になんかやらされるんだから」
「う…するどい……」
あれからというもの、裏庭のベンチにまた神崎が出没するようになった。
いや、別に俺専用ってわけでもないからいいんだけどさ。
近いんだよ距離が!肩が触れるか触れないかみたいな距離に座らないで!
ジェントルな俺はすすすと移動し距離を取るが、今度は神崎も距離を詰めてくるのでプラマイゼロ。むしろマイ。
距離感バグってない?
「とりあえず話聞くから少し離れてくれません? パンも食えん」
「…しょうがないな」
根負けし話を聞く姿勢を取ると、神崎は勝ち誇った顔で勝利のVサイン。
帰っていいかな。
俺がジトっとした目を向けると察したのか、わたわたと話し始める。
「黒瀬川君はクラスメイトです」
「? 知ってるが」
「私は学級委員です」
「…まあそうだな」
「まあってなに」
「少し思うところがあってな。続けてくれ」
そういえばコイツ学級委員だったな。
初手があんなだったから忘れてた。
神崎は怪訝な顔をしていたが、気を取り直したのか話を再開。
「学級委員は仕事がたくさんあって大変です!」
「おお、そうか。いつもおつかれさん」
誰が言ったか、仕事ってのは辞めることはあっても終わることはないのだ。
高校2年生にして社会の基準を知れたのはいつか大きな財産になるだろう。
そんな将来有望なエリート様にエールを送り、俺はベンチから腰を浮かせーーーー
ガシッと肩を抑えられ、再び椅子に座らされる。
コイツ……!
「なんだよ。放してくれ。次の授業の予習をしなくては」
「キミいつも休み時間は寝てるでしょ! この後が重要なんだってば!」
「やだよ! 絶対お仕事手伝って系のやつじゃん!」
「さすが黒瀬川君、話が早い! ね、お願い!」
「んなもん俺じゃなくて太刀川あたりにでも頼めば……、……、この……、放せっ!!」
こんな華奢な身体のどこにこんな力が…!?
振りほどこうとするも全体重を俺の肩に乗せているのか、まったく動けない。
てかこの体勢、いろいろとマズい。
具体的には、神崎の、胸が、顔の前に。
これ俺が不意に力抜いたらどうするつもりなんだコイツ。
……なんか色々な面で酷い目に遭いそうだからやめておこう。
紳士かつエレガントな俺は抵抗をやめ、徐々に力を抜いていく。
話が聞いてもらえることを理解したのか、神崎も抑えつけていた手をどける。
コイツ、思ったより強情…ってかこっちが素か…?
「で。具体的には」
「えっと、昨日修学旅行のクラス行動の行先希望アンケートあったでしょ?」
「ああ、あれな。メジャーどころばっかでしんどそうだよな、1日目」
「あはは、確かにね……。それでね、その集計をしなくちゃいけなくて」
「そういうのって先生がやるんじゃないのか…」
教師の問題は置いといて、確かに1人だとめんどくさそうだ。
「それでなんで俺……」
「部活入ってなくて頼めるの黒瀬川君だけなの! お願い!」
「それは確かに…」
理にかなっている。
この学校、部活が盛んだから入ってないやつの方が珍しいのだ。
しかもコイツの性格上、家に持って帰ってでも明日までにやってくるだろうしなぁ…。
頼まれたのを断ってそうなったらさすがに俺でも寝覚めが悪い。
「……教室に残ってればいいか?」
「! ってことは」
「いらんなら帰るが」
「いるいる! ありがとう、黒瀬川君!」
学級委員様はじゃあ教室でね! と言い残しパタパタと去っていった。
あーあ、今日は溜まってた漫画消化デーにしようと思ってたのに。
ため息をつくと、それを合図にしたかのように予鈴のチャイムが鳴った。
え、ウソ。まだパン食べきってないんだけど。
移動教室の生徒が渡り廊下にぞろぞろとやってくる。
俺は半分ほど残っていたパンを詰め込んだ。
思いっきりむせた。
***
放課後。
教室に残っているのは、俺と神崎だけ。
窓の外はオレンジ色に染まり、机の上に置かれたアンケート用紙の束が夕日に照らされている。
「じゃあ、始めよう」
神崎はシャープペンとルーズリーフを机に並べ、袖をきゅっとまくった。
几帳面なその仕草は、いかにも学級委員らしい。
「……で、これをどう処理すんの?」
「1枚ずつ確認して、第一希望は4点、第二希望は3点……合計して、上位4か所が1日目の行先になるの」
「ふーん。……でもそれを1枚ずつやってたら日が暮れるだろ」
「え?」
俺はアンケートの束を手に取る。
「まずは第一希望だけ見て分別する。んで点数かけてメモ。第一が終わったら第二以降も同様に処理。最後に足し合わせるのがいいだろ」
「……あ、それは確かに」
神崎が瞬きをする。
計算高い割に、意外とやり方は脳筋寄りで考えていたらしい。
「中学ん時、一度だけ委員やらされたからな。こういうのは効率ゲーだって学んだ」
「意外と経験者なんだね」
「“意外と”は余計だ。俺も意外だけども」
俺は肩をすくめつつ、用紙をさばいていく。
紙をめくる音が、やけに大きく響く。
神崎も慌てて手を動かし、二人で机の上に小さな山をいくつも作った。
「はい、第一希望の束、完成」
「よし。ここからは読み上げ方式だな。俺が読むから、お前は点数つけろ」
「……意外と段取りがいい」
「だから“意外と”はやめろって」
「金閣寺、19人」
「嵐山、8人」
ペン先が走るたびに数字が積み上がっていく。
最初は単調な作業だったが、だんだんとリズムが生まれて心地よくなってきた。
「やっぱ金閣寺がダントツだな」
「金ピカはやっぱり人気だね」
「どうせ理由欄に“映え”って書いてるやついるだろ」
「……あ、いる」
神崎がくすっと笑う。
その笑顔が夕日に照らされて、普段より柔らかく見えた。
第二希望の集計に移る。
「嵐山、13人」
「二条城、6人」
数字が増えるごとに、順位がじわじわ変わっていく。
俺はわざと実況者みたいな声を出した。
「おっと、ここで嵐山が追い上げてきました!」
「……実況しないで。真面目にやって」
「真面目にやってるだろ。数字は合ってる」
「もう……」
呆れ顔をしながらも、神崎の口元は緩んでいた。
第三希望、第四希望も同じ要領で進める。
「“八ッ橋食べたいから清水寺”……。どこでも食えるだろ京都なんだから」
「あはは…」
「てかそもそも観光地の希望に理由って書きづらいよな」
「それは思った。お昼ご飯にチョココロネ選んだら“なんでチョココロネなんだ”って聞かれるのとあんまり変わんないというか」
「パンと一緒にするな。まあ合ってるけどさ」
くだらないやり取りを交えつつも、数字は正確に積み上がっていく。
気づけば、俺の正の字も神崎の数字も、整然と並んでいた。
几帳面さでは神崎が一枚上手だが、要領の良さは俺のほうが勝っている。
お互いの得意分野が噛み合って、作業は予想以上にスムーズに進んだ。
***
全ての票を処理し終え、数字が出揃った。
神崎がルーズリーフを回転させ、俺と一緒に覗き込む。
「金閣寺、嵐山、清水寺、銀閣寺……これで上位4つだね」
「なるほど。定番どころが並んだな」
「……でも、伏見稲荷が入っちゃったら順位が変わってたよね」
机の端に“班行動用”とメモされた伏見稲荷の束が残っている。
「まあな。けど、あそこは班行動向きだろ。南に外れてるし、鳥居を奥まで行くと時間が読めない」
「うん。しかも全員で行ったら絶対はぐれる」
「だから2日目に回す。……先生には言う必要があるだろうが」
「それは私から言っておくよ。……黒瀬川君、真面目だよね」
「アホが逸れたのなんだので暑い中しんどい思いするのは勘弁だからな」
神崎が笑ってマーカーを取り、上位4つに色を引いた。
赤い線が、アンケートの結論を鮮やかに浮かび上がらせる。
「終わった……ほんと助かったよ」
「俺じゃなくてもできただろ」
「できたけど、今日じゃ終わらなかった。……黒瀬川君がいたから早く終わったんだよ」
まっすぐに言われて、俺は目を逸らす。
「……まあ、暇だったしな」
「はいはい、照れない照れない!」
「照れてない」
「ふふっ」
笑顔の神崎が、夕焼けに照らされて普段より大人びて見えた。
心臓が落ち着かないのをごまかすように、俺はわざと大きく伸びをした。
片づけを終えたあと、神崎がふいに振り返る。
「ね、黒瀬川君」
「なんだ」
「明日、パン買ってくるね。今日のお礼」
「いやそういうつもりじゃ」
「労働には対価が必要なのだ!」
むんと胸を張って宣言する神崎。
労働者階級の方でしたか。
「……誰? 神崎さんてばマルクスだったの?」
「黒瀬川君言いそうじゃん」
俺だったらしい。
令和のマルクスとして一旗上げちゃうかと考えていると、袖をつままれ思考が引き戻される。
すると神崎は顔を伏せ、ぽそぽそと俺にしか聞こえないような声で話す。
「だからさ、その……、明日も裏庭行ってもいい……?」
さっきまでとは温度の違う言葉に、いつもの皮肉めいた返しは浮かばずに、俺は「いいんじゃね、俺専用でもないんだし」とだけ返した。
普段はポンポンといらん言葉ばっかり出してくるくせに、こういう時俺の脳みそは役に立たない。
端から見たら0点の返しだろうに、神崎はぱっと顔を輝かせ、「うん! じゃあ一緒にお昼ね!」と宣った。
鍵返してくるからちょっと待ってて! と言い残し去っていく後ろ姿が遠ざかり、俺はため息をついた。
一緒に昼ご飯食べるなんて言ってないし、今日一緒に帰るとも言ってない。
どっちも目立つし、あいつらの大好きなウワサをまだ増やすつもりなのか……。
俺の求めた平穏は、またひとつ削られた。
けれど、残された教室に1人で座っていると、心の奥がほんの少しだけ熱を帯びているのを感じた。
削られた分だけ、新しい形が残るなら。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
今回は「修学旅行アンケート集計」という、まさに地味な作業回でしたが、高校ってこういうのですら青春の1ページにしてきますからね…。侮れん…。
次回投稿は9/30(火)20時予定です!次回はまたちょっと違う日常ネタをお届けする予定です。お楽しみに!
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