表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/9

第5話 静かな距離

第5話です。

読んでくださってありがとうございます。

修学旅行って、いろいろあるよね…。というお話です。

 月曜の朝の教室にはムラがある。


 友人たちと休日の出来事について語り合うやつ、机に突っ伏して呻いてるやつ、土日の番組や配信を延々と語るやつ、提出物を今さら隣で写させてもらってるやつ。


 俺? 机に突っ伏して呻いてるやつですけどなにか?


 風景。いつもの雑音。俺もその「いつも」に紛れ込めばいいだけだ――のはずだった。


 ちら、と横目。

 隣の席の神崎真白は、教科書の端に付箋を整然と並べ、さらさらとノートを埋めていた。姿勢はまっすぐ、筆圧は一定、ページの縁を親指でなぞる癖も相変わらず。完璧な優等生の仮面。誰が見ても「いつもの神崎」。

 ただ、俺が視線を向けた瞬間、彼女の睫毛がかすかに震え、瞳が細く揺れて、すぐ逸れた。


 先週、教室で俺が噂を消した、あの一件から、彼女との間に会話らしい会話はない。

 彼女は俺を咎め、俺は反論できず、空気だけが固まった。


 正直、胸の奥は冷たいままだ。

 でも――俺には他のやり方が思いつかなかった。だから、仕方がない。


「はーい、席つけー」


 担任が入って、チョークが黒板を走る。白い粉が光って舞い、太い文字が現れた。


『修学旅行 班決めについて』


 教室の温度が一瞬で上がる。


「キター! 京都!」「六月だっけ?」「楽しみすぎる!」「神崎さんと同じ班がいいな〜」


 声が飛び交う。担任は淡々としたテンションで続ける。


「六月頭に京都。例年どおり五人一組。男女混合でも可、同性のみでも可。適当に決めろ。行動計画の提出は金曜まで。班が決まってから決めなきゃいけないこと山ほどあるから、早めに動け」


 言うことはこれだけ、とばかりに自席で書類を整理し始めた。いや興味なさすぎだろ。


 それを皮切りに教室は喧騒に包まれた。

 自然と島ができていく。机が寄り、椅子がずれる。声が重なって笑いがはじける。


 班決めってのは、いわば人間関係の通信簿だ。

 どれだけ友人が多いか、うまくやれるか。「こいつとならまあ同じ班でもいいか」と思ってもらえているか。お互いに採点しあって、比較し、妥協点を探していくのがこのクソイベなのである。

くじ引きにしろやクソが。……いや、ドラフト制で最後「いるいらない」されるよりはマシか。


 しかもこの通信簿はタチが悪いことに、赤点が誰に出るか、みんな心のどこかで分かっている。


 自他ともに認める赤点野郎こと俺は、席に座ったまま教科書の角を親指で弾いた。

 ここから想像できる未来図は単純だ。

 最後の一人が決まらない四人班、余った俺。

 最後に「じゃ、黒瀬川で埋めよっか」。はい合理的。点呼の穴埋め用としての最適解すぎる。

 おいおい、当日欠席しちゃうよん。


 ちら、とまた横目。

 真白は女子に囲まれていた。「ここさ、三日目の時間的に無理じゃない?」「夜の自由時間、班でまとまりたいよね」みたいな、進行役の声。

 笑顔はいつもどおり。あの笑顔の裏に、金曜の非常階段で見た“震え”がまだ隠れているのか、いないのか――もはや俺には分かるわけがなくて。


 視線が一瞬、ぶつかった気がした。けど、彼女はすぐに付箋に目を落とし、会話に戻る。

 俺も、意味もなくノートの罫線に視線を落とす。


 結局HRでは決まり切らず、「金曜までに決めとけよー」という担任の締めでいったんクソゲーは終わった。さっさとアンインしてぇ。


 そんなことがあってか、午前の授業は、いつもより長い。

 真面目に聞いているはずなのに、内容は目も耳も素通りし滑っていく。

 結局理解するのを諦め、机に突っ伏すことにした。


 隣から視線を感じた気もしたけれど、ここでも俺は、気付かないふりをした。


     ◇


 チャイムの音で目が覚める。

 購買の列は今日も戦場。

 俺は適当にチーズパンとソーセージパンを掴み、釣り銭の硬貨を指に挟んで廊下に出た。

 裏庭のベンチはなんとなく避けたくて、渡り廊下の踊り場に向かう。


 窓が大きくて、風が抜ける。

 踊り場の壁にもたれてパンを開けようとしたときだ。


「よ。黒瀬川」


 声にふり返ると、明るい茶髪の“いかにも陽キャ”なビジュアルの男が立っていた。

 太刀川悠真。

 スポーツ万能、成績上位、顔面偏差値も校内上位。欠点という欠点がなく、あれもこれも完璧にこなす。真白と並んで違和感がない、“完成形”の方角に立ってるやつ。もちろんクラスでも中心にいる。

 俺とは違う人種だ。


……近くで見るとマジで整ってて腹立つな。


「……なんだよ」

「いや、班決め。どうしよっかなーと思ってさ」

「知らんがな。人気者は人気者同士でわちゃわちゃしてろよ」

「わちゃわちゃて。……黒瀬川はどうするつもりなんだ?」


 嫌味か? こいつ……。

 ついイラっとして図らず低い声が出る。


「は。決まってんだろ。余りものコース」


 太刀川はふっと笑った。

 からかう笑いじゃなく、「答え合わせが合ってた」時の笑いに近い。


「やっぱそう言うと思った。面白いなお前」


 そう言って太刀川は俺の横に移動してくる。

 何コイツ。俺は何も面白くないんですけど。


「パンならやらんぞ。図々しいなお前」

「パンじゃなくて、時間くれ。ちょっとだけ」


 何を言ってるのか一拍遅れて理解し、面倒くさくなって肩をすくめる。

 悠真は手すりに背中を当て、俺の買ったパンの袋を指でトントン叩く。


「5人1組だろ。4人固定のとこ、けっこう詰んでる。女子も男子も。余りが出る。お前は“余り”に自分を置いとくつもりだろうけど……それ、案外“置いておけない”かもよ」

「は?」

「担任が言ってた。『来週中に決めろ。決まらないなら俺が決める』って。去年担任だったんだけどあの人、決めるときは容赦ない」

「最悪じゃねえか」

「最悪を避けるには、選ぶ側に回ること。選ばれる側は、たいてい不利だよ」


 太刀川の横顔が、窓の光で輪郭だけ照らされる。

 こいつは多分、嫌味で言ってるわけじゃない。俺を動かしたい、のでもない。ただ、事実だけを言葉にして俺の前に置いた。


「……で? お前は誰と組むんだよ」

「俺を含めて4人のグループがある。俺がそこに入ると、誰か引っ張ってくることになってそいつが浮く。だから俺、そこから離れるつもり。【3対2】の5人組にしてやれば、誰にとっても面倒が一番小さくなる」


 なるほどな。まあ確かによくある話だ。

 最悪全員が仲良くならずとも、1人になるやつを作らなければ、その班は端から見れば「うまく回っている」と映るだろう。


「合理的だな。ただお前が抜けたら抜けたでそいつらが困るだろ」

「困らないように、先に話しとく。そういうの、好きなんだよ」

「見上げたボランティア精神だな。聖人でも目指してんのか?」

「黒瀬川も、たいてい性格いいだろ」

「は?」


 何言ってんだコイツ? 俺がなんだって?

 心の声が顔に出ていたか、太刀川はケラケラと笑う。


「自分を雑に扱って、他人を守ろうとしたやつ、俺あんま見たことない」


 先週の非常階段。彼は、どこまで知っているのか。もちろん見てはいないだろう。

 なのに、言い当てられたみたいで、心臓が一瞬、足を踏み外した。

 それをなぜだか悟られたくなくて、沈黙で答えると太刀川は肩を竦める。


「ま、勝手に思ってるだけ」

「褒められてる気がしねえ」

「褒めてないからな」


 からり、と笑って、太刀川は踊り場の階段を2段飛ばしで上に上がった。


「じゃ、また。来週までに“選べよ”。誰とでもいい。自分のことを」


 残された俺は、パンの封を開けずに、しばらく手の中で温度を移した。


     ◇


 黒板の板書を写しながら、視界の端で神崎の横顔が何度も映る。

 彼女は仮面をずらさない。

 俺も、何も言わない。

 距離は保たれて、呼吸だけが静かに擦れる。


 チャイムが鳴って、椅子の脚が一斉に床をこする音。鞄に教科書を無造作に詰め、最後に筆箱を迷ってから入れる。


 下駄箱へ向かう廊下、壁の掲示板に「修学旅行のしおり:初版」と打ったプリントが貼られていた。

 自由行動の欄に、空白の四角が並んでいる。「班名」「メンバー」「行程」。


 せいぜい5センチ程度であろう空白は、やたらと大きく感じられた。


 靴を履き替えようとして、手が止まる。

 視界の端で、女子2人が話す声が聞こえた。


 篠宮佳奈――クラスのムードメーカーのひとり。笑い声が軽い。

 もう1人は桐谷澪。落ち着いた声で相づちを打つタイプの、しっかり者。2人とも、真白とよく話しているのを見る。


「ねえ、澪。班、どうする? 真白ちゃんと一緒がいいけど、人数が微妙なんだよね」

「悠真くんのグループも4人で固定っぽいし、そこに入るのもなー。皆どう調整するんだろ」

「うーん……」


 俺は靴べらを持ったまま、顔を上げてしまう。

 2人の視線が偶然こっちへ滑り、軽く会釈が飛んできたので反射的に会釈を返す。ごめんね、びっくりさせてしまって。


 昇降口を出ると、夕方の風が制服の襟に入り込んだ。

 灰色の雲が薄く重なって、坂の上の空は低い。グラウンドからは運動部の掛け声。ボールが跳ねる音。シュートがネットを叩く乾いた音。


 胸の奥で、嫌な記憶が薄く起き上がりかけるので、すぐに歩き出す。


(……修学旅行、か)


 5人。

 神崎、太刀川、篠宮、桐谷。そこまで浮かべて、最後の1つの枠を、俺は空白のままにした。


 空白は、苦手だ。埋めたくなる。


 けど、何で埋めるのか分からない時、手は止まる。


 そして止まった手の先で、時間だけが進んでいく。


 ポケットの中でスマホが震えた。クラスの連絡網。担任の一斉送信。


『班決めは金曜提出。未決定の場合はこちらで調整します』


 ――調整。

 つまり、さっき太刀川が言ったように、仮面も、素も、皮肉も、それぞれの思惑も、言い訳も関係ない。その上から全部貼りかえるということだ。


 俺は深く息を吐き、坂を下り始めた。

 コンクリートの小さな段差に引っかかり、体がぐらりと傾く。反射的に踵でバランスを取り、何事もなかったふりで歩く。


 もし今、隣に彼女がいたら、反射より早く、手が出たんだろうか。

 そんな仮定に意味はないけれど。


 ポケットの中で、もう一度スマホが震えるのを、なんとなく期待してしまう自分が嫌だ。通知は来ない。風だけが、前に進めと背中を押す。


(選べ、ね)


 太刀川の言葉が、夕焼けより長く余韻を引いた。

 自分のことを選ぶ、か。――俺の人生で、一番下手なやつ。


 交差点の信号が青に変わる。

 

 人の群れが歩き始めても、俺だけは、動けなかった。

読んでいただきありがとうございます!

ブックマークいただいている方、本当にうれしいです!ありがとうございます!

ここから新キャラも出していって、物語も加速させていけたらと思ってます。

次回は9月23日(火)20時投稿予定です!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ