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夜の酒舗

 国家保安隊は、案外暇な日が多い。凶悪犯罪や政治思想絡みの事件が起こらなければ、出番がない。警備や巡回の仕事もあるにはあるが、そう毎日は回ってこない。しかし、事件に備えて基地にいる必要があるため、退屈に耐えるのも仕事のうちだった。ガリナは最近、待機室で雑誌を読んでいる。新米の頃にやらされた完全武装で雑用をする、という「任務」も最近は任されなくなった。彼女が読んでいるのは小説が連載されている雑誌だ。内容は戦争ものやギャングものなど、アクションと冒険に富んだ男性向けの作品が多い。ガリナは1年程前からこの雑誌にハマっていた。

「これ、俺も読んでるぜ」

ディミトリが話しかけた。

「本当!?ようやく仲間に巡り会えた」

ガリナは顔を上げた。これまで、語り合う仲間がおらず、孤独だったのだ。

「女の子でも読む人っているんだね」

「なんとなく買ってみたら癖になって」

「いいよな、これ。ガリナはどれが好き?」

「悩むけど……『戦場の狼』かな」

彼女が上げたのは数年前の戦争を題材とした作品だ。敵軍に故郷を焼かれた男が、組織に縛られない義勇兵として様々な戦場を駆け巡る話だ。

「分かる!でも俺は『冷たい弾丸』が好きなんだ」

ディミトリが言ったのは殺し屋の話だ。凄腕の殺し屋である主人公が困難な依頼を完遂する話だ。主人公の協力者も容赦無しに死亡する、非情な展開にファンが多い。


 結局その日は、僅かな雑用をした以外は1日雑誌を読んだり、ディミトリと語り合ってたりして1日が終わった。

「いいのかな。これでお給料貰って」

「普段暴徒と殴り合ってんだから、これで丁度いいくらいじゃないか」

ガリナとディミトリはそれぞれ帰ろうとしていた。すると、廊下をレイラとタチャーナが歩いているのが見えた。ふと、2人がよく地下の酒保に通っているのを思い出した。ガリナはあまり酒を飲まないし、家で小説の続きを読みたいのでそこに行ったことはなかった。だが、雑誌の最新号は今日読み終えてしまった。

「地下の酒保行こうと思うんだけど、来る?」

「今日はいいかな。明日、ウチの隊巡回があるからさ」

「なるほどね。それじゃあまた」

2人はその場で別れ、ガリナは地下に向かった。彼女は明日から休日だった。


 酒保があるのは知っていたが、使うのは初めてだ。薄暗く広い室内に椅子とテーブルの並んだ、落ち着いた空間が広がっている。酒やタバコ、その他嗜好品を扱うカウンターも見える。基地の中とは思えない、小洒落たバーのような雰囲気だ。カウンターではボトルキープも出来るようで、名前を書いた紙の貼られたボトルが何本もある。中には「飲んだら殺す」と書いてあるものもあった。

「ここは初めて?」

カウンターの商品を見ていると後ろから声がした。振り返るとレイラとタチャーナが立っていた。予想的中だ。正直、2人がここに居なかったらどうしようかとも考えていた。

「あの、ご一緒しても?」

ガリナがそう尋ねると2人は快く受け入れてくれた。


 3人はそれぞれ酒を手に席へと着いた。タチャーナは新しいワインのボトル、レイラは半分残ったブランデーをキープしていたらしい。ガリナは適当に、安くて度数の低い物を買った。しばらく他愛の無い雑談をしていた。ガリナは一度、こうしてレイラとゆっくり話したかったのだ。戦地で別れる時は、今生の別れだと思っていたからだ。

「お2人のお酒、美味しそうですね。今度はそれにしてみようかな」

「気になるなら飲んでみる?」

顔色ひとつ変えずに飲んでいたタチャーナが、グラスにワインを注いでくれた。暗い赤色のそれを飲み下すと、渋みと強いアルコールが一気に押し寄せ、軽く咽せた。

「それ、癖の強いやつでしょ」

レイラはその様子を見てどこか楽しそうだった。

「口直しに一口どう?」

彼女は自分のグラスをガリナへと進めた。

「ありがとうございます。でもそれってレイラさんの……」

「気にしないから、ほら」

レイラも少し頬が紅くなっており、表情も心なしか緩んでいる。ガリナはそれを受け取り、琥珀色のブランデーを流し込んだ。甘味は強いが、度数も強烈だった。ギュッと目を瞑ってそれを受け止める。

「強い……でも、美味しいです」

「気に入ったなら良かった」


 ところで、とレイラが切り出した。

「どうしてこっち側に戻って来たの?」

「……どういう意味でしょうか?」

ガリナは首を傾げる。

「あの日貴方は負傷して家へと帰った。なのに、どうしてまた戦いの場に来たの?」

それはガリナの入隊の理由を問うものだった。軍人でも、志願した義勇兵でも無い彼女は戦闘に巻き込まれて心身共に傷を負ったはずだ。その彼女がなぜ、わざわざ自分から戦いの場に戻ったのか。レイラはずっと疑問であった。

「自分の経歴を活かせると思ったからです。雑貨屋の店員よりはやりがいあるかなと」

酔いが回りつつもガリナはそう答える。

「それから愛国心……ですかね。今のこの国おかしいと思うんです。せっかく戦争終わったのに、変な陰謀論に踊らされて、反戦掲げて暴動ってどうなんですか。自分らから戦争起こして馬鹿なんじゃないかと思いますよ」

酒のせいでいつもより饒舌になり、後半はかなり感情的になっていた。

「でも、お陰でレイラさんと再開出来たので私は幸せです……少し飲み過ぎましたかね」

そうは言いつつも、ガリナはグラスの残りを飲み干した。


 そこから半時間程、ガリナの酔いがピークに達した。突然冗談を言っては1人で笑っている始末だ。身体が火照って熱くなり、服装もかなり乱れている。

「……飲ませ過ぎたわね」

「同感。ここまで弱いとは」

彼女が勝手に飲んだのもあるが、レイラとタチャーナが色々試し飲みさせたのも原因の1つだ。ひとしきり笑ったガリナは、今度はテーブルに突っ伏して眠そうにしている。

「そろそろ、お手洗い行ったほうがいいんじゃないの?」

「大丈夫、で、あります」

レイラがそう促すと、彼女は突っ伏したまま答えた。

「これ、ほっとくとまずいかも」

タチャーナがレイラの方を見て言った。

「彼女1回も離席してない。その上結構な量飲んでるはず」

「上官命令よ。行きなさい」

「自分はまだ戦えます……」

「答えになってない」

眠気の方が強いのだろう。ガリナはそれきり静かになった。

「これ、無理にでも連れ行った方がいいやつね」

「……世話の焼ける」

レイラは仕方なく立ち上がるとガリナを強引に立たせた。小柄な彼女を連れ出すのは、負傷兵の救助よりずっと簡単だった。


 レイラは半分眠っているガリナをトイレに押し込む。鍵の掛かる音はしなかったが、ズボンを下ろすような音が聞こえたのでその場を去った。しばらくして水が流れる音がしたが、中々彼女が出て来ない。心配になって中へ入ると、蓋を下ろした便器に座って眠っていた。

「なんでこうなってるわけ……」

ズボンは上げられているため、諸々を終え、一休みで座った瞬間眠りに落ちたのだろう。

「酔っ払いの行動は本当に読めない」

レイラは溜息を吐き、彼女を仮眠室まで運んだ。


 ガリナをベッドに寝かせて布団を掛け、今度こそ立ち去ろうとした。動いたことで自分も酔いが回ったようだ。タチャーナに挨拶して寝よう、そう思っているとガリナが手を伸ばしてレイラの服を掴んだ。

「1人にしないでくださいよ……」

寝言か、酔っ払いの戯言か。そう分かっていても、レイラの心の奥に引っ掛かるものがあった。それは、戦地での記憶だった。


 まだ10代の若い新兵が野戦病院の簡素なベッドに寝かされている。彼は胸を機銃で撃ち抜かれ、重症だった。彼はレイラを隊長として良く慕っていた。

「隊長、僕を1人にしないでください……」

「大丈夫。少し離れるだけ」

必死に手を伸ばす彼の手を一度軽く握り、レイラはそこを後にした。今後の作戦についての連絡事項があるのだ。将校として行かねばならない。それに、今自分がここにいても出来ることは何もない。何かあれば、軍医が対処してくれるはずだ。


 離れていた時間は15分程だった。だが、戻ると彼は死んでいた。既に身体は冷たくなり、何をしても反応が無い。

「手は尽くしたが、内臓の損傷と出血が酷すぎたんだ……」

服と手袋を血に染めた軍医はそれだけ言うと、他の傷病兵の方へと向かって行った。レイラにとって、部下を失うのは初めてではない。だが、静かな野戦病院でゆっくりと訪れる死は、戦闘の中一瞬で命が消えるのとは違った形で彼女に突き刺さる。ふと、隣のベッドに横たわる兵士が口を開いた。

「将校さん、そいつの手を握ってやってくださいよ。そいつ、『姉さん、姉さん』って言ってたんです。『1人にしないで』って、うわごとみたいに。だからせめて、手を握ってやってくださいよ」

レイラはその場に跪き、冷たく硬くなった新兵の手を握った。


 なぜ、今それを思い出すのか。その後も、前も、多くの部下を失ったじゃないか。レイラは自分に言い聞かせるが、ガリナの側を離れられなくなった。酒のせいか、妙に感傷的な気分だった。彼女の寝ているベッドに腰掛け、手を握った。穏やかな表情で眠る彼女はとても兵士のようには見えない。そんな彼女を暴徒と乱闘させるのには罪悪感すら感じた。

「全く、なんで戻って来たんだか」

思わず独り言が溢れた。ガリナの寝顔を見ていると自分まで気持ちが緩む気がした。酒も頭に回っている。明日は休みで、この仮眠室を使う人は元から少ない。レイラはそのまま身体を横たえた。


 翌朝、ガリナは二日酔いで目を覚ました。頭痛で昨夜のことを後悔した。酷く酔っていたことは覚えているが、どうやって仮眠室まで行ったのかまるで記憶がない。夜中に一度目が覚め、隣にレイラがいたような記憶がある。彼女はそんなことをするタイプだろうか?それは夢だったのか?疑問は尽きないが、今は全身の不快感の方が強い。シャワーも浴びずに寝てしまったからだろう。結論は後回しだ。彼女はシャワー室に向かうため、重い体を引きずって寝床から抜け出した。

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