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牛(べこ)の出征

「あの」戦争が戦われていた時代、おそらく日本の何処でも見られただろう光景が、

何処にでもありそうな農村で見られた。


「万歳!」「万歳!」「万歳!」

日の丸の旗が波打ち、万歳三唱で送られる。


ただし、異なっている事が、少なくとも2つあった。

1つは、おそらく、送られた「彼」は2度とは、この農村に返って来る事は無いだろう。

今1つは「彼」が“人”では無かった事だった。


「モォ~~」


当時の東北地方の農村では、牛は『べこ』と呼ばれ、家族に準ずる扱いを受けていた。

耕運機などは、普及していない時代である。

すき」を引かせる牛は、農家の財産だった。


しかし、その財産にも「出征」が在り得る時代だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


後年「この」時代の「新兵いじめ」が告発されるようになると

「いじめ役」の古参兵の決まり文句として流布した科白がある。


「貴様らの価値は1銭5厘(召集令状の郵便代金)に過ぎない」


大嘘である。


徴兵制の兵士1人のコストが召集令状だけか、どうかなどとは、

まともに戦略とか後方支援とかの知識があったら分かることだ。


兵士1人、1人には軍服を着せ、

戦闘訓練などという重労働のカロリーを補給するだけの食事を食べさせ、

(歩兵1個中隊(200余人)1日当り、米だけでも“最低”3~4俵以上を支給していた)

兵士の人数分のベッドを設置した兵舎を建てなければならない。


これで衣食住の最低ラインだ。武器の補給はこれからの話。


さらに細かい事を言えば、

「歩」兵なら、自分の足で歩くから、と言った処で、

100人の歩兵を歩かせるためには、100足の軍靴を履かせなければならない。


合成繊維のクツに合成ゴムのクツ底などは、発明されていない時代だ。

したがって、軍靴100足分の革に相当する牛に「肉」になってもらう必要があった。


参考までに、第1次大戦における連合国が、軍靴の生産に使用した牛革で正方形をつくると

1辺が1275mになる計算だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


だから、ワザワザ記録に書き残す誰かが居なくても、日本の何処にでもあるような農村で、

牛の「出征式」などという光景が見られた筈だった。


戦争とは、そういう時代なのである。

御意見、御感想をお待ちしております。

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