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旅は月をともに そして耕すは太陽と

高島智明です。

長らく、この短編集を放置したまま完結処置すら行わなかった事を

先ずは御詫びいたします。


残念ながら今回のサイト閉鎖に伴い、思い付いてはボツを繰り返していた

2次創作のアイデアらしきものを、とりあえずは放棄いたしました。

その上で勝手きわまる事は承知ながらも、少なくとも自分本人は1次創作の積もりでした

つたない短編集だけでも大切にしようと思い返す最近です。

そんな身勝手な思案から、とりあえずはPC記憶メディアより発掘して来たのが

今回の“この”小編です。

今日(西暦2012年)多くの国家で採用されている暦は太陽暦である。

かつて古代エジプトで発明された暦がジュリオ・チェーザレによってローマ帝国に採用され

さらにルネサンスの時代に改良されて、今日まで使用された。

日本には明治5年に採用され、それ以前の日本で用いられていたのは太陰暦、

つまり月の満ち欠けを目安とした暦だった。ここまで好く知られた事である。


だけど?なぜ太陰暦だったのだろう。

多くの文明文化において主要な産業は農業であり、その人口の多数派は農民だったろう。

その農作業の計画には、どちらが役立つか?

農業実務には素人の都市生活者でも疑問に思う処だ。

「夕べは満月だったから、今日は畑に種を蒔(ま)こう」と言う事は出来ない。

「今日は村から見ると、あの山から御天道さまが出て来たから種蒔だ」

と言う事は出来るだろうが。

季節と一致しているのは太陽暦の筈なのだ。


春分、夏至、秋分、冬至。その全てが何月何日と、毎年決まっている時代に我々は生きている。

だが、かつては毎年、暦を計算して季節と調節しなければ成らなかったのだ。

太陰暦の12ヶ月は、実は太陽暦の1年よりも短い。

だから太陰暦では1年が12ヶ月に成るのか、13ヶ月に成るのか毎年、来年分を計算していた。

こんな暦が、農業の予定表として使用出来ていたのだろうか?

もしかしたら、太陰暦は農業用の暦では無かったのでは?


太陽暦よりも太陰暦。

季節の変化よりも月の満ち欠けの方が便利な人々が、古代には居たのだろうか………。


……。


…現在の歴史学では、古代文明の中で太陰暦の使用が確認されている最も古い文明。


おそらく其れは古代メソポタミア文明だろう。

現代でも尚「月」をシンボルマークとして好む文化は存在する。

そうした文化が伝えられている地域の1つでもある。

こうした地域の多くは、確かに太陽よりも月に親しむ可能性が在るだろう。

四季に恵まれた日本列島から想像しても、1年の間の季節変化よりも

1日の間の暑さ涼しさの変化の方が深刻そうに想える。

少なくとも砂漠の中に存在していた都市国家から都市へとキャラバンが往来するには

夜の涼しさを利用したくも成っただろう、とは想像出来る。


だが、当然ながら夜は太陽が出ている時間よりも視界が狭(せま)い。

そして例えば、砂丘の陰には暑さとは別の危険が隠れても居ただろう。

少なくとも満月よりは新月の夜の方が危険な筈だった。

そして満月の砂漠を行くキャラバンは商品の他にも

月の満ち欠けを計算した予定表も運んで行ったのだろう。


太陽暦よりも太陰暦を使用する地域が多かった様に見えていたのは

先に太陰暦の方が伝達された結果だったのでは?

太陽暦が農業用の暦だったならば、使用していた農民たちは毎年、同じ土地を耕していて

遠くへと旅をする機会は少なかっただろう。

片や、太陰暦は通商交易の旅に役立っていたならば

商品と一緒に運ばれて行っただろう………。


……。


…産業革命から後、鉄道、自動車そして航空機までが発明された。


それでも大量輸送のコストと成れば、海上交通が有利である。まして古代とも成れば

快速船の方が陸上交通より速い場合すらケース・バイ・ケースで在り得た。

そんな時代であれば、同じ土地を耕す農民たちの年間予定表よりも、

船乗りたちの使う出入港マニュアルの方が遠くへと運ばれていっただろう。

陸(おか)の上で想像しても、想像出来る。

船乗りたちは月の満ち欠けに関心が在っただろう。

満月や新月の日中と、半月の日とでは、出入りする港の水深が違っているのだから。

そうして太陰暦は拡がっていった。


片や太陽暦は、其々(それぞれ)の地方で其々の地方の農業などに役立っていたのだろう。

ナイルの流域を耕す人々も、ナイルが氾濫する季節だけピラミッドを造ったりしながら

水が引けば、また同じ土地に戻って耕し続けていた。


……そんなナイルの土地に、ジュリオ・チェーザレと言う1人のローマ人が遣って来た。


古代ローマ人は実用的な国民であり適材適所の名人だった、とされている。

例えば学問芸術に関係する様な分野では、先行していたギリシア人を師匠としていた。

そのギリシア人は同時に、地中海の航海と通商の民だった。

当然に航海の食糧を足すためには魚を捕まえて料理していただろう。

そしてローマ人の中でグルメを楽しむ余裕を持っていた人々

同時に歴史書などを残す知識人にも重なっていた人々は

ヨーロッパ内陸の狩猟民から肉料理を取り入れるよりも先に

ギリシア人から魚料理を学習したりしていた。

だからローマ人が、おそらくギリシア人から学習したのだろう暦が太陰暦だったのは

不思議でも無い。


しかし、ジュリオ・チェーザレと言う天才は気が付いていた。

ローマ人が「当時」使用していた暦が

決して全てのローマ人にとって実用的でも無い事に。

共和政時代のローマで彼に投票した選挙民の中には、イタリア半島の各都市の郊外で

ワインやオリーブ油を出荷していた農民たちが混じっていた。

当然ながら、彼は彼の支持者たちに実用的な予定表

例えば、何月何日にブドウの取り入れを予定すれば好いか、

と言った事が書き込めるカレンダーを提供したかっただろう。


そして、彼はエジプトで発見した。

前書でも釈明させて頂いた通り、そんな何処までも勝手きわまる小編ですが、それでも温かく見守ってくださるか、あるいは笑って御見逃しくださる寛容なる皆様方の

温かい御意見・御感想をお待ちしております。

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