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『最後の晩餐』への疑問

レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』

これ自体についての説明は無用だろう。


近年、映画の影響で、イエスについての暗号がどうの、などと言われたが、

それ以前から、キリスト信者でも無ければダ・ヴィンチと同胞でもない異郷の非信者には

「この」絵についての疑問があった。


<<聖杯>>が描かれていない。


*・・*・・*・・*・・*


そもそも、キリスト教徒にとっての「最後の晩餐」とは何か。


逮捕の直前、イエスは弟子たちと、おそらくは自由の身としては最後となる食事を共にした。

その席上、銀杯に盛られたブドウ酒で柔らかくしたパンを弟子たちに与えた。

「これは自分の血であり肉である」

この儀式によって弟子たちは、イエスの使命を受け継ぐ12使徒と成った。


キリスト教徒が日曜日ごとに行う「ミサ」とやらは、この儀式の追体験だそうである。


これは完全に余談だが、続いてイエスは、後継者と成る第1使徒ペテロに対して預言した。

「お前は、私のことを知らないと言うだろう」

結果、逮捕を免れたペテロによって教団は受け継がれた。


これはイエスの命令ではなかったろうか?

現代でもアメリカ大統領に何かあった時、

次の大統領が選ばれるまでの代行は20何番目まで順番に決まっているが、

その内の1人はどんな場合にしろ、例えば儀礼上、全員が出席するべき式典の場合でも、

最低1人は「AirForce1」に乗せているらしい。


余談はともかく、非教徒の作者ですら思う。

キリスト教徒にとっての「最後の晩餐」とは<<聖杯>>の儀式の筈では無かったか。


*・・*・・*・・*・・*


あらためて、ダ・ヴィンチの名作を観る。

そこに描かれているのは「ユダの裏切り」を預言されて動揺する弟子たちの群像だ。

ドラマチックといえばドラマチックだ。

しかし、これは注文主が注文したものだったろうか?


そう、ダ・ヴィンチは、注文を受けて描いたのだ。

しかも、場所は修道院の食堂である。

修道士たちが祈りと共に食事を取る時に相応しいのは<<聖杯>>ではないのか?

異教徒だって、疑問に思う。


果たして、キリスト信者からは、この疑問に対する解答は得られるのだろうか。


*・・*・・*・・*・・*


ここで、無理やり、異教徒の外国人が自問自答した結果だが、


もう1枚あったのでは。

それなら、少なくとも自分としては納得できる。


如何にも修道院に相応しい<<聖杯>>を描いた1枚。

ただし、普通に額に入っていたため、何処かに運ばれた。


あるいは「万能の天才」は良いけれど、

やたらと飛び付き派で興味の分裂しがちだったレオナルドの事、

その結果、やたらと未完成が増え過ぎで、

高名でありながら完成した作品の少ないダ・ヴィンチの事だ。

2枚目の筈の「ユダの裏切り」に力が入り過ぎて、

肝腎の<<聖杯>>の方の完成が遅れた結果、

注文主とケンカに成った、

という事だって大いに有り得る。

御意見、御感想をお待ちしております。

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