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凍らない携帯食・IF八甲田山行軍事故

明治三十五年(一九〇二年)一月、青森県の八甲田山でのできごとです。

旧陸軍青森第五中隊の二百余名が雪山行軍訓練中に遭難し、九割が死亡する大惨事となりました。

この遭難事故は、当時の知識や装備の限界、準備不足等が重なって起きた悲劇でした。

遭難時の状況は非常に過酷で、寒さと雪による凍傷や低体温症が多くの隊員の生命を奪いました。

遭難者の中には正常な判断ができなくなって奇行に走る人もいたとされています。


この物語は転生者が八甲田山事故を未然に防ぐ、という小説を書く青年のお話です。

公式企画『秋の歴史2023 テーマ:食事』参加作品です。


「イタルが次に書く小説って、八甲田山(はっこうださん)の話なのね」


 ユズナは僕の書いたメモ書きを見ている。


 僕はときたま自作小説をインターネットの小説投稿サイトに出している。

以前に書いた小説は、主人公が明治時代の日本に転生する内容だった。


 明治の気象学者で野中到(のなかいたる)という人がいた。

富士山の頂上で冬季の気象観測を実行した人だ。

前に書いた小説では現代人が明治時代に転生して、野中到の手助けをするんだ。

主人公は寒さに強い観測所をつくり、いっしょに富士山頂で冬を越すという内容だ。


「イタルが書いた小説では、途中の山小屋に中継基地を置くんだよね」


「うん。富士山の冬季観測の話は前編・中編・後編に分けて書いてたんだけど、中編まで書いたところで感想欄に冬季登山に詳しい人から指摘があったんだ。死者がでるリスクが史実よりも高くなってるかもって」


 感想で指摘されたのは、僕のオリジナル設定の部分である。

五合目の山小屋に人を常駐させて中継基地を作り、ここから野菜などの物資を定期的に運ばせるようにしたのだ。

史実ではもちろん山小屋は閉まっており、中継基地などはない。


 ここで山小屋を開いた場合、マスコミとか野次馬が無謀な登山をしてくるかもしれない。

僕の小説では後編では山小屋を閉め、物資はふもとから運ばせるように変更した。


「イタルの書いた設定は無理があったかな。山小屋の常駐者用で、人や食料や燃料もたくさん必要になるしね」


「そうなんだ。小説の感想で、途中の山小屋のリスクについて書いてくれた人の意見だけどね。同時期の八甲田山の事故の例にあげてたんだ。不慣れなグループは雪山で遭難して、少数精鋭のグループは雪山越えに成功したって」


「えーと、八甲田山の映画を見たことあるけど。野中到と同時期だっけ?」


「野中到の冬季観測の七年後に八甲田山の事故がおこったんだ。僕が次に書く予定のお話は、富士山の気象観測を手伝った主人公が再登場する。今度は八甲田山の事故を未然に防ごうとするんだ」


 僕は八甲田山の資料をだした。

ユズナも知っているみたいだけど、もういちど八甲田山の事件のことを復習しておこう。

青森県の八甲田山というのは単独の山じゃなくて、小さな山がいくつも集まった山地だ。


 青森歩兵 第五中隊経路

 挿絵(By みてみん)


「明治三十五年一月、雪山に入ったのは青森の旧陸軍・歩兵第五中隊が二百名。これに十名の本部隊が随行、合わせて二百十名が行軍を実施。青森市から八甲田山地の田代温泉を目指したんだ。目的地までは片道で二十キロぐらい。田代温泉で一泊して帰ってくる予定だった。天候が良ければ、三本木……今の十和田市まで行くつもりだったみたいだ。結局、遭難してほとんど全滅したけどね」


「うん。あたしも映画で見たよ。原作小説の作者は野中到の伝記を書いた人と同じだね。山道で一日に二十キロ歩くって大変じゃない?」


「当時はそのぐらいは平気で歩いてたみたいだよ。で、そもそもの雪中行軍の理由だけど、この時期は日清戦争が終わって日露戦争の直前だった。青森の海岸線がロシアの軍船に封鎖されたときに、八甲田経由で物資を運べるかを調べようとしたんだね」


「映画では、別の部隊が逆のルートで八甲田山に入るんだよね」


「そう。そっちは弘前(ひろさき)の歩兵第三十一連隊。彼らは八甲田の雪山越えに成功した。弘前隊は中国大陸の豪雪地帯でロシア兵と戦うことを想定して、雪山での活動方法を調べていたんだ。日清戦争でも、雪と寒さで苦戦したからね。雪山行軍に慣れた精鋭三十八名が弘前から十和田湖、三本木を通って八甲田山に入る。そこから青森市街にでて弘前に戻る。二百キロ以上の行程を十日以上かけて移動するんだ。弘前隊は八甲田を抜けて青森に到着。そのまま弘前まで帰りついている」


 映画や原作小説では青森隊と弘前隊の隊長同士が友人で、ライバルのような感じになっている。

それぞれの隊が逆のコースを通って『雪の八甲田ですれ違う』という約束をしていた。

が、これらはフィクションである。

実際は隊長同士の面識はなく、両方の部隊が別々で訓練をしていたんだ。


 というより、最初に弘前隊が大回りで雪中行軍する計画を独自に立てた。

何年も前から弘前隊は長期・長距離にわたる雪山行軍の訓練を実施しており、その集大成として八甲田越えを決めたようだ。


 弘前隊の出発の数日前に青森隊の上層部がそれを知った。

対抗するために慌てて無茶な命令を出したようだ。

もともと青森隊の訓練計画には八甲田へ行く予定はなかったのだ。


 一月下旬は八甲田山は毎年大寒波に襲われ、豪雪となる。

ついでにいうと、この年には北海道で史上最低気温を記録されており、現在も破られていない。

おそらく爆弾低気圧と呼ばれるものが直撃したのだと思われる。


 この年は青森も例年よりかなり寒かった。

遭難した場所の推定気温はマイナス二十度ぐらい。

そこに台風並みの秒速三十メートルの風がふきつけるのだ。

体感温度はマイナス五十度にもなったと言われている。


「ねえ、イタル。青森隊が八甲田山に入る前にふもとの村人が止めようとしたんだよね。『この時期に雪山が入るのは危険だ。どうしても入るなら案内人を出す』って。でも案内人を断るんだよね」


「当時は八甲田山の恐ろしさがわかってなくて、甘く見ていたみたいだな。あるいは、案内人を使う弘前隊より厳しい条件にしたかったのかもね」


 弘前隊は全行程で案内人を雇っており、八甲田越えの際は七人もの案内人を使っている。


 映画や小説では、青森隊の中隊長が事前に案内人を依頼していたが、大隊長がそれを断っている。

ただ、この一件は創作の可能性もある。

中隊長が『事前に案内人を依頼していた』という証言は残っていないのだ。

案内を申し出た村人が誰だったかも不明で、本当にいたのかもわからない。


 映画や小説では、青森隊の大隊長が悪役のように描かれている。

大隊長が間違った命令を何度も出して、そのせいで遭難したとか。


 青森隊の本来のリーダーは中隊長で、大隊長はアドバイザー的な役割だった。

本来は大隊長に指揮権がないはずだが、生き残った人の証言では大隊長が積極的に指示をだしていたようだ。

指揮系統の混乱が遭難の一因になった可能性はある。


「ユズナ。さっきも言ったけど、青森隊の行軍の目的は物資を運べるかの検証だった。だからソリに荷物をつんで運んだんだ」


「運ぶ荷物はなんだったの?」


「二百人を超える参加者の食料と、炊事用の釜や燃料。なぜか酒樽もあった。でもテントや寝袋のような野宿用品はなかった」


「酒樽って……温泉で酒盛りするつもりだったのかな。遠足じゃないのに」


 青森隊は十五台のソリに食料や炭を載せて運搬した。

一台のソリの重さは荷物も合わせると百五十キロぐらい。各ソリを四人で引っぱった。


 八甲田山の雪は乾いた粉雪(パウダースノー)だ。

雪を両手で握りしめても、雪玉にならずにパラパラと落ちる。


 新雪の上を歩くと膝まで沈み込む。

場所によっては腰とか胸あたりまで沈み、まるで雪の海を泳ぐように移動したようだ。

先頭を歩く部隊が後続者のために雪を踏み固めようとするが、うまく固まらない。

さらに風で舞い上げられた雪が足跡を覆い隠す。


 この時のソリには、架台の下にスキー板のようなものがついている。

本来、雪の平面上にこの板が乗っていると滑らせることができる。


 でも架台まで雪に沈み込むと、簡単には動かせない。

坂道を引き上げるのも大変で、横滑りも起きていた。


 力をふりしぼってソリを引っ張るが、ここで大量の汗をかくのは危険だ。

青森隊の着ていた木綿の衣服は、汗が凍り付くリスクがあるのだ。


 あらかじめ『粉雪の山道でのソリの使い方』を調べておくべきだったんだ。

底の平たいスノーボード型ソリを開発しておくとか。


 青森隊は、なんとか工程の半分ほどきたところで昼食をとることになった。

が、おにぎりが凍ってて食べられない兵が続出したそうだ。


 途中で吹雪になったことや、昼食をとれない兵がでたことから、軍医が行軍の中止を提案する。

しかし、大隊長の判断で続行されることになる。


 途中でソリは完全に雪に埋もれ、いよいよソリを動かすのが困難になった。

行軍の先頭集団よりもソリ隊が2時間以上遅れ、目的地に日没までに到着することも難しくなったのだ。


「イタル。普通に考えれば『ソリでの運搬は失敗』と判明したら、そこで引き返すべきだよね」


「うん。本来の目的は田代温泉にいくことではなく、ソリが使えるかを調べることだったからね。でも、そこで帰ったら訓練失敗になるんだ。で、弘前隊が八甲田越えに成功したら、青森隊は面目丸つぶれだ。だから、せめて田代温泉までは行こうとしたんだ。それが成功していれば『八甲田の雪山越えは青森隊が最初に成功』となるんだ。ソリも全台放棄じゃなくて、何台かは残したみたいだ」


 結局、大隊長は多くのソリを放棄して荷物を手で持つことを指示し、行軍を続ける。

重い荷物を持たせたことで、隊員の体力がさらに消耗する。


 その日の夜、目的の田代温泉まで二キロメートルを切った所までたどりついた。

なんとか四~五台のソリはここまで運べたようだ。


 が、肝心の田代温泉を見つけることはできなかった。

そもそも、目的地までのまともな道順を知る者が青森隊にはいなかったのだ。

温泉といっても、ちゃんとした温泉宿はない。

山の中に湧き出る温泉がポツンとあって、無人の掘っ立て小屋があるだけだ。

周囲に立て札も道しるべもなく、小屋も雪に埋もれて見えなくなっている。


 実は逆ルートで八甲田越えに成功した弘前隊も、八甲田に入る前に田代温泉に立ち寄ろうとしていた。

しかし彼らも埋もれた温泉小屋を見つけることができなかったのだ。

弘前隊は、場所を知っている案内人を雇っていたにもかかわらずだ。

青森隊の予定した『田代温泉で一泊』は、元から非常に困難だったと言える。


 青森隊は、その日の夜は雪に縦穴を掘って風をしのごうとした。

しかし二百人以上の人員に対して、大型スコップの数は十本のみ。

雪のない地表まで掘りきることができず、焚火がうまくいかない。

雪の上に炭を置いて火をつけたが、溶けた雪に埋もれて消えてしまう。


 スコップの上で炭を焚いてご飯を炊こうとしたようだが、これもうまくいかない。

結局、生煮えのご飯……というより水でふやかした生米が配られた。

食べなかった兵も多かったようだ。


「……イタル。お昼ごはんも晩ごはんも食べられない人がいたんだよね。猛吹雪の中で何も食べないと危険よね」


「いちおう、(ほしいい)っていって、もち米を粉にしたものは配られたらしい。これで何とか飢えをしのいだんだと思う」


 この日に掘った縦穴は深さ二メートル半。幅五メートル、長さ二メートルほど。

これが五つあり、それぞれの穴に四十名ほどが立ったままで入る。

横風を防ぐことはできるが、天井を覆うものがない。

氷点下二十度の雪濠で朝まで過ごそうとした。


「が、あまりの寒さに耐えきれなくて、行軍を中止して青森に帰ろうとしたんだ。でも真夜中で吹雪の中、ロクに方向もわからない。自分たちがどこにいるかも、ちゃんとわかってなかった」


「映画では中隊長が地図を持ってたけど、あまり正確じゃなかったのかな」


「事件後に軍で作られた報告書では、中隊長は二十五万分の一の地図を持っていたことになっている。ただ、この縮尺では役に立たないだろうな。その報告書も誤ってて、実際には地図を持っていなかった、という説もあるし」


「じゃあ、目的地の場所を知っている人はいなかったってことだね」


「いちおう中隊長は夏場に目的地の近くの街道を歩いたことはあるみたいだ。でも、街道から外れた温泉には行ってなさそうだ。随行の本部要員に『田代温泉への道を知っている』と主張した人がいた。でもその人のあいまいな記憶が、遭難の要因の一つになるんだ」


「あ、映画で見たよ。『田代への道を知っている』と言った人に案内をさせたら、川にぶつかったんだよね。で、行き止まりで完全に迷ったんだっけ」


 雪山で遭難する原因の一つが、窪地に入ってしまうことだ。

雪の斜面は降りることはできても、昇るのは容易ではない。


 もし正確な地図を持っていれば、その地点から川の上流に向かって一キロほど進んでいたと思う。

そうすれば田代温泉の近くまで出られるからだ。

上流側に進まなかったのは、正しい方角がわからなかったのか、それとも通行できない状況だったのか。


 川べりまで下りてしまった青森隊は、元の野営地に戻ろうとして雪の崖をよじ登る。

途中で滑落する犠牲者が多発した。映画でも悲惨なシーンで描かれていた。


 やっとの思いで崖に上った者たちも、吹きさらしの猛吹雪にさらされる。

生き残った青森隊は、食料も燃料もスコップもなくなった。

  

 青森隊は雪山で方向もわからない状態で、あてどもなく彷徨することになる。

隊員は、凍傷と低体温症で次々に倒れて、凍死していった。


 数日後に救出されたのは十七名、そのうち六名はすぐに亡くなった。

生き残った十一名の大半は、重度の凍傷で手足を切り落とすはめになった。


 その後、弘前隊は全員無事で八甲田を越えて青森に到着した。


「イタル。青森隊と弘前隊の違いって何だろう? 案内人がいたことと、ソリを使ったことかな」


「これを見て、ユズナ。比較資料を書いてみたよ」


 * * *


・人数


 青森隊

  二百十名。そのうち百九十九名死亡。


 弘前隊

  三十七名と従軍記者一名。

  途中で足を痛めた一名が、三本木で離脱した。

  残りの全員が八甲田を走破、生還している。


・指揮系統


 青森隊

  本来、率いるのは中隊長の大尉のはずであった。

  随行の大隊長が指揮権を奪い、現場が混乱した。


 弘前隊

  隊長の大尉が指揮をとり、隊を掌握していた。

  隊長は隊員全員と意思疎通がとれていた。


・経験の違い


 青森隊


  中隊長は雪中行軍の経験が少ない。

  (軍の記録には彼が雪山行軍に参加した情報はない)

  青森隊で、雪山でのキャンプ経験のあるものは少ない。

  ほとんどが岩手・宮城の出身で、青森の雪山は不慣れ。


 弘前隊

  雪中キャンプをふくむ雪中訓練の経験者。

  ほとんどが青森の出身で、青森の雪質なども知っていた。

  事前に体格の良い屈強な者をそろえている。

  凍傷の予防法や食料を凍らせない方法も、心得ていた。


・装備の違い


 青森隊

  木綿の軍服に薄いコートを二枚羽織っただけ。

  雪山では木綿は汗を吸うと凍る可能性がある。

  手袋は軍手一つ、足は靴下にワラグツ。

  着替えを持っているものはいなかった。


  雪穴を掘る大型スコップが十本しかない。

  初日以降はそれもなくなり雪穴を掘れなくなった。

  食料や燃料などはソリに積んでいた。


 弘前隊

  毛糸の軍服にフード付きコート。

  木綿と比べて保温力が高く、汗の影響が少ない。

  足は靴下の上に油紙を巻き、唐辛子をまぶしていた。

  革靴の上からワラグツをはいている。

  途中の集落でも都度ワラグツを交換している。


  全員が折りたたみスコップを持っている。


  極寒の雪の中で長期間を過ごすことを想定。

  初めから命がけであった。


・準備の違い


 青森隊

  中隊長は訓練実施の約三週間前に雪中行軍の指示を受けた。

  (この時点では、目的地は八甲田と違っていた可能性あり)

  八甲田行きが決定したのは出発の一週間前。

  上層部が弘前隊の行軍を知って、急いで決めたと思われる。

  そもそも、年度の計画に一月に雪中行軍をする予定はなかった。


  ほとんどの参加者は出発の二~三日前に命令を受けている。

  出発前夜に命令を受けて、急遽参加した者までいた。


  目的地の場所を正しく知る者はおらず、地図もいい加減だった。

  中隊長が二十五万分の一の地図を持っていた、という説もあるが

  この縮尺ではあまり役に立たない。


  ろくに準備もなく、いきなり雪山に入ることになった。

  青森隊は出発前夜には壮行会で酒を飲んでおり、遠足気分であった。


 弘前隊

  何年も前から雪中行軍および、雪中で夜を明かす訓練をしていた。

  参加者も隊長が一人一人面談をして、決めている。

  事前に訪問予定の村から地図を取り寄せ、地形を調べていた。


  前年の夏に、盛岡から十和田湖、三本木までは行軍を行っている。

  雪の八甲田越えの前の一週間で、身体を寒さに慣らしていた。


・案内人の有無


 青森隊

  案内人が不在。

  初日の野営地までは青森市内からほぼ一直線で移動していたが、

  その先はまったく道がわからない状態であった。


 弘前隊

  全行程で案内人をつけている。

  隊長は出発前に全行程の地図を作り直している。

  地図のない八甲田を抜けるために、案内人を七人雇っている。


 * * *


 いろいろ並べてみたけど、青森隊の事故は起こるべくしておきたみたいだ。

特に露営、つまりキャンプの準備が足りなさすぎる。


 田代温泉に宿はなく、埋もれた掘っ立て小屋しかない。

もし田代温泉にたどり着けていたとしても、ほとんど全員は野宿になる。

青森隊の中隊長は田代~三本木の間の集落で泊まるつもりだったのかも。


 僕はこの時に必須だったと思われるものを書いてみた。


・大型スコップがもう十本

・雪濠の屋根や床に使える布やムシロなど

・木を斬る斧


 僕のメモをみながら、ユズナもうんうんと頷いている。


「うーん……。弘前隊が少数精鋭で青森隊が素人集団……って言うとかわいそうかなぁ」


「ユズナ。いちおう、青森隊も普通の寒さ対策とか雪山での訓練はしていたんだ。でも極寒の猛吹雪での雪山は、当時の知識では及ばなかったみたいだね。っていうか、その知識を得るための行軍がこれだったんだ」


「あ、小説では中隊長がカイロを持ってたよ。方位磁石が凍るのを防いだとか……」


「カイロの話はフィクションだと思うよ。実際は誰もカイロは持っていなかったみたいだ。事故後に作られた報告書で『カイロを推奨していた』と書かれたけど、たぶんウソかも。高級品だし誰も持っていなかったようだ」


「そうなんだ。あ、青森隊もワラグツを履いてたんだよね。あったかそうだけど、ダメなの?」


「長時間履いていると、隙間に雪解け水がしみ込んでくるんだ。これが凍って凍傷になる。なんとか助かった人も、多くも指や膝下を切断するはめになった。ワラグツはしばらく使ったら、乾いたものと履き替えないとダメなんだ。自前のゴムの長靴をもっていた将校は生き残ったけど、高級品だったので一部将校しか持ってない」


「うわぁ……。凍傷って『しもやけ』のひどいやつで火傷(やけど)みたいになるんだよね」


「そう。生き残りのなかで、足先の唐辛子をつけて、油紙で防水対策をしていた人は被害が少なかった。それと雪山で怖いのは『低体温症』だ。人間の体温が三十五度より下になると体の調子が悪くなるんだ。ひどくなると脳も正常に働かなくって、正しい判断もできなくなる。大隊長の判断ミスもこれが原因かも」


 映画ではおかしくなって、木に切りつける人とか、裸になる人がいた。

実際の現場では「川を下って青森に帰る」と言って、川に飛び込む人もいたとか。

中隊長の『天は我々を見放した』のセリフが有名だけど、これをきいて心が折れた人たちもいたみたいだね。

低体温症で判断力が鈍ってたから言ってしまったのだと思う。


「それでイタル。主人公はどうやってその事故を止めるのかな? 八甲田山にみちしるべでも立てるの?」


「いや、八甲田山の遭難事故だけを止めてもダメなんだ。とんでもない事故だったけど、あれで軍隊の冬の装備が見直されたんだ。日露戦争に勝てたのはそのおかげっていう説もあるし」


「あ、そっか。八甲田山の事故がなかったら、日露戦争での装備が貧弱になったかもしれないのね」


「だから、軍全体の冬装備の提案とか、雪山の露営……キャンプのやり方を資料にして軍部に渡そうと思うんだ。今回の主人公は富士山の冬季観測に参加して、それなりに有名人になっている設定なんだ」


「なるほど、無名の人が作った資料よりも説得力があるかもね」


「たとえばこんな感じかな」


 * * *


氷点下での雪山の注意


・凍傷を防ぐため、常に両手をこすりつけ、足の指を動かす。

・なるべく汗をかかないように注意。汗をかくと凍る。

・ワラグツを長時間履いていると雪がしみ込んで凍る。

 足に油紙を巻き付けるか、革靴の上にワラグツをはく。

・汗や雪でぬれた下着や靴下、手袋の替えは必須。

・衣服や下着は木綿ではなく毛糸を使う。

 木綿では汗が肌に貼りついて凍る。


 * * *


「こういう感じで雪山のキャンプの案をまとめて、軍部で実践してもらうんだよ。対ロシア戦を考えて訓練できる場所を作ればいいと思う」


 僕はアイデアをメモに書き込んでいった。


「青森と田辺温泉の中間に大滝平という広い場所があるんだ。ユズナも映画を見たんだよね。第一発見者が見つかったところだよ。冬場にそこに仮設テントを立てて、訓練場を作ればいいと思う。一泊二日とか二泊三日で雪の上で過ごしてもらうんだ」


「なるほど。最初から訓練場を作って、雪の怖さを実習で学ばせるのね」


「そう。ふもとから大滝平まではソリを使えたから、救護所とか倉庫も作れると思う。食料や燃料はそこに置けるしね」


「ねえ、イタル。雪の中での訓練ってどういうことをやるの? 何日もすごすんでしょ」


「避難用の雪穴とかを作る訓練だよ。乾いた粉雪だから、かまくらを作るのは難しそう。底の無い木箱で雪のブロックができれば、イグルーっていう雪小屋を作れるかも。あとは、大きい布で簡易テントを作る訓練とかね。露営だけじゃない、雪の中での歩き方の訓練もやるべきだ」


 特に雪山で迷わないための訓練がいる。

氷点下では方位磁石も凍って使えなくなる。

一面真っ白な雪だから、すぐに方向もわからなくなる。


 さらに当時の八甲田山で風で粉雪が舞い上がって、視界が完全にふさがれていたみたいだ。

いわゆるホワイトアウトってやつだね。

もしも雪山で道に迷った場合は、知っている場所まで引き返すのが鉄則だ。


「なるほどね。そういう訓練をして、戦争に備えるのね」


「その場所は、日露戦争での主戦場と気候が似ているから役に立つと思う。後は食べ物の問題だな」


 氷点下の気温で雪の中を歩くときは、身体を動かし続ける必要がある。

そうなるとカロリーも消費するから、一日三食でも足りなくて、なるべく間食もしたほうがいい。


「イタル。食事はどうするの? おにぎりは凍るんだよね」


「八甲田山の行軍では、青森隊はおにぎりやモチを持っていた。リックサックみたいな背負い袋にいれてたけど、多くの隊員は凍って食べられなかったんだ。ふところや腹巻にいれてた人は食べられたらしい。冷凍しても食べられるものがいいな。おせんべいとか」


「氷点下の雪山を歩くんでしょ。おにぎりが凍るって、出発前に気づかなかったのかな」


「それまで青森隊は、ふもとに近いところでしか訓練をしていなかったんだ。彼らが氷点下の雪山で、しかも猛吹雪の中で長時間の行軍をするのは初めてだったんだ。いちおう、八甲田山に出発する数日前に登山口までの予行演習はやっている。でもその時は晴天で、食べものが凍るような事態はなかったみたいだ」


「もう一つの弘前隊は知ってたのかしら。雪山では食べものが凍るって」


「そうなんだ。弘前隊ではそれをちゃんと知ってて、参加者にも対策を徹底させていた。食べ物も水筒も」


 弘前隊はおにぎりやモチは腹巻の中に入れた。

水筒は水を七分目までいれて常に動かすようにして、凍りにくくしていた。

それでも雪深いところで、長時間泳ぐように移動したときは凍ったようだ。


「それじゃあ、イタル。青森隊はまともに食事がとれなかったんだね」


「青森隊はお昼休憩の時に問題が発覚したみたいだね。早朝に出発前に配られたおにぎりが、お昼にはカチカチに凍ってた」


「この時点ではソリに米や炭があるから、なんとかなると思ったのかな……。イタル。最中(もなか)とかどうかな。アイス最中なんかは冷凍でも食べられるよね」


「そうだね。日露戦争では、乾パンが使われた。他に使えそうなのは、揚げセンベイやアラレ」


麩菓子(ふがし)もいいかも。かりんとうをフカフカにしたみたいなの。炭酸水でつくったせんべいもいいかな。あとは……ねぇ、イタル。駄菓子でポン菓子ってあるでしょ。お米をふくらましたポップコーンみたいなやつ」


 ユズカの案をきいて、僕はスマートフォンでポン菓子の情報を調べてみた。


「ポン菓子の機械はこの当時は日本には入ってなさそうだ。似た食べ物で、もち米を蒸して乾燥させた『おこし』というのもあるな。これは日露戦争でも兵士に配られたっぽい」


「『おこし』って雷おこしとか岩おこしのこと?」


「そうそう。フカフカにしたもち米を水あめで固めたのが岩おこしとかだね。あとはポップコーンは明治時代にもあったみたいだ。ポップコーンなら凍らせても食べられそうだ」


「水はどうしよう。雪を溶かせばいいかしら」


「雪を直接食べるのは最後の手段だよ。基本は沸かした水を飲むこと。これはロシアと対戦するときにも、水は沸かして飲まないといけないんだ」


「そのまま飲むとお腹を壊すのかな」


「うん。そのリスクはあるね。で、実際の日露戦争では水で胃腸炎になった人もいて、名前の通り正露丸が役に立ったらしい」


「イタル、名前の通りってどういうこと?」


「正露丸の最初の『せい』の字は当時はロシアを征するという意味で、征服の征を使って征露丸って書いてたらしいよ」


公式企画『秋の歴史2023』の他の参加作品や、他のイタル&ユズナ登場作品などはこの下の方でリンクしています。



参考文献:


新田次郎 『八甲田山死の彷徨』

伊藤薫 『八甲田山 消された真実』

伊藤薫 『生かされなかった八甲田山の悲劇』

間山元喜・川嶋康男 『八甲田雪中行軍 一二〇年目の真実』

工藤隆雄 『マタギ奇談』

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― 新着の感想 ―
[良い点] 新田次郎の本と映画を観ました。 黒いボタンの花のようにはらりはらりと花びらが散るように人が崩れた折れていくシーンが40年前に見た映画なのに未だに覚えています。 [一言] 生き残った弘前の人…
[一言] ちょっとだけ余裕が出来たので、いろいろと読みに回っておりお邪魔させていただきました。 最後の正露丸のエピソードが好きです。 ラストのシーンで、あの食事喇叭♪が聞こえてきて話にオチがつきそうで…
[良い点] この作品を読んで、八甲田山死の彷徨とマタギ奇談 読みたくなりました。早速読みたいと思います。 新しい出会いに、ありがとうございます。
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