内面
続きです。
冥と紅がそれなりに平和な共同生活を始めて一週間の月日が経った。
紅が落ち着いたタイミングを見計らって冥は、彼女の内面を知ろうとしていた。
「『気魂鑑定』」
冥は紅の長い前髪を掻き分けて、目を合わせると小さく呟いた。そうして、目を瞑れば先程まで見えなかった彼女の魂が瞳の裏ではっきりと視えた。
『気魂鑑定』
対象物と目を合わせることで、魂を視ることが出来る呪術だ。陰陽師として最初に教えられる術でありながら、コツを掴むまでに苦労する術でもあった。そして、その精度は人それぞれで、なんとなくしか視えない人もいれば鮮明に視える人もいて、中には全く視えないという人も存在するのだ。
『陰陽師としての素質は、この術の精度でわかる』なんて言葉がある程、有名な呪術。
冥は元々の才能もあったのか、昔から鮮明に視えた。
「なるほど」
思った通り紅の魂は二つあった。
ひとつは人間の黒色の魂、そしてもうひとつは妖怪の白色の魂だ。妖怪の魂には、紫色で半透明の膜が張っていた。その中心に守られるようにして白い魂が鎮座している。
そして、それを覆っている紫色の膜は、欲望だ。魂は人も妖怪も欲望という殻のおかげで、体の中に留まっているのだ。
人は心臓を壊されたら肉体的に死ぬ。
そして、この欲の殻を壊されると魂は人の体から抜け出し、何処かへ飛んでいってしまうのだ。それは精神的な死を意味した。
幸せにしたい、金持ちになりたい、彼奴を陥れたい、生きたい、死にたい、苦しみたい、それは良し悪しはともかくとして、どれも欲望だ。
欲望とは言わば原動力だ。
それがあるから活動できる。
妖怪なんかは、もっと顕著で欲望を壊され、抜け出した魂を浄化されたり喰われたりしたらこの世から消滅してしまう。
人間にしろ妖怪にしろ、普通は欲のないものなどいないはずだ。
欲がないというのは、つまり魂がないということを意味するから。原動力である魂がなければ、人はなんの活動もしない唯の抜け殻になってしまい、生命活動すらもやめてしまうだろう。
そこで冥は黒色に輝く、紅の魂を改めて視た。人間は黒色の魂が、青色の欲の殻に包まれているのが一般的だ。
だが、紅には欲の殻が全く無かった‥‥‥にも拘らず、紅の魂が体に留まっていられるのは、妖怪の紫色の欲望に彼女の魂が若干重なっているからだろう。
でなければ、彼女の魂が体に留まっている説明がつかない。
「今の貴方は、蜘蛛妖怪によって人間を保っていると言えますね」
「ゔぅっ‥‥‥」
ふいに紅がむずかるような声がした。
「嗚呼、すみません。他人に魂を見られるというのは、とても気持ちの悪い感覚になるのでしたね」
前にその話を聞いた冥は、誠に頼み込んで『気魂鑑定』をやってもらったのだ。確かにあれは非常に気持ち悪く、だからこそ冥にとっては快感だった。寧ろその反応を見ていた誠の方が不快そうなくらいだったのを覚えている。
そんなことを思い出しながら、冥が目を開いて術を解いた時、どこからともなく一通の文が届いた。
『風力伝達』という呪術の一種で、こうして手紙なんかの軽いものなら一瞬で相手に届けることが出来る。
だが、そんなことを知らない紅は、突然現れた文を不思議そうに見ている。
一方の冥は珍しく眉を顰めていた。嫌々ながらも文を手に取るとさっと確認する。そして益々、嫌そうな顔をした。
「全く、あの人もしつこいですね」
「いうおぃ?」
「嗚呼、紅に言ったのではありませんよ。この文の差出人、父上ですよ。最近、身を固めろと煩くて敵わないのです。これも、いつもと同じ。見合いの誘いですよ。もう何度も断っているのですがね」
何も理解していなさそうな紅に説明しながら、また溜息をつく。
本当に諦めの悪い人だ。
何度も断っているというのに、こりもせずに何度も見合いの話を持ってくる。大体己のような存在と一緒になりたいだなんて女性がいるはずがない。いるとしたらそれは、十中八九東郷家の金目当ての女性だろう。そんないつ寝首を掻いてくるのかわからないような花嫁は、こちらから願い下げだ。
もちろん、女性から寝首を掻かれるというのもまた一興ではあるが、それが父親の当てがった者ではどうにも萎えてしまう。
「矢張り、今回も断りましょうかね」
だが、いつまでも断り続けるというのも面倒だ。そこで、ふと冥は思いつく。
一層のこと一度見合いを受けてみれば、あの人も少しは満足するのでは、と。そこで、己の痴態なんか晒したら、見合いに応じる者もいなくなるかもしれない。
冥は紅の方を見る。
「これは‥‥‥使えそうですね。口がきけないというのも都合が良いでしょう」
そこで、冥はさっきと打って変わって楽しそうな顔をすると文を大切そうに懐に仕舞った。
「この見合い受けることにしましょう」
「うぇる〜」
「貴方も一緒にね」
一緒という言葉に、相手は訳もわからず笑った。
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そんなことがあってから更に一週間後、冥と紅は二人だけなら立ち入らないような料亭に来ていた。完全予約制で全席個室の料亭は、華族御用達というだけあって優美で上品な雰囲気の店だった。部屋からは花々が咲き誇る美しい庭園が一望出来る。間違いなくこの料亭の中でも、上等な部屋だ。この部屋を予約した見合い相手である商家は、最近資金繰りが苦しいと風の噂で聞いたが、この見合いを成功させるために奮発したのだろうか。
カポーンという耳触りの良いししおどしの音が響いた時、店員から案内されて焦った顔の見合い相手がやって来た。
「すみません。東郷さん、お待たせしました」
「いえいえ、此方が早く着き過ぎてしまっただけですから、お気になさらず」
見合い相手である米問屋の主人は、顔の汗を拭きながら部屋に入ってきた。その後ろから今日の主役である娘と母親が続く。娘は冥と目が合うとその頬を愛らしく赤らめた。薄桃色の着物は彼女のお淑やかな雰囲気に似合っている。
親子は冥たちの向かえ側に座ると、揃って怪訝そうな顔をした。
「この度は、縁談をお受けくださりありがとうございます。此方が娘の愛美です」
「横川家長女、愛美でございます。本日はよろしくお願いします」
愛美は困惑しながらも、綺麗な挨拶をした。
「此方こそよろしくお願いします」
「ところで‥‥‥其方は、妹さんでしょうか」
愛美の父親は恐る恐ると言った感じで、冥に尋ねた。その言葉を聞いて冥は広げた扇子で口を隠しながら笑った。
「ふふふっ、私たちそんなに似ていますかね?」
「あっ、いえ、縁談の席に連れて来られるということは、ご家族なのかと」
「そうですか、そうですか。ご期待を裏切るようで申し訳ありませんが、此方は妹でもなければ、親戚でもありません。ついでに言えば、血すらつながっていない。ただ、私が一緒に暮らしている女性というだけです。名は紅と言います」
真っ赤な着物を着て、薄化粧まで施された紅は何もわからないというような顔で、こてりと首を傾げる。いつもは前髪で隠れている顔も、横にまとめられていて今日はしっかりと見えていた。それを見て愛美の父親は、不快そうに顔を歪めた。
そりゃあそうだ。見合いの席に恋人かもしれない女が同席しているのだ。不快に思わない方がおかしい。
そう、それこそが冥の狙いだった。
「‥‥‥まぁ、仲がよろしいですのね」
内にある不満を顔に出さずに話を進める姿は、腐っても商家の娘ということか。冥は扇子の下でふむふむと考えると、更に話を進める。
「そんなふうに言っていただけると嬉しいです。えぇ、愛美さんの言った通り私たちはとても仲が良いんです。ですから私、結婚相手にも紅のことは認めて欲しいと思っているのですよ」
「冥様のように素敵な方ですもの。私は、貴方に妻として迎えて頂ければ、それだけで満足ですわ。二番目でも構いません」
「そうですか、そうですか。それは有難い限りですね」
愛美は紅と同じで十六歳だ。米問屋の娘として、数年前から親の仕事を手伝い始めている。資金繰りこそ良くない商店だが、愛美は商人として着実に経験を積んでいる。
それが、事前に調べた愛美の情報だ。
なるほど、中々上手い返しだ。少しばかり愉快になりながら扇子の下で微笑んだ。
「愛美さん、貴方のような方が嫁いで下さればとても嬉しいです」
その言葉を聞いて愛美は頬を赤らめて、安心したように微笑んだ。彼女を挟むようにして座っている両親もホッと一息をついている。
きっと、冥との結婚を決めたら東郷家から支援金を出すとでも約束しているのだろう。
「もし、貴方が私の妻になって下さるのなら、ひとつだけ守って欲しいことがあるのです」
「私に出来ることなら、なんなりと」
「それは有難いです。ところで、私は凄く支配欲が強いのです」
「え、えぇ」
「ですから、妻となった者には何もして欲しくないのですよ」
「‥‥‥そう、なのですか」
この日、初めて愛美の顔が不快そうに歪んだ。確かな手応えに、冥は更に畳み掛ける。
「えぇ、そうなのです。食事に着替え、風呂、歩行、家事、仕事、それから‥‥‥排泄。人間が人間として、生きるために必要なこと全てを私に任せて欲しいのです」
そう言うと、冥は隣に座っている紅の肩を抱き寄せて、出されたお茶を彼女の口元へ持っていった。紅は何の抵抗もせずに口をぱかりと開けた。飲みきれなかったお茶がべちゃべちゃと真っ赤な着物にこぼれ落ちる。
「ふふっ、紅、美味しいですか?」
「おい、ぃい」
「そうですか、それはよかった」
満足に話せない紅を見て、向かいに座る三人は気味悪そうに顔を青くさせていた。
そろそろ潮時だろうか。
「紅は、私がいないと満足に会話することもできないのです。可愛いでしょう」
紅の口元を拭いながら言えば、三人は更に顔を青くさせた。先程まで滑らかに口を動かしていた愛美ですら、絶句している。
恐らく、冥の寵愛のおかげで紅は口がきけなくなった、とでも誤解してくれたのだろう。
「と、東郷様、も、申し訳ありませんが、この話は無かったことにして頂けませんか」
「おやおや、それは残念です」
「で、では、我々はこれで失礼いたします」
愛美の父親は、立ち直れていない様子の娘を引きずるようにして部屋から出ていった。母親もおざなりな礼をすると二人を追いかけていってしまった。
どうやら父親は、商店の未来よりも娘の幸せを取ったらしい。
ものの十五分程度で二人に戻ってしまった部屋で、冥はくすくすと笑っている。
「紅、ご協力ありがとうございました」
首を傾げた紅の頭を撫でながら、冥は予想通りすぎる展開に笑みを隠せずにいた。
米問屋の仕事を誇りに思っている愛美に何もするなと言えば、見合いが破断になるのは安易に予想できた。それだけでは弱いかと思い少々過激な言葉選びをしたのだが、予想以上に参ってしまったらしい。
「人になんて言うわけありませんのにね」
数々の経験をしてきた冥にとって、愛美を黙らせることは赤子の手をひねるより簡単だった。
昨日は投稿できず、申し訳ないです。