第四話 珍しい客人
昨日の続きです。
冥の屋敷に珍しい客人が現れた。白色の長い髪をキッチリと纏め上げた姿とやや釣り上がった目元が印象的な女性だ。男とも女とも取れない中世的な顔立ちの彼女だが、その容姿は凛とした美しさがあった。
「誠さん、事前に連絡をくだされば、盛大なおもてなしをさせて頂きましたのに」
「任務で近くに来たものでな。少し寄っただけだ。気をつかうな」
そんな女性──名を南風立 誠という──は、無表情ながらも眉を顰めた。
「それはそれは嬉しいですね。真逆、貴方が気まぐれで私の家へ寄ってくださるなんて。これは、天変地異の前触れかもしれない」
対する冥はニコニコと変わらない笑みを浮かべたままだ。だが、その表情を見て誠はこれまた無表情のまま溜息を吐いた。
「‥‥‥矢張り、誤魔化すのは性に合わんな」
四大家門のひとつ南風立家の人間は、その異能の特徴からなのか嘘を好まないのだ。
「おや、誤魔化していたのですか」
「わかっていたのだろう。私がここへ来たのは、貴様の想像通り『真偽』を確かめるためだ」
「そうですか、そうですか。どうぞ、何でも聞いてください」
「昨日、噂の娘を引き取ったと聞いたが、それは本当か?」
「紅のことですか。耳が早いですね」
「早いものか。四大家門は既に把握している。もちろん、東郷家の御当主様もな」
「‥‥‥そうですか」
「だが、貴様の言葉に嘘はなさそうだ」
誠の薄赤紫色の瞳が瞬いた。それを見て冥は益々笑みを深める。
「流石の私も南風立家の人間の前で、嘘をつくなんて愚かなことはしませんよ」
南風立家の異能『真偽』は、耳に入った言葉の真偽を見極めることができるのだ。
「少し前まで、嘘をついた時の私の蔑んだ目が堪らないと嘘をつきまくっていたように記憶しているが?」
「嗚呼、そんなこともありましたね。ですが、最近になって気がついたのです。私は精神的苦痛よりも肉体的苦痛の方が好みだということに」
「はぁ‥‥‥こんな奴に一時とはいえ快楽の道具されていたと思うと気色悪くて敵わんな」
「お褒め頂き光栄です」
にっこり笑顔の冥と顰めっ面の誠の間に沈黙が横たわった。先に根を上げたのは矢張りと言うべきか誠の方であった。
「それで、貴様は娘をどうするつもりなのだ?」
「どうする、と言いますと?」
「何か良からぬことを企んでいるのではあるまいな」
誠の瞳が険悪さを帯びた。そんな様子を見て冥は扇子を開いて口元を隠すと、堪えきれないと言うように声を上げて笑った。
「何がおかしい」
「いえいえ、すみません。私も随分と信頼されたものだなと、そう思っただけです。私が良からぬことを企んでいると、誠さんは本気で思っているのですか?」
「‥‥‥自分の欲のためならどんな手段も厭わない、とは思っている」
「他でもない貴方がそう言うのです。きっと、貴方の中での私はそうなのでしょうね。ですが、付き合いの長い貴方ならわかっているはずですよ」
冥は何処までも穏やかだった。だが、その口から出てくる言葉には不思議なことに鋭さがある。
「周りくどいのは好みでない。何が言いたいのだ」
「では、わかりやすく申し上げましょう。私の欲は今も昔もひとつだけ。この世の苦痛を味わい尽くす‥‥‥今まで色々な苦痛を体験させて頂きましたが、混魂からの苦痛はただの一度もありません」
「その娘‥‥‥妖怪ではなく混魂だったのか?」
『混魂』
それは、妖怪と人間の二つの魂が混じった存在だ。簡単に言えば妖怪と人間のハーフである。妖怪に勝るとも劣らない力を持つといわれており、戦闘力が強く、優秀な者が多い。そして、己の欲に忠実なことでも有名だ。
「その質問の答えは、はいでもあり、いいえでもあります。彼女はまだ混魂ではありません。ですが、彼女の中には確かに妖怪が住んでいる。これは私の予想でしかありませんが、紅の体の中には人間と妖怪の魂がひとつづつ存在しているのでしょう」
「意味がわからん」
「えぇ、私も信じられません。そんなのは初めてです。ですが、そう考えれば辻褄が合うのです」
「つまり、貴様はその紅という娘の両親のどちらかが妖怪で魂が混じらなかったにも関わらず生まれてきたと、そう言いたいのか」
非常に戦闘力が強い存在とされている混魂だが、ひとつ欠点がある。それは、人間の魂と妖怪の魂が混ざり合う確率が非常に低いということだ。魂と一言で表しても、人間と妖怪のものではその性質は違う。そのため、胎児の段階で上手く混ざることが出来なければ死んでしまうのだ。
寧ろその症例の方が多いらしく、混魂という存在はこの国に数える程しかいないと言われている。
まぁ、そもそもこの国では妖怪と交わること自体がタブーとされているのだが‥‥‥。
「それがあり得ぬことだと、混魂である貴様は誰よりもわかっているはずだろ?」
冥のにっこりと歪んだ口元は扇子で隠されている。
そう、冥は人間である女性と蠑螈妖怪との間に生まれた混魂であった。蠑螈妖怪は再生能力に優れた妖怪で、冥の再生能力の高さもそれが理由だ。
「私としたことが、説明不足でしたね。紅のご両親は何方も人間ですよ。だから、彼女は人間として生まれた後に、何らかの方法で妖怪の魂が体に入ったのでしょう」
「‥‥‥益々あり得ん話だ」
その時、襖の向こうから気配がして冥はそちらへ向かった。誠にもそれはわかったようで冥の行動を特に咎めなかった。
冥が襖を開ければ、そこには予想通り紅がペタンと座っていた。
「紅、おはようございます。盗み聞きとは良いご趣味ですね」
「おあおぅー?」
そんな紅を一瞥すると誠は立ち上がった。
「おや、もう帰るのですか?」
「嗚呼、長居したな」
「紅と話して行けばいいのに」
「‥‥‥口がきけぬように見えるが?」
「口はきけませんが、言葉の意味はわかりますよ」
誠は驚いたように一瞬だけ目を見開いた。だが、次の瞬間には元の無表情に戻って「今日はやめておこう」という言葉を返した。
そのまま部屋から出ていくと思われたが、誠は何か思い出したように足を止めて冥の方へ振り返る。
「そうだ、大切なことを聞き忘れていた。その娘の餌はどうするつもりだ?」
冥は紅の着崩した着物を直してやり、その長い白髪を梳きながら、何でもないように答える。
「それなら問題ありません。代わりの物を与えましたから」
「‥‥‥そうか。なら、私はこれで帰る」
「おや、それだけですか? 貴方ならもっと追求してくると思っていました」
「陰陽師に囲われた妖怪は、安易に手出し出来んからな。お前の悪事の証拠でも出たらまた来よう」
「えぇ、楽しみに待っています」
「それまでに、屋敷に結界でも張っておけ。今までのようにひとりではないのだ。住人も増えたというのに襲撃ばかりでは身も休まらんだろう」
その言葉に冥は突然、うっとりと頬に手を当てた。
二十五の男がやるにはあまりにも幼すぎる動作だが、彼程の美丈夫がやると絵になってしまうから不思議だ。
「襲撃が減るとつまらないではないですかぁ」
あっけらかんとした返答に、誠は眉を顰めると何も言わずに今度こそ帰っていった。それを見計らったように紅は冥の首に触れる。
「おや、昨夜のことを覚えているのですか?」
「うぃーい」
紅は仕切りに冥の首を触って不思議そうな顔をする。
「なるほど。私が生きていることを知らないということは、蜘蛛妖怪になって大暴れしていた記憶がないと」
妖蛛の後頭部でぷらんぷらんと揺れていた紅を思い出しながら、あんな状態では意識がなくても不思議ではないかと結論を出す。
「私は混魂で、再生能力が強いのです。ですから、滅多なことでは死にませんよ」
安心させるように微笑めば、紅もにこりと微笑む。
「紅も元気な混魂に育ってくださいね」
「おんおんんっー」
冥が頭を撫でながら言えば、紅は嬉しそうに頷いた。その瞳は何処までも無垢で、混魂とは一番遠い存在に思えてならなかった。
道は険しそうだと、冥は心底楽しそうに微笑んだ。
冥は顔が綺麗な設定なので、どんな仕草でも絵になります。