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その54「ナニかをじっと見る猫」パート1



 何かいる。


「マル、どこを見てるの?」


 何だろう?


「マールー。さっきから何もない所をジーっと見てるけど、何かいるの?」


 夕食後、リビングのソファに座ってうつらうつらと船を漕いでいる娘ちゃんの肩のあたりから薄っすらと黒いモヤのようなものが出ているのが見える。なんだか久しぶりだ。こういう時って、いつも娘ちゃんは体調を崩すのよね。


「怖いんだけど……」


 娘ちゃんが小さい頃、いや、今でも十分小さいんだけど、よちよち歩きをする前からちょくちょく見えていたヤツ。何だろうと思って猫パンチを放つと簡単に散って消えるモノなんだけど……


「マールーぅ。何か反応して。お願いだから」


 随分と久しぶりに見たソレ。今回のは大きい、人型にも見える黒いモヤのナニか。そして、なんだか知っている顔をしている気がする。ジーと見続けていると、それは湯島春乃、何年も前に死んだご主人、その人の顔に見えてきた、ような気がしないでもない。


「何かいるの? いないの? いないのね? いない。はい決定。何もいない。ね? マル」


 何だろう、アレは。





 わからないことはわかる人に聞け、ということで、やってきました常世寺。


 あづきたちが寝に行ったのを確認してから外出、夜のお散歩はショートカット、手ぬぐいがかかった狸の置物を横目に見つつ、四畳半の固有空間を経由して直接常世寺の小さなお堂の中へ乗り込む。小さなお堂の中は真っ暗。けど猫の目ならへーき。


「おばーちゃーん、遊びに来たよー、聞きたいこともあるのー、いるー? 寝てるー?」


 返事なし。


 寝ているっぽい。どうやって起こそう? 結界ごとお堂を揺らして起こすのはにゃん吉さんが呆れていたし、やめようか。私は日々進化する猫。何か新技を開発するのよ。さてどうするか……。風船爆弾はちょっと音がうるさいし、振動系は駄目。ふむ、後は目が覚めるといえば電気、雷、ビリビリ……


 新技を開発しようとあれこれ考えていると小さなお堂の中の闇が固まっていく気配。


 暗闇が一層濃くなった場所には一匹の黒猫が出現。ボサボサの毛の小さな黒猫。開いているか開いていないかよくわからない瞳からは金色が零れる。常世のおばあちゃん、いったいどれほど前から生きているのかもわからない大御所の猫又。


「あ、おばあちゃん、おはようなの。今日は手土産を持ってきたのよ」


「不穏な気配を感じたからねぇ、起きざるを得ないねぇ。夜中だけどおはよう、マル坊。いらっしゃい、歓迎するよ」


 お堂の中にぼおっと鬼火が灯る。それでもなお暗いお堂の中、ちょこんと座って前足で顔を洗う小柄な黒猫の姿が鮮明に見えていく。不穏な気配とな? はて、何のことやら。


「手土産のかつお節、どうぞ」


「これは……固いねぇ、どうすればいいのやら。けどありがとうよ。貰っておくよ。……誰かに回そうかね」


 常世のおばあちゃんは私が差し出した真空パック詰めされた状態のかつお節を前足でチョンチョンとつつきながら答える。うーん、かつお節、誰に渡しても喜ばれないな……。私が貰えたら小躍りして喜ぶと思うのに。


「あ、ところでおばあちゃん、おばあちゃんって私のことを地雷女って言ってるって聞いたんだけど……」


「地雷女? そんなことを言ったかねぇ、覚えが無いよ」


「カラスのクーたんが言っていたって……オウムのムーたんと仲のいいカラスなんだけど」


「クーたんかい? うーん、知らない、ああ、ひょっとして九朗死想太のことかねぇ? オウムに追いかけられている姿もたまに見かけるよ」


「くろうしそうた……すっごい名前のインパクト」


「あの子にも地雷女とは言っていないけどねぇ。たしか、ええと、マルという名前の化け猫に会ったなら、近寄らずにそっとしておいてあげてくれなって言ったかもは知れないよ」


「そうなんだ、そっとしておいてあげてって……、え、けど、なんで常世のおばあちゃんは私の事を気にしてくれるの? 最初、ここに転がり込んで、色々と妖術を教えてもらった時からおばあちゃんはすごく私に親切なの」


 意外な事を聞かれたとでも言う様に目を見開き首をかしげて黙り込む黒猫のおばあちゃん。金色の瞳の光が薄暗いお堂の中で輝いている。


「……おばあちゃんの瞳、とっても綺麗」


「ありがとうねぇ。マル坊も綺麗だよ。白銀に輝く冬の月ような怜悧な白地に、地獄から滲み出てきたような黒色と、獲物の血を浴びて染みついた赤色が、乾いて錆びたような茶色の見事な毛並みだよ」


「物騒っ!? おばあちゃんの表現、ものすごく物騒なんだけどぉ!? 三毛猫! 只の三毛の柄の猫なの!」


「ふふ、何でかねぇ、何でかマル坊は気になるんだよ。アタシにもよくわからないねぇ」


 ですか。親切なおばあちゃん。常世のおばあちゃんは目を細めてかかかと笑う。


 今晩のおばあちゃんはしっかりしている時のおばあちゃんだ。時々とぼけた感じになるけどね。年老いた黒猫が目を細めると綺麗な金色の光も消えて無くなる。何故か心細くなる。何でかよくわからないけど、そういう時って確かにある。にしても表現が物騒すぎる。獲物の血を浴びてとか、どういうセンスしているのよ。


 さて本題の質問なのよ。


「おばあちゃん、火輪さんに連絡取れない? えっとね、何かね、何だかよくわからないものが、何だかわからない感じでいてね、何だかわからなうちに今までは消していたんだけど、何だかわからないままなのも嫌なのでちゃんと知りたいって思ってね、幽霊っぽいの、けど違う感じ? それ、何だろうって。でね、にゃん吉さんが、火輪姐さんのことをアンデッドスレイヤーだって言っていたのを思い出してね、何か聞けたらいいなって」


「何だかが多くてよくわからない話だねえ」


 小柄な黒猫は呆れている。う、ごめんなさい。自分でもまったくわからない事を誰かに説明するのって難しいよね。


「あの子も何かと忙しい子だからねぇ。どれ…………ああ、これは近くにはいない感じだよ」


 上を向いていたおばあちゃんはすぐに首を元に戻してから横に振る。残念。会いたかったけど、忙しいんじゃね。あと頼れそうなのはタヌキさん、キツネさんたち妖怪ハンターコンビの二人、そういえばシメさんも何か悪霊退治の手伝いをしていたとかいう話をしていたような……


「マル坊や、聞きたいことがあるならアタシを頼ってくれていいんだよ?」


 はっ!? 盲点! 常世のおばあちゃんは、しっかりしている時とそうでない時の落差が激しいので相談事の相手から無意識に外しちゃっていたのよ。失礼なことしたの。黒いモヤのようなナニかについて聞いてみる。昔から見えていたこと、猫パンチで簡単に消えること、それから、今回見えたそれは、私の知っている人の顔をしていること……


「……で、おばあちゃん、あれって何だろう?」


「さあ?」


「だよね、知ってた」


 先ずはシメさんを頼ろうか。となれば後輩ちゃんの所か。もう夜遅いから明日にしよう。そう決めた私が立ち上がる前に黒猫のおばあちゃんは続ける。


「それは人の意識が生み出した想念体ってやつかも知れないねぇ」


「想念体?」


「言い方なんぞは色々あるからね、ふんわりと受け取って聞くんだよ。人が持つ強い感情、怖いとか、畏れ、不安なんかが、ふとした何かをきっかけにして生まれるヤツさ。そしてそれはアタシら妖怪の卵でもあるんだよ」


「……妖怪の、卵?」


「誰かが闇が怖いと言い、闇を畏れて不安でいると、そこに生まれる。生まれたソレに意味や、名前、姿なんかを与えられたモンが妖怪なんて言われるようになるんだよ。かかか。人の思いってのはすごいやね。なんとなく猫に見えるってだけの只の石ですら、長い間そう思われていれば本当に力を持つんだからねぇ」


「妖怪の卵……え……私、見える度に、散らしていたんだけど……」


 私は妖怪の卵を壊していたってこと?


「こりゃあ言葉を間違えたかねぇ。さて、上手い言葉が見つからないよ。チリやホコリが集まったモンの方が良かったかね? そういうのは、今まで数えられないほど生まれて、そして簡単に消えていくモンなんだよ。妖怪ってのはもっと、ちゃんと意思のある奴らのことさ。黒いモヤをどれほど散らしたからってマル坊が気にすることは無いねぇ、かかか」


 気にしたことを気づかれたのか、黒猫のおばあちゃんは私に向かって笑いかけてくれる。はー、おばあちゃんは本当に優しくて親切なの。


「よくよく見てみるといいのさ。いつも人や妖怪にとって良いモンが生まれるってわけでもないからねぇ。恐怖や不安から生まれるモンなんて、ほとんどが良くないモンさ。よく見て嫌な感じがする、そんな場合はさっさと散らしちまうのが一番いい、こまめな掃除をするようなもんだねぇ」


「そう、なんだ。おばあちゃん、ありがとう。もっと良く見てみるね。本当に親切なの、クーたんに言ってくれたようなことって他の妖怪たちにも言ってくれているの?」


「ああ、そうだねぇ。言ってるかも知れないね。細切れになって死にたく無ければマルという名前の化け猫には近づくなって、そう、彼女はまるで地面に埋められた爆薬のような存在だと」


「おばあちゃーーん!? もうそれ地雷女って言ってる! しっかりとした意味で地雷女って言ってるのよ!? どういう意味!? どういう意味ぃ!?」


 私の抗議に、かかかと笑って取り合ってくれない常世のおばあちゃん。


 なんてこった。




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