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その37「その猫の名は」



 初雪姫。


 ハツユキと読む。


 その名前は好きじゃない。


 自分が思う自分のイメージじゃないから。


 「初」めての「雪」の「姫」その字面からくる、さも清楚で、さぞキラキラとしたイメージを持つ、その名前を誰かに呼ばれたくないし、自分で名乗りたくもない。


 理由なんて単純。なんとなく、違う。それだけだ。



 すべての猫が猫又になれるわけではない、それどころか猫又になれるような、賢く、妖力が高くなる猫というのはずっと少ない。大抵は普通の、言葉もしゃべれない猫のまま生涯を終える。そして猫又の親が猫又というわけでもなく、猫又の子供が猫又になるというわけでもない。


 そんな中、私の父と名乗る猫も、母と名乗る猫も猫又であり、どうやら私自信も猫又になれるほどの高い妖力を持っているらしくて。


 物心つく頃から、周りにいる妖怪たちから天才だなんて言われて育ってきた。


 父親はこの辺り一帯の妖怪たちの元締めと言われていたが、何のことは無い、実際は小物も小物の妖怪たちをまとめたり、喧嘩の仲裁なんかを請け負う雑用係といったところ。それも大して広い地区を受け持っているわけじゃない。


 それは人の想念から生まれた吹けば飛ぶような小鬼たちだったり、人に大切に扱われた物に憑りついて人格を持った、なんちゃって付喪神であったり、人の言葉を喋ることくらいしか出来ないような小動物たちだったり。私たちが住む大きな屋敷の中、数だけはそれなりにいたので、そんな小物妖怪たちからちやほやされて育った私は自分の事をみんなが言う様に天才だと思っていた。


 実に単純なことながら、疑問に思わずに生きて来た。狭い世界ってやつ? 入ってくる情報なんてこいつらか、あとは人間の見るテレビかネットぐらい。屋敷の庭から遠くへ出たこともないし、ある意味当然。


 私は自分以外の他の奴らを内心では馬鹿にして見下して生きて来た。


 私の見た目は母親に似ている。ただし母親の方は両方の目が青色。物静かで上品な立ち回りをする白猫で、どうやら周りも私に同じものを期待をしている。


 猫又になれる猫というのは大抵が人に飼われていた猫たちだ。野良の環境では猫又になるほど賢くなる前に命が尽きるから。


 そして猫又になった者たちはいくつかの道を選ぶことになる。


 生物としての寿命から解き放たれて妖怪になった猫たちは、よほど特殊な環境でないと人と混じっては生きてはいけない。人のふりをして生きる猫又もいるし、人と関わらずに生きる猫又もいる。


 飼われていた猫ならば、飼い主に知られず姿を消すか、それとも若い別の猫として元の、あるいは別の飼い主のもとで普通の猫のふりをしながら生きるか。


 母親は飼い主の前から消える方を選んだ。


 消えると言っても消滅でもなんでもなく、人里離れた山奥にある猫又たちが集まる国への引っ越しだけれど。


 母親がいなくなった家で、小物妖怪たちは一層私をもてはやす。「お嬢様」「姫」……母親と同じように大切に扱われるたびに違和感を覚えてイラッとする。


 その感情がどこから来るものかを自分は言葉にできない。


 イラッとはするけれど、こいつらの期待に応えてやってもいい、なんて殊勝な気持ちもあった。だから演じた。いかにもお嬢様っぽく、お姫様っぽく、清楚で物静かで上品な上っ面を演じた。猫を被ったと言ってもいいっすかね? 猫だけに……ちっ、突っ込み役がいないとボケても虚しいだけだ。


 特にシメサバとか呼ばれる猫は、一時期、己の事を「兄」呼ばわりさせようとしたりしてきて、ウゼェことウゼェこと。基本がポンコツな奴だから、すぐにボロを出して「出来る兄キャラ」を放棄するのもウゼェし。それでも私は大したボロも出さずに猫被りを続けていく。


 本当の自分なんてものは知らないが、それでも自分が思う自分とはかけ離れたその猫かぶりの生活は、当然ながら段々と息苦しくなってきて、私は誰にも内緒で家を出て、外を歩くようになった。


 外で出会った只の野良猫を、覚えたばかりの鬼火で意味もなく追い回したりして遊ぶ。誰に見られることもない、自由で気ままで気晴らしのための散歩。


 そこで出会う。


 あの化け物に。


 尻尾の先を焼いてやろうと思って放った鬼火は、意にも介されなかった。


 勝ち負け以前。勝負にならない。私が初めて出会った未知の怪物は、ずっと恐ろしいものに見えた。見えてしまった。


 家に逃げ帰り、人知れず震えたし、悔しくて怒りの感情に身を任せてみたりもした。それでもそいつが怖いし、わからない。わかるのは、今のままじゃいられないということ。ならばそいつに会いたい。会って話をしたいし、知りたい。


 好奇心猫を殺す、猫だけに、アホか。


 その日から、堂々と外に出るようになった。


 そいつにはすぐに会えたし、それから会話もするようになった。そいつ――マルという名前を持つ彼女のことを知れば知るほど、彼女という存在が理解できなくなっていく羽目になる。


 彼女が行う術を他の妖怪たちに聞くと、そんなことが出来る20歳そこそこの猫又はいないから、とか言われ信じてもらえず、自分の方が笑われる始末。


 聞けば彼女は私より2歳ばかり年上とのこと。認めるしかない。この規格外の化け物は猫の妖怪として今の私よりずっと格上。ならば敬いましょう。妖術は近くで見て覚えるのが一番だというのはみんなが口をそろえて言うこと。せいぜい近くで見せてもらいましょうか。のほほんとしやがって。


 これから術を盗む相手として、あなたのことは先輩と呼んでやりましょう。かわいい後輩でもなんでも演じてやろう。そしていつか焼いてやる。


 後になって、それとなく先輩に聞いてみたところ「私には自動で展開している対妖術防御膜があるのよー」とかなんとか。のほほんとしやがって。そして、あの時、私が後ろから鬼火で攻撃したことに本当に気づいてもいない様子の先輩。傷つく。


 彼女を先輩と呼ぶようになってから、彼女からの私の呼び方は「後輩ちゃん」になった。


 後輩というならば、自分の呼び方はなんだろう? ふと口から出た「あっし」という一人称。


 ずっとしっくりと来た。少なくとも「わたくし」や「わがはい」よりは、ずっと。



 今まで言葉にもできなかった「自分」というものが定まった気がして、心が楽になる。



 くくっ。それにしても……


 屋根から落ちてった先輩の姿は最高だったに尽きる。


 前足を伸ばして、体を伸ばして、下へとゆっくりと落ちて行く姿……っ。絶対に目が合ってた……っ。先輩の三毛の柄が眉間にシワが寄っているように見えるから、その表情が絶妙に神妙になっていて……っ。くくく……。


 ちっ、痛てて。


 二日酔いで頭が痛い。


 そういえば、居酒屋で初対面の相手からハツユキの名前を呼ばれても、別に嫌な気持ちにはならなかったな。どうでもいいか。そんなのはもう些細な事。彼女――先輩というぶっとんだ存在に比べれば。


 さー、次はどんなことであっしを笑わせてくれるんすかね? 先輩。




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