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その26「フルーチェババロアと妖怪猫耳ババ」



 いい天気だし、田辺のババの家の縁側で日向ぼっこでもするべー、と家から出る。田辺のババの家は北原の家とは反対方向。人通りの少ない道路の交差点を渡り、植え込みを抜けてショートカット。坂を上って到着。ちょっとだけの散歩コース。


 おじゃましまーす。


「来たね」


「にゃあ」


 縁側に座っていた田辺のババにご挨拶。そういえば、最初に出会った時も彼女はこうやって縁側に座ってぼーっとしていたっけ。あまりに気配が無くてビックリしたのよ。人形か死体かってくらい。


 今は違う。


 私を見るとニヤリと口の端を上げて出迎える。なんとも挑戦的な態度なのよ。



「おっと耳、耳、……にゃーん」



 縁側に座る田辺のババは、そのままの態勢で服の襟元から胸元に手を入れる。そこから黒い色の猫耳カチューシャを取り出して装着する。


 どっから出した!? その猫耳カチューシャ!?


(そして、出たな妖怪猫耳ババぁ)


 戦闘態勢は整った、さあ来るがいいと言わんばかりに縁側のホコリを手で払って私に座れと指示する妖怪猫耳ババア、猫の鳴き声付き。


 そしてお気に入りか? それはお気に入りなの? この世界のどこを探しても老婆の猫耳姿に需要なんて無いのよ。


 髪の手入れはちゃんとしているんだろう、白髪を通り越して銀色といっていいほどの老女の髪に映える黒い猫耳。くっ、似合うと言えば似合う。つい吹き出しそうになってしまう。それでも……


(死闘を潜り抜けて来た私に死角はないのよ)


 田辺のババはどうにかして私を喋らせてやろうと待ち構えている。これがババの平常運転。田辺のババは今日も謎に元気だ。


 ふふん、いいのよ。その挑戦、受けて立ってあげようじゃないの。


 私は絶対に笑わないし、つっこまないし、喋らない。


(返り討ちにしてくれるのよ)



 静かな住宅地の広い敷地を持つ家の片隅で、譲れない戦いが今日もひっそりと行われる。





「今日はイチゴも買ってあるし、フルーチェを使って簡単にイチゴのババロアカップを作ろうかね。フルーチェ、知ってるかい? マルさんや」



(簡単なひっかけね。答えないのよ。知ってるけど返事なんてしないから)



 戦いの場が、ぽかぽか日のあたる縁側から家屋の中のキッチンに移る。縁側での攻防は一進一退を繰り返し、若干、私の優勢といったところ。オートロックなんてものが出始めていた頃のホテルでのネグリジェ姿で締め出されたというババの昔のエピソード、……あれは本気で危なかった。


 そしてフルーチェね。それは知っているのよ。新婚時代のポンコツ新妻ことあづきが「固まらない、なんで固まらないの」と言って泣いていたのを思い出すのよ。低脂肪の加工牛乳を使うと駄目なんだっけ? あの時のあづきの慌てようを思い出すと今でも大笑いしそう、はっ、笑ってはいけない。危ない危ない。何年越しの刺客なのよ、もう、あづき!



 スイーツを作るババと、スイーツを作るババを見る私。料理を始めたら料理に集中してしまうタイプの田辺のババと、料理に興味があって、ついつい見入ってしまう私……戦いは新たな局面を迎え危険な領域へ。



「まずは生クリームをホイップするよ」その言葉を最後に田辺のババは料理に集中し始める。私たちが住む家よりも、なお古い木造住宅の、これまた古いキッチンの中は、しばらく田辺のババの料理をする時に出る音だけに包まれる。


 紙パックに入った生クリームをボウルに移して、シャカシャカする奴が先端についた電気で動く道具でしっかりと泡立てる。なんて言う道具なんだろう。あれも欲しい。


 ゼラチンを少しだけの牛乳で溶かしてレンジで数秒間チンして温める。別のボウルにはイチゴ味のフルーチェの本体と牛乳を入れてかき混ぜる。おお、すぐにドロドロに固まったのよ。不思議な現象。その3つを一つのボウルに混ぜ合わせてからやさしくシャカシャカ。


 次に年代物の冷蔵庫からイチゴを取り出して、ヘタの部分を切り取って半分にカットしていく。


 ガラス瓶を並べて、先ほどのフルーチェクリームを入れていく。先っぽが三角になった袋状の道具でチューチューと絞り出していく。あれの正式名称も何なのかしらね。


 瓶詰のイチゴジャムを取り出して、ジャムをフルーチェクリームの上に薄く引き、外側がカット面になるようにイチゴを見栄え良く盛り付けていく。さらに甘い生クリームの登場。ボウルにグラニュー糖と生クリームを入れてシャカシャカの道具でシャカシャカシャカシャカ。三角のやつに入れてイチゴの隙間を埋めるように綺麗に飾りつけて完成。


「これで冷蔵庫で2、3時間くらい冷やしたら完成だよ」


 ぷはー。イチゴの赤! フルーチェクリームのピンク! そして生クリームの白! ガラス瓶に綺麗に飾り付けられたイチゴ尽くしのスイーツは目にも鮮やかなのよ! イチゴの酸味とクリームの甘味、そしてフルーチェはどういう状態になっているの? おいしそう、きっとおいしい、食べたい!


「マルさんや、いくつか湯島さん所に持って行っておくれ。マルさんにもおすそ分けするから食べていいよ」


「あ……にゃあ……」


(やっばー!? ありがとうって言いそうになっちゃったのよ。油断してた! けど食べたい!)


 すごい自然に話しかけられたので自然に返事しそうになっちゃったのよ。それから猫にスイーツ配達のお使いをさせないで! 猫には出来ないから! 私には出来るけど!



「マルさんや、聞いとくれ」



 え!? 田辺のババがいつになく真剣だ。警戒すべし。


「あたしはあんたには感謝しているんだ。旦那に先立たれて、やることもなく一人暮らし、もう何もする気が起きなかった時に、あんたがひょっこりと庭先に現れた時からさ、楽しいのさ。いや、楽しいばかりじゃないね。湯島さんとこの主人が病気で倒れたときは何とかしてやりたかったし、主人に先立たれた彼女を見る時はあたしの心まで引き裂かれそうだった……けどね、湯島さんと娘の亜美ちゃんとあんたとさ、一緒にいるとさ、あたしも笑えるんだよ」


 ババは口元に微笑を浮かべている。挑戦的なものじゃない。やさしく、悲し気に。


「あたしが好きでやっていたはずのお菓子作りもさ、旦那が先立ってからまったく手をつけていなかったんだ。あたしの好きなお菓子作りは、おいしいって食べてくれる旦那のためだったって、おいしいって食べてくれる誰かのためだって気づかせてくれたのさ、あんたが、あの日、あたしの目の前に現れて、あたしのご飯の残りもんをガツガツおいしそうに食べていたのを見た時からだよ」


(田辺のババ……私、そんながっついてない……)


 田辺のババの家の呼び鈴が押される。田辺のババは目頭を押さえつつ玄関に行く。


「やれやれ、誰だいこんな時に」


 インターホンで要件を確認する田辺のババ。「宅配でーす」の返答で玄関の扉を開けて荷物を受け取る田辺のババ。



 田辺のババの頭の上に乗っている猫耳を見てギョっとして固まる宅配の男。



 ギョっとして固まる宅配の男を見てギョっと固まる田辺のババ。



 男の視線は田辺のババの頭上からゆっくりと下を向く。


「ハンコを……おねがい……しま……す」


 足元を見ながら、ぷるぷると震える手で差し出された紙に、ぶるぶると震える手でハンコを押す田辺のババ。


 宅配の男が玄関から去って、扉は閉まる。


 ぐぎぎぎ、っと音が出そうな動きで私の方を振り向く田辺のババ。


 悲壮というしかない表情で、ゆっくりと右手を上げて、自分の頭の上に乗っている猫耳を確認する田辺のババ。


 ゆっくりと、彼女の震える両手は彼女の顔を覆い、隠す。



「言ってよ……ついてるって……」



 指の隙間から漏れる弱弱しい彼女の言葉を受けて、心の底から込み上げてきた感情に、私はその場を逃げるしかなかった。





「あははははははっははははははっははっははああはっはは」


 私の固有空間の中、いつもの後輩猫ちゃんを連れこんで、溜め込んだ感情を一気に吐き出す。


「あはははは! 猫耳! 猫耳つけてえ! 死ぬう! 笑いすぎで死ぬう! あはははは! 負けた! 私の負けでいいから! あはははははは!」


「だからいきなり拉致すんのやめるっすよ!? しかも意味不明っ!? 先輩!? 聞いてるっすか!? 先輩!? 怖いって!? 怖いから笑うの今すぐやめるっすーっ!!」


「あははっはあははっはあっははははははは……ゲホッ! ゲホッ……あはははははは」



 ちょっと勝てない。完敗ってやつなの。



マル敗北。

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