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その23「町内清掃と北原の一歩」



 最高だったの。


 体の芯がまだビリビリと震えている。心地よい疲れと眠気に襲われながら、自宅のお気に入りの座布団に横たわり、うつらうつらと船を漕ぎながら思い返す。


 常世寺で突発的に開かれた火輪姐さんのコンサートは夜を徹して続いた。朝日が昇るまで色々な楽器と、色々な踊りや歌を聞かせてもらえたけれど、ごめんなさいなのよ、やっぱりどれもこれもレベルが高すぎて参考にできそうもない。姐さんの豊富な楽器のレパートリーの中にもタンバリンは無かったし。


 単純にコンサートを楽しんだだけだったのよ。最高だったー。


 私にもできそうな楽器はタンバリンにトライアングルに、頑張ってもハーモニカ? どれも触ったこともないけれど、やっている人を見てる分には(らく)そうで楽しそうなの。


 ダンス限定ではなく芸事ならほぼなんでもいいと知った猫又検定の試験内容。それも特に試験項目としては重要視なんてされないハズ、らしい。火輪姐さんが言うには、(つたな)くても人間の真似事が出来れば問題ないでありんしょーとかなんとか。私のダンス……いや呪いの何かは、無視できないくらいの問題だったのだろうか? わかんない、もう、寝る、にょわわわ。


 いざ夢の国へ行かんと、口をカパッと広げて大きなあくびをした時、ドタドタと階段を駆け下りる足音。階段を急いで駆け下りると危ないのよ、あづき。


「いけない~! 今日は町内で清掃する日だった! あー、もう、なんで起こしてくれなかったのよ、マルぅ」


(無茶ゆーな)


 休日だというのに、いつにも増してバタバタとせわしなく朝の準備を済ましていく。玄関にあった箒とちり取りを手に持って外へと飛び出していくあづき。ちなみに娘ちゃんはまだ二階でおやすみのご様子。私も寝……


「え、あ、お、おはようございます、ゆ、湯島さん」


(むむむ、この声は)


 聞き覚えのある声に閉じかけていた瞼を開く。


 北原。私のライバルなのよ。いつか絶対に人化した時の姿をあいつの口から可愛いと言わせてやろうと思っている。どうやら家の前でバッタリとあづきと出会ったらしい。北原の奴、まさか、あづきの出待ちしてたんじゃないでしょーね? 監視せねば。


 玄関の側の明り取り用の小窓に飛び乗り、鍵を開けて外に出る。出た後はしっかり扉を閉める。開いたままだと虫が家の中に入ってきちゃうからね。エアコンの室外機の上を経由して自宅と隣家を隔てるブロック塀の上に陣取る。北原ミッケ。監視開始。じー。


 北原とがっちり目が合う。相変わらずの気が弱そうで線の細い男は今、ぎょっとした表情をして私を見ている。はい? なにですかな? 私の顔に何かついておりますかな?


「ゆ、湯島さん、今、猫が自分で窓を開けて……」


「え、はい、賢い子ですから」


(賢いのよ。むふん)


「いえ、その、開けた窓を自分で閉めて……」


「ええ! とっても賢い子ですから」


(とっても賢いのよ。むふふん)


「いつもな感じなんですね……、ええと、賢い猫ですね……すごいこっち見てる、睨まれてる?」


 ぼそっと言った声も聞こえてますよー。監視だから。睨んでないから、これ、柄だから。


 掃除道具を持ってこちらを見たままの北原に、ゴミ袋を広げたあづきが声を掛ける。


「いい天気になって良かったですね。北原君、朝から大変だけど町内の掃除、頑張りましょう」


「えっ! 僕の名前、知って、いや覚えてくれていたんですね」


「ずいぶん前になりますけど、バス停の近くで娘を乗せたベビーカーが溝に挟まって困っていた時に助けてくれたでしょう。その時に聞きましたね。ふふ、改めまして、あの時はありがとうございました、北原君」


「いえ! そんな!」


 そんなこともしてたのかい北原。豆ねー。そして何年前の話だろう。その時から大した進展もナシとか、何をしていた北原。あづきの事が好きなんじゃないの? 疑ってしまうのよ。あづきに近づきたいのか近づきたくないのか。近づきたいなら遅いって話じゃないの。


 亀かな? 亀より酷い進みなの。


 そんな亀の北原は嬉しそう。すごく嬉しそうだ。あづきに名前を呼ばれてちょっと世間話しただけじゃないの。何故にそれほどまでに嬉しがれるのよ。


「じゃあ!」


 あづきの前からウキウキとした足取りで去っていく、満ち足りた感の北原。


 北原ー! それでいいのか北原ぁー!? もうちょっと何か! こうっ! 一緒に掃除しましょうとか! 会話とか!


 何、このもやもやした感情は? どうでもいいけどという感情に、もどかしさとイライラを足して割って、どうでもいいや感を足した感じなの。つまりどういうことかというと、どうでもいいのよね。


 ご近所さんと挨拶を交わしつつ、道中のゴミを取りつつ、なんならスキップとか始めそうな北原は湯島家から遠ざかってゆく。


 後をつけてやろうかな? なんとなくだけど、北原、日記とかつけていそう。今日の事をすぐさま書きつけていたら面白い。


 霊体をちょっとだけ切り離してネズミの姿に変える。


 どうでもいいとは思いつつも監視の目を緩めない。北原が日記を書いているかどうかは置いておいて、見てると意外と面白い奴だからね、笑えるようなことがあるかもしれないのよ。全手動ねずみ、監視君一号、ごー。分身であるネズミを側溝を伝って北原の元へ向かわせる。チョロチョロなのよ。


 さて、本体は……寝ましょ。


 町内の掃除を始めたあづきを横目に、窓を開けて家に入る。鍵もちゃんと閉める。賢い猫だからね。座布団にダイブして、ふわ、おやすみなさい。にゃむ。



◇北原利信



 名前を憶えてくれていた!


 僕の名前を!


 そうかあ、名前をねえ。一度だけ、さらっと名乗ったことがあるのは僕も覚えている、何年も前のことだ。あづきさん、それを覚えてくれていたんだ、と、そこまで思って、ふと不安になる。


 いや、まてよ、あの少女。


 怪しさとおかしさで構成されたような、あの正体不明の猫耳つき三毛猫髪の少女。


 彼女がひょっとして、僕のことをあづきさんに言ったのでは? あづきさんとは戦友とか言っていたから、交流はあるはず。そもそも、今日は町内会の清掃にかこつけて、あの少女が住む家を探そうと思っていたんだった。絶対に近所に住んでいるはず、それもあづきさんの家の近所だろうと。


 すっかり忘れてた。あづきさんに聞けば良かった。いや、聞けない。彼女の口からやらしい目うんぬんが出てきたら、僕はきっとそのまま遠くに旅に出る。そして人の目が一切無い地で生涯を終えるんだ。ベストは何処だろう? 月の裏側が一番だけど、月旅行なんてまだまだ実現しそうにない。アポロが月に行ってから何年たっているんだよ、もうちょっと頑張れよ人類。


 おいしそうにイカ焼きを頬張る少女の顔を思い出す。なんとなくだけど、彼女はそういうことを本人に言わないような気がする。本当に根拠のない話だけど。


 どちらにしろ聞きに戻れない以上は、忘れよう。うん、忘れよう。


 そうかー。あづきさんが僕の名前をねー。



 自分の家の周りを重点的に掃除して、町内清掃は終わる。やる範囲も時間も特に決まってはいない。始まる時も、終わる時も挨拶や号令なんかも特に何もなし。やるもやらないも各自の自由で、この日は一斉に掃除しましょうねって呼びかけるだけの日。母親の代わりに僕が買って出ている。今日も湯島さんを見れた。そして会話も出来たよ。いい日になった。


 そのまま井戸端会議よろしく会話パートに移行をする近所のおばさんたちに挨拶をして、僕は家に入る。


 家の扉を開けると足元にちょろっと動く影。


「え? 何? ネズミ? いや、何もいない……」


 見間違いだろうか、一瞬ネズミが家に入っていった気がする。しかし玄関と家の中を仕切る扉はしっかり閉まっているし、綺麗に整頓、掃除された玄関には隠れる場所も無い。見間違いだろう。ゴキとか入ってきたら嫌なので、一応、玄関の掃除もついでにしてしまおう。


 家族の挨拶もそこそこに、僕は自分の部屋へと入る。パソコンを立ち上げ、今日あったことを日記につける。日記という名目で、思いついたことを、その日その日の気分で駄文にして書き留めているだけだけどね。


『本日は重大な報告をせねばならない。そう、度々この日記に登場する”あの人”についてだ。なんと、あの人が僕の名前を憶えてくれていたという衝撃の事実が発覚したのだ。順を追って記そう。ことは何年も前にさかのぼる……』


 パシパシと何かを叩きつける音が部屋の中から聞こえる。周りを見渡しても何もない。はて。


『そして、ついにあの人の口から僕の苗字が零れ落ちたのだ。これはまごうことなき前進である。僕以外の人類にとっては、あるいは些細で小さな一歩分の距離かもしれない、しかし僕にとっては歴史に残る大きな一歩になるだろう。苗字を呼ばれるという偉大なる一歩。しかしあの人は僕の下の名前をまだ知らないはずだ。あの人が僕の下の名前を呼んでくれるという難易度ミッションが達成されるのは、果たしていつのことになるだろう。僕にとっての偉大なる二歩めは一体いつになるだろか、人類が月旅行を始める前に実現できたらいいな』


 パシンパシンと何かを叩く音がする。しかし周りを見渡しても、そんな音を出すものが無い。


 え!? 何!? 心霊現象!? ラップ音とか!? こんな朝から!?


 いや、心霊現象とか無い無い。家の木とかが軋んで鳴る現象とかだよね。知っているんだ。


 正直、心霊現象とか本気で怖いんだよ。やめて。




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