第9話 実戦
エルザは村の中心部へ向かって走っていた。
「エル姉もメリルも、私よりずっと強いけど……お姫様を巻き込むわけにはいかないわ。あの二人には、もっと大切な使命があるはずだもの」
エルザは、自分にとって、あの二人の存在が大きなものになりつつあるのを感じていた。だからこそ、危険な目に合わせることなど出来なかったのである。
「急がなくちゃ。せめて、先生が来るまではなんとか持たせないと……」
そう思いながら、エルザは走った。
エルザが村に入り、水車小屋を過ぎたあたりまで来た時、どうやら燃えているのはカレンの家だということがわかった。
「赤い屋根が燃えている! カレン!」
エルザは不安と焦りを胸に抱いて駆け出していた。
エルザが家のそばまで来ると、カレンの家は炎に包まれていた。もし、もし中に誰かがいたなら、助からないくらいの熱量だ。
「カレン……無事よね? 家から出て、どこかへ避難しているわよね……」
エルザは家の周りを探し始めた。
家の裏へと回ると、離れの小屋があって、その前で何人かの人だかりが見えた。
「カレンかしら?」
エルザがそう思って近づこうとした時、ひとりの男が女性の体を蹴っているのが見えた。
「あっ!」
エルザは、蹴られた女性が誰なのか知っていた。
カレンの母親、サンドラだ。
そして、カレンがその横で泣き叫んでいた。
「カレン……」
二人の姿を見たエルザの胸は、張り裂けそうになっていた。体中の血が沸騰し、逆流して、胸はドクドクと早鐘を打っていた。
あの盗賊を殺せるのか……?
斬ることにためらいが無いといえば嘘になる。だが、斬らねば友達が……自分が殺されると思えば、斬らざるを得ない。
躊躇っている時間などエルザにはなかった。とにかく今は、カレンを救わなければならないのだ。
エルザは剣を抜いて、炎の上がる家を背中にしながら、盗賊たちの元へと走っていった。
エルザはあっさりと盗賊たちへ接近していく……燃えている家から出る音や熱が、エルザの接近をごまかしてくれたのだろうか……それとも盗賊たちの気持ちが緩んでいたのか。
あと数歩で間合いに入ると思われる頃、ようやくダウルがエルザの接近に気が付いた。
「あ? なんだお前?」
ダウルがそんな間抜けな声を上げた時、エルザの腕と背中で隠し持っていた剣が姿を現し、下段から切り上げるようにダウルの体を斬り裂いていった。
「ええいっ!」
ダウルはエルザの顔ばかり見ていて、下段からの剣撃に気付いていなかったようで、刃が腹へ突き刺さってから気付くような情けない有様だった。
「ぐあああっ!」
ダウルは腹から血を吹きながら、叫び声をあげた。
「どうしたダウル!」
ダウルの悲鳴を聞いて、デイブが顔を向けた。すると、もう、そこには剣を握った少女がデイブに向かって迫って来ているのが見えた。
「なんだ女か!」
デイブは剣を抜こうとしたが、その時にはエルザの剣が、デイブの心臓へと突き刺さっていた。
「がはあっ!」
デイブは苦し紛れに剣を抜いたが、エルザはすでに第2撃に備えていて、その剣はじきとばして、そのまま袈裟切りにした。
「が、が、が……」
デイブは最後に断末魔のうめき声をあげると、目を剥いて倒れ落ちた。
エルザは反撃に備えて、構えを解かなかったが、その後、デイブが動くことは無かった。
エルザは、剣の血をふるって鞘へ納めた。
「カレン! おばさん!」
エルザはカレンの元へと駆け寄ると、カレンはエルザに抱き着いてきた。
エルザはカレンを抱き返していた。
「無事で良かった」
「エルザ、助けに来てくれて本当にありがとう……」
そういうと、カレンは大泣きした。
「怖かった……怖かったわ、エルザ! とっても怖かったわ!」
「後は私がいるから安心して! それよりここは危ないわ。もう少し歩けるかしら? おばさんは私が運ぶから」
そういうと、エルザは気を失っているサンドラを抱えて小走りにそばの草むらへと走った。
草むらにつくと、カレンが言った。
「この離れの中にはまだ盗賊が3人もいるわ。それにモニカの家も襲われているらしいの」
「モニカの家も?」
「そうよ……村長の家の方へ行くチームに入れば良かったとか、そんなことを盗賊たちが言ってたわ」
エルザは、モニカのことを思うと胸が苦しくなった。
その時である。
「なんだあ? なんで家が燃えているんだ!」
と、怒鳴り声が聞こえた。
エルザが声のする方へと目を向けると、離れの中から出て来た男がいた。コランである。
「おい!ダウルとデイブが斬られているぞ! 女もいねえ! どこへ行った!」
コランはあたりをキョロキョロと探し始めた。
「いけない! このままじゃ、見つかるわ。カレンはおばさんと、ここでじっとしてて……それから、おばさんが目を覚ましたら村の外まで逃げて……逃げられそうになかったら、ここでじっとしているのよ!」
「エルザ!」
カレンの呼ぶ声を背中に聞きながら、エルザはコランの前へと進んだ。
コランは、エルザの方をじっと見た。
「おまえが、この二人を殺ったのか?」
「そうよ。気が緩みすぎていて、ひとつも手ごたえが無かったわ」
「ははは、言うじゃねえか……ここにいた女は、お前が逃がしたんだな? やってくれるぜ」
強面のコランを前に強気なことを言っているが、エルザの胸は早鐘のように鼓動を刻んでいた。エルザは、盗賊がカレンたちに気付かないように挑発しているのだった。
そこへ、建物の中からシリルとアーロンも出てきた。
3対1か……
まずいな。
エルザの背中で冷汗が流れる。
「おい!こりゃあ、一体どうなってるんだ? コラン」
「へえ、アッシも出てきたらこの様で……家は燃えてるわ、二人は殺られてるわで……」
それを聞いたシリルはエルザを睨みつけた。
「……お前がやったのか?」
シリルの問いかけに対して、エルザは剣を抜いて答えた。
「あなたは、少しは剣が振れるのかしら? そこの男ったら、怖がって剣も抜かないのよ? 腰抜けを手下に持つと、苦労するわね?」
エルザがそう煽ると、コランは真っ赤になって怒り出した。
「てめえ!」
「痛いところを突いたかしら? あなた、いい顔して怒るのね! 女を脅してばかりで、長いこと剣を抜いていないんでしょう? 私が相手してあげるからかかってきなさいよ!」
コランはエルザが言い終わるのを待たずに、雑に剣を振り下ろしてきた。
「おのれ小娘が!」
コランの振った剣がエルザの正面をかすめた。
エルザはその振り下ろされたコランの剣を、自分の剣先だけで横へパシッとはじくと、そのままドランの喉へと剣を突き入れた。
「ぐうっ!」
エルザはすぐさま剣を引いて、斜めに構え、第2撃に備えた。だが、コランは信じられないといった顔をしながら、地面へと倒れ伏した。
「なにっ?」
シリルとアーロンは、コランが易々と倒されてしまい、驚いてしまった。
「おいおい、マジかよ……」
「コランの喉を一突だぞ……油断できねえ」
二人は無言でエルザを前後で囲み始めた。
そして、シリルとアーロンは剣を抜いた。
エルザの心臓はさらに大きく、大きく打ち鳴った。これまでの稽古とは違う……この不気味な緊迫感……
一撃、一撃が、エルザの命を奪おうと振るわれる悪意の剣。
それが今まさに、前後から迫ってきているのだった。
シリルとアーロンは、若い頃、無双流剣術道場で段位まで取った腕前である。
2人とも境遇が似ていて、家が没落してすぐに両親が死ぬという、不幸を経験していた。そして、生きる糧を得るために盗賊の道へ足を踏み入れた時、道場を辞めた。
シリルとアーロンには、自分たちをこのような境遇へ追いやった、世俗への恨みがあった。幸せな家庭を持つものを恨んでいて、盗賊業を続けるのはその復讐の一環なのである。
囲んで一気にやる!
シリルは目でそう合図して、それぞれが配置についた。
これまでも同じ門下生である2人の、息のあった攻撃で何度も強敵を屠ってきている。よもや、この少女に後れを取ることはないだろうと……シリルは当たり前のようにそう考えている。
エルザの心臓はドクドクと大きく波打っていた。
囲まれてしまったー!
エルザは複数の敵との戦い方を、セドリックから学んではいない。
セドリックがブラックファングと戦った時のような立ち回りをしながら、戦えばいいのだろうか……。
「だが、結局は、躱すことで斬り、斬ることで躱す……いつも通り、攻防一体の立ち回りで動くだけのこと!」
エルザはそう覚悟を決めた。
2人が前後に立って、攻撃のチャンスを伺っている。
エルザは大上段の構えを取り、刃先を真後ろへと向けた。
「こいつ!」
後ろで剣を構えていたアーロンは、この少女の隙に無さに舌を巻いていた。
この剣は、真後ろから斬りかかった相手と相打ちする技――"後斬の構え"という、無双流の技なのだった。
「こいつ無双流の剣士なのか!」
思わずアーロンが叫んだ。
「なにぃ!無双流だと?」
「この構え……"後斬の構え"だっ!」
「なんだと!」
無双流・"後斬りの構え"とは、前後を敵に挟まれた場合、後方の敵を斬るための構えである。
自分を斬りに来た背後の相手を相討ちに斬りながら前の敵へ剣を振るう……それが"後斬りの構え"である。
「それにしてもこんな少女が相討ち狙いだとは……」
アーロンは、こんな子供にそんな覚悟はないと思いつつも、踏み込んで斬りかかるほど油断してはいない。
2人の輪は移動して、エルザから見て、シリルが右側、アーロンが左側へ位置取った。
エルザは剣の握りを変える。上段へと構えを変え、そしてゆっくりと下段へと構えを変えた。
しばしの時、沈黙が続いた後、2人の剣が一気にエルザへと斬りかかった。左右2方向から刃が振り下ろされる剣撃。だが、シリルの斬った先にエルザはもういなかった。エルザは、アーロンの打ち込みを半身で躱すと同時に前へ出て、アーロンの脇から肩へと下段から斬り上げていた。
そのまま半身で振り返り、二人へ剣先を向けた時、目の前でアーロンが横へと崩れ落ちていった。そして、落ちていくアーロンの影からシリルが現れて、エルザへと横なぎの斬撃を放ってきた。
エルザはその斬撃を剣で上へと受け流すと、その刃に沿って剣を滑らすように前へ伸ばし、シリルの小手を斬った。
「くっ」
左手を斬られたシリルは、右手で剣を振ってエルザに向けようとしたが、エルザはその剣を跳ね上げて、開いた身体の右胸へと切っ先を突き入れていた。
「グフゥ!」
シリルは斬られながらも、エルザへと剣を振ったが、エルザはすでに飛びのいており、シリルに切っ先を向けて構えを取っていた。
「おのれ……お前、どこで無双流を……」
エルザは、返事をしなかった。
返事どころではなかったのだ。
心臓を突いたはずだが……シリルは倒れない。
なぜなの? エルザは冷や汗をかいていた。
シリルは、斬られた左手を上にあげたかと思うと、エルザに向かって右手だけで斬りつけてきた。エルザはそれを躱して前へ出て斬ろうとしたが、その時、シリルは左手に隠し持っていた鉤棒のようなものを使って、エルザの剣を挟みとってしまった。
「あっ!」
エルザが叫んだ時にはエルザの剣は、固定されてビクともしなくなっていた。
シリルがニヤリとして右手の剣を上げた。
エルザは全身に力を漲らせ、麻布を斬り裂くような気合を発した。
「うおおおおーぁっ!」
「何ぃ!」
そして、両手に持つ剣に力を込めて、鉤棒で固定されているシリルの左手もろともねじ伏せ、振り回し、そして強引にシリルの左目へと斬りつけたのである。
「ええええぃ!」
「うわっ!」
斬りつけた瞬間、エルザの剣への拘束が緩んだので、エルザは自分の剣を引きながら、シリルの剣撃を避けるように背後へと回ると、そのまま背中を斜めに斬り裂いた。
「ぐあああっ!……あ、あ」
シリルは剣を振りながら反撃しようとしていたが、エルザはすでに飛び退いていたので届かず、一度恨めしそうにエルザを睨みつけたかと思うと、口から大量の血を吹きだして、そのまま仰向けに倒れ落ちていった。
エルザはしばらくの間様子を見ていたが、やがてシリルに近づいて、剣先で胸元をめくった。
すると、そこには変形した鉄と割れた木で出来た板のようなものが貼り付いていた。
「自作の胸当てか?……」
エルザは、剣をブンと振って血を払い、鞘へと納刀した。
それからカレンの元へと歩いて行った。
「カレン……おばさんはまだ、目を覚まさない?」
「うん……目は覚ましたのだけど……お母様はまだ、動けないみたい」
「そうなのね……じゃあ、下手に動かない方がいいのかもしれないわ……ここは草が生い茂っているから、隠れていられる。ここでじっとしてて。私も、モニカを助けたら戻ってくるから……」
「うん……エルザ、私はここでジッとしているわ。あなたも、本当に気をつけて……」
エルザはひとつ頷くと、カレンの元を離れた。
そして、後ろを振り向かずにモニカの家へと駆けていったのだった。