最終回 決闘
霧が立ち込める静かな山の中、ジョーデンセンの泣き声が響き渡っている。
そんな中で、ジェームズとエルザの振るう、剣と斧とが空を斬って、ビュンビュンと風切り音を鳴らしていた。
霧でお互いの姿がよく見えない中、感覚で斬っているのか、それともかすかに見えている影を追っているのか……。霧の中のわずかな気配を頼りに、2人の剣豪は鋭い剣戟を繰り広げている。
エルザは全身の皮膚感覚を鋭敏にして、ジェームズの気配を探っていた。
だが、ジェームズの気配の消し方も伊達ではない。全く気付かなかったエルザは、躱す間もなく正面からの振り下ろしを受ける羽目になっていた。
ガキンと大きな金属音がして、ジェームズの剣を、斧を合わせてクロスにしながら受けたのだが、その斬撃は想像以上に重いものだった。
「あっ、これは駄目だ!」
エルザは受けた瞬間、受けきれないと判断して、後方にのけ反り、転げるようになりながら受け流した。
「腕が落ちたか?エルザ。全力の振り下ろしをまともに受けては駄目だろう?」
ジェームズは受け流された剣先をキリリと反転さすと、容赦なくエルザへと2撃、3撃を加えていった。
「全力の振り下ろしは、お前の得意技ではなかったのか、エルザ」
「くっ!」
不意な連撃に思わず顔を顰めるエルザだったが、霧に紛れての攻撃と違って、剣が見えたので、なんとかこれを躱す。
「……私とお前は、剣の達人にして身体強化の魔法使い……どうだ。私たちは似ていると思わないか?」
ジェームズはそう言うと軽く笑った。だが、エルザは似てると言われて、少しイライラしながら返事をした。
「それがどうしたって言うのよ!」
「私とお前は確かに似ているが……そこには歴然とした違いもあるのだ。つまりそれは、男女差。いくらお前が身体強化が使える怪力だといっても、身体強化が使える男の私には敵わないということなのだよ」
「まだ、私に傷ひとつ付けていないくせに、もう勝ったつもり?」
「いつまでそんな減らず口を叩いていられるかな? お前はこの霧に怖気付いて、ずっと受け身に回っているではないか」
ジェームズは、もう一度、まっすぐに剣を振り下ろして来たが、エルザは斧の先端の、15cmほどある鈎型のへこみで受けて、そのまま剣をねじって押さえこんだ。
「何っ!」
ジェームズが力づくで外そうと手前に引っ張ったが剛腕のエルザが簡単に離すはずもない。逆にエルザが、つま先から出していた小さな刃を、ジェームズの脇腹へと何度も突き刺していった。
「ぐわ!」
ジェームズは堪らず、ポケットから胡椒のような粉末を取り出すとエルザへ投げかけ、エルザがひるんだ隙に剣の拘束を外した。
「なめたこと言ってるから怪我するのよ」
エルザは胡椒が入った左目を、服で拭いながらジェームズを睨みつけた。
「お前の言う通りだ……よろしい。ここからは私の1人舞台とさせてもらおう」
ジェームズはそういうと、ビュンビュンとエルザに斬りかかってくる。
エルザは、ジェームズの攻撃から逃げるように後退りするのだが、何分、岩がゴロゴロしていて足場が悪く、何度も躓きそうになりながら、なんとか攻撃をさばき切っていた。
エルザは左目に入った胡椒の痛みに涙を滲ませ、右手後方から聞こえてくるジョーデンセンの泣き声を聞いていた。
「いいのか、エルザ……子供が泣いてるぞ」
集中力を途切れさそうと、ジェームズが挑発してくる。
「我が子の泣き声にイライラすることなんてないわ。……逆にあなたこそ、気になるんじゃない? あの泣き声が耳に残って集中出来ないんでしょう?」
「フン、あのくらいのことで、心乱される私ではない」
ジェームズはそう返事はしたものの、エルザに言われてから妙に泣き声が気になるようになった。
(いかんいかん、あの娘の思う壺だ)
ジェームズは頭の中を空っぽにして、今、目の前にいる敵に集中することにした。その間もジョーデンセンは、オンオンと泣いている。
霧はさらに濃くなって、周囲の視界はさらに悪くなっていった。霧で視界が悪いのと、片目が全く見えないのとでは意味が違う。エルザは見えぬまま進むうちに、危険な場所へ足を踏み入れたのかもしれなかった。
(この岩だらけの地形はあの崖のそばだわ)
ジョーデンセンのそばから、どれだけ離れただろうか。
エルザはジョーデンセンの泣き声を基準にして、あまりにも泣き声が聞こえなくなる遠い場所は崖に近いと思うことにした。
だが、ジェームズは、そんなことはお構いなしである。エルザの右目が見えないのをいいことに、死角から攻撃してくるのだ。そんな状況から、エルザはどんどん、ジョーデンセンの声から遠ざかっていくのを感じていた。
「エルザ! 観念しろ!」
足場が悪いため、腰をかがめながら歩いていると、どうしても上から攻撃を受けてしまう。そして、そのジェームズの攻撃は想像以上に重いのだ。
エルザは、鎖のついた斧を、横殴りに振り回したが、ジェームズは後ろへ飛んで斧を剣で払った。その反動で斧は近くの木の枝へグルリと巻き付いてしまった。
「しまった!」
エルザは慌てて、手元の斧についている鎖をカラビナごと取り外すと、すぐ目の前に迫っていたジェームズの斬撃を斧で受けた。
「きゃあっ!」
エルザはその勢いで吹き飛ばされ、霧の中へ吸い込まれていった。……岩と岩の間へと落ちたのである。
「がはあっ!」
3メートルほど落ちて、したたか体を打ち付けたエルザは、痛みでしばらく動くことが出来なかった。だが、そんなことは言っていられない。すぐにジェームズが、止めを刺しにやってくるはずだ。
エルザは這うようにして、岩の間を進んでいく。ふと、ジョーデンセンの泣き声がまた遠くなっていることに気付いて、前へ進むのをやめて手を伸ばしてみると、2歩先はもう、崖の端だった。
エルザは冷や汗をかきながら1歩後ろへ下がった。
その時である。
急に強い風がブウと吹いて、付近の霧が吹き飛ばされ始めたのである。その強い風が1分ほども続くと、霧はすっかりと晴れて、あたり一面は急に明るくなり、空には太陽の光が煌々と輝くのが見えた。
そして、エルザの左手には村全体を見下ろす見晴らしのいい景色が広がっていて、その一番手前にはエルザの実家の屋根が見えた。
太陽のまぶしい光がエルザを刺す。思わずその太陽の方を見ると、約8歩の距離にジェームズが立っていた。
「そこにいたか、エルザ! 霧が晴れて丸見えだぞ!」
そういうと、ジェームズは地面を蹴ってエルザへと迫った。ジェームズは太陽を背にしたまま、黒い塊となってエルザの方へ向かってくる。エルザは全身の痛みを堪えながらフラフラと立ち上がった。
ジェームズがエルザまであと1歩と迫った時、上段からの振り下ろしを放ってきた。エルザは逆光のまぶしさに目を凝らしながら、斧を前へと突き出していく。
(斬った!)
ジェームズはそう確信した。斧と剣とが交差して、ジェームズの剣はまっすぐにエルザへと向かっていく。だが、その時にはすでにジェームズの顔面にエルザの斧がぶち当たり、ジェームズの鼻が切れ飛んだのだった。
そして、エルザの肩を掠めるように落ちたジェームズの剣先は、エルザの体から数センチ横を通り過ぎて、地面を突き刺していた。
「あれを外したのか!」
ジェームズは、信じられないといった顔をして、エルザを見た。ジェームズの顔は、顎から眉間まで浅く切り裂かれていて、鼻のちぎれた顔からは大量の血が流れ出ていた。そして、血で真っ赤に染まったその顔は、白い目玉だけがギョロリ光ってエルザを睨みつけていた。
エルザは逆光のまぶしさに眉根を寄せながら、ジェームズの動きに目を凝らしていた。
ジェームズはまるで赤鬼のような顔をしながら、エルザの顔を目掛けて剣を横殴りに振ってくる。
エルザは頭を大きく下げてそれを躱すと、ジェームスの胴体目掛けて体当たりをしていた。
「うおおおっ!」
ジェームズはバランスを崩して倒れこんでいくがそこは地面ではなかった。エルザが頭を下げて低くぶつかり、突き飛ばすようにジェームズと一緒に崖へ向かって飛び込んでいったのである。
「ああっ、なんてことだ!」
ジェームズは叫んだ。
エルザとジェームスは、宙を飛んでいた。ジェームズは驚愕したままエルザを睨みつけている。だが、エルザはもう、ジェームズを見てはいなかった。
エルザは落ちた瞬間、崖から生えていた松の木目掛けて腕を伸ばして飛んでいた。そして、その松の木の上に腹から乗って、そのまま「くの字」に折れ曲がってしがみついていた。
「ぐはっ!」
エルザは腹を強く打ったが、掴んだ木の幹は離さなかった。突然、エルザがのしかかったため、その木は大きくしなって揺れる。
ジェームズは、赤鬼のような顔をしながら右手を伸ばし、エルザの足を掴もうとしていたが、わずかにブーツの先にある刃物で指を切りながら、そのまま崖の下へと飛んで行った。
エルザはジェームズの落ちた先を覗いてみたが、ただ木々が青々と生い茂るだけで、何も見えず、ただ風だけがエルザの脇を通り過ぎていった。
しばらくの間、エルザは荒く呼吸をしながら木の幹にしがみついていた。強い風にその木は大きく揺れる……。エルザは足の震えが止まらず、腕には必要以上に力が入って緩めることが出来なかった。そして、額から脂汗がドバドバ出て、顔の横からポタポタと落ち、木の幹にしみを作った。
「落ち着かなくては!」
エルザは目を閉じ、頭の中を空っぽにして、息を整えていった。
「生きて帰る!……あの子の元へ」
エルザは、自分の中に湧き起こる強い想いを感じると、それに呼応して体に力が漲ってくるのを感じていた。
そして、呼吸が落ち着つくとともに、体に入っていた変な緊張も解け、エルザはようやく崖の上へと向かっていく決心をする。
エルザは上を見上げて、崖を登るルートを探しはじめた。まずは自分がぶら下がっている木の根元を見ると、ウネウネと根っこが張り出していて、そこは足場になりそうだと思った。
急で切り立っているように見えた崖も、良く探すと緩い斜面になっている場所もある。そして、エルザは木の根っこが伸びた先に、一筋の細い亀裂があることを発見した。その亀裂は真っ直ぐに上へ伸びていて、上へ行くほど割れ目は大きく広がっているようだった。
エルザは決心して、木の幹の根元へ向かって移動していった。そして、とうとう、木の幹から手を離して、崖と木の根っこだけで体を支えた。
この、木の根っこの頼りなさ。
エルザは無我夢中で木の根っこと崖の出っ張りを掴み、つま先に展開していたナイフの刃先を木の根の隙間に突き刺しながら、横へ移動して行った。崖の亀裂までもう少しである。
そして、崖の亀裂へと手を伸ばすと、腕を差し入れて、中で拳を握った。拳が割れ目に引っかかって抜けなくなるのである。ここで、エルザは一つ大きな息を吐いた。
「もう少し!……あともう少しよ!」
エルザはそう自分を励ましながら、亀裂に腕を差し込んで登っていく。
身体が入るくらい亀裂が大きくなって来た時、亀裂に挟まれるようにしながら、体を休めた。
エルザは上を見上げた。亀裂は上へ行くほどだんだんと大きくなっていって、1番上の方は緩い斜面に繋がっている。
エルザは油断だけはしないように、慎重に、ゆっくりと登っていった。斜面の緩い所に出ると、わりとしっかりとした土が溜まっていて、つま先のナイフが突き刺さるようになっていた。エルザは足元の土が崩れても大丈夫なように、岩場に手を伸ばしてしっかりと握り、少しづつ無理のないように上がっていった。
そして、15分くらい経った頃、ようやく崖の上へと戻ることが出来たのである。エルザは地面へあおむけの寝転ぶと、大きく息を吸った。
「無茶をするなって言われたけど、また死にかけたわね……いや、あれはほんと、死んでたわ」
エルザは息を整えながら、目を閉じてジョーのことを想った。
目を閉じると、エルザの耳にジョーデンセンの泣き声が入ってきた。
「いけない……坊やがほったらかしだわ……」
エルザはヨロヨロと立ち上がると、泣き叫ぶジョーデンセンの元へと向かった。
「ほったらかしてごめんね」
エルザは泣き叫ぶジョーデンセンを抱きかかえると、ハンカチで涙を拭いて、揺さぶったりしながらあやしていく。ジョーデンセンはしばらくの間、ほったらかしていた母を非難するかのように泣き叫んでいたが、やがて泣き疲れたのか、ジョーデンセンはエルザの胸の中で眠ってしまった。
「あなたの泣き声には助けられたわ……」
エルザは腕の中にいる宝物をギュッと抱きしめると、眠る子へそうつぶやいた。
そして、エルザは空を見上げて、ジョーを想った。
「ジョー。あなたの言ったとおりになったわね」
見上げた空は、すっかり霧が晴れて青一色に染まっていた。
「あなたのようにうまく斧は使えなかったけど、なんとか生き延びたわ」
エルザはそうつぶやいてから、少しだけ微笑んだ。
「おーい、エルザぁ!」
遠くからエルザを呼ぶ声がした。
「エル姉?」
エルザは思わず笑顔になった。エルランディの後ろには、メリルとセラスがついて来ている。
「あなた、私も墓参りに行くって手紙を書いていたのに、先に行っちゃうなんてひどいわ!もし、墓参りを済ませた後だったら、もう一度あなたも戻ってお参りしなさいよ!」
エルランディはそういいながら、紫陽花の咲く道を走ってくる。
エルランディがいると、場が急に明るくなる。エルザも自然と笑顔になっていた。
「エル姉、もちろんお供するわよ。私もたった今、彼に報告することが出来た所なの」
エルザがそう言うと、エルランディはニコリと笑った。
「それじゃあ、行くわよ? それからジョーデンセンは私に抱かせなさい。私が抱っこするから……」
「でも、今は寝てるわよ?」
「いいから、いいから」
そういうと、エルランディはエルザの腕からジョーデンセンを奪い取った。その時エルランディは、エルザの服に血が付いていることに気付いた。エルランディは、エルザの顔をジッとみつめた。
「エルザ……あなたもしかして、さっきまでとても危険な状況だった?」
エルザは薄く疲れたような笑顔を見せて、エルランディに言った。
「……エル姉暗殺の首謀者が現れたのよ」
エルザがそういうと、エルランディはギョっとした顔をした。
「それで? そいつはどうしたの?」
するとエルザは崖の方を指差して言った。
「私と斬り合った後、そこの崖から落ちたわ」
エルランディは、崖から遥か下にある、木々が生い茂っている所を見た。そして、エルザの方へ振り返った。
「終わったのね……?」
エルザは小さく頷いて、薄く笑った。
「ええ、終わったのよ……ようやく」
エルザのつぶやきを聞いて、エルランディはジョーデンセンごとエルザを抱きしめて、ニコリと笑った。
「これからはこの子もいるのよ? 新しい人生が始まるわ」
エルランディはそう言って体を離すと、エルザの手を引いて歩き出したのだった。
(END)
最後まで読んでくださりありがとうございました。
このお話は、これにて完結です。
面白く読んで頂けたでしょうか。良ければ★★★★★評価お願いします。
それが励みになって、作品を書く力になりますので……
ありがとうございました。




