第82話 墓参り
ジョーが亡くなってから丁度1年が経った。
春が過ぎ、もうすぐ雨期が始まりそうな季節である。
村のあちこちで紫陽花が咲き、ジョーの眠る墓地へ向かう参道にも、青や紫の紫陽花が咲き乱れていた。その日の朝は墓地全体が少し霞がかっていて、色とりどりの紫陽花とともに、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
息子のジョーデンセンも生後2か月となった。ジョーデンセンは良く手足を動かす子供で、表情も豊かになってきて、あー、うーと声も発するようになってきていた。そして、早くも首がすわってきていて、縦抱きをしても首を真っすぐに保てるようになっている。
エルザは毎日が慣れない子育てで必死だったが、こうしてジョーデンセンが順調に成長していく姿を見て、毎日が充実感で一杯なのだった。
エルザはこのジョーの命日に、ジョーデンセンと共に、二人きりで墓参りへ行くことにしていた。ザカやエイミー、そして忙しいエルランディまで、ジョーの墓参りに来るという手紙を受け取っていたが、今回だけはジョーデンセンだけを連れて墓を参りたかったのである。
墓参りへは朝早く出発したので、ジョーデンセンはエルザの腕に抱かれて眠ったままだ。エルザはジョーの墓に捧げる花や、ジョーの形見などをいくつか持って家を出た。子供のオムツやおもちゃなどまで持つと結構な荷物になる。それらを担ぎながら、エルザは高台にある墓地へと上がっていく。
「ここまで上がると、実家が見えるはずだわ」
エルザの立つ場所のすぐ下に岩場があって、その先は切立った崖になっていた。その崖のずっと下に、エルザの実家が小さく見えるのだが、崖の方から不細工に曲がった松の木が1本生えて来ていて、微妙に視界を塞いでいた。
その木の隙間から見える実家の裏側あたりは、緩やかな斜面となっていて、雪の積もった時などに、エルザは子供の頃そり遊びなどをしたものである。
「そうだ、冬になったら、ジョーデンセンにそり遊びをしてあげてもいいかも」
エルザは自分の子供の頃にしたそり遊びを思い出していた。昔のことを思い出してみると、ジョーデンセンにはまだ少し早いかな……とエルザは思いなおす。
墓地へ到着して、ジョーの墓へと歩いていく。ジョーの墓は、墓地の入り口から入った一番手前の通りの一番奥にあった。これは、遠方のブラストから遺体を持って帰ってきたので、かなり腐敗が進んでいると考えた墓地側の責任者が、一刻も早く埋葬しようと入口から割と近い場所が選ばれたからである。最も、エルランディの氷魔法によって、遺体は傷んだ様子もなく運び込まれたのだったが。
エルザはジョーの墓の前に座って花を供え、酒杯を置いて酒を注いだ。それから息子のジョーデンセンの顔を墓石の方へ向け、眠っているジョーが良く見えるように抱きなおした。
「ジョー……あなたの息子、ジョーデンセンよ。……あなたが夢の中で、生まれ変わって私に会いに来るって言ってたから、この子の名前はあなたと同じ名前にしてみたのよ? ほら、この黒髪や黒い瞳はあなたにそっくりだと思わない? 本当に、あなたの生まれ変わりかもしれないわね」
エルザはそう言うと、ジョーが眠る墓石を手の平で撫でた。
「三日月湖であなたに勝てたのは、本当に偶然だったと思うけど、あなたは私のどこに魅かれたのかしら? あなたに致命傷を負わせた初めての剣士だってあなたは言ってたけど、もし、本当にあなたと決闘なんてしていたら、私なんか弱くて拍子抜けしたと思うわ」
ジョーデンセンが足をバタバタさせて、母の腕の中から降りたがっていた。そんなことをすると、泥だらけになるに決まっている。エルザは抱きなおしておもちゃを握らせた。
「そういえばあの時、三日月湖の湖賊に助けられて、闇医者のメガ婆に治療してもらったって言ってたわよね……。知ってる? メガ婆って、実は男だったのよ。もう歳だから、爺か婆かどっちでもいいのかもしれないけれど、私、驚いたわ。彼はこの間リールで逮捕されて、今は王都で義手や義足を作らされているらしいの。私が秘密通路で片腕を斬ったメリルを覚えてる? 彼女の義手は、メガ婆が作ったのよ。手のひらにアタッチメントが付いていて、剣を装着できるようになってるらしいんだって」
そんな話をしているうちに、ジョーデンセンがエルザの髪を引っ張ったり、口に入れたりしだした。エルザの髪はよだれでべちょべちょになっている。
「こらこら、髪の毛を食べないで。……あなた、お腹すいてるの?」
エルザはそう言って、ジョーデンセンを横抱きにして、その口に乳房を含ませた。ジョーデンセンは勢いよく母の乳房に吸い付いていく。
「それから来週、ザカが墓参りに来てくれるんだって。あの子はメラーズ討伐の功績から北の方に土地をもらって、そこでルフランの民を住まわせているんだって。領地をどう運営するかはこれからの課題だけど、念願の土地が手に入って、シャドウの人たちも天国で喜んでいると思うわ」
ジョーデンセンは、お腹一杯になったのか、乳房に吸い付くのはやめて、またおもちゃで遊びだした。
「それから私も領地をもらったのよ。あなたの功績も含めて、このアルカンディアにある3つの村を治めることになったわ。領地のことなんか私にはわからないから、エル姉が連れてきた人たちにお任せするしかないんだけどね。それから、タミル族の人たちがアルカンディアに移住してくるらしいの。エイミーと……それからシンディもアルマも、アルカンディアに移住するんだって。彼女たちが来てくれるなら、私も心強いわ。……そしたら一緒に、また、あなたに会いにくるからね……」
そう言って、エルザは墓で眠るジョーに向かって話しかけながら墓石を撫でた。ジョーデンセンも小さな手を伸ばして、墓石を撫でたり、顔を近づけてなめまわそうとしていた。
風もなく、靄がかった墓地の一角で、静かに親子の語らいが続いていた。
しばらくすると、急にひんやりとしだして、風が入ってきたのか霧が動いた。思った以上に霧が濃くなって来ている。
「……今日はもう帰ろうか」
エルザはそうつぶやいて、片付けを始めた。それからジョーデンセンを抱いて、ゆっくりと墓地の出口へと向かっていった。
エルザが帰り道を歩いていると、うっすらと、霧の向こうに人影が見えた。エルザは立ち止まって、足元にジョーデンセンと荷物を置いた。ジョーデンセンは、母の手から離れた途端、火がついたように泣き出した。エルザは、その泣き声を聞きながら、前方に現れた男に向かって声をかけた。
「一体、何の用かしら? こんな墓場まで追いかけてくるなんて」
エルザがそう声を掛けると、霧の中からヌッと姿を現した男があった。
ジェームズである。
「久しぶりだなエルザ」
ジェームズの顔を見たエルザは露骨に嫌そうな顔を見せた。
「一体何の用なの?こっちは顔も見たくないんだけど」
エルザが毛虫でも見るような目で睨みつけると、ジェームズは笑った。
「ははは、相変わらず手厳しいな。今日はジョーの命日だったろう。お前なら必ず、今日ここに来ると、私は確信していたのだ」
ジェームズはそう言って胸を反らせた。
「よく言うわよ。どうせ、これまで私を発見出来なかっただけでしょ。もし発見出来ていたら、あなたなら妊娠中だって襲って来たはずだわ」
エルザの言葉にジェームズは片手を振って否定した。
「そんなことはないさ……私は紳士だからな。そんな卑怯な真似はしない」
ジェームズがそう綺麗ごとを言うと、エルザは鼻で笑いとばした。
「王女を毒殺しようとした人がよく言うわね。きっと、セドリック先生が怖かったに違いないのよ」
セドリックの名前を出されても、ジェームズは一向に気にした様子はない。
「フン、あんな老いぼれなんぞ怖くはないが、邪魔をされるとそれなりに厄介だからな。そのせいでお前を取り逃がしてしまっては襲撃の意味がないというものだ」
「強がり言ってもバレバレよ……」
エルザはそう冷たく突き放すと、ジェームズは心外とばかりに両手を広げた。
「まあ、強がりを言うんじゃない、エルザ。産後の肥立ちも100日という……お前もまだ本調子じゃないだろう。今日のところはだな、俺の言うことを聞けば、命だけは助けてやろう」
「まあまあ、ずいぶん魅力的な提案ね。……でもあんたになんか協力するつもりは、これっぽっちもないから」
エルザはそういうが、ジェームズは構わず用件を進めていく。
「エルザ、私はお前の意見を聞いているのではない。……お前は王城の秘密通路を知っているのだろう? その入り口はどこにあるのか、私に教えるのだ」
エルザの背中の向こうでジョーデンセンがワンワンと泣いている……静かな山の中に、赤ん坊の泣き声だけが鳴り響いている。
「そんな通路聞いたこともないけれど、たとえ知っていても教えないわよ。……いい? あんたの手助けなんて死んでも嫌。ホントあなたの言うことを聞くくらいなら死んだほうがマシよ」
エルザが強く拒否すると、ジェームズは眼光を鋭くして睨みつけた。
「お前に選択肢はないんだエルザ。秘密通路の場所を教えるか、子供と一緒にここで死ぬかだ」
ジェームズは強く、脅すように言ったが、エルザに脅しは通用しない。
「聞こえなかったのかしら? ジェームズ。嫌だって言ったのよ」
エルザの回答に不満たっぷりなジェームズは、イライラしながら語気を荒げた。
「おのれ、言わせておけばいい気になりやがって。お前のせいでどれだけ計画が狂ったと思ってるんた、エルザ。お前という女はことごとく俺の邪魔をしてくれる……」
「馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ! 元はと言えば、あなたが私の大切な人をを殺そうとしたことから始まった話じゃない? 人のせいにしてるんじゃないわよ!」
エルザの背後でジョーデンセンが激しく泣いている。エルザはその泣き声を聞くと、ジョーのことを思わずにはいられなかった。
「あなたのせいでジョーは死んだのよ? 被害者ヅラしてるんじゃないわよ!」
エルザは怒っていた。だが、ジェームズは高慢な態度でエルザを従わせようとする。
「だが、お前が私の邪魔をしたことは事実なのだ。その償いとして、秘密通路の場所を教えるんだ」
「馬鹿なの? 償ってほしいのはこっちの方よ」
エルザの馬鹿にしたような態度は、ジェームズをイライラさせた。
「聞き分けの悪い子には痛い目をあってもらわないといけないな。あとで泣いても容赦しないぞ」
「やれるものならやってみなさいよ。ただし、腕の1本や2本じゃすまないわよ」
エルザの背中の向こうで、ジョーデンセンがワンワン泣いている。その泣き声が、ジェームズをさらにイライラさせていた。
「死に急ぐかエルザ! 親子3人仲良く同じ命日になってもいいというのだな?」
そう言うと、ジェームズは剣に手をかけ、一気に鞘から引き抜いた。それに対して、エルザは何も武器を手に持っていない。ジョーデンセンもまったく泣きやむ気配はなく、霧の中の、湿った地面の上で母を探して泣いている。
「なんだエルザ……武器がないのか? ……丸腰で、一流の剣士である私と戦うつもりかね?」
ジェームズはそう言ってニヤリを笑うと、1振りの剣をエルザに向かって投げてきた。
「同じ剣士としての、せめてもの情けだ。剣士なら剣を持って死ぬがいい」
だが、エルザは首を振った。
そして、大きなカバンの中からジョーの使っていた形見の斧を2本、取り出して両手に握った。それを見たジェームズはニヤリと笑った。
ジョーデンセンは、ギャーギャーと泣いている。ジェームズはすました顔でエルザに言った。
「意外とセンチメンタルなんだな。使い慣れた剣を捨て、愛しい人が使っていた斧を握るとは」
ジェームズの言葉にエルザは、見下すような視線を送りながら言った。
「あなたみたいな3流にはこれで充分よ」
エルザは斧の先端をジェームズに向けた。
「言ってくれるな。負けても産後の肥立ちを言い訳にするんじゃないぞ」
「フン、体調が悪い時を狙ってきた卑怯者のくせに、笑わせるわね」
エルザの悪態に、とうとうジェームズは顔を真っ赤にしながら激怒した。
「よくも言ってくれたな!」
ジェームズは剣先をエルザに向けて言った。
「紫陽花の花とともに散れ、エルザ!」
そう言うと、ジェームスはエルザに向かって、剣を振るって来たのだった。




