第80話 夢での再会
その日の晩、エルランディたち一行は、なんとも言えない暗い雰囲気に包まれていた。
ジョーが急死したことで、エルザはジョーの部屋に引きこもってしまったからである。
エルランディやアルマなどが何度呼びかけてもエルザからの返事はない。水も食事も摂らず、部屋から出ることは一度もなかった。
セドリックは1人、ワインをガブガブと飲みながら、ソファでゴロゴロしていた。
「なんとかせんか、セラス……。エルザが部屋にこもってしまったら、このブラストから動けんじゃないか」
急に振られたセラスも動揺して、大きな目を見開いて反論した。
「な、なにを急におっしゃるのですか、叔父様! 叔父様こそ、弟子なのですから宥めていらしてはいかがですか」
「ワシだって、女心がわかれば結婚くらいしとるわい。ワシの出来ることといったら剣の相手をするぐらいじゃわ」
実のところセラスとメリルは、エルザとあまり良い別れ方をしていない。まだ仲直りをしていない現状で、慰めにいくなど出来るはずがない。この2人は仲直りするタイミングを逃してしまい、居心地の悪い思いをしながら部屋をウロウロしていた。
そんなみんなにアルマは言った。
「でも、あまりゆっくりもしれられませんよ。……この地に埋葬するならそれでも良いですが、もし、王都やアルカンディアの墓地へ持って行くつもりなら、早くしなければご遺体が腐ってしまいます」
それを聞いて、セドリックも悩んでしまった。
「そうだなあ……まあ、あの子がこんなになってしまうことなんて、今までなかったからな……どうやって慰めたもんか……」
セドリックは、エルザの悲しみを想像して、胸が痛くなる思いだった。エルザが城を飛び出したことや、オリバー小屋からの脱出のことなどを考えていた。……そして、エルザの経験した苦労を思えば、ジョーを失った悲しみは相当なものだとセドリックは思った。
「もうちょっとワシがしっかりサポートしてやってれば、ジョーも死なずに済んだのだろうか……」
そんなことを考えながら、セドリックはグラスに入った赤ワインをグッと飲みほした。そのワインの味は、少し、渋い感じがした。
◆
エルザはずっと悲しみの中にいた。
エルザの心の中に占めるジョーの存在は、エルザが思っていた以上に大きいものだったのだろう。
考えてみれば、エルザからジョーへ好きだと伝えたことがあっただろうか。エルザは思い返していた。
「ジョーは何度も好きだと言ってくれたのに」
エルザは、もっと気持ちを言葉にして、ジョーに伝えておけばよかったと涙を滲ませていた。
エルザは、冷たくなったジョーの手の平を握りながら、明かりもつけずに布団へ顔を埋めていた。そしていつまでも泣き続けていたのである。
エルザがふと我に返ると、白い霧に包まれた、岩場のようなゴツゴツとした場所で一人立っていた。空は嵐の前のように真っ暗で、地面には草木1つ生えてはいない。
「ここは、一度来たことある」
エルザはそう思った。あの、黒い鳥と会った場所である。だが、今回は、黒い鳥はどこにも見当たらなかった。
しばらくすると、霧の向こうから人が歩いてくるのが見えた。その影が近づくにつれて、エルザにはそれが誰なのかすぐにわかった。
「ジョー!」
エルザがそう呼びかけると、その影はニッコリと微笑んだ。
「エルザ……お別れだ」
ジョーが静かにそう言うと、エルザは大声で言った。
「お別れなんて嫌よ!」
エルザのその言葉に、ジョーはニコリとした。
「これまで、まさか俺の死を悲しんでくれる人たちがいようとは夢にも思わなかったが、お前は泣いてくれたのだな……俺は、その事実だけで満足だ」
「当たり前でしょ? 私だって、あなたのことが大好きだったんだから! もっともっと、一緒にいたかったんだから!」
それを聞いて、ジョーは穏やかな顔をエルザに見せた、
「ありがとう……エルザ。盗賊だった俺の、つまらない人生が、最期にこんな奇跡を見せてくれるとは……俺はそれだけで充分幸せだ。短かったが、俺はお前と一緒に過ごせて本当に良かった。ただ、その気持ちを伝えずに死んでしまったから、こうして夢見に立ったというわけだ」
「私もよ……私も幸せだったよジョー! あなたのことを愛してた。とても大切に思っていたんだから! それからありがとう! 何度も私を救ってくれてありがとう! 私と一緒にいてくれてありがとう……」
エルザは涙をボロボロ流しながら、ジョーを見つめていた。エルザのその姿を見て、ジョーはうんうんと頷いていた。
「エルザ……ひとつお願いがあるんだ」
「何? なんだって言って」
「君はいつか、僕を君の故郷、アルカンディアへ連れて行ってくれるって言ってただろう? だから、僕の体をアルカンディアで埋葬してくれないか? ブラストにひとり残るのはとても寂しい」
「わかったわ、必ずアルカンディアへ連れて帰るから!」
そういうと、ニッコリと笑って頷いていた。
「さて、エルザ……もう時間がない。最期に1つだけ伝えたいことがある」
「何? 何でも言って」
エルザはその答えを乞うように聞いた。するとジョーは言った。
「剣を取れ、エルザ」
ジョーはそう言って、どこからか一振りの直剣を取り出してエルザの方へ差し出していた。そして、ジョー自身の手にも
1挺だけだが斧が握られている。エルザは自分の目と耳を疑った。
「何ですって?」
エルザはジョーが出してきた提案に、驚きと動揺を隠せなかった。
「ジョー! あなたまさか、前に約束していた決闘をここでするつもりなの?」
エルザが上目遣いにそう聞くと、ジョーは笑って手を振っていた。
「何を馬鹿なことを言ってるんだ。俺はお前を愛している。そのお前を自ら傷付けるような真似をするものか」
ジョーの言葉に、エルザは恥ずかしくなって顔を赤くしていた。ジョーはそんなエルザを微笑ましく見ていた。
「そうか……お前は心のどこかで、俺の言葉を気にしていたんだな。すまなかった」
そう言うとジョーは、少し沈んだ顔をした。
「ううん、私もあの話はもうなしだと思ってたのだけど、あなたが急に剣なんて出してくるから、吃驚したのよ」
「ああ、それでか……俺が剣を出してきたのは、実はお前に伝えたいことがあるからだ」
「伝えたいこと? それって剣の話?」
「そのとおりだ。……エルザ。お前は力もあって技もある……剣士としては一流と言っていいだろう。それに、これまでもバクスやベリーと言った一流の剣士にも勝利を収めている。おそらく、あのような技巧派の剣士と相性がいいのだろう」
エルザは頷きながら、静かにジョーの言葉を聞いていた。
「俺が心配しているのは、力でごり押ししてくるタイプだ。こういうタイプで一流の剣士にまで登りつめたものは、技も利かせてくるから厄介なんだ」
「それはあなたもそうよね? ジョー」
「ああそうだ。俺はパワーと持久力に特化したタイプだ。俺は特に師匠を持ったわけではないが、戦っていてひとつ気付いたことがあったんだ……エルザ。今からその剣で、俺を正面から斬りかかって来い」
「何言ってるの? 怪我するわよ!」
「心配するな、俺はもう死んでるんだ。いいから斬りかかってこい」
ジョーの言葉に、なるほどそういうものかと思ったエルザは、ジョーの正面に立って上段から打ち下ろしていった。
「ええいっ!」
エルザの上段からの打ち下ろしに、ジョーは斧を前へ突き出して合わせていく。剣と斧とが触れたような感じもしたが、エルザはそのまま剣をジョーを斬ったと思った。だが、剣はジョーの脇を抜けた。そのからくりが、エルザにはわからなかった。
「……今確かに斬ったかと思ったのだけど」
そうエルザが言うと、ジョーはニヤリと笑った。
「わからなかっただろう? お前たちは直剣を使っているから仕方がないかもしれないが、俺の持っている斧の刃は、曲線を描いている」
「それがどうかしたの?」
「それが重要なのだ。つまりな、剣と斧を合わせた時、俺は少し斧を寝かせて角度を付けているんだ」
「わからないわ……その角度がなんだっていうの?」
「お前たち剣士が使う直剣では、立てようが寝かせようが関係はない。だが、俺の斧のように丸く曲線を描いていたら、立てていたらそのまま剣の脇を滑らせることになるが、寝かせるとどうなる?」
「……もしかして、刃の曲線に沿って、数センチほど剣の軌道がズラされたの?」
「そのとおりだ」
「俺にとって、斧は特別な武器ではなかった。だがある時、たまたまこんな刃の丸い斧を使った時、このことに気付いたんだ。技というほどのものではないが、直剣しか使わない剣士たちはわからないみたいだな」
「こんな重要な話……私にしてよかったの?」
「お前だからこそ話すのだ……おそらく近い将来、お前の命を脅かす者が現れるかもしれない。その時の役に立てばと思ってな……。剣士でもない俺がいうのもおかしな話だが、伝えておきたいと思ったんだ」
「……心配してくれてありがとう……あなたの気持ち、嬉しく思うわ」
「探せば曲剣などもあるだろう。お前の使いやすそうな武器を探してみるといい」
エルザは、首を振った。
「あなたの斧を使わせてもらうわ……その方が私、あなたとともに、生きている気がするもの」
エルザがそういうと、ジョーはニコリと笑った。
「時間だエルザ……」
「もう、行ってしまうのね?」
「ああ。だがこれでお別れではない」
「また、会えるの?」
「また会えるさ……夢の中ではなく、現実でな……きっとだ。会えば俺だと、きっとわかる」
「ええ……待ってるわ」
エルザがそう言うと、ジョーは微笑みながら手を振った。
「エルザ……体には気を付けろよ……」
「ジョー!」
ジョーはそう言うと、白い霧に包まれながら消えていった。
◆
セドリックは、気が重かった。
結局、女性たちに押し切られて、セドリックが宥めに行くことになったのである。
「全く、ワシなんかが宥められるはずがないだろうに」
考えれば考えるほど、セドリックは憂鬱になってしまう。
「まあ、とりあえず、話でも聞いて気分が和らいでくれればいいんだがな」
セドリックはため息をひとつ吐いて、ジョーの眠る部屋へと向かった。部屋の扉の前に立ったセドリックは何度かノックをした。
「エルザ……入っていいか?……いいな、入るぞ」
セドリックは、ゆっくりと扉を開けた。すると部屋の中では、驚きの光景が広がっていたのだった。
「エルザ、お前何をやっとるんじゃ?」
そこには、ジョーの斧を振り回して、鍛錬しているエルザがいたのだった。セドリックが部屋に入ってきたことに気が付くと、エルザは斧を振るのをやめて、セドリックの方を向いた。
「先生」
セドリックはどぎまぎしながら返事をした。
「なんじゃ……どうした?」
すると、エルザはニコリと笑って言った。
「ちょっと、その直剣で私に斬りかかってみてください」
「はあ?」
セドリックはズッコケそうになった。
「頭でも打ったのかエルザ!」
セドリックは、心臓が止まるかと思うくらいに驚きながら、エルザを見た。その顔は、これまでの恋人を失った悲痛な表情ではなく、雲一つない晴れやかな顔をしていた。その変わりようにセドリックは、とうとうエルザは狂ってしまったのかと疑わざるを得ないくらい、仰天したのだった。




