第75話 隠者の館
小屋の中へ入ったエルザは、小屋が思った以上に快適であることに驚いていた。
小屋は丸太を組んで作られており、丸太の隙間は何やら泥のようなもので埋めてあった。建物の作りは簡素だったが思いの外快適で、室内は暑くもなく寒くもなかった。見えないところで色々と工夫の凝らされている小屋のようである。
建物に2階はなく、1階には部屋が4つほどあった。オリバーは、そのうちで一番手前にある部屋の扉を開けて中へと入って行った。
「何もないが、とりあえず入ってくれたまえ」
オリバーはそう言うと、木製の椅子へと腰を下ろした。
「さあ、あなたたちも座って。話を聞かせてくれんか」
オリバーはそう言って、空いている椅子を手で指し示して、着席するよう促した。エルザとジョーは、その指先で示された椅子へ腰を下ろす。
そこへ、弟子のカミルが茶の入ったポットを持って入って来た。カミルは、テーブルの上に木製のカップを並べて、ポットの茶を注いだ。カミルは茶を注ぎ終えると、そのカップをエルザやジョー、オリバーの前へ置いて、部屋から出て行った。
「……エルザと言ったかの……お主がベルメージュを倒したのだな?」
エルザはひとつ頷くと、ジョーの方を手の平で示した。
「はい。ここにいるジョーと一緒に倒しました。倒し方はライトハルトさんに教えてもらいました。バラバラに切り刻んで、最後は核をむしり取ったの。……核を半分に割ったら中には変な生き物のようかものがいたから、それを剣の柄ですり潰してしまいました」
「なるほどすごい豪傑だな、お主たちは……。お主たちが見た通り、このヤタガルの証は生体兵器なのだよ」
オリバーはそう言って茶をすすった。
「エルザよ…ヤタガルの証を見せてくれるか?」
オリバーの言葉にエルザは頷き、右手の袖を捲ってオリバーの前へと突き出した。
「ふむ……証の位置はあっとるな」
「位置? この証は必ずこの位置に出るのですか?」
エルザがそう聞くと、オリバーは机から拡大鏡を取り出して、証を確認し始めた。
「あの丸い球に触れると、必ず上腕の中ほどへ証が刻まれる。おそらく、球の中の魔法回路でそのように組まれているのだろう。……これまでワシの元へヤタガルの証を手に入れたという者が何人も来たが、この文様が手首や手の平、手の甲とか偽物がたくさんおったものよ」
「そうなの? 私の腕の証も偽物なら良かったのに……」
エルザがそう言ってガッカリしてみせると、オリバーは鷹揚に笑った。
「ふふふ、面白いことを言う奴だな」
オリバーはエルザの手を取り、良く調べ始めた。
「ふむ……この証は本物だ。お主の希望とは違うがだろうがな。この証の中心を見てみろ。小さな丸い突起があるだろう。これが卵だ」
エルザはオリバーが手に持つ拡大鏡を覗き込む。すると、確かに、黒い鳥の模様の中心に、小さな粒のような物があるように見えた。
「卵? 種じゃなくて?」
「ほっといても孵化するわけではないから、ある意味種と言えんこともないがな。まあ、どっちでも良い。……それで、この黒鳥の図案だが、良く見ると魔法回路が細かく描かれている。ほれ、これで拡大して見るがいい」
オリバーはそう言うと、拡大鏡をエルザに渡した。エルザとジョーは、そのレンズをヤタガルの証にかざして覗きこむと、黒鳥の図案が拡大して見えた。拡大してみると、ただの模様と思われた絵柄が細い線や図形の組み合わせで描かれていることがわかったのである。
「これが魔法回路……」
エルザがそう呟くと、オリバーは頷いた。
「そうだ。つまり、この魔法回路に魔力を注ぐことで、卵から幼虫が生まれ、血管を通って心臓へと移動していく。そして、心臓の内壁に寄生する形で張り付き、やがて殻を作って己の身を守るわけだな」
「そんなものが、腕の中にいるなんて気持ち悪いわね」
「だが、それが膨大な力を与えてくれるとなるとどうだ? 己の力が増して、無敵の存在へと進化するのだとしたら? 虫を宿すことなどなんともないことだろう」
オリバーがそういうと、エルザは肩をすくめて、口をへの字に曲げて言った。
「私はそんなのごめんだわ。……ここに来たのだって、この証を取り除く方法を知りたいからだもの」
「お主がそうとは言っておらん。だが、多くの者がそうなのだ……。ベルメージュのようにな。このヤタガルの証は、お主の想像以上に強力だ。それを知ってなお、この力を欲しいと思わぬのだな?」
オリバーの問いに、エルザはオリバーの目を見てしっかりと頷いた。
「ええ。私の気持ちは変わりません。使い方も知らないし、使いたいとも思いません。……ここに来たのも、この証を取り除く方法を知りたいからです」
それを聞くと、オリバーはニッコリと笑った。
「うむ……それでいい……。こんな力を授かったところで碌なことはないのだ。この力を利用して己の欲望のまま暴れまわるか、他者に利用されるか……ワシのように隠れて暮らすか……いずれにせよ、普通の生活には戻れんからな」
オリバーは、ゆっくりと立ち上がって、エルザの目を見て言った。
「エルザよ、ついてきなさい。その証を取り除くには、腕を切り開いて取り除くしかない。しばらくは剣を持つことが出来なくなるから、その間は彼に守ってもらうことだ」
オリバーはそう言うと、ジョーの目をジッと見た。
「大丈夫か?」
オリバーにそう問われて、ジョーは強く頷いた。
「もちろんだ」
オリバーはその返事を聞くと、一つ大きく頷いて、部屋の扉を開いた。
「よろしい……。ではジョー殿はここで待っていてくだされ。時間は2時間ほどかかるだろう……。ではエルザ殿、ついてきなさい」
その言葉を聞いて、心配そうにエルザを見つめるジョーだったが、エルザはジョーの胸に手を当てて、微笑んで言った。
「大丈夫よ、ジョー。少しだけここで待ってて」
「だが心配だな……部屋の前に立って待っておこうか?」
「いいわよ。あなたはこの部屋で待ってて。ベルメージュの倒し方を教えてくれた、ライトハルトさんの紹介なのよ? 心配はいらないわ」
「しかし、もし何かあったら……」
「大丈夫……。私も弱くはないのよ……もし、何かあったら大声を出すから」
エルザにそう言われて、ようやくジョーも断念した。ジョーの勘では、オリバーという男は信用出来る。……だが何か嫌な予感がするのだ。ジョーはその心配を飲み込んで、とりあえずエルザを送り出すことにした。
「ああ、わかった。俺はここで待っている。何かあったらすぐに大声を出すのだぞ」
「大丈夫よ」
エルザは笑ってそう言うと、部屋を出てオリバーの後を追った。
だが、ジョーにはそれからが大変だった。
椅子から立ったり座ったり……部屋を歩き回ったりしながらエルザの帰りを待っている。ため息を吐いたり、ぶつぶつと独り言を言ったり、心休まることがないようだった。
それから数時間が経って……。
不意に扉が開かれ、オリバーが部屋へと入って来た。
ジョーは立ち上がってオリバーの顔を見た。オリバーはジョーの顔を見て言った。
「手術は成功じゃ」
オリバーがそう言うと、ジョーはそのまま膝をついて、涙を流し、礼を言った。
「ありがとうございます……なんとお礼を言えばいいか……」
それを聞いてオリバーはニッコリと笑った。
「なに、同じ境遇の同士だと思えば、ワシもほっとくわけにはいかんよ。エルザは力を一度も使わなかったから、容易に取り除くことが出来たのじゃ。ワシのように、数回とは言え使ってしまったら、虫は心臓へと到達して、もう取り除くことは出来ないからな」
「一体、どうお礼をしたらいいやら……」
ジョーがそう言って頭を下げると、オリバーはニッコリと笑って言った。
「礼などいらんよ。どうしても気になるようなら、ライトハルトの所で何か買ってやってくれ。そうすれば、ワシの魔道具も売れて、ワシの懐も潤うと言うものだからな」
オリバーは、そう言って笑った。
「感謝……感謝します、オリバー様」
ジョーは膝を突いたまま、涙を流していた。剣で斬られても泣かなかった男が、エルザのことになると、どうしてこんなに涙もろくなるのか。ジョーは自分のことが不思議でならなかった。
「まあ、ベルメージュと戦ったお主たちなら、証を保有しているワシにエルザを預けることは不安だったろうがな」
オリバーは、ジョーの不安を見透かすかのように言った。ドキリとしたジョーは、思わず慌ててしまった。
「いえ! 決してそのようなことは!」
ジョーの慌てた姿を見て、オリバーは笑った。
「いや、構わん、構わん。戦士とはそういうものだとワシは思っとる。ワシら魔術師は、そんなに気を張って生きていけんから、こうして隠れて暮らしているのだからな」
そんな鷹揚なオリバーの様子を見て、ジョーは疑ったことを恥じていた。……俺もヤキが回ったか……そう思ったジョーだった。
「まあ、しばらく安静にしなければならんから、2〜3日ゆっくりとこの山小屋で過ごして帰るといい。そしてな、山にはもう飽きたと思った頃に、町へ戻るといいだろう」
「ありがとうございます……」
オリバーの言葉に、ジョーは感謝の気持ちで一杯だった。
「さて。お主たちには、小屋の一番奥の部屋に泊まってもらおうと思う。エルザは手術したベッドに横たわっているから、お主が運んでくれると助かるんだが?」
「はい、それは当然のことです。すぐに伺いましょう」
ジョーはそう言って、オリバーと共にエルザの元へと向かった。手術をした部屋へ行くと、エルザはベッドの上で横になっていた。そして、その腕には白い包帯が巻かれていた。
「エルザ……どうだ」
「ジョー。大丈夫よ。傷口はかなり痛むけど、オリバー様が痛みを和らげる薬を飲ませてくれたから」
そう言って、エルザは起きあがろうとした。
「まて、エルザ。今は安静にしないといけないって、オリバー様に言われている。俺が運ぶからそのまま横になっていてくれ」
抱き抱えようとするジョーに、エルザは大いに照れて抵抗しようとした。
「え!ちょっとやめてよ、恥ずかしい!」
「駄目だ。傷が広がったらどうする。じっとしていろ」
ジョーにそう言われて、エルザは黙って抱き抱えられた。ジョーがエルザを抱き抱えてみると、エルザの胸の鼓動が早くなっていれことに気がついた。そして、エルザの顔を見ると、白い顔が真っ赤になっている。
それを見たジョーはドキリとして、自分の顔を赤くするのだった。
◆
エルザが手術をして2日ほど経った。
オリバーが調合した薬が効いたのか、右腕の傷の痛みはずいぶんと引いたようである。手術当日は、痛みでウンウン唸っていたエルザだったが、今は右腕を三角巾で吊って、付近を散策出来るまでになっていた。
朝目覚めた時は、風のない穏やかな天気だったので、エルザは近くの湿原へと散歩に出かけることにした。しかし、出がけにオリバーが、雨になるから早く帰って来るようにとエルザへ声をかけていた。
「こんなにいい天気なのに?」
「ああ。山の天気は変わりやすい。おそらく昼には雨になるじゃろう。あまり遠くへは行かないほうがいい。傷が濡れるといかんからな」
「わかりました。お昼までには戻るようにします」
そう言って、エルザは山の散策路へ入っていった。小鳥が鳴き、そよ風に木の葉が揺れる。木々の間からは木漏れ日が差し込み、エルザの気持ちをクリアにしてくれる。
「こんな穏やかな日なのに、本当に雨なんて降るのかしら?」
エルザは信じられないといった風に、青い空を見上げた。だが、オリバーの言ったとおり、小屋へ戻る帰りに雨がポツリ、ポツリとエルザの頭へ落ちて来た。
「あ! 降ってきた!」
エルザは思わず駆けだしていた。
エルザが小屋まで戻って来ると、玄関ではジョーが待っていて、エルザを出迎えてくれた。ジョーは薪割りや建物の修繕など忙しく働いているのだったが、雨が落ちてきたので屋外での作業を止めたようである。
「傷を濡らすと良くないぞ、エルザ。大丈夫か?」
「ええ、今、降ってきたとこだから!」
そう言いながら、エルザは小屋の中へと駆けこんできた。そして、頭を振って髪に付いた雫を払い、ハンカチで顔や手を拭いた。
「ふう……オリバー様の言う通りね。朝はあれだけ晴れていたのに、まさか雨が降るなんてね」
「長年、住んでいると、なんとなくわかるんだろう。俺が薪を割っていると、雨が降るから屋外作業は朝のうちだけするよう言われたよ」
「そうなんだ。不思議だわ」
そう言いながら、2人は小屋の中へと入って行った。
2人が奥の部屋へ向かおうと廊下を歩いていた時、奥の部屋からオリバーが出てきた。
「あ、オリバー様」
エルザが笑顔で声を掛けた。
「エルザ……ほら、ワシが言ったとおりだろう? 雨に濡れなんだか?」
「少しだけ雨に会いましたが、もう小屋の前だったので大丈夫です」
すると、オリバーはニコリと笑った。
「……お主たち、良かったらこれからワシと茶でも一緒に飲まんか」
オリバーの誘いに、エルザが断る理由などなかった。
「はい、喜んで……」
「じゃあ、いつもの部屋へ行こうか……お主たちには、ヤタガルの証に関わった者として色々と話しておきたいことがあってな」
オリバーは、そう言うと、カミルにお茶を入れるよう声を掛けて、応接室へと入って行った。
エルザとジョーは、顔を見合わせてから、オリバーの後へと続いた。
オリバーは以前と同じ椅子に腰を下ろして、エルザたちにもまた、椅子に腰かけるよう勧めた。エルザとジョーが椅子に腰を下ろした時、カミルが茶を入れたポットを持って入ってきた。そして、その茶を木のコップに注いでそれぞれの前に置くと、自身はオリバーの後ろに立った。
オリバーは、一口茶を飲むと、コップを置いてエルザたちを見た。
「昼からはこの雨じゃ……みんなで話をするいい機会だと思ってな」
オリバーはそう言うと、茶を一口含んでから飲み込むと、ヤタガルの証について、語り始めたのだった。




