第74話 神の廊下
エルザとジョーがブラストに着いたのは、洞窟を出てから3日後のことだった。ジョーが回復したばかりだということもあって、のんびりと馬車旅をすることにしたためである。
追手に追われることもなかったし、期限のある旅でもないので、2人は久々に頭をからっぽにして馬車に揺られることにしたのだった。
「こういうのんびりとした旅もいいものだな」
ジョーがそう言うと、エルザは頷いた。
「そうね……。今は、何も話すことがなくても、なんだか楽しいもの」
エルザはそう言って笑った。
今の2人にとっては、何事もなく……誰にも干渉されない馬車の上は、このうえなく楽な場所なのだろう。色々なことがありすぎた2人にとって、この馬車旅は、久々にのんびりと過ごせた時間なのだった。だが、そんなゆっくりとした馬車旅でも、少しづつは目的地へ近づいていく。そして、ついににはブラストへ到着した。
目的地へ着いたのに、なんだか残念なような……なんとも複雑な気分の2人だった。
「ブラストの町って、結構大きいのね。ゴントくらいの、小さな村だと想像していたんだけど」
「お前の生まれ故郷は、ここよりも田舎なのか?」
「そうよ。買い物が出来る店は1ヶ所しかないし……あっ! もしかして、田舎者だって馬鹿にしてる?」
エルザが笑いながらそう言うと、ジョーは真面目に首を振った。
「そんなことはない……俺の故郷は何もない、自給自足の小さな村だからな」
「そうなの? てっきりリールで生まれ育ったのかと思ってたわ」
「リールはたまたま流れついた先だ。俺の村は盗賊に襲撃されて消え去ってしまってな……辛うじて生き残った俺は、生きるために必死だったんだ……。だが結局はその憎くいはずの盗賊の一味に、自分がなってしまっているという皮肉な結果になってしまったのだがな……」
すると、エルザは申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「そうだったのね……変なこと聞いてごめんね」
「いや、いいんだ。いつかは話しておこうと思っていたから」
そう言いながら、ジョーは空を見上げた。
「遠くに嫌な雲が出ているな」
「なに? 雨でも降りそうなの?」
「いや、すぐにではないが、2、3日中には雨になるかもな……」
「そういえば、もうすぐ雨期に入るわね……出来れば、本格的に雨期が訪れるより前に、オリバーって人を探し出したいわね」
「だが、ブラストにいるという情報以上に、何の手がかりは何もないのだろう?」
「ライトハルトさんから、ブラストにある魔道店具の住所を聞いているから、とりあえずはそこに行けばいいと思うのよ。でも、そこにオリバーさんがいるわけではないらしいから」
「ブラストに行っても、必ずしも会えるとは限らないわけか。……だが、とりあえずは、それしかないな……宿を押さえたら、その魔道具店を訪ねてみよう」
2人はそう言いながら、町の中へと入っていった。そして、宿へ馬車を入れて荷物を置くと、すぐさま町へと繰り出していった。町へ出て昼食を取った際、店の人に魔道具店のことを聞いてみると、ブラストの町に魔道具店は1ヶ所しかないらしい。
「意外と早く見つかったな」
ジョーがそう言うと、エルザは首を振った。
「まだよ。多分、ここからが難しいんだと思うわ」
エルザはそう言って、背筋を伸ばして真剣な面持ちで考え込んでいた。
2人が入ったお店はオムライス専門店だった。薄く焼かれた卵焼きにくるまれたケチャップライスは、ほどよく酸味と甘味があって美味しかった。
食事を終えた2人は、教えてもらった魔道具店へと向かった。魔道具店は、意外にもすぐに見つかった。表通りから少し入った静かな場所にあり、「ブラスト魔道具店」という看板が上がっていた。
「入るわよ……」
「ああ」
そう言って、2人は店の中へと入っていく。エルザが木の扉を押すと、キーッと軋んだ音を立てた。店の中は薄暗く、店員の姿は見当たらない。エルザとジョーは、店の奥へと足を進めた。
「すみません! 誰かいませんか?」
エルザはしばらく様子を伺いながら、近くにある魔道具などを眺めていた。店内が暗いこともあるが、ガムランで見た魔道具店とは、品揃えも店の雰囲気も大きく違って見えた。
しばらくすると、建物の奥から足音が聞こえてきて、やがて奥の扉から一人の男が現れた。やせ型の真面目そうな男である。
「はい、いらっしゃいませ、今日はどのような品をお探しで?」
男は静かな口調でそういうと、エルザとジョーを交互に見た。
「申し訳ないけれど、私たちは買い物に来た訳ではないのよ。……実は私たち、オリバーという方に会いたいのですが、ご存知ないでしょうか」
エルザがそう言うと、男は一瞬ハッとしたような顔をした。
「さあ……そのような方は存じませんが……」
男はそう言って言葉を濁した。エルザは想定内の答えだと理解したうえで、一通の手紙を取り出しながら言葉をつづけた。
「私たちは怪しい者ではございません。ガムランのラインハルト氏の紹介で、こちらを訪ねたのです……こちらがその書状になります」
そう言って、手紙を手渡した。
「これは……」
男は手紙を受け取ると、失礼、と一言断りを入れ、封を切って手紙を読み始めた。そして、読み終わるとそれを畳んで封筒へと戻してから懐へとしまった。そして、なぜかニヤリと笑った。
「大変失礼しました。私はオリバーの弟子でカミルと申します。師宛の手紙は開封して中身を確認するよう指示されてますので、手紙を改めさせて頂きました。……で、エルザ様はヤタガルの証を宿しておられるとか……。念のため、確認させて頂けますか?」
カミルにそう言われ、エルザは右腕をまくってヤタガルの文様を見せた。カミルは、その文様をマジマジと観察していたが、何かの特徴を見つけたのか、目を見開いて驚いていた。
「これは……」
カミルは、口にこそ出さなかったが、本物だということがわかったのだろう。カミルは姿勢を正してエルザの方へと向き直った。
「実は、これまでにも、ヤタガルの証を墨で描くなどして、オリバー師へ面会を求める輩が何人もいたもので……。ささ、詳しいお話は、奥の部屋で……」
カミルはそういうと、2人の先に立って奥へと歩いて行った。そして、広いリビングに案内すると、そこにあったソファへ腰掛けるよう促した。
カミルは湯を沸かして紅茶を入れ、テーブルに置いた。
その間、エルザとジョーは立ったまま待った。カミルがテーブルに戻ってきて、腰を下ろす際に着席を即したので、カミルが着席するのに合わせて、2人は腰を下ろした。
「エルザ様……実は先日、ライトハルト氏より手紙を頂いておりまして、もし、エルザ様がお見えになった場合は、オリバー様の元へとご案内するよう申しつかっているのです」
エルザはライトハルトがそんな手紙を送っていたとは知らず、少し驚いていた。
「そうなんですか? それではオリバー様に合わせて頂けますか?」
エルザがそう問いかけると、カミルはもちろんとばかりに頷いた。
「ええ、明日にでもご案内しましょう」
それを聞いて、エルザは怪訝そうな顔をした。
「明日? 今日ではなくて?」
するとカミルはもっともだという顔をして言った。
「はい。今日は一旦宿へお戻りになって、明日朝4時頃に、この店の前へ集合してください。……オリバー師はここから馬で1時間、そこから徒歩で8時間かけた先の、小さな小屋に住んでおりますので」
それを聞いて、エルザはとても驚いていた。
「そんな遠くに?」
「ええ。オリバー師は、普段は簡単に会える人ではないのですよ。本来であれば、お伺いを立てて、了承を得られるまで往復2日はかかるのです。今回はライトハルト氏が事前に手紙をくれていたのでスムーズにご案内出来るというわけなのですから」
それを聞いてエルザはライトハルト氏に感謝していた。今のエルザたちは、特に急ぐ必要はなかったのだが、できるだけ早くオリバー氏に会いたかったからである。
「それはそれは、お骨折り頂き、恐縮です」
「いえいえ。……それと道中はかなりの山道となりますので、今、お召しの恰好ではとても行けない場所でございます。鎧など登山に無関係なものはできるだけお持ちにならないようお願いします」
「わかりました。では、どういった服装が良いのでしょうか?」
「表通りの先に服屋がございますので、山での活動に適した服をご購入いただく方がよいと思われます」
「わかりました。それではこれから服屋に行って、山行きの服を買って参ります」
「ええ、そうしてください。ではまた明日……この店までお集まりください。馬や登山道具などはこちらで用意しておきますので」
そういうと、カミルはニコリと笑顔を見せた。
「カミルさん、それでは明日、よろしくお願いします」
エルザとジョーは、そう言って店を出たのだった。
◆
翌朝、一行は日のあがらないくらいうちから出発した。
エルザとジョーは、鎧等の防具は一切身に着けず、山歩きに的した動きやすい服装を身に着けている。ただ、普段使用している武器だけは、背中に担ぐ形で所持していた。エルザは剛鉄剣、ジョーは2挺の斧である。
馬で2時間ほど走ると、草の生い茂った広場へと到着したので、カミルはそこで馬を降りた。
「ここからはかなりの急こう配を歩きますので、馬はここへ置いていきます」
カミルはそう言うと、大きめの背嚢を背負って歩き始めた。
そこからの2時間は、少しの緩みもないくらい、キツい登りが続いていた。そんな登りでも、エルザとジョーは根を上げず、スタスタと登ってくるので、カミルは感心して言った。
「お二人とも流石ですね……これほどスタスタと登ってくる人はなかなかいませんよ」
「剣で鍛えているかしらね? このくらいは大丈夫よ」
エルザがそういうと、カミルはニコリとした。
「この坂は別名「朝市」と呼ばれていましてね……ブラストの朝市は、いつも混雑して前に進まなくなるんですが、この坂もあまりにもキツさに足が止まって渋滞することがあるんです。それを朝市に例えているんですが……まあ、そのくらいキツイ坂だということですよ」
「確かに、今まで歩いたことのない斜度の坂なのは確かだな」
ジョーは汗を拭きながら言う。
でも、それももう少しです。ここを上がれば今度は下りになります。下り切ったら、渓谷に入ります。そして、その渓谷の行きつく先にある小屋にオリバーはおります」
「では、まだまだですね……」
「ええ。まだまだたっぷりと6時間は歩くでしょうね……」
エルザとジョーは、カミルの言葉に肩をすくめていた。
その後、2時間ほど歩くと、川の音が聞こえだした。
道は段々と緩やかになり、上り下りのない平坦な道へと変わっていた。
そして、急に木々で囲まれた景色が切れたかと思うと、雄大な渓谷が目の前に現れたのである。
一筋の渓谷の、両側に切り立った垂直の崖。その渓谷は、まるで大地に刻まれた一筋の溝のように、山の奥地へと延びていた。見上げるとすぐ空であり、見下ろすと遥か下に河原が見え、透き通った川の流れが、青々とした美しい色合いを見せていた。
「うわあ、凄いわね」
エルザは思わず感嘆の声を上げた。そして、ジョーもこの見事な景色に心動かされたようだった。
「ああ、とても素晴らしい景色だ」
2人の反応に、カミルも満足気だ。
「中々の景色でしょう? 両側に切り立った崖があって、真ん中に渓谷の流れがあるんです。この姿が巨大な廊下のように見えることから、神の廊下と言われているんですよ」
「へぇ……神の廊下ね……確かに、この大きさを見れば、神の歩む道のように見えるわね」
「そうでしょう。ここから先は、崖を削って作られた道を歩くことになります。少し険しくなりますよ」
「崖を削ってるんですか?」
エルザは驚いて聞いた。
「ええ、削るというか、くりぬいているというか……ほら、見えて来ましたよ」
カミルの声にエルザが前を向くと、崖をくり抜いて続く道のようなものが見えた。そしてその道の崖側にには太い鎖が張られていて、通る人はこの鎖を掴みながら、ゆっくりと進むそうである。
「もちろん、すべての道がこのように崖を削ったものじゃないんです。普通に歩ける道があればそこを通りますし、崖から張り出すように作られた木道のような箇所もあります」
「河原を歩いた方が楽な気もしますが……」
「確かにそうなんですけどね……、その雄大な景色を眺めながら歩くのも楽しいと思うのですが、この先に大きな滝があるんですよ。それに、悪天候の際は急激に増水するのですが、なにせ両側が崖でしょう? 逃げ場がないので危ないんですよ」
「それで、こんな手間をかけて、崖に道を掘ったのですね……」
「そうなんです。……昔の人は本当に、コツコツと大変なものを作りなさる……それでは参りましょうか。万一、落下の危険を感じたら、お渡ししたベルトから伸びているロープの先についているフックを、岩についている鎖にかけてください」
「わかりました」
エルザはそういいながら、試しにフックを鎖へ引っかけてみる。
フックの先端には、外れどめがついていて、一度、鎖の輪の中にフックを引っかけてしまうと、外れないようになっている。
「なるほど、これなら安全ですね」
「うまく考えられているでしょう。このブラストの職人が考えたものだそうです」
そんな話をしながら、一行は崖をくりぬいた鎖のある道を歩き始めた。
それから数時間歩いた時、突如、馬車1台分ほどの広さの休憩場が現れた。カミルはそこで、背中に背負った荷物を下ろして、飲み水を取り出した。
「少し休憩しましょうか」
カミルの言葉に、エルザとジョーは頷いた。ただ武器と飲み水、非常用の食料程度の荷物しかない2人と違って、カミルは師への差し入れなど大荷物を背負っているのだから、その疲労はかなりのものだろうと思われた。
エルザは水を少し飲んだ後、周囲を見回すと、すぐ横にぽっかりと黒い穴が開いていて、そこから鎖が垂れ下がっているのが見えた。
「カミルさん、この穴はどこかに通じているのですか?」
エルザがそう聞くと、カミルは頷いた。
「このトンネルを上がると鍾乳洞がありましてね。そこを通り抜けて登山道に出ると、先ほど馬を置いていた場所へ出ることができます。でも、距離的に遠回りですし、魔獣が出るんですよね」
「それで、カミルさんはこの、崖道を使っているんですね」
「ええ、そうなんです。……さて、行くとしますか。崖道はもうすぐ終わりで、そこもう少しで到着です。ここからは休憩なしで、一気にオリバー師の小屋まで向かいますよ」
そう言うと、カミルは大きな荷物を背負ったので、エルザとジョーも立ち上がり、カミルに続いて歩きだした。しばらく行くと、カミルの言う通り崖道が終わって、河原歩きへと変わった。両側が崖になっているのは変わりないのだが、増水時に危険が増す河原を歩くということは、それを気にするまでもないくらい、目的地が近いということなのだろう。
しばらく歩くと、川の出合いにぶつかった。
崖は左右に分かれていて、左の川には吊り橋が架かっていた。そしてその吊り橋の先、つまり、川の合流点であるY字の角に、オリバーの小屋があった。
「エルザさん、あそこがオリバー師の住む小屋ですよ」
カミルはオリバー氏の小屋を指さすと、階段状になった崖をひょいひょいと登って吊り橋の脇へと上がった。エルザとジョーもそれに続く。そして3人はゆらゆらと揺れる吊り橋を渡った。
「先生、先生いますか!」
すると、小屋の中から1人の老人が現れた。
「カミルか?」
老人はカミルをチラリと見た後、エルザとジョーを見た。
「彼女がエルザ殿か?」
「はい。昨日、ライトハルト氏の紹介状を持って店に来られました。証を確認しましたが、おそらく本物だと思われます」
カミルがそう言うと、オリバーは頷いた。
「そうか……詳しい話はまた後で聞こう。みな、道中ご苦労だったな。まぁ中に入りなさい」
オリバーはそう言って、部屋の中へと入って行き、カミルがそれに続いた。
(いよいよ、この証を取り除くことになるのか……)
エルザはそう思うと、緊張で胸がドキドキしていた。
「ジョー。入りましょう……」
エルザがそう言うと、ジョーは軽く頷いた。そして、2人はオリバーたちの背中を追って、小屋の中へと入っていくのだった。




