第67話 控室にて
エルザはジョーを背負って走った。
とにかく、この臭くて甘い匂いのするこの場所から離れたかった。
「それにしても重いわね! 帰ったらたくさん、お菓子を奢ってもらわないと!」
エルザはそう言いながら、自分の馬のいる場所へと走っていく。
しかし、ジョーを背負って全力疾走したせいか、随分とガスを吸ったようである。
エルザは、走りながらえずきだし、とうとう、途中で吐いてしまった。
「ううう……」
エルザは涙と鼻水を垂らし、口から吐瀉物を吐き出しながら、ジョーを背負って走っていく。その姿は百年の恋も冷めるであろう酷い姿だった。
エルザは、随分とガスを吸ってしまい、目の前がふらつくのを感じていた。意識が途切れそうになるのを堪えながら、エルザはなんとか、自分の馬の元へとたどり着いていた。
「駄目よ……ここで倒れちゃだめ……」
エルザは自分のお尻を強烈につねった。
「痛ってえっ!」
痛みで涙を流しながら、エルザは歩いていく。
そして、馬の背をまたぐようにジョーを腹ばいに乗せると、エルザは鎧に足をかけて、立ち乗りをしながら、馬を前に進ませていった。
それからというもの、エルザは頭がグルグルと回りだし、馬の背に乗りながら、胃液を吐き出していた。エルザは馬から落ちないように手綱を胸元に引き寄せて掴み、自分の頭は鬣に頭をつけた。
そして、いつの間にか、意識を失っていたのである。
◆
ジョーは、あれから3日3晩、眠り続けた。
ジョーは眠っている間、常に脂汗を流し、眉間に皺を寄せてうなされていた。夢の中で、カスケードや亡霊たちと戦っていたのである。
夢の中で繰り返される、ジョーへの攻撃。
抵抗できない状態のまま、何度も殺され、また蘇ることが繰り返される。
「ジョー! お前はいつこっちに来るんだ?」
「お前が生きている限り、俺たちはお前を呪い続けてやるぞ!」
「ジョー! おい! いつものように、俺たちを斬ってみろよ!」
「ジョー! ジョー! 返事をしろよ! ジョー!」
ジョーは夢の中で、亡者に殺され続け、もがき続けた。
「ああ! 誰かこの悪夢を終わらせてくれ!」
そう叫んだ時、誰だか自分を揺さぶる者がいる。
「ジョー! 大丈夫? ジョー!」
ジョーが目を覚ますと、ベッドの脇にはエルザが膝立ちになって横にいた。
「ジョー。目が覚めたのね?」
「ここは?……俺はあの悪魔教男爵に殺されかけていたはずだが」
「こっちはメラーズの屋敷に着いたっていうのに、ちっとも追いついてこないから心配になって戻ったのよ。だってあなた、こんなに戦いが長引くことなんて、今まで一度も無かったから」
ジョーは、エルザの顔をぼんやりと眺めた。
「……そうか、今度はお前が俺の命を救ってくれたんだな……」
すると、エルザはニッコリと笑った。
「そうよ。だから、これでおあいこだわ」
ジョーは、その笑顔に見惚れていて、ふと、我に返って俯いた。
「ああ、おあいこだな」
「それで、あそこで何があったの?」
エルザにそう聞かれて、ジョーは眉間に皺を寄せた。
「ああ。あの男は悪魔教デスモンの信者で、呪いを扱うと言っていた。風鈴を鳴らし、香を焚いて怪しげな儀式を行っていたが、その直後、俺がこれまで殺した人間の亡霊が現れて、罪を償えと迫って来たたんだ」
「亡霊? 私が駆けつけた時には、あの男以外に誰もいなかったけど?」
「やっぱりそうなんだな。おそらく、俺は奴の術中にはまり、幻覚を見せられていたのだろう」
「幻覚? それって対処できないものなの?」
「いや、本当は誘導される前に斬るべきだったのだ。それが、つい話を聞いてしまった」
「何か、気になる話だったの?」
ジョーは、俯きながら、しばらく悩んでいたが、顔をあげると話しはじめた。
「……俺は、自分の才能が戦闘しかないことに、とても悩んでいたのだ。心の奥底では、人など殺さず生きていきたいと思っていた。だから、人を殺して生きていることに罪悪感を感じていたんだ。その罪の意識をうまく刺激された。……こんなこと、言い訳にもならんがな」
ジョーは、項垂れた。
「俺は、罪を償うために、死んでもいいと暗示を受けたんだろうな。途中で幻覚だと気付いたがもう遅かった。焚いていた香はおそらく薬物だったのだろう。俺は随分とその薬物を吸ってしまったからな。もう立っていることも出来なかったよ」
ジョーはそう言って、体中に走るミミズ腫れのような傷を見せた。
「見ろ、この傷を。……幻覚でも剣で斬られると本当に痛いのだ。そして、現実の体にもこうして作用している。恐ろしい技だった」
「そうだったのね……道理でなんか臭いと思ったわ。でも、あなたが斬られそうだったから、すぐに斬ったけど」
ジョーは、それでいい、と言うようにコクコクと頷いた。
「でもねジョー。これからは人を殺さなくても生きていけるわ。あなたは、国を危機から救った英雄なんだもの」
「英雄だって? 俺がか?」
「あなたが眠っている間にセラス様から聞いたのだけど、今回の功績が認められて、エスタリオン王に私たちが謁見することになったのよ」
「えっ! それは大丈夫なのか?」
「何が?」
「いや、俺みたいな盗賊が、王と謁見なんて」
「何言ってるのよ。あなたはベルメージュを倒し、帝国軍を追い払った功績者なのよ? その褒賞として騎士爵が授与されるらしいわよ」
そんな話を聞いて、ジョーは信じられないと言った顔をした。
「俺はただ、お前に頼まれて手伝っただけだぞ。国のためなんて考えてない」
「そんなことは関係ないの。あなたの行動の結果が、騎士爵というものに繋がったのよ」
ジョーはまだ、信じられないといった顔をしていた。
「エルザ。俺はまだ、薬物で頭がおかしくなっているのではないか?」
そんなジョーを見てエルザは笑った。
「もう、盗賊に戻らなくてもいい。……ジョーデンセンって本名なのよね?これからは銀狼のジョーではなく、騎士ジョーデンセンとして生きて……」
ジョーは、エルザからもたらされた、新しい未来の提示に心踊った。まさか、自分の未来にこんな幸運が開けていたとは.思ってもいなかったからである。
ジョーは思わず、涙を零していた。
◆
それから数日後、ジョーとエルザは馬車に乗って王都へと向かった。馬で行けばもっと早かったと思うが、馬車にしたのはジョーの体調が優れないからである。
ジョーは、あれからも悪夢を見るので、精神的に疲れているようだ。そして、幻覚で受けた傷痕もなかなか癒えないからである。
今回の謁見では、セラスやメイスをはじめ、エルランディ王女の治療薬を持ち帰った功績と、ボーマンやメラーズの企みを打ち砕いた功績について褒賞がなされる。
エルザやジョーの他にも、シンディやアルマ、ザカ、エイミーにも褒賞が出るらしい。
その他にも、リールやガムランの領主や騎士団、それと、この件に関わって命を落とした騎士たちの遺族へも褒賞が送られることとなった。
ただ、セドリックだけは褒賞を辞退した。
エルザは知らないが、セドリックは、自分の分は弟子のエルザとジョーに回すようにと、エスタリオン王へ伝えたらしい。
エルザもジョーも、王都へ来たのは初めてだった。まず、建物の大きさに驚かされた。遠くからでもそれとわかる大きな城。それを取り囲む城壁も、王都の街に建つ建物も、どれも高く大きかった。
エルザにとって、目に入るものの、何もかもが珍しく思えた。
エルザたちは、セラスが用意してくれた宿へと向かった。そして、そこにはシンディにアルマ、エイミー、ザカが宿泊していた。
「おう、来たかエルザ!」
「エルザ、長旅お疲れ様!」
「エルザもジョーも、つかれたでしょ?」
「お疲れ様です、エルザさん」
みんなのお出迎えに顔を綻ばせたエルザは思わず立ち上がって手を振っていた。
「みんな、会いたかった!」
エルザはそう言って馬車から飛び降りると、みんなの元へ駆けて行った。
そして、キャッキャと飛び跳ねながら、再開を喜びあっていた。
「ねえ! みんな王都で何をしてたの? 何かいいお店とかあったら連れて行ってよ! 私、王都に来て、とても驚いているのよ。それでね、どんな珍しいものがあるのかなって、気になって仕方がないのよ」
「それならみんなで食べに行きましょうよ」
「ええ、いいわね!」
そう言って、ジョーの方を振り返った。
ジョーは、今の話を聞いていたのか、ゆっくりと首を振った。
それを見たみんなは、エルザの顔を見た。
「まだ、体調が戻らないらしいのよ」
エルザはみんなにそう説明すると、ジョーに向かって言った。
「私、ちょっと出かけてくるから、お宿でゆっくりと休んでいてね!」
そう言うと、ジョーは手を上げてエルザに答えた。
◆
翌日、王城から迎えの馬車が訪れた。
いよいよ謁見の日がやって来たのだ。
「いよいよね、ジョー」
エルザはそう言って声をかけるが、ジョーの体調は全くと言っていいほど良くなく、ただ頷くだけであった。
王城につくと、平民の我々は、城に勤める執事の1人に礼儀作法について教わった。
なかなか肩苦しくて、面倒くさい所作だったが、王としても平民だと知っているから、いちいちとがめたりはしないから安心するように言われた。
「緊張するわね、エルザさん」
エイミーが身を固くしてエルザを見る。
「大丈夫よ。命を取られたりはしないわ」
エイミーやシンディ、アルマは少し緊張しているようだが、ザカは平気そうだった。
「ほら、ザカは少し慣れているから、わからなくなったら、ザカがどうやってるか見ればいいのよ」
そう言って、エルザは笑った。
エルザは思った。
(もし、いつかエル姉の護衛騎士になったら、私はこの、大きなお城で働くの?)
そう思うと、エルザの頭はクラクラしてくるのだった。
謁見の間に入る前に、一同は、今回、褒賞を受けるものが待つ控えの間に通された。そこにはリールやガムランの領主を中心に、騎士団の貴族たちが集まっていた。
エルザたちは平民で、このような雰囲気に慣れていないため、部屋の端の方で固まって、その光景を眺めていた。
貴族の生活は面倒くさい……。
いつもセドリックはそうこぼしていた。
今のエルザには、なんとなくセドリックの気持ちがわかる。しかし、セドリックは伯爵家の出で、剣聖なのだ。平民のエルザとは比較にならないほど、気分は楽なはずである。
それと比べれば、エルザたちの尻の座りの悪さといったらない。
そんな緊張に包まれた平民の集団に、1人の男が近付いてくる。
そして、エルザの前で立ち止まった。
エルザは、その男の顔を見上げた。
上品な貴族の男である。
「おい、お前……闇の銀狼のジョーだろ?」
男の急な発言に、エルザは凍り付いた。
ジョーは返事をしなかったが、代わりにエルザがそれに応えた。
「お貴族様。彼はその、銀狼のジョーとかいう男ではございません。彼の名はジョーデンセンと言って、メラーズ男爵の捕縛や魔女ベルメージュ討伐し、王国のために体を張った男でございます」
エルザがそう言うと、その貴族はギロリと睨みつけた。
「女!お前には聞いていない! 俺はジョーに聞いているんだ!」
貴族の男はそう言うが、ジョーは黙っている。エルザはジョーが体調不良なのを知っている。
「お貴族様。この男場バクスター家のセドリック様もセラス様もよくご存知な男なのです。お戯れはおやめください」
エルザはそう叫んだ。
だが、それはかえってそのお貴族様を激昂させてしまった。
「なんだと! バクスター家は盗賊を匿うって言うのか!」
「ここは、王様との謁見の控え室ですよ! 私はたちは平民ですが、この場で揉め事を起こそうとするあなたこそ、王を侮辱した行為なのではありませんか!」
ロイドはそんなエルザを見下すように睨みつけると、苦々し気に言った。
「知らないのか? 数日前、メラーズ制圧部隊の中に、闇の銀狼のジョーという男が紛れ込んでいるという、タレコミがあったのだ。それを聞いた三日月湖で散った騎士たちの家族から、リールの騎士団へ相談があったのだ。もし、それが本当だったら、この場で確認して欲しいとな」
この口論によって、人が集まり始めた。
本来、静かなはずの控え室が、2人の怒声が響き渡るために、誰もが意識を向けざるを得なかったのである。
「ロイド、ここは謁見のための控え室だそ。何を騒いでいるんだ」
「はっ、領主様……この男のことで、少し素性を問いただしたいことがありましたもので……」
「それなら謁見の後でも良いではないか。なぜ、今ここで諍いを起こす必要があるのだ?」
「そりゃ、そうですよ! この男こそ、闇の銀狼の殺し屋、ジョーなのですから!」
ロイドそう叫ぶと、周囲を取り囲んでいた貴族がざわつきはじめた。
それもそのはず。
彼らはジョーが三日月湖で殺した、騎士たちの親や兄弟たちなのだから。
「迂闊なことを言うんじゃないぞ、ロイド! ここは謁見の間の、控え室なのだぞ!」
「ええ! 間違うことなどあるもんですか! 私はリールの街の現・騎士団長なのですよ! リールの治安を預かるものとして、最も危険な人物、それがジョーなのです。他の者を見間違うことはあっても、ジョーの顔を見間違うことはありません!」
まさか。
エルザにとって、まさかの展開だった。
彼がこのまま騎士爵についたら、何もかもうまくいくはずなのに。
このまま彼を世に放って、また盗賊団に戻れと?
それともこのまま拘束して、死罪にするのか。
そんなことになれば、彼をここへ連れて来たエルザは、どう彼に詫びればいいのか。まるでジョーを罠にかける手先として利用されたような気分だった。
「とにかく、セラス様を! 事を性急に運ぶのはおやめください!」
エルザは必死だった。
貴族の知り合いは、セラスしかいない。セラスに見放されたらもう終わりである。
「そうだ、セラス様を呼んでこよう。私の兄は、彼女の依頼で三日月湖へ赴き、そこで死んだのだ。彼女がその時の張本人、ジョーを許すはずがない!」
「そうだ、セラス様を連れてくるのが一番いい」
「おい、誰かセラス様を呼んでこい!」
エルザは青くなっていた。
確かに、ジョーデンセンを騎士爵に推薦さたのはセラスである。
だが、セラスはあの、銀狼のジョーと、このジョーデンセンが同一人物とは知らない。
もし、セラスがそれを知ってしまったら、一体、どうなるのか。
これまでの態度とは打って変わって、捕縛に走るかもしれないのである。
エルザには、これからどんな未来がやってくるのか想像もつかないのだった。




