第66話 悪魔教男爵
エルザ達が逃走した後、駐屯地から追っ手が来ることはなかった。
メタルホーネット騒ぎで、エルザに気付いた者すらいなかったのかもしれない。
そのため、必死の形相で逃げてきたエルザは、なんだか拍子抜けがしたような気分になっていた。
「では、お前は追っ手が来て欲しかったのか?」
ジョーがそう尋ねると、エルザは首を横に振った。
「そうじゃないわよ。私、これでも相当気を張っていたから、なんだか緊張の糸がプッツリ切れちゃって」
「まだ、緊張の糸を切るんじゃない。ようやく国境を越えたって所だぞ。メラーズの屋敷まではもう少し距離があるからな」
「わかってるわ。でも、追手が来たらあなたが担当でしょ? そう思うと余計に気が緩んじゃうのよ」
「それなら代わってやってもいいんだぞ? 緊張感のないのは駄目だ。森の中から毒矢でも放って来られたらどうする? そんな所まで面倒見切れないぞ」
そう正論で問い詰められると、エルザも言葉を失ってしまう。
「はーい、ちょっと気合入れまーす」
「大丈夫か? なんだか最近、緩んでるぞ!」
ジョーとエルザがそんな会話をしていると、アルマが声を上げた。
「エルザ、あれ」
アルマが指差す方向に、なにやら変な色をした男が一人で立っていた。赤と黒の禍々しい鎧に派手な兜。手には金色に輝く曲剣を持っている。
「何者なの?」
「……わからん。だが、おそらく敵だ」
そういうと、ジョーはエルザの前へ出て、腰に付けたホルスターから斧を2挺取り出した。そして、馬首に姿を隠しながら前へ飛ばしはじめた。
「エルザ! アルマを連れて先に行け。こいつは俺が相手をする」
「わかったわ! ……ジョー! 適当にあしらって、追いかけてきて!」
ジョーはそれにひとつ頷くと、先へ走って行った。
「……アルマ、隠ぺいの魔法をお願い」
「うん、わかった」
アルマが隠ぺいの魔法を発動させると、アルマやエルザ、そして馬までもが認識阻害されてわからなくなった。
ジョーはその赤黒の鎧男へ接近すると、一振り斧を振り下ろした。
「むん!」
ガキン!と刃と刃がぶつかり、火花を飛ばして、男を後方へ弾き飛ばした。
そして、その隙にエルザたちは男の脇を抜け、ジョーは馬から飛び降りて着地していた。
ジョーが振り返ると、赤黒の鎧男はすでに体勢を整えてジョーの方を見ていた。手には金色の風鈴を持っており、チリーン、チリーン……と打ち鳴らしている。
「ほほほ、いきなり攻撃してくるとは中々、お気が強い……」
赤黒の鎧男は甲高い声を上げる。ジョーは男と言葉は無視して話を進める。
「俺たちに一体何の用だ」
話の途中でありながら、チリーン、チリーンと音を鳴らす。あたりには香を焚くの匂いがしていて、一種の妖しい雰囲気が漂っていた。
魔物寄せの香か? それとも催眠術の類なのか……。ジョーはなにか罠でもある気がして、男に近付くのをためらっていた。
「私の名前は、カスケード男爵と申します」
「その、なんとか男爵が何の用だ? 誰の指図で俺たちを待ち伏せしていた」
「あなたが私共のお仲間になってくれれば、誰が黒幕か教えますよ」
「俺は、お前みたいな変な恰好の男とつるむ気はない」
すると、男はカラカラと笑いだした。
「この恰好が変ですと? 私はあなたのファッションセンスを疑いますな。この恰好は、私の崇拝する神・デスモンの信徒である証。変だとおっしゃるのは信仰心が足りない証拠ですぞ」
それを聞いて、ジョーは鼻で笑った。
「何がデスモンだ。世にも有名な悪魔教ではないか」
「それは偏見です。敵対宗教のことを悪くいうのは世の常。女神教信者の皆さまはすぐにそういう、悪意を込めて我々を語りたがるんですよ、ジョー」
名前を呼ばれて、ジョーは露骨に顔を顰めた。
「なぜ、俺の名前を知っている?」
「知っていますとも、私は心の中を読めるのですから」
そういうと、カスケードはチリリ……と風鈴を鳴らした。
「フン! そんな術などあるものか。俺たちの会話を聞いただけだろう」
「デスモン教の教えを知ると、色々なことが出来るのですよ。デスモン教の経典を読むと、魔術の体系とは離れた形で魔素を扱う……そういった実用的なことも学べるのですよ。つまり、我が神デスモンの力によって、強力な力を授けてもらえるわけです」
「つまらん。俺はそもそも魔法というものに興味はない」
「ほうほう。でも、以前のあなたは強くなりたいと、最強でありたいと願っていたではありませんか?」
「今の俺にとって最強など、もうどうでも良いことだ」
「それは残念ですな。デスモン教の力を借りれば、あなたは最強の称号を手に入れることが出来るというのに」
「耳障りの良い言葉を吹き込んでくるあたりは、まさに悪魔の語り口だな」
「 ……そんなことはないですよ。私はあなたに、自分に正直になって欲しいだけです。あなたはまだまだ最強に拘っている。あのエルザとつるんでいるのも、そのためでしょうに」
エルザの名前が出て、ジョーはキッと睨みつけた。
「黙れ!」
「ほほほ。そう怒らないで。あなたは最強となるために、あのエルザに近付いた。ところが、あなたは、あの女のことが好きになったのでしょう」
ジョーは急にそんなことを言われて動揺してしまった。
「な、何を馬鹿な!」
ジョーの動揺する様を見て、カスケードは甲高い声で笑った。
「ほほほ、わかりやすいお方ですこと。怒るということこそ、図星という証。人の心は口から出る言葉そのままではありませんからな」
「うるさい! 黙れ!」
ジョーは、カスケードの元へと飛んで、斧を振るった。
だが、カスケードは笑みを浮かべたまま煙のように消え、やがて背後に姿を現した。
「ほほほ、何を慌てているのです?」
ジョーは、カスケードを睨みつけた。
「おのれ、……幻術か!」
「そんなものではありません。これは儀式……。デスモン教へ入信するためのね」
「俺はそんなものには入らん!」
「入るとか入らないとか、そういうものではないのです。己の欲望を満たす、実現することを推奨するのが我が神デスモンです」
カスケードがそんな語りを進めるうちに、いつのまにか周囲の空は真っ赤に染まり、大地は漆黒へと姿を変えた。そして森の木々は枯れ果て、風もなく蒸し暑い空気が流れ始めた。
「俺はそんなものを望んではいない!」
「望んではいないだって? そんなことはない……今はあのエルザと結ばれたいと願っているでしょうに」
「うるさい! そんなことはない!」
「ほほほ、ムキになっちゃって……でもね、それは叶わないことなのです」
「なんだと!」
カスケードは、細い目を大きく見開くと、ジョーをあざ笑うかのように見つめていた。
「あなたは、業が深すぎる……だから、あの女は振り向かない……それはね、運命なのです」
「何を、世迷言を……」
「世迷言ではないよ。あなたは業が深すぎる。お前は過去、どれだけの人を殺してきたのか? どれだけの恨みを背負って生きてきたのか?……幾多の命を奪って来た罪深きあなた。……それなのに、なぜ生きている?」
「俺が生きていて何が悪い……」
「生きていることが悪いわけではありません。だが、これまで犯した数々の罪を、あなたはなぜ償おうとしない?」
「償うだって?」
「そう……償い、それはデスモンの神に祈ることです。魂は浄化され、魔力は強化されるのです」
「そんなバカな! インチキ宗教め!」
「ほう、我が神を愚弄しますか……いいでしょう。それでは、あなたがが過去に行ってきた罪の数々を、その目でご覧になるがいい……」
そう言うと、カスケードは風鈴をチリン、チリン、チリン……と鳴らし始めた。
すると、ジョーの足元に漆黒の沼地のようなものが浮かび上がってきて、ジョーの足をとらえた。
「くっ!なんだこれは!」
「ほほほ、この黒い沼はね、罪の沼といいましてね、おのれの罪深さと比例して、底が深くなっているのですよ」
「そんなバカなことが!」
ジョーは頭がくらくらしていた。目で見えるものがまるでなく、あまりにも真っ黒なので、どちら上で、どこか右なのか……そんな感覚もわからなくなっていた。ただ、グルグルと目が舞うような感覚だけが体を包み、ゆっくりと落下していく。
「ほうら、出て来た、出て来た。お前に恨みを持つ者たちが……成仏できずにこの世で彷徨う亡霊どもが」
ジョーは驚愕していた。
沼から湧き出てきた亡霊は、確かに自分が過去に殺したことのある男たちであった。
「そんなバカなっ!」
ジョーは信じられなかった。
その亡霊たちは、言葉を発するでもなく、うー、あー、と呻き声を上げつつ、ジョーへ近づいていく。
「ううっ!来るなっ!」
ジョーは手を払うが、搔き消えることはない。
「来るな!来るなっ!」
亡霊たちは、ジョーを掴んで沼地の奥底へと引きずりこんでいく。ジョーは沈みながら叫んだ。
「これは幻覚だ! 幻覚に違いない!」
「ほほほ、そう思うなら亡霊どもが振るう剣や槍を、避けずに受けてみなさい。お前の肉が裂け、血が噴き出ることでしょうよ」
「うわあああ!」
宙に浮くような、異様な感覚。どこまでも続いているような、漆黒の空間。
そんな不思議な空間の中に、ジョーはひとり浮いていた。
やがて血を振ったようなどす黒い赤の光が発せられ、そこから一人の女が浮かびあがってきた。
その女は、先ほどジョーが殺した首切りユーリであった。
「ジョー! よくも私を殺してくれたわね! あなたも一緒にあの世へ行くのよ!」
そう言いながら、ユーリの左手はジョーの髪の毛を掴んで、右手に持つ剣をズブズブと、肩口から腹の方へと、剣の先で切り裂いていく。
「ぐああああっ!」
痛みは、本当に斬られた痛みだった。傷口は相当深く、致命傷と言うべき重傷である。
血が噴き出し、脈動する心臓が動きを加速させていく。
本当に幻覚なのか? 幻覚じゃなかったら、まさしく死に至る大怪我である。
すると今度は、真っ赤な手甲をした男が現れてきた。さきほど倒したベルクであった。ベルクは片腕がない状態で現れ、片手を伸ばしながらジョーへと近づいてくる。
「よくも……よくも我らを……」
ベルクはそういいながら、ジョーへと抱き着いてきた。1500度もの高熱を帯びた手甲がジョーの身を一瞬にして炭にしてしまう。
「ぐあああっ!」
ジョーは両手を伸ばして、宙を体が燃えて、だんだんと動かなくなっていく。
「まだだ……まだまだだ」
ベルクの背後に現れたのは、ケビンだった。ケビンは真っ赤に焼けただれた顔をしながら、ジョーの元へと迫っていく。
「俺の顔……俺の顔を返せ!」
そういうとケビンは、手に持ったベルクの腕を、ジョーの顔へと押し付けてきた。
「があああっ!」
ジョーの顔がみるみるうちに焼けただれていき、ジョーはそのまま意識を失っていた。
しばらくして目が覚めると、ジョーの体は元通りになっている。
今度は三日月湖の展望所で膝をついて座っていた。
ここは一体……。
ジョーがあたりを見回していると、土の中からボコボコと、王国騎士の軽鎧を着た骸骨や、リール騎士団の鎧を着た骸骨があふれ出てきた。
「ジョー……良くも我らを殺してくれたな……」
そういうと、剣や槍を振るって、ジョーへと斬りかかっていく。
そしてジョーは何も抵抗出来ないまま切り刻まれていく。
「うわああっ! ああっ!」
そうやって、次から次へと、ジョーが殺した人間が姿を現してはジョーを傷付けていく。騎士団や盗賊、地獄の三兄弟……そういった者たちが、かつて自分がされたような痛みを、ジョーの体に刻み込んでいったのである。
長い間斬られ、殺され続けるという永遠の責苦を味わううちに、ジョーの精神はもう、その苦痛に耐え切れなくなっていた。
痛みや、罵り、罵倒……このような負のエネルギーを延々とぶつけられ続け、ジョーの精神は本当に限界を迎えてしまった。
そして、絶望の果てに横たわるジョーの背中から、黒い沼が染み出してきた。
その沼の広がりとともに、ジョーの体はズブズブと沈んでいった。
沈んだ先は、空であった。
それも遥かに高い上空。
そこから地面へ向かって、ジョーの体は落ちていた。
真っ暗な空、荒れ果てた大地。枯れた木々に汚れた川と海が見えた。
あと、数秒もすれば、俺の体はあの荒れた大地に叩きつけられるのだろう。
ジョーはもう、身動きすら取ることが出来なかった。
「もう……終わりだ」
ジョーは死を受け入れつつあった。
前方から、黒い死神の影が近づいてくるのが感じられる。
ジョーは、ボーっとする頭の中で、ぼんやりとエルザのことを考えていた。
「俺は……あの娘が好きだったのか……」
自分の本心に今更気付いたとて、もはやどうすることも出来ないのだが、決闘を申し込むなど我ながら笑える。
地面の木々や川がはっきりと見えるようにまで落ちて来た。
もう、そろそろ、終わり。本当に終わりだ……。
ジョーは、覚悟を決めて、この最後の時を、命の重みを感じていた。そして、エルザのことを考えていた。
「エルザ……」
ジョーがエルザの赤い髪に想いを馳せた時、突然、真っ黒な地面が光輝き始めた。
「何が起こってるんだ?」
ジョーが地面を眺めていると、地面の山々は人の形へと隆起し、顔や胸そして腕などを形作っていった。そして、それは白く輝き、一人の女の姿を映し出していたのだった。
「エルザ!」
その光輝く地面の隆起は、まさにエルザの姿をしているのだった。そして、その女は両手を広げてジョーを見ているように思えた。
ジョーはそれを見て、思わず涙していた。
「エルザ……エルザなのか」
そして、そのまま、胸へとダイブしていったのである。
ジョーが光の中に飛び込むと、そこは、なにか柔らかいものに包まれて、ふわふわと浮いたような感覚だった。
光の中で、キラキラと輝き、虹色の世界へと包まれていく。
数秒前まで、地面に叩きつけられて死ぬと思っていたジョーだったが、神は最後に、こんな天国のような夢を見せてくれたのかと、ジョーは涙を流したのだった。
◆
「ほほほ、ジョーといいましたか。ここまで、心の中に闇を持っているとは思いませんでした」
カスケードは、うつ伏せに倒れるジョーの頭の前に立って、見下すような視線を送った。
「あの、闇の銀狼、最強の戦闘者ジョーが、己の殺しを悔やんでいたとは笑わせる。誰もが敵わぬ戦士のハートが、こんなにちっぽけなものだったとは……」
カスケードは、剣を逆手に持って、ジョーを突き刺そうと構えた。
「さよならです、ジョー。あの世で亡霊と戯れなさい」
カスケードがそうやって剣を構えた時である。
不意にカスケード視界から、己の肘から先が消え落ちた。
「何?」
その瞬間、カスケードの胸に悪寒が走った。カスケードが振り返ると、赤い髪が陽炎のように揺らめいていた。カスケードは、目を大きく見開いて、その女を見た。その女は、剣を大きく振りかぶって、今にもカスケードを、横一文字に斬り裂こうとしていたからである。
「あっ!」
と思った時にはもう、胴は腹で2つに横断されていた。
「あ、あ、あ!」
カスケードの上半身は、地面に倒れて落ちて下半身と離れ離れとなり、血とともに内臓をぶちまけていった。
「お前! お前は!」
カスケードは喉に詰まった血を吐き出しながら、エルザに向かって叫んだ。
だが、エルザはカスケードのことは一切、見向きもしないで、ジョーだけ背中に抱えると、一目散に駆けだしていったのである。
カスケードは、手を伸ばして叫んだ。
「まて! せめてトドメを差していけ! こんなんじゃ、私は……わたしは……」
だが、カスケードの小さな声は、エルザには届かなかった。




