第6話 模擬戦
それにしても、エルランディはとてつもなく自由奔放だった。
セドリックもエルザも、どちらかといえば真面目で、あまりおしゃべりな方ではない。話題だって、だいたい剣の話だ。
ところがエルランディは常にしゃべっている。頭の中で思いついた単語はすべて口から出ているのではないか? と思えるほどだ。
「なあ、エルザよ。この家の雰囲気が変わったな」
「ええ……こっちがよそのお宅へ泊まりに来たみたいだわ……」
そう言って、2人は笑った。
「それにしても、お元気なご様子で良かった。普段があんな調子なので、落ち込む姿を見るのは、ちょっと辛いからな」
「……事情はわからないけど、大変なのね」
「ああ。まあ、お前とは気が合うようで良かった。出来れば仲良くやってくれると有難い。それから寝室を案内してやってくれないか。2階の奥に、空いている部屋があっただろう? エルランディとメリルには、あの部屋を使ってもらおうと思う」
「うん、わかったわ」
そういって、エルザはエルランディのところへ向かった。
エルザは2階の寝室へと案内すると言ったのだが、その提案をエルランディが承知しない。
「その、空いている一部屋はメリルが使うといいわ。私はエルザと同じ部屋で寝ることにするから。エルザだって、きっとそうしたいと思っているはずよ。だって、私と歳が近いんだもの。私たちくらいの年の子は、ずっとおしゃべりしたいものなのよ。メリルと違ってね。それに、メリルも一人で過ごせる部屋がある方がいいでしょ?……」
「いいえ、エルランディ様! 私はただ身の周りのお世話をするだけの侍女ではありません。もしものことがあった場合、私がお側にいてお守りしなければならないのです。何かあった時では遅いのですから!」
「"様"は無しだっていったでしょ? メリル。それにエルザだって、剣聖様の弟子なのよ? 十分強いに決まってわよ。心配には及ばないわ!」
とまあ、そんなやりとりがしばらく続いたが、最後はメリルが妥協して奥の客間でエルザを含めて3人で寝ることになった。
「……私も客間で寝起きすることに……?」
エルザはなんだかよくわからないうちに、自分の寝場所まで決められてしまっていたとことに魂消てしまったが、まあ、それもいいかと諦めて、エルランディの提案に従った。
早速、エルザの部屋からベッドが運びこまれる。部屋には化粧台や衣服タンスなどもあるので、ベッドは3つピッタリとくっつけて並べるしかなかった。そうなると、大きなベッドに、3人で川の字に並んで寝る感じになった。
「あーあ。メリルが一緒だと、エルザとお話がしにくいわ。もっと、秘密の話もしたいのに」
「そんなこと言って、夜更かしするつもりなのでしょう? ほんとにもう……。ここは王都と違いますから、私も堅苦しく言うつもりはありませんが……あまりにも羽目を外されるようなら雷を落としますからね。その辺の節度を持ってくださいませ」
そんなことを言われながらも、結局、エルランディのおしゃべりは止まらず、最後はメリルに雷を落とされることになっていた。
それでもおしゃべりをしたいエルランディは、布団の中に潜って、今度はエルザの耳元でヒソヒソと話を続けた。エルザも、エルランディの珍しいお話がとても面白くて、いつまでも聞いていたいと思っていたのだが、暗い中、長々と2人で話すうちに、いつの間にか眠ってしまうのが常だった。
……そんな何気ない時間。それはエルザにとって騒々しくもあったが、とても楽しく愉快なひとときなのだった。
◆
次の日の朝。
エルザは早くから起きて朝食の準備を整え、庭で朝稽古を始めた。
基本的な型稽古や素振りなどをやっていると、しばらくしてセドリックが起きてきて、エルザと共に素振りなどの稽古を始めた。簡単なことだが、欠かさず毎日続けることが重要だとセドリックは教えている。
稽古が終わると、エルザとセドリックは模擬戦を行った。結局はこういった実戦が一番練習になるのだ。2人が模擬戦をやっていると、エルランディとメリルが庭先へ顔を出した。
「朝稽古をしているなら、私も混ぜて頂こうかしら? こう見えて腕はなまっていないつもりよ?」
エルランディはそういうと、腕まくりをした。
「それではエルランディ様、軽く柔軟運動をしましょう」
メリルはそう言って、エルランディと一緒に準備運動を始めた。
こうして朝稽古には、エルランディとメリルも加わることになった。そして、一緒に型稽古や素振りを行い、体が温まった頃、模擬戦をすることになった。
「じゃあ、エルランディはエルザと模擬戦をやってみるか」
「ええ。もちろんいいわよ? エルザ! 私はこう見えて意外と強いのよ? いくらエルザが剣聖様の弟子だと言っても、まだまだ負けてないと思うわ。だから、手加減なしでやってちょうだいね!」
エルランディはそう言って笑うと、ブンブンと数回素振りをしてからエルザの方へ向き直った。そして、木剣を中段に構えた。
「では、よろしく、エル姉」
エルザはそう言ったものの、このお姫様のような女の子へ、全力で打ち込むことは、ためらわざるを得なかった。
「それでは始め!」
「いくわよ、エルザ!」
そういうと、エルランディはためらいもなく、間合いを詰めてきて木剣を振り下ろしてきた。
エルザはそれを半身で躱してエルランディの左側面へ剣を振り下ろす。
だがエルランディはたやすく半歩後ろへ下がってそれを躱すと、その勢いのまま左へ鋭く斬り込んできたのである。
「くっ!」
エルザはそれを受けて横に流し、手首を返してエルランディの腹へと突きを入れた。
エルランディは、エルザが突いて伸びきったその柄めがけて、小手狙いの木剣を伸ばす。
エルザは腕を上げてそれを躱すと、逆にエルランディの小手を打ちにいった。エルランディは片手を柄から離し、腕を広げるように動かしてそれを躱したのだったが、エルザはそのまま自分の木剣をエルランディの剣とからませ、巻き上げてしまった。
「あっ!」
エルランディは小さく声をあげた時、エルランディの木剣は地面へカラリと音を立てて落ちた。
エルザは勝ったと思って剣を下ろそうとしたが、エルランディは腕を伸ばしてきて、エルザの小手を取ったのだった。
「取れた!」
そうエルランディが叫んだかと思えば、両手でエルザの小手を握って、なんと梃子の原理を使って親指から剣を外すと、そのまま奪った木剣を半回転させて、エルザに切っ先を向けて刺したのである。
「あっ!」
エルザが攻撃を受けたと思ったらもう負けていた。
エルランディは胸を張って得意になっていた。
「ヘヘン! どうかしら? 私の腕前は!」
エルザはちょっとポカーンとしてしまったが、すぐに正気を取り戻した。
「一瞬、何が起こったのかわからなかったけど、エル姉は私に関節技のようなものをしかけて来たの?」
「そうよ、相手の剣を奪って倒す……ちょっと前に王都で教わったのよね!」
エルザは感心してしまった。
「驚いたなあ……エル姉すごいよ!私、剣を持ったら剣だけで相手を倒さなければならないと考えてたわ……」
「そうよ、エルザ。あなたやっぱり素直で可愛いわね! そういう所、私好きよ」
「エ、エル姉ェ……」
するとセドリックから怒声が飛んだ。
「コラ! エルランディ! 今のはいかんぞ!」
「ええー! なんでよ!」
「お前、今の技を見せたくて、わざと剣を手放したのだろう? このお調子者め。そんな技は剣を失った時に仕方なく使うもんだぞ」
「うっ!……」
「だが、確かに無刀取りは見事だった。それに、エルザにはいい経験になっただろう。色々な戦い方があるってことさ。エルザ……お前も相手が無手だからといっても、最後まで油断してはいかん」
「はい……気をつけます……」
エルザはそう言って俯き、唇をかんだ。
「それからな、エルランディ。その技はエルザだから通じたことだぞ。ワシやメリルになら逆に斬られてるわ。わかってるとは思うが、相手を見てやらんことには大変なことになるからな」
「はーい……」
エルランディは唇を尖らせていた。
「よし、エルザ。次は、メリルに胸を貸してもらえ。いっとくがメリルは滅茶苦茶強いからな。油断するなよ?」
「ちょっと剣聖様。冗談はやめてください」
「何を言ってるんだメリル。本当のことじゃないか」
「私はただの侍女なんですから……護衛でもなんでもないのですよ……」
と、そんなことをいいながら、メリルは剣を構えた。
エルザはそれから数試合、メリルと試合を行ったのだが、ただの一度たりとも木剣をメリルの体に触れさせることは出来なかった。
考えている攻撃の芽は先に読まれてつぶされる……理屈ではわかっていても、相手の先を読むということは、エルザにはまだ難しいのだった。
「参りました……」
エルザはガックリきていた。
そんなエルザをエルランディが慰めていた。
「どうしたの? エルザ。もしかして、メリルに負けて落ち込んでいるのかしら? それなら気にする必要はないわよ? 彼女は王都でも指折りの剣士なのだから。ある意味負けて当然なのよ」
「でもエル姉、私、手も足も出なかったわ……」
「何言ってるの? 私だって、メリルには手も足も出ないわよ? これまで100連敗くらいしてるかしら? つまり勝ったことがないってわけ。そこで私は、メリルに手加減しなさいって言ったのよ? なのにメリルったら、その日のお稽古を数倍厳しくしてきたの。だから、エルザ。メリルに手加減を求めたら駄目よ? こてんぱんにやられてしまうんだから……」
話が止まらない……。
本当に、エルランディは一体、何を言い出すのか……。
話の内容が慰めでもなんでもなく、自分の方が負け込んでいるという話だったのは予想外だった。エルザはすっかり仰天してしまった。そして、驚きのあまり、落ち込んでいた気分がすっかり消えていることに気が付いた。
不思議な人だなあ、このエルランディという人は。
「エル姉、なんだか元気が出て来たよ」
「そう?良かった!じゃあ、もう一度試合をしましょ?」
「うん、試合しようエル姉!」
そう言って2人はまた木剣を交え始めた。
そんな2人をメリルは微笑ましく思いながら見つめていた。
「どうだ、エルザは?」
「力が凄いですね。かといって荒くはなく、剣さばきはとても繊細です」
「うむ。しかし、メリル。お前の剣の腕前、全然衰えておらんな。エルザは手も足も出なんだわ」
「それは、エルザの攻撃が、すべて私の知ってるものだったからですよ。剣聖様が教えた技ですから。技が型から離れて自由になったら……どうなるか。面白くなりそうですけど」
「うーん、それにはまだ3年はかかりそうだな」
「先が楽しみですね……彼女はいつか、王都へ連れて行くおつもりですか?」
「まあな。本人はそれを望んでいるみたいなんだ。この村じゃ、剣では生きていけんからな。いずれは王都へ行かせて、騎士見習いにでもなれば良いかと思っている。うまく育ったらワシの実家で預かることも出来るだろう。そうなれば、遠くからエルランディ様のお役にも立てると思うのだがな」
セドリックはそう言って、エルザの練習する姿を見守っていた。
◆
それから数ヶ月たち、季節は春になった。
雪国の春は遅い。
長い冬の間、部屋へ篭りがちになっていた反動もあるのだろう。新しく芽吹いて来た若い草花が日の光で眩しく輝くのを見ると、つい外へ出たくなるのは仕方がないのかもしれない。
「ねえ、エルザ! 外に行きましょうよ! 花や草木が、外に出てこい、外に出てこいって言ってるみたいだわ! 村を案内して頂戴!」
エルランディは朝から、なかなかのハイテンションでエルザに迫った。
「案内はいいけど、メリルに声をかけなきゃ」
エルザがそう言うと、エルランディは少し考えた。
「じゃあ、エルザ。一応、メリルに話してみてくれない? 私から言ったら絶対ダメだって言うに決まっているもの。でもね、もし駄目だって言われたら、その時はこっそり抜け出すから、それは覚悟しておいてね?」
「わ、わかったよ、エル姉……」
エルザは変な汗をかきながら、メリルを探した。これは、なかなか嫌なプレッシャーではないだろうか……。
1階に降りると、メリルはすぐに見つかった。
昼食の準備をしているようだった。
「あのね、メリル。エルランディが散歩に行きたいって言ってるの。暖かくなってきたし、冬の間、退屈していたから、出来れば連れて行ってあげたいのよ。それで、私たち3人でお出かけしない? メリルが行ってもいいっていうところまででいいから」
エルザがそう言うと、メリルは少し思案した。
「いいわ。今日は村まで行ってみましょう。丁度、買い物もしたいし……。でも、用心のために剣だけは持って行くようにね。昼食はバスケットに詰めて、お外で食べましょうか」
「それは楽しそうね! じゃあ、エルランディを呼んでくるわ!」
そう言って、エルザは2階へと上がって行った。
しばらくして、エルランディがドタバタ音を立てながら駆け降りて来た。
「メリル! あなた、私たちのためにランチボックスを用意してくれているんですって? なんて素敵なんでしょう!……早速、出発しましょう!」
その姿にメリルは苦笑していた。
「まあまあ、エルランディ様が現れただけでなんと、騒がしいこと! お嬢様も冬籠りで退屈してたでしょうから、このくらいのこと、なんてことはございませんよ」
メリルはそう言うと、支度をしながら笑顔になっていた。
エルランディは、エルザの持っている質素な平民の服を借りて、腰に剣を差した。
「さあ! みんな、行きましょう!」
そう言うとエルランディは颯爽と歩き出した。
エルザとメリルは顔を見合わせて、そして笑った。
「村の中心部まで大体20分くらいよ。そこにね、串焼きのお店があるんだけど、それがとっても美味しいの。3人で食べていかない?」
エルザはそう提案した。
「いいわね! 楽しみだわ!」
3人は、久しぶりの陽気な天気で気分は盛り上がっていた。
だが、3人が林を抜けた時、村の中心部から煙が上がっているのが見えた。これまでの晴れやかな気分が一気にどんよりと、厚い雲に覆われたような気がした。
「ん? あの煙はなんでしょう?」
「何かしら……もしかして火事?」
「早く村へ行ってみましょう!」
3人は走って村へと急いだ。
エルザたちが村の手前まで来ると、何人かの人々が慌てて走り回っている姿が見えた。村から逃げて出てくる女の人が叫ぶ。
「盗賊よ! あなたも逃げなさい! 大勢いるわ!」
そう言って、村の外へと駆けていく。
エルザは背筋に悪寒が走った。
「……なんだか嫌な予感がするわ……」
エルザはメリルに向かって言った。
「メリル! あなたはエルランディを連れて家へ帰って! そして、先生に村へ来るよう伝言をして欲しいの」
メリルはエルランディの方を見た。
「何を馬鹿なことを言っているのよ! エルザ! あなた一人で行くつもり? 私たちも行くに決まっているじゃない! 私とメリルは強いのよ? 3人で戦った方がいいに決まってるわ!」
エルザは首を振った。
「いいえ、いいえ! なりません!」
「エルランディ! 私は何も聞かされていないけど、薄々はわかっているわ……あなたはお姫様なのでしょう? 決して! 万が一のことがあってはならないのよ……お願い、エルランディ!……戻って、先生を……お願い!」
そういうと、エルザは後ろを向かず駆けだしていた。
「エルザ!」
エルランディは後を追いかけようとしたが、メリルがそれを止めた。
「お嬢様……お気持ちはよくわかるのですが、エルザの気持ちも考えてやってください……。そして、何のためにこの奥地へ隠れているのかお考えになってくださいませ……」
「メリル……」
エルランディはすこし俯いてから、キッと顔を上げた。
「わかったわ……急いで戻るわよ! メリル!」
「はい! お嬢様! 急ぎましょう!」
そういうと、2人は森の方へと駆けて行った。その時、エルランディの心の中は、後悔と心配の念が渦巻いていた。
あの時、私がついて行きさえすれば! と、後悔するような出来事が起きるのではないか……悪いことばかりが胸をよぎる。
実の妹とは政争で争う冷めた間柄。
そういう意味では、実の妹よりも、姉妹のように過ごしたこの数か月の方が、エルランディにとって心温まる日々なのあった。
「エルザ……どうか無事でいて……」
エルランディは、瞼ににじむ涙をぬぐって、心臓が張り裂けんばかりに走っていった。