第56話 暗躍する男
エスタリオン王国・南部の町、キレン。
その人気のない街並みを、月が明るく照らしていた。
そんな月の光が届かない、街はずれの暗がりで、男が一人血を吐きながら倒れていた。
「酒を飲んだ帰りを集団で襲うなど、卑怯極まりないぞ!」
倒れている男はそう呻きながら、腕に力を入れて上半身を持ち上げた。その男が睨む先から、革のブーツの音をコツコツと鳴らしながら、小綺麗な身なりの男が歩いて来た。……ジェームズである。
「兄弟子……お前がいては邪魔なのだ」
この男の名前はゲイリー。キレン領主に仕える重鎮で、ジェームズとは無限流道場の兄弟子にあたる男だ。その腕前は、師が生前に免許皆伝を授けた数少ない剣士の一人であることからもわかるのだが、もうずいぶんと実戦を経験していない。……ゲイリーは、会合の帰りを襲われたのである。
「お前はジェームズ! そうか……貴様、ワシがお前の企てに反対しているから邪魔になったのだな……。 これで確信したぞ! こんな汚い手を使うことこそ、お前の企みが良からぬことだという証明じゃないか」
ゲイリーはそう言うと、膝立ちになってジェームズを睨んだ。
「何がよからぬことだ。私の提案は、このキレンのためになる話……キレンが安全でいられるという保証を持ってきたのだぞ。それとも、兄弟子は、このキレンの町が火の海になってもいいのとお考えかね?」
「そういう言い方が詭弁だというのだ。……それは提案とは言わない。平たく言えば脅しという奴だ。そんな話に乗るわけにはいかん!」
ゲイリーがそう言って睨みつけると、ジェームズはせせら笑った。
「大層、ご立派な演説だが、地面に這いつくばって言うような台詞ではないな。命乞いでもしたらどうだ」
ジェームズの言葉にゲイリーはカッとなって、唾を吐いた。
「ふざけるんじゃない! この師匠殺しめ! あれから無限流の道場がどうなったと思っているんだ。……お前のような不義理な人間の言うことなどに、我が主が耳を貸すようなことがあってはならないのだ」
そういうと、ゲイリーは立ち上がった。ジェームズはその姿を冷ややかな目で見た。
「やはり兄弟子には死んでもらわなければならないな」
ジェームズがそう言うと、ゲイリーは拳を構えて言った。
「剣士として生きてきたからには、死はもとより覚悟の上。たとえここで命を落とそうとも、悔いはないわ」
それを聞いてジェームズは笑った。
「一流の剣士である私と、丸腰で戦うつもりかね?」
ジェームズはそう言って鼻で笑うと、一振りの剣を放り投げた。その剣は、男の前にどさりと落ちた。
「私の部下が、事前に預かっておいたお前の剣だ。受け取れ」
それを聞いたゲイリーは怒りで顔を真っ赤に染めた。
「やはり、お前が盗んでいたのだな、ジェームズ!」
ゲイリーは額に青筋を浮かべてジェームズを睨みつける。その怒りの炎に油を注ぐように、ジェームズは細いヒゲをゆがめて笑いとばした。
「笑わせるな兄弟子……己の剣を手元から無くすなど剣士として恥ずべき失態。盗まれる兄弟子が悪いのだ」
ジェームズはゲイリーを小馬鹿にしたように言うと、ゲイリーは剣を鞘ごと手に掴みとった。そして柄を握って刃を引き出していった。
「ジェームズ……お前はどこまで傲慢なんだ。……後悔させてやる。ワシに剣を渡したことをな」
ゲイリーはそういうと、剣を中段に構えた。そして、ジェームズに向かって剣先を向けた。それに対してジェームズも剣を抜いたとはいえ、両手をダラリとさせ、無防備この上ない態度である。
「師匠の仇め……死んで詫びろ!」
ゲイリーはそう言うと中段の構えから剣を突き出して来た。それは攻撃の兆しを悟らせない熟練した突きで、剣先が突如鼻先に現れたかのように見えた。そしてゲイリーが放ったこの技は、それを避けようと横へ避ければ薙ぎ、奥へ逃げれば突く……そういった相手の動きに応じて変化をする。
この技は無限流奥義「扇の舞」といって、剣を振る様はまるで舞うかのように優雅なのだが、その攻撃は、最終的に骨のない内臓部分を剣先でかき回すという、えげつない技なのである。世間では通称、「怪剣・腹破り」と呼んでいて、無限流と聞いただけで世の剣士を震わせる原因となった技である。
無限流免許皆伝者によって腹を裂かれた剣士は、その内臓の崩れた様を見て絶望し、早く首を斬ってくれとせがむようになると言われている。
今、ジェームズに向かって、その謎に包まれた怪剣が振るわれたのであった。
「見えたぞ! 終わりだゲイリー」
ジェームズは、ゲイリーの攻撃をすべて空振りにすると、逆にゲイリーへと、即席の「扇の舞」もどきを繰り出していった。すると、ゲイリーは「秘技・扇の舞破り」を繰り出して行く。必殺技を考案したものは、それを破る技をも同時に考えておくものだからだ。
ジェームズの剣の軌道は完全に読まれており、ゲイリーによって打ち払われていく。ただ一つ予想外だったのは、ジェームズが「扇の舞」を完全に再現出来ていないことだった。たった1つの防御を空振りさせたゲイリーは、ジェームズに脇をさらすことになってしまった。その隙を、ジェームズが逃すはずがない。脇の下へと伸びる剣がゲイリーの脇を斬り裂いていく。……そして、脇の下から鮮血が飛び散った。
「うぐっ!」
ゲイリーは悲鳴を上げたが、ジェームズの剣はその程度で止まらなかった。そのまま刃を肋骨へとスライドさせ、滑るように心臓へとスライドさせていく。そして、その刃が心臓へと到達した時、胸から血のかたまりが噴出していった。
「ぐはっ!」
ゲイリーは口から血を吐きながら、両膝をついていた。そして、恨めしそうにジェームズを見上げると、そのまま前へと倒れ伏した。ジェームズは剣を振るって血を払い、それから納刀した。
そして、ゲイリーを見下ろして言った。
「思いのほか、気持ちのいいものだな。返り討ちというものは」
そう言うと、ゲイリーの瞳に一瞬、力が籠ったが、すぐに消えた。ジェームズはそれを見届けると、ゲイリーに背を向けて歩き出した。
(これで邪魔者は消えた……これで、キレン領でベルメージュの作戦に反対する者はもういない。……南部の4貴族は手中に落ちたというものだ。そして、説得に応じなかった2貴族の長は不審死を遂げている……王都にバレるのも時間の問題だろうが……まあ首尾は上々だな)
腹の中でそんなことを考えながら、ジェームズは歩いていた。すると、そのジェームズの元に、一人の男が近付いてきた。その男は”鳥”と呼ばれる伝令役の男である。
「ジェームズ様」
ジェームズは名前を呼ばれてチラリと男を見た。すると、”鳥”は1通の手紙を差し出して来た。ジェームズはすぐさま封を破って中身を見た。ジェームズは、その手紙の内容を読んで、苦い顔をしてした。
「何々……帝国の幹部との顔合わせがあるから戻るようにだって? おいおい、予定日は明日じゃないか……ここは南部だぞ。間に合うはずがないじゃないだろう」
ジェームズはそう言って、”鳥”を睨みつけた。
「すみません……これでも急いで来たのですが、この会合自体、急に決まったものでして……」
”鳥”はそう言って頭を下げた。
「まあ、帝国から打診があったのだろう……仕方がない。とりあえず、戻るとしよう……お前は先に行って、すぐに向かうと伝えろ」
ジェームズはそう言うと、”鳥”に向かって金貨を2枚投げた。
「お駄賃だ。その代わり、急いで行くんだぞ」
”鳥”は2枚の金貨を見て、笑顔がこぼれていた。
「へい、もとよりそのつもりで」
そう言うと、暗闇の中へと去って行った。
ジェームズはそれを見送ると、ふう、一息吐いた。
「ゲイリーの奴、やはり奥義を見せてきたか……これで、無限流の奥義についてはだいたい理解できた。……だが、意外とつまらん技だったな」
ジェームズはそうぼやくと、部下たちを手招きで呼び集めた。ジェームズは集まり出した部下たちを眺めながら、一人考えていた。
(ベルメージュ様は王都襲撃の予定を早めるおつもりなのか……いろいろ忙しくなりそうだな。……メラーズ領に戻るどころか、その準備のために、しばらくこちらへ滞在しなければならなくなったではないか)
ジェームズはそう思いながら、部下たちへ指示を飛ばしていた。




