第5話 エルザの姉
エルザ14歳の冬。
セドリックはエルザを1500m級の雪山登山へ連れていった。
山頂近くの尾根まで登って、担いできたスキー板を履いて戦闘訓練をするらしい。まったく、どんな訓練をすることやら……エルザは荒い息を吐きながら雪山を登っていった。
3時間ほど登って、ようやく山頂手前の尾根へと上がって来た。
「いいか、エルザ。これからこの雪の積もった谷筋をスキーで滑りながら、ワシとお前で試合をする。剣の代わりにこの棒を使おう。細い竹に綿を巻いたものだから、当たっても怪我をすることはない」
「嘘でしょ?ここで滑りながら斬り合うっていうの?」
「ああ、そうだ。谷筋を下まで降りたら、そこの尾根をあがって、また滑るぞ」
「えーっ!」
「ブツブツ言うな。今日は滑りながら斬る訓練だから、ある意味雪国のお前には有利な訓練なんだぞ? ワシに一太刀食らわせられるかもしれん……環境を利用するんだ。相手がその環境に慣れないうちにたたきつぶす。それが格上と戦うためのコツってもんさ」
そう言うとセドリックは笑った。
「では、行くぞ」
「うん」
セドリックの合図をきっかけに、二人は同時に滑降を開始した。
エルザは、谷筋にたまったふかふかの新雪を巻き上げて、綺麗なシュプールを描いて滑っていく。セドリックは"滑り降りながら剣を振る"と簡単に言うが、実際のところ相手に近づくことさえ難しいものだ。
だが、セドリックは急速にエルザへ接近し、棒を振るってきた。
「あっ!」
エルザは叩かれた勢いでバランスを崩す。
「ぼさっとするな!雪国のお前の方がワシを手玉に取らないでどうする? さっさと攻撃してこい! お前が翻弄する側になるんだ! エルザ!」
「ちくしょう!」
エルザがセドリックに向かって棒を振ると、はじかれたようにセドリックは離れていく。そして、エルザが滑りに集中しようとすると斬りかかってくるのだ。
「いやらしい位置取りばっかりして!」
転びたくない、ぶつかりたくない、止まりたい、曲がりたい……そんな気持ちを見透かしたように、セドリックの棒は伸びてくる。
「何をやっている!一手先を読んで、相手が行きたいところ、やりたい事をつぶすように立ち回れ!」
……そうやって、その日は何度も谷を変えて、二人は滑降を繰り返した。
訓練が終わったのは、昼の3時だった。
セドリックは、あまり疲れると怪我をするから、早めに練習を切り上げたつもりだったが、それでもエルザには堪えたようだ。帰り道はバテバテだった。
何度も転んで雪まみれになっていたから、体もすごく冷えていた。
家に戻ってくると、エルザは暖炉に火を入れると、その前を陣取って動かなくなってしまった。
セドルは笑いながらボトルを開けてグラスに注ぎ、軽くテイスティングをしてから、ワインを一口、口に含んだ。
「今日は疲れたか?エルザ」
「いえ、楽しかったわよ……ちょっと変わった訓練だったけど」
「そうか、まあ、確かにこんな訓練をする奴は、他にはいないだろうな」
「他ではやらないの? じゃあ、なんで先生はこんな訓練をさせるのよ」
「そりゃあ、勝つための方法を伝えるためさ」
「勝つための? 先生は、こんな変なところで戦ったことがあるの?」
「もちろんあるさ。いくら道場で稽古しても、実際に戦う所はそんな整備された場所ばかりじゃない。相手の得意な環境で戦わなければならないこともあるし、逆にこちらの得意な場所へ誘い込むこともあるからな」
「あんな滑りながらじゃ、まともに戦えないわ」
「その心理がわかったなら、今日のところはそれでいい。自分がやられて嫌だと思ったことだけ覚えておけ。……前に必殺技の話をしただろう? 今日みたいにスキーをしながらじゃ、必殺技は役に立たない。単純な斬撃が出来ればいいところだからな。そうなると、格上相手でも勝ち筋が見えるってものさ」
「へえ……なるほどね……」
エルザは暖炉の炎を見つめながら、静かにうなずいた。
「ところでエルザ。急な話で悪いんだが……しばらくの間、この家に2人ばかり人が泊まりにくることになったんだ」
「その人は、先生の友達?」
「いや、ワシの知り合いの子供でな。今は確か、17歳だったかな。名はエルランディと言う。もう一人はお付きの侍女だ。しばらく滞在することになるから、仲良くしてやってくれ」
「17歳……じゃあ、私よりお姉さんね!……でもお付きの侍女が付いているなんて、貴族のお嬢さんじゃないの? 私、平民だけど仲良くしてもらえるのかしら?」
「ああ、それは大丈夫だ。そんなことを気にする子じゃない。向こうにも、ワシが弟子と一緒に住んでいることは伝えてあるから心配するな」
「うん……わかったわ。村の外から来た子供と会うのは初めてだけど、私、なんだか楽しみよ」
「ああ、きっと話が合うはずだ。エルランディも、剣術をやってるからな」
「え!そうなの?」
「なんだうれしいのか?」
「そりゃ、そうよ。女の子で剣をやってる友達なんていないもの」
「まあ、そうだな。でも王都ではな、いくらかはいるもんだぜ」
「そうなの?」
「ああ。女剣士や女冒険者も多いし、女騎士もいるからな」
「女の騎士さんもいるの?」
「ああ、いるとも。例えば王女様の護衛とかな。まさか男の騎士が、王女の着替えや風呂場へ護衛に行けんだろう?」
「まあ、そうよね。だったら、剣がもっと上手くなったら、私でもいつか王都で働けるかしら?」
セドリックはエルザの顔をマジマジと見た。
「エルザ。お前は王都へ行きたいのか」
「わからないわ……でも、ここじゃ、私が剣で生きていくのは無理な気がするのよ」
「かもしれんな。そもそも、ワシは剣から離れたくて、ここに来たのだからな」
「その割に、先生は毎日、剣でどっぷり浸かった生活をしているけれど」
「誰かさんのせいでな」
二人は顔を見合わせて笑った。
「王都だと、騎士になれなくても、剣で生きていく道がありそうね」
「まあ冒険者とか、旅商人の護衛とかいろいろあるにはある……まあ、お前も成人まであと1年はあるんだ。それまでゆっくりと考えるといい」
「うん……それで、エルランディ姉様はいつ、ここに来るの?」
「今日手紙が届いたんだ。すでに向こうを出発しているだろうから、そうだな。おそらく3日後ってところか」
「3日後ね」
「ああ。お前がエルランディと仲良くなれるように、何か準備をした方がいいな。エルザよ、一緒に何か考えてくれ」
「うん! まかせといて!」
そう言ってエルザは目を輝かせた。
◆
3日後の昼すぎ。
雪道を走ってきた小さな馬車が1台、セドリックの家の前に止まった。
小さいながらも作りはしっかりしていて、乗り心地も悪くはなさそうだ。つまり、高級な馬車である。
「お嬢様、到着致しました」
御者台から侍女が降りてきて、馬車の中へと声を掛けた。
そして、侍女が扉を開けると、一人の女の子が降りてきた。
「やっと着いたのね? もう少しで腰が曲がるところだったわ!」
その女の子の名はエルランディ・マルヴィナ・エスタリオン。このエスタリオン王国の第二王女である。
金髪にクリっとした大きな青い瞳。ツンと上を向いた形の良い高い鼻。桜色の唇。白い肌は雪よりも白く、頬はピンク色に染まっていた。背は156cmくらいあって、スラリとした美しい立ち姿をしている。
「お嬢様。あそこが剣聖・セドリック様のご自宅です」
「まあ!なんて素敵なおうちなんでしょうね!まるで絵本に出てくる熊の三兄弟が住んでいたおうちみたいだわ!……熊のおうちなんていったら怒られるかしら? とにかく王都では、あの堅苦しいお城住まいだったから、こんな家に住んでみたかったのよ! さあ、早く中に入りましょう!」
「お嬢様、落ち着いてください。お嬢様からすれば珍しいのかもしれませんけど、このあたりじゃいたって普通の家ですから」
「そうなんだ。でもメリルだって、きっとここでの生活は気に入ると思うわ。だって、こんなに雪が深いんだもの。後で雪だるまを作りたいわ。剣聖様には、15歳の、女のお弟子さんがいるんだったわよね? その子を誘って、3人で雪だるまを作りましょうよ!」
「はいはい、わかりました。わかりましたから、とりあえず中に入りましょう。こんなところで話し込まないで、さあ中へ」
「わかったわ。メリルはせっかちね。私、馬車の旅で退屈していたから、外に出ることができて興奮しているのかしら?」
「さあ、さあ、中へ! お嬢様!」
「はいはい、わかったわよ! 押さないで頂戴!」
玄関先でそんな押し問答みたいなことをやっていると、中から扉が開いて、セドリックとエルザが出てきた。
「ようこそ、エルランディさ……ゴホン。エルランディ。さあ、早く中へ入ってくだされ」
「ええ、これからお世話になるわね、叔父様。こちらは侍女のメリルよ。知ってるわよね? しばらくの間よろしく頼みますわ」
「ええ、いつまででもいてくれて結構だよ。メリルも楽にして」
「はい、ありがとうございます」
「それで、こっちが弟子のエルザです」
「エルザです。よろしく……」
するとエルランディは目を輝かせて、エルザの手を取った。
「まあ、あなたがエルザなのね? よろしくね、エルザ! 私、馬車の中であなたとあったら何をして遊ぼうか、ずっと考えていたのよ? トランプとか、いくつかゲームをもってきたわ。でもね、ここに着いたらこの雪でしょう? それを見たら私、雪だるまを作りたくなったのよ! ねえエルザ! あなたも一緒に、雪だるまを作るのを手伝ってくれないかしら?」
エルランディは、ものすごくおしゃべりだった。
エルザは、カレンやモニカとおしゃべりする時でも、積極的に話題を振る方ではなく、どちらかと言えば聞き役に回ることが多いので、エルランディがおしゃべりなのは有難かった。
「もちろんです。エルランディ様。一緒に雪だるまを作りましょう!」
「様なんていらないわ、エルランディでいいのよ! エルザ! あなた、私と名前が似ているわね? でも私の方がお姉ちゃんだから、エル姉と呼んでもいいわよ?」
「エル姉……?」
「それでいいわ! 私もエルザと呼び捨てにするから! 口調もいつもどおり話しなさい。叔父様とは、敬語を使わずしゃべっているのでしょう?」
「はあ……剣聖様は、堅苦しいのがお嫌いだとおっしゃるので……」
「ほうら、まだしゃべり方が固いわ。いい? これからは敬語禁止だから! わかった?」
エルザは、明らかに身分が高そうなこの少女に、普段どおりの口調でしゃべっても良いものからとてもためらったのだが、セドリックがそれを許したので、エルザはようやく口調を改めた。
「はぁ……じゃ、じゃあ、こんな口調でしゃべってもいいのかな?……エル姉、よろしくね……」
「ええ! 短い間だけど、よろしくお願いするわ! エルザ!」
「おいおい、ただでさえ話が長いんだから、早く中へ入れよ。こんな所にいたら風邪をひいてしまうぞ」
セドリックがしびれをきらして、エルランディを家の中にひっぱりこんだ。
「まあ! 叔父様ったら!」
「とにかく、昼飯もまだだろう。こっちはエルザとふたりで準備していたんだ。話は食べながらするといい」
そう言って、セドリックはテーブルへと案内した。
席に座ると、セドリックとエルザが用意した料理が並んでいた。
エルランディは目を輝かせて料理を見つめていた。
「まあ!なんて美味しそうなんでしょう!これはなんという料理なのかしら?」
「エル姉……これはミートパイで、こっちはビーフシチューよ」
「まあ、素敵!ねえエルザ! この串焼きは何?」
「ああ、これは熊の串焼きよ」
「く、熊? 熊なの? 熊って食べられるの?」
「ええ。脂が乗っていて美味しいわよ」
エルザがそういうと、エルランディは串焼きを手に取った。
「まさか絵本で見た熊のおうちで、熊のお肉を食べるなんてね。……驚いたわ。じゃあ、頂いちゃおうかしら?」
「ええ、たくさん食べて!メリルさんも、どうぞお座りになって」
エルザがそういうと、メリルはかたくなに固辞して言った。
「いえ、私は侍女ですので、このままここで……」
メリルはそう言ったが、それをエルランディは許さない。
「メリル! あなたも座りなさい」
「エルランディ様、それはちょっと……」
「いいから座りなさい。いい、ここにいる間は敬語禁止よ? わかった? これは命令よ!」
すると、メリルは大きなため息をつきながら、
「わかりました。エルランディ様のおっしゃるとおりに座りますし、私も家族のように遠慮せず接しますから……敬語だけはお許しください!」
と固く口を結んでエルランディへ言った。
エルランディはしばらくじっと見ていたが、やがて諦めたように
「あなたは本当に頑固ね? わかったわ。それじゃ、あまり侍女らしくしては駄目よ? 家族のようにふるまうように! わかった?」
「はい……出来る限りそうさせて頂きます」
侍女に侍女らしくしては駄目と言ってる主人の姿に、可笑しさを覚えながらも、メリルはしぶしぶ了承した。
「さあ、みんな食べた食べた! おしゃべりは、食べながらでもできるだろう?」
「ええそうね! せっかくのご馳走だもの。頂きましょう」
そう言って、楽しい昼食会はスタートした。
結局、エルランディが一人で話すような昼食会となったが、エルザはそれがとても心地良く思えた。
なぜ、身分の高そうなエルランディが、お忍びのような形でセドリックの家へ泊り込むことになったのか……幼いエルザにその理由が明かされることはなかったのだが、少なくともエルザにとっては、この気さくなエルランディが本当に姉だったら良かったのに、と思えるほど、エルランディのことが好きになっていたのだった。