第48話 樹上の戦闘
エルザが樹皮の道を歩いていたその頃……。
ゴント村に到着していたアランは、夜遅くではあったが、セドリックの家に向かって歩いていた。村長から、セドリック宛の"大至急"郵便を託されたからである。
アランには、エルザと会ったことも報告したかったので、配達役を買って出たわけである。
「夜分遅くにすみません。アランといいます」
アランがそう声をあげると、しばらくして扉が開いた。
「おう坊主、今日はどうした?」
「あの……リールから緊急のお手紙が届いているので、夜分ですが急ぎお持ちしました。それから、リールでエルザに会いましたので、そのあたりのご報告をと思いまして」
それはご苦労さんだったな。まあ中に入ってくれ。坊主、飯は食ったか?」
「いえ、ついさっきゴントに帰ってきたところでして、まだ食べてません」
「そうか。串焼きで良かったら食うか?」
「いいんですか?」
「ああ、いいとも。まあ、中に入れ」
「はい、失礼します」
そう言いながら、アランはテーブルの席についた。
「エルザと会ったのか?」
「はい。リールの街で春祭りを見ていたようなのですが、そこで盗賊たちと争いになったみたいで」
「何だって?! あの娘はリールで斬りあいをやってたのか!」
セドリックは、驚いたような呆れたような……微妙な顔をしていた。
「はい……それで、エルザはリールの盗賊幹部たちを斬り倒し、黒い蝙蝠と、闇の銀狼という盗賊団を壊滅させてしまいました」
「なんだってぇ? ……もはや、褒めていいやら、呆れていいやらわからんな……」
セドリックは腕を組んで、口をへの字に曲げて唸った。
「本当に、あの娘には驚かされるなあ。まさか、盗賊の返り血を浴びたまま、王都へ行ってはおらんだろうな……」
「いえ、僕と別れた後は、道場へ向かうと言っていました」
「西神流道場だな……まあ、リリスがなんとかしてくれるか……で、もう一つあったな。手紙っていうのはなんだ?」
そうセドリックに聞かれて、アランは慌てて手紙を差し出した。
「リールから緊急の手紙が届くような知り合いはいないと思うんだがな……」
セドリックは、その手紙を受け取りながら、そうつぶやいた。そして、封蝋の押された紋章を見ると、顔付きが変わった。
バクスター伯爵家の紋章だったからだ。そして、差出人名を見ると、セラス・バクスターとある。
「セラスから? 何かあったのか……?」
セドリックは急いで封を切った。そして、中身を確認してみると、エルランディ暗殺からリールに至るまでの事柄が簡潔に記されてあった。そして、もし、会うことが出来れば、リールに滞在中のエルザにも協力を要請するかもしれないと書かれてあった。
セドリックは立ち上がった。
「これはえらいことになったぞ。アレン。頼みがあるんだが、これからすぐに村長の家に行って、馬を用意してもらえるように言ってくれんか。すぐに、出立せねばならんようになった!」
セドリックは、慌ただしく準備を始めた。
「え! 今からですか!」
「ああ、大変なことが起きたみたいだ。すまんが頼む」
セドリックはそう言って、アランへ銀貨を1枚握らせた。
「これは駄賃だ。とっておいてくれ。わしも用意が出来次第すぐに村長宅へ向かうから。……いいか! 走って行けよ!」
「はい! それでは先に行ってきます!」
アレンはそういうと、家を飛び出して行った。
セドリックは旅支度をしながら考えた。
手紙の日付を見ると4日前の日付である。
おそらく、今現在、セラスやエルザは天上の樹に登ったか、降りたかくらいだろう。
「今からヴァルハラへ馬で走ったとして、2日はかかるか……。早く行かねばボーマンやメラーズの企みにあって、死人が出るかもしれん」
そう言って、セドリックはものの10分程度で準備を終えた。
「いろいろ考えたいことはあるが、今はとりあえず出発せねばな。後のことは、馬上で考えよう」
セドリックはそう思いながら、自宅から飛び出していった。
◆
エルザは落ちていた。
葉や枝をボキボキ折りながら、時に大きな枝で弾かれたりして、天上の樹の、茂みの中を激しく振り回され、上も下もわからないまま落ちていた。
一緒に飛び降りた連れ合いの男2人は、すでに事切れていて、途中でエルザから離れていった。彼らはエルザを突き落とすことが出来たことで、満足気にあの世へ渡ったことだろう。
ただし、これだけご神木を粗末にしているのだから、天国にはいけないと思うが。
エルザは落ちながら、なんとか枝葉を掴もうとするが、落ちる速度が速すぎて掴めず、逆に指を傷付ける始末だった。
エルザがもう終わりかと諦めかけた時、葉が密集している棚のような所に落ちた。
「ううっ!」
それはものすごい衝撃だったが、枝が大きくしなって下がり、反動で上へ跳ね上がった。
その反動でエルザの体は跳ね飛ばされ、飛んだ拍子に見えた黒い大きな影に手を伸ばし、必死で抱きつくように強く掴むと、ようやく落下を免れることが出来た。
枝葉が生い茂り、月明かりもあまり入らない暗闇の中で、エルザは目を閉じて、静かに息を整えていた。
エルザは、木の下を覗き込んだ。真っ暗でほとんど見えないが、町の灯りが小さく光っているのが微かに見えた。
もう少しで、この目も眩むような高さから落下して、木の下にある円形広場へ墜落していたのかと思うと、恐ろしさで背筋がゾッとするのだった。
だが、そんなことを言っている場合ではない。エルザは、今や相手の得意とする戦場へ引きずり込まれてしまった。そんな相手が今、まさに、エルザの首を狙って向かって来ているのである。
(しっかりしろ! エルザ!)
エルザは自らの心を奮い立たせようと自分の頬を叩いた。そして、奇襲を警戒して、マジカルジャミングを起動させた。
魔道具を起動させた直後のことだった。背後に妙な気配を感じたかと思えば、背中に強い衝撃を覚えた。
キイン!と背中で金属がぶつかる音がする。
背中を刺されたようだが、背中に背負った剛鉄によって貫通が阻まれていた。エルザは即座に振り返って、手首に結び付けられていた紐ごと、杖を振り回した。
ガン! と当たった感触はあったが、相手は声一つ出さない。エルザはその影を追って飛んだが、そこに男は消えてなかった。
「あ、危ないっ!」
枝葉が密集するエリアだとはいえ、所詮は木の上である。
足を踏み抜いて、バランスを崩す。慌てて手近にあった枝を掴んでバランスを取った。ここは樹上……。地面の上のようには動けないエルザだった。
「ちくしょう……」
エルザは耳を澄ましていた。
かつて、ブラックウルフと戦ったことを思い出す。姿形は認識できなくても、生き物が存在するという証拠……木の軋みや葉のこすれなど、隠し通すことのできないものは結構あるものなのだ。
エルザは完全に警戒モードに入って、まるで研ぎたてのナイフのように、神経を鋭敏にしていた。
その時、真正面から鎖分銅がビュンビュン飛んで来たので、エルザはそれを躱したり杖で弾いたりしていたが、その対応にあくせくし出したタイミングで、正面から真っ黒な丸い物体が飛んできたのである。
「何だっ!」
エルザは人か何かだと思って、杖で突いたのだが、それは網だったようで、たちまちエルザの上半身は網で包まれてしまった。
「しまった!」
エルザはとっさに小刀で網を切ろうとしたが、魔法効果が付与されている網のようで刃物が通らない。
「嘘でしょ? 何これ、この網! 全然切れないじゃない!」
この捕縛網こそ、シャドウの蜘蛛の巣アスターと呼ばれる男の道具なのだった。この網は人の手首が入るくらいの網目で出来ていたので、杖の先も網から出てしまい、エルザは武器を振ることも出来ずにいた。そうこうしているうちに、前後から飛んでくる気配がする。
エルザは完全に拘束された。こうなってはもう、敵も気配の隠ぺいなどしていない。エルザの命を刈り取るために、牙をむき出しにしてやって来るのである。
その数秒の間にエルザが出来たことは、靴裏のナイフを右足分だけ展開出来たことだった。
前後から敵が迫っていた。エルザは杖の先を網から突き出し、前方の敵めがけてドンドンドン!と3発の散弾を放った。
それと同時に、背中側からくる敵へ向かって杖の尻を突き出し、後方へけん制をかけたのである。
暗闇で良く前方から迫るアスターには直撃したのだろうか。前方の暗闇で葉の擦れると音や枝の折れる音か激しくなって、ウッ!という猛獣のうめき声のような声が聞こえた。
背後からの攻撃は、網目を抜けて2本の腕が伸びてきて、片手にはナイフが握られていた。エルザはそのナイフを持つ手首を握ったのだが、本当の狙いは素手にあったようだ。背後の肩にを掴まれたエルザは、全身に電流が走ったような痛みが走り、エルザは思わずギャーッと悲鳴を上げてしまった。
この男は骨屋のダズルと呼ばれていて、人体にある筋や骨、筋肉の構造に熟知しており、触れただけでたちまち敵の体を破壊してしまうという、恐ろしい技を持っていた。その痛みはそれはもう、神経を直接触ったかのような強烈なもので、エルザは白目を剥いて、網の中で暴れまわっていた。
だがその代わり、エルザが握り締めていたナイフを持つ右手の拘束も解けることがなく、逆に万力のような強烈な握力で、ダズルの手の平を粉砕していったのである。
「ぐああっ! なんて力だっ!」
ダズルは思わず両手を離して後ずさった。
それに伴ってエルザも激痛から解放されたのだが、あまりにもの痛さだったため、顔は脂汗でびっしょり、全身の力が抜けて網の中で突っ伏してしまった。
骨屋のダズルは起き上がってくると、粉砕された己の右手の応急処置をし始めた。だが、いくら骨屋と言っても粉砕骨折をした手のひらを元通りにすることは出来ない。ダズルの怒りは痛みとともに膨れ上がっていた。
「おのれ、忌々しい女め! よくも俺の右手を粉々にしてくれたな!」
ダズルはナイフで突き刺そうと思ったが、生憎それは網の中。仕方がないので彼の技で始末することにした。
「しょうがない。お前は俺の技で葬ってやろう……」
そう言って、ダズルがエルザに近付いた時、エルザは網ごと飛び上がって、ダズルへと飛び掛かっていった。焦るエルザに笑うダズル。エルザが両手を伸ばしてダズルの服を掴んできたので、ダズルはエルザの脇の下あたりへ手を伸ばして、なにやら不思議な動作をした。
「ぎゃー-っ!」
突然エルザが悲鳴を上げる。ダズルはその悲鳴を聞いて、満足気だ。
「骨屋の俺に接近戦を挑むなんて、まさに愚の骨頂。残念だが楽に死なせるわけにはいかない。もう殺してくれと言いたいほどの、痛みがお前を襲うだろう……」
ダズルはそう言うと、今度はエルザの腰骨当たりへ手を伸ばしてなにやら手を動かしていく。
「ぎぇー-っ!」
エルザは信じられないというぐらい四肢を突っ張らせ、網を引っ張って飛び跳ねたかと思うと、今度は腰の左手を引きはがそうとしているのか、身を屈めてダズルの足元にうずくまり、ズボンの裾をギリギリと握りしめていた。
その痛がるエルザの様子を、ダズルは気持ちよさそうに眺めている。
「俺の右手がつぶれてなかったら、左右両方からこの痛みを味合わせてやったのだが……」
ダズルはそう言ってニヤリと笑った。
その時、エルザを縛る網が不意に引っ張られた。
あまりにもエルザが暴れたため、先ほど散弾に倒れた男……アスターが、ズルズルと木から滑り降りていったのである。その事を網に包まれているエルザは感じ取り、咄嗟にアスターが落ちた反対側へと身を投げた。
「ああっ! お前っ!」
エルザの落下に巻き込まれると思ったのだろうか。慌ててエルザから離れようとして、ダズルは思わず声を上げた。
言ってる間にアスターの体は木から落ち、エルザもすでに木から落ちていた。だが、その時、エルザは万力のような握力でダズルのズボンの布地を握りしめていたので、そのまま足元をすくわれる格好で、ダズルも木からずり落ちたのである。
「あーーっ!」
ダズルは叫び声を上げながら、近くの目に入った木の枝を掴もうとしたが、エルザが男のズボンの裾を掴んではなさない。そのため、わずかにダズルが伸ばした手は木の枝へ届かなかった。
そして、ダズルもエルザも、まっさかさまに落下していく。
だが、エルザの体には網に絡まっていたおかげで落下が止まった。
「おのれ、エルザ! お前だけ!」
ダズルはそう捨て台詞を吐くと、悲鳴を上げながら落下していった。
エルザは大枝を挟んで反対側にぶら下がる、死体を見た。この死体は蜘蛛の巣アスターのものだが、図らずもこの敵の死体が、エルザの命綱となったようである。そのアスターの死体は、ゆらゆらと振り子のように揺れて、エルザに近づいたり、離れたりしていた。
エルザは、荒く息をしながら、揺れる死体を眺めていた。その男はまぎれもなく、エルザを突き落とした一味の中にいた小男であった。
エルザは振り子のように体を揺すって、ぶら下がる死体を掴むと、魔法効果の切れた網をナイフで切り裂いて網の外へ出た。そして、2本のロープをたぐりながら、大枝へと上がっていった。神経をいじられるような攻撃を受けて、精神的にボロボロのエルザだったが、元気を振り絞って登るしかない。
そして、10分ほどかけて、ようやく太い枝へとしがみつく。
「ぐうううっ!」
体を大枝の上へ持ち上げようと力を入れるがなかなか力が入らない。だが、この枝を離すわけにはいかないのだ。
エルザは涙を流し、歯を食いしばりながら、なんとか枝の上へと這いあがった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
エルザは胸もズキズキとしているのに気が付いた。
どうやら、肋骨にヒビが入っているか、どこかが折れているのだろう。
「最悪ね……私、ヴァルハラまで行けるのかしら?」
エルザは荒い息を吐きながら、大枝の上で丸くなりながら、痛みを堪えていたのだった。




