第43話 天上の樹
セラスとエルザを乗せた馬車は、夜通し駆け続けて、翌日の夕方にはアラタカ山へ到着した。
アラタカ山は、標高1600m程度の山で、茶碗をひっくり返したような、丸くどっしりとした形をしている。
その山頂に大樹が1本立っているのだが、この大樹がアラタカ山の「天上の樹」といわれる巨木である。
「これが……天上の樹ですか?」
エルザは言葉を失っていた。それほどまで、この大樹はエルザの想像をはるかに超えて大きかったのである。
「ふあー。なんて大きい樹なんですかね!」
アルマもあんぐりと口を開けて、空へ届かんばかりに伸びる巨木を眺めていた。なにせ、幹の直径はおよそ2kmもあるのだ。太さだけでも規格外。そして、その高さは3500mに達すると聞いている。
そして、西へと傾く太陽が天上の樹で遮られ、エルザの周囲一帯を陰としていたので、エルザは自分たちが立つその場だけ、夜が早く来るのではないかと思ったほどである。
セラスはエルザとアルマの驚き様を見てニンマリと笑った。
「どうだ、びっくりしただろう。だが、びっくりするのはまだ早いぞ。これからこの樹を登るのだからな」
「この樹を登るんですか?……この樹の周りにある町が、ヴァルハラではないのですか?」
「違う、違う。あの町はガムランといって、天上の樹へ向かう人たちが宿泊したり交易したりする町だ」
「そうなんですか?……でも、この荘厳で神秘的な樹などに登って、天罰とか当たりませんよね?」
「ふふふ。よくわかったな。この樹は神話の時代からあると言われているご神木でな、もちろん、信仰の対象になっている。この樹上に住むヴァルハラの人々は、この樹を信仰している人たちだけが住んでいるんだ」
「ということは、ヴァルハラという町は……樹の上にあるのですね?」
「その通りだ」
そういうと、エルザはとても驚いていて、セラスはその驚き様を見て笑っていた。
「でも、どうやって登るんですか? こんな高い樹を……」
「それはな、この樹の樹皮が道になっているんだ。大きいだけあって、樹皮に出来ている皺だけでも幅が2mはある。それをうまくつないで道にして、ヴァルハラまで通しているんだ」
「すごいですね……そんな道が、あんな高いところへ続いているなんて」
そう言いながら、エルザは何度も天上の樹を見上げていた。
「とりあえずは、ガムランへ行こう。もしかしたら、メイスたちが到着しているかもしれない」
そういって、セラスたちは、馬車を走らせてガムランの町へと入っていった。
ガムランの町では、大勢の人でごった返していた。そして、町を歩く人種も多種多様で、ここならどんな珍しい民族でも、誰も気にはとめないだろう。そんな人々は皆、ガムランに集まる珍しい品々に目を走らせ、商品を吟味して、売ったり買ったり活発に取引していた。
「この人の多さは、まぎれるのに丁度いい」
エルザはそう思いながら町を見ていた。だが、逆を言えば敵だってそうだ。我々に気付かれぬよう人混みにまぎれて近付き、背後から襲われる危険性だってあるのだから。
シンディは、セラスの指示通りに馬車を走らせた。馬車は町の中心部へは向かわず、町外れの粗末な納屋のような場所へ到着した。
「エルザ! 一緒に来て、納屋の扉を開けるのを手伝ってくれ」
「はい」
そう言ってセラスは隠していた鍵を取り出して納屋の扉を解錠し、エルザと二人で扉を押し開けた。扉を開き切ると、セラスは馬車へ向かって入ってくるように手で誘導した。そして、馬車が建物の中に入ると扉を閉めた。
「セラス様……ここがメイス様との待ち合わせ場所ですか?」
「ああ、そうだ。だが、まだ到着していないようだな……」
「とりあえず、先に中の様子を確認して参ります」
エルザはそういうと、納屋の奥にある部屋へと入っていった。もとより居住空間ではないので、にわか作りの小さな竈とテーブルがある程度だ。壁には採光のための小さい窓があるくらいで、飾り気もない。必要最低限のものをかき集めて並べただけといった感じだった。
部屋の奥には小さな扉があったので、エルザはそこを開けてみた。すると、そこは納屋の裏手に出る扉だったようで、扉のすぐ前には小さな井戸が掘ってあった。
「この井戸は使えるのかな……」
エルザが井戸の蓋を開けて、中へ釣瓶を投げ込んでみると、ボチャンと水面に当たる音がした。
「水があるわ……」
エルザは紐を引いて桶を引き上げていった。そして、桶の中の水を一口すくって口に含んだが、違和感はなさそうだったので、そのまま飲み込んでみる。……毒などは入ってなさそうだ。
エルザは水場の確認が終わると、部屋の奥についていた階段上がって2階へと向かった。2階には部屋が2つあって、それはどちらも寝室だった。それぞれの部屋にはベッドが3台置いてあった。だが、ベッド以外には何もない、とても殺風景な部屋である。
エルザが部屋を調べていると、なにやらキラキラと目に刺さるような鋭い光が見えた。どうやら、壁板が外れかけている場所があって、そこから光が漏れているようである。
何か仕掛けをされているのではないかと思ったエルザは、その壁板を外してみることにした。するとそこには、金属のような光沢を持つ、硬そうな球状の塊が転がっていた。
「これは何かしら?」
エルザは思わずそれを手に取ろうと右手を伸ばしてその玉に触れると、玉は一気にパァッと発光したのである。
「きゃぁ!」
エルザは、その玉に触れた途端、電流が走ったかのような衝撃を受けて弾き飛ばされ、寝室の床へと尻をついた。
「なにこれ……」
エルザは右手首を見ると、なんだか黒い鳥のような文様が浮かび上がっていた。
「いやだぁ、何これ……気持ち悪い……」
エルザは服で拭ってみたりしたが、その模様が消えることはない。この模様は一体何なのか。エルザは不気味に感じていた。
「……もしかして呪いか何かかしら……とりあえず、セラス様へ報告しなければ……」
エルザは1階の戻ると、皆を建物の中へと招き入れた。そして、不思議な玉の件をセラスへ報告した。
セラスはそれを聞くと、そのような玉については聞いたことがないと首を振っていた。
「バクスター家のものでないとしたら、敵が仕掛けた罠とも考えられるが、それにしては地味すぎるな。罠は安価で効果的なもの……つまり爆発物とか、仕掛けに触れると発動する類のようなものが多いからな。もし、その模様が呪いだったとしたら、もう効果が出始めてもいいはずだ。遅く発動する理由がないからな。つまり、消去法で考えると、この模様は、何らかの魔力回路なのかもしれん」
「魔力回路?」
「ああ。つまり、魔石に刻まれた魔術回路のようなものが、お前の体に刻まれた可能性があるということだな……あくまでも憶測だが」
セラスはエルザの手をとって、その模様を確認しながら言った。セラスは、引き出しから紙を取り出して、この黒い鳥のような文様を、紙へ写し取った。
「王都にいる魔術師に会ったら、この絵を見せてみよう。何かわかるかもしれん。……それにしても迂闊だったな。これが罠なら大怪我をしているところだ。気を付けるんだぞ」
セラスはそう言って、テーブルの上に紙を置いた。
「はい、わかりました、セラス様……」
エルザは少ししょんぼりしていた。そこへシンディが手を叩いて、元気な声を出した。
「さあ、皆さん、そんな顔しないで。ご飯にしましょうよ。お腹が減ってちゃ、余計なことを考えてしまうわ!」
そういうと、シンディはにっこりと笑った。それにつられるように、エルザもセラスも、アルマも笑った。
「そうだな……食事にしよう」
「はい……それから井戸がありましたから、後で湯を沸かしましょう」
「それは本当か? これまで汗と血にまみれていたからな……湯浴みはなによりも嬉しいことだ」
「本当ですね……私も入りたい」
セラスの言葉に、シンディとアルマも同意した。
それから、みんなで食事と湯浴みの話で盛り上がった。
そんな話を聞きながら、エルザは久しぶりに穏やかな気持ちになっていた。エルザは戦い通しだったからだ。久々に湯浴みをしてベッドで仮眠できる……そんなことを考えると、自然と笑みがこぼれてくるのだった」




