第41話 出発
辺りは日が暮れて、真っ暗になっていた。
ただ、今日は満月だからなのか、月明かりだけは明るく地面を照らしていた。
エルザは、セラスに連れられて、プールのそばまで歩いて行った。エルザがプールの底を覗き込むと、ウジャウジャと蠢く大蟹の姿があった。
「き、気持ち悪いっ!」
エルザは震え上がって、青くなった。
セラスはエルザのそんな様を見て叱咤した。
「エルザ! お前は蟹を食べたことがないのか? 田舎育ちなのに、虫とか蛇とか苦手なものが多すぎるぞ!」
「沢蟹くらいしか知りませんよぉ! お嬢様は平気なんですか? 私、あの重なりあってワシャワシャしたとことか、もう気持ち悪くて!」
「私は騎士なのだ。あんなもの、どうってことはない! さあ、蟹どもめ! わがグラムドレイクで成敗してくれよう。エルザ、ちょっと、端に寄っておいてくれ」
セラスはそう言うと、魔剣グラムドレイクを中段に構えて、魔剣へ魔力を込め始めた。
すると、魔石が煌々と輝き出し、魔剣に力が宿るのが見ていてわかった。
「おおお……いつになく力溢れるグラムドレイクよ……今日は期待出来そうだ! さあ! 大蟹カルキノスをせん滅するぞ!グラムドレイクよ! 私に力を貸せ!」
そう言うとセラスは、大声で笑い、大蟹がうごめくプールめがけて3連続で剣を振るった。
「喰らえ! インフェルノ!」
セラスの叫び声と共に、剣先から炎の渦が飛び、水面を打ち破ってプールの底へと突き進んでいった。そして、その炎の渦はカルキノスの群れの中へと突き刺さり、そこで爆裂したのである。
「ひゃあ!」
エルザは情けない声をあげながら、魔法の威力を目の当たりにして驚いていた。
瞬く間に大蟹のプールは沸騰し、熱湯へと変わっていく。まさに、蟹たちにとっては地獄だったろう。
強烈な熱量に泡立つ水面。そして、まるで入道雲のように立ち上がる大量の湯気。
水中では、他者を押しのけて、ひとり逃げようともがく大蟹たち。だが、そんな足の引っ張り合いから抜け出せた蟹は1匹もいなかった。
「……お見事です、セラス様……」
エルザは驚いていた。
「魔法というものは、すごいものなんですね……」
「いや、この魔剣がすごいのだ。なんでもドラゴンから採取した魔石らしいからな。只の魔剣ではそうはいかんだろう」
そうなのか。……だからキースは威力不足を気にして、油を投げていたのだな。
「それじゃあ行くぞ、エルザ。ヴィクターの部屋へ行って、証拠になりそうなものはないか、少し物色してみよう」
「はい」
2人はヴィクターの小屋へ、歩いて移動した。
2人で机の引き出しなどを捜索すると、証拠となりそうな手紙や文書、色々な資料などが発見された。
「これは、ボーマン伯爵家からのものではないか」
セラスは紙を広げて中身を改めた。すると、暗殺の依頼や盗品の売却、そして今回のセラス襲撃等に関わる指示書や、資金提供等のつながりがなど、様々な事実が判明した。そしてわかったのは、エルランディ暗殺及びセラス襲撃の実行部隊は、メラーズ男爵家によるものだということである。
それを見ながら、セラスの手は、怒りでわなわなと震えていた。
「おのれ、ボーマンとメラーズめ……。覚えておれ」
セラスは歯ぎしりした。
それと、もう一つ資料があった。ギルドマスター・ガストンがエルザを恨む理由について書かれた手紙である。それを見つけたエルザは、その手紙を見せるとともに、展望所であったことをセラスへ報告した。
「あの、ギルドマスターが、黒い蝙蝠ガスタの兄だったとは……私はなんて人を見る目がないのだろう……」
セラスは、くやしさで涙を流した。
「エルザよ……私は悲しいぞ……。そのせいで死んでいった仲間のことを思えばな……。私はこの一件が片付いたら、ボーマン……そしてメラーズ。奴らに目に物をみせてやらねば気がすまぬぞ!」
そういうとセラスは、その証拠の紙きれを机に叩きつけたのだった。
エルザとセラスは、ボス部屋を捜索した後、大きな建物へと移動した。
中にいた盗賊たちは、みんな逃げた後だった。きっとボスが死に、カルキノスが全滅した今、たかだか10名にも満たない人数では勝ち目がないと考えたのだろう。
「みんな逃げたみたいですね」
「弱ったな……馬や馬車などが残っていればいいが……」
「とりあえず、囚われた人や何かお宝がないか調べてみましょう」
2人でそう話ながら建物を捜索した。
大きい方の建物は、ほとんどが盗賊たちの居住スペースであり、そのほとんどが盗賊の部屋、共同で使う食堂やトイレ、洗面所などの設備だった。
1階の奥へ行くと、盗賊に囚われた人たちが牢へ押し込められていた。その多くが女子供で、何人かの男も牢へ入れられていた。
「これは……」
「おそらく、攫われてきたのだろう。もう少しで奴隷商に売られるところだったな」
「金のために人を攫うなんて……」
エルザは鍵を開けて、中の人を牢から出してやった。
とりあえず、女子供だけ全員を食堂へと移動させ、自分たちで食事を作るように言った。そして、一部の大人から事情を聞くと、やはり、街から街への移動中に襲われたのだという。
牢に入れられた男の中には、明らかに罪人のような男もいたので、女子供の証言をもとに、家族や同乗者など、一般人と思われる人物だけを牢から出した。
それからセラスとエルザは、ここから脱出するための馬や馬車を見に行った。
幸いなことに、馬はそこそこ残っていた。馬車も2台ある。
「湖賊の大半は船で出たから、馬に乗って行ったのは、さっき逃げた盗賊くらいなのだろう」
「これだけあれば、全員乗れそうですか?」
「ああ、この人数なら大丈夫だろう」
とりあえずは、囚われていた人たちを逃がすことくらいは出来そうだった。
セラスとエルザが馬小屋から出てくると、先ほどまでセラスを監視していた女盗賊の2人が立っていた。
セラスとエルザは、一瞬、身を固くしたが、二人はセラスたちを見るなり膝をついた。
「一体、どうしたのだ?」
セラスがそう問うと、2人の女は顔を上げてセラスを見た。
「私の名はシンディと申します。こっちはアルマです。先ほどは申し訳ありませんでした……」
そう言うと、シンディとアルマは頭を下げた。
「もうよい。それに、今の私たちはお前たちを捕えたりする余裕がない。どこなと好きに行くがいいさ」
セラスがそう言うと、2人の女は涙を流した。
「見逃してくださるとのお言葉、ありがとうございます。……実は私たち、ヴィクターの奴隷だったのです。あなた様が倒してくれたおかげで契約が解除されたようで、命令の強制力を失ったようなのです。それで、こうしてお礼を言いに参りました」
そういって、シンディは、首筋に入れられた奴隷紋を見せた。
それを見たセラスは、鼻をフンと鳴らした。
「礼など不要だ。それより、これからは盗賊などと関わらず、全うに生きよ。ではさらばだ」
「待ってください……」
セラスが背中を向けようとすると、シンディが縋り付いた。
「私たちを一緒に連れて行って頂けませんか?」
「なに? 連れて行けと?」
「はい……お供させて頂きたいのです。例えば御者などでも」
セラスはじっと、シンディの目を見つめた。
「お前も横で聞いていたであろう……我々と一緒にリールの街を出た者はすべて死んで、残ったのは私とエルザ2人だけなのだぞ。死ににいくようなものだ……やめておけ」
だが、シンディとアルマは引き下がらない。
「セラス様たちがお急ぎな事情は知っております。王女様のために薬を取りに行くと……。私は弓も使えますし、アルマは隠ぺいの魔法が使えるのです。私たちは、お役に立ちたいのです」
それを聞いて、セラスは驚いていた。奴隷紋が刻まれていたとは、心身共に自由のない日々を過ごして来たのだろう。だが、我々と一緒に来ても、辛いものだと思うのだが……セラスはそう思っていた。
「隠ぺいの魔法というと、あのブラックウルフとかいう魔獣と同じような魔法が使えるというのか?」
「はい」
「だが、そんな魔法が使えるというのに、お前はなぜ盗賊たちに捕まったのだ?」
セラスがそう聞くと、アルマはなぜか、涙目になっていた。
「実は……最初に私が盗賊に捕まったんです……そのせいで人質にされて、シンディも捕まってしまいました。私たちは、この能力をヴィクターに知られて、狙われたみたいなんです」
そういうと、アルマは下を向いてしまった。
「……そうか、言い辛いこと聞いたか。すまぬな……」
セラスは申し訳なさそうな顔をアルマへ向けた。
それを見たエルザが、セラスへ声をかけた。
「セラス様……とりあえず、アラタカ山まで一緒に連れて行ってはいかがでしょうか。そこまで二人に御者をやってもらえれば、私たちも体を休めることが出来ますし、もし襲撃があっても隠ぺいの魔法や弓があればうまくやりすごせるかもしれません」
「ううむ……そうか……でも、良いのか? 我々と関わると碌なことがないぞ」
「はい……もし、お疑いであれば、この奴隷紋に魔力を注いで頂いても結構です」
「ううむ……」
奴隷紋に魔力を注ぐということは、セラスの奴隷になるということである。
「そこまでせずともよい。私は奴隷紋を使ってまで、他人を拘束したいとは思わん。まあ、いいだろう。そこまで言うならアラタカ山までついてくるか?」
「はい! よろしくお願いします」
二人は嬉しそうに顔を上げた。
「よし、それではお前たちは、馬車の準備などをしてくれ。私たちが乗る馬車と、牢に閉じ込められていた者たちが乗る馬車とな」
「はい、では準備して参ります」
シンディとアルマは、笑顔で駆けて行った。
◆
シンディたちとわかれた後、セラスとエルザはボス小屋へと行った。
そして、証拠になりそうな品や、戦闘で使えそうな武器、宝剣などを選別して馬車へと積み込んだ。また、得に欲しいわけではないが、金貨や宝石などの財宝も、出来るだけ持っていくことにした。盗賊のアジトに残しておくと碌なことがないからだ。
「エルザよ。こんなものがあったぞ」
セラスがそういって持ってきたのは、一振りの剣であった。
「これはな、魔剣・ライトニングといってな、私のグラムドレイク並みの宝剣だ」
「そんなすごい剣が!」
エルザはグラムドレイクの凄さを目の当たりにしているので、それと同等の凄さと言われれば、このライトニングの貴重さは理解できた。
「しかし、セラス様。これほど威力のある剣となると、戦争などにおいては戦術級の兵器となりませんか?」
「魔剣にそこまでの力はないよ。カルキノスは狭いプールに閉じこもっていたから、大きな効果を発揮しただけだ。それに射程も近いし、命中精度もかなりいい加減だ。しかも3発しか打てない。使いどころを誤ると全く無駄になる」
「では、このような魔剣は、この世界にいくつくらいあるのですか?」
「さあな。正確にはどのくらいあるのかわかっておらん。隠しているものもあるだろうからな。だが5~6振といったところだろう」
「たった、それだけですか?」
「ああ。魔剣の威力は、魔石の大きさに比例するのだ。だが、今の世にドラゴン並の魔石は確保が難しい。だから高出力の魔剣は古いものが、いくつか残っているくらいだろう」
「しかし、こんな威力があるなら剣にする必要なないのいでは?」
「そりゃそうだよ、エルザ。普通は杖に魔石を仕込むのさ。剣に仕込むなんて、作成を依頼した者が剣士だったか、よっぽどの物好きに違いないさ」
「はあ、やっぱりそうなんですね」
「ああ、そうだとも。例えばテイマーなら、魔獣に指示を出しやすいように振り回しやすい形が良いだろうし、ヘクターの魔剣・ストーンバレットだって、杖で同様のものを作ったなら、もっと狙いを定めやすい形状にデザインするだろうさ。だが、威力という点でいえば、結局、魔石の大きさということになる。そういう意味では、グラムドレイク並の杖や宝剣は、合わせても20はないだろうな」
エルザは、そんな話を聞きながら、剣では勝てない領域の兵器がたくさんあることを知った。それらすべてを国家が管理しているならともかく、個人で所有している可能性も大いにありうるわけである。例えば、ヴィクターのように、盗賊が保有しているケースも大いにあるのだ。
「これまではたまたま生き残ることが出来たけど……。これからはそんな敵とも当たることになるのかもしれないのね……」
エルザは、想像もつかない、大規模な戦いに想いを馳せていた。
「……ジョーなら、魔法相手にどうやって戦うかしら?」
セラスを最後まで追い詰めたジョーという男は、これまで無敗を誇る盗賊なのだという。その戦い方はかなり強引で、斬撃も力ずくなところがある。
「私と戦い方が似ている……」
エルザはそう感じていた。そして、もしかすると、彼も身体強化の魔法が使える体質なのかもしれない。
◆
一通り、準備を済ませて、デスモン教団の施設を出発することになった。
馬車は2台あって、1台はセラスたちが使い、もう1台で囚われていた人たちで乗ってもらうことにした。
「悪いが私たちは、皆と一緒に行くことはできない。我々は狙われている身だからだ。だから、気をつけて町まで走るのだぞ」
セラスは、オーツの街で保護してもらえるよう、事情を記した書面を持たせた。
「オーツの門へついたら、この書面を見せろ。バクスター家の紋章が入っている。保護してくれるだろう」
そうして、女子供を中心に馬車へ乗せ、馬車に乗り切れない人は直接馬に乗ってもらった。そして、男には弓などの武具を持たせて、万一の襲撃に備えるよう言い含めた。
彼らを見送ると、セラスは、キッと前を向て、真剣な面持ちになった。
「さあ、アラタカ山へ行こう」
「はい……」
そして、シンディとアルマは御者台に座った。
「それでは、シンディ、アルマ……よろしく頼んだぞ……」
そう言って、セラスとエルザは馬車に乗り込んだ。
馬車の中にはいると セラスとエルザは、二人並んで横になった。
エルザは心底疲れたというように、大きなため息をついた。それは安堵のため息か、それとも今後の不安を思ってのものなのか。エルザ自身もわからなかった。
そんなエルザをニッコリとしながら眺めていたセラスは、何を思ったか、手をのばしてエルザの顔にやさしく触れた。
「エルザよ……こんなに顔を腫らして……痛かっただろう? それなのに、良く助けに来てくれたな……。私はな、今回ばかりはもうだめかと思ったんだ。……ありがとう。君のおかげで旅を続けられる」
そんな優しい言葉をかけられて、エルザは思わず涙目になっていた。
「セラス様こそ……ご無事で良かったです」
「うむ……。なあ、エルザ……我々の手で、必ずエルランディ様を助けるのだ。そのためにもな、エルザよ。……すまぬがもう少し付き合ってくれよ」
セラスがそういうと、エルザは涙を浮かべながらコクコクと頷いていた。
しばらくすると、2人は馬車をシンディとアルマにまかせて眠ることにした。激しい1日がようやく終わった。エルザは、出来ることならこの馬車に乗っている間だけでも、襲撃が来ないよう祈るのだった。
 




