第39話 悪魔教祖ヴィクター
セラスが目を覚ますと、そこは敷き詰めた藁の上にシーツを敷いただけの、簡単なベッドの上だった。拘束もされていない。
少しぼんやりと集中できない頭のまま、頑張って眠る前の事を思い出してみる……。
「確か、吊り橋で賊に連れ去られてから、何か薬品を打たれたのだったな……」
軽く身を捩った時にわかったが、ジョーに斬られた傷口も、簡単ではあるが手当されているようだ。
「打たれた薬品は毒かと思ったが、単に眠らされていただけか。麻酔薬か何かだったようだな……」
(だが一体なぜ……?)
セラスは先ほどまで命を狙われていたのに、傷の手当までされているこの現状の変化に少し戸惑っていた。
「こうして手当までされているのを見ると、殺す目的で攫ったのではなさそうだな。少なくとも、今の段階ではだが……」
周囲を見渡すと、見張りの女が2人椅子に腰をかけて雑談をしているようだった。セラスの鎧や武器は見当たらなかった。部屋の一番奥には窓があって、そこから光が差し込んできていた。その窓のある壁は全面が開くようになっていて、もともとこの部屋は倉庫か何かだと想像される。
「ところで、ここは一体どこなのだ……」
セラスはベッドから身体を起こした。すると、見張りの女がそれに気が付いた。
「起きたのかい? 今、教祖様を呼んでくるからしばらく楽にして待ってな」
セラスの話かけた女は、もう一人の女に指示を出して、どこかへと走らせた。それからセラスの方を向いて言った。
「拘束はしていないけど、逃げようとか思うんじゃないよ? 体も弱ってるんだからね……それから質問は私にじゃなく教祖様にしな……いいね?」
見張りの女はそういうと、セラスには関心がないかのように窓の外へと目を向けた。
しばらくすると、部屋の扉が開いて、1人の男が配下を伴って入ってきた。見張の女が丁寧に応対している様子を見ると、どうやら位の高い男のようだ。男はセラスが横たわるベッドのそばまでくると、そこにあった椅子へ腰をかけた。
おそらくこの男が教祖様なのだろう。やせ型のひょろっとした男で、細長いあごひげを伸ばしていた。そして、僧侶たちが好んで着るような僧服を着ていたが、その色彩は赤と黒でデザインされていて、割とどぎつい色合いをしていた。
「気分はどうだね、セラス殿」
セラスは薬で朦朧とする頭を働かせようと、眉間に皺を寄せてみた。
「傷の手当までして頂いて……あなたは一体?」
「私はヴィクター。デスモン教の教祖ですよ」
エスタリオン王国の国教は、女神ソフィアを信仰する、通称女神教と呼ばれるものである。その立場からすると、デスモン教は邪教…… 表立って活動することは出来ず、秘密組織として闇にまぎれ活動していると聞く。
「あなたがデスモン教の指導者なの?」
セラスがそう聞くと、ヴィクターは小さく頷いた。
「ええ。そうですとも」
ヴィクターはそう言ってセラスへとほほ笑んだ。
「私を一体、どうするおつもりか?」
セラスはそう言って表情を読もうとヴィクターを見たが、ヴィクターは探らせまいと無表情を装った。そして、無理に作り笑いをした。
「いやなに、今のところは危害を加えるつもりはありませんよ。……その辺はあなた次第」
「私次第?」
ヴィクターはセラスへ睨むような鋭い視線を送る。
「実はね……私は、さる貴族からの要請であなたの命を狙うように言われ、リールの盗賊たちに協力していたのですよ。だが、そういうのは私の本意ではない。仕方なく加担したのです。……私はね、場合によってはセラス様の方についてもいいと思っているのです……つまり、あなたのヴァルハラ行きを手伝おうということです」
「私の方へ付くと?」
セラスは、この男の真意を図りかねていた。
「ヴィクター殿……。その条件とは?」
セラスが問うと、ヴィクターは細長い顎髭を指でつまみながら、セラスを後目に見た。
「その前に、あなたたちが盗賊たちに襲われた状況についてお聞かせ頂きたい」
セラスは冷や汗をかいた。
現在の状況を考えると、セラス達は、ジョーをはじめとして敵勢力をほぼ壊滅させたと言える。その状況の変化が、セラスに対するヴィクターたちの態度が変わった理由なのだろうか。
だが、武器もない状況で、彼らと喧嘩をしても勝ち目はない。セラスは、とりあえずは自分たちの受けた襲撃について話してみることにした。ただし、エルザが生きていることだけは伏せることにして。
「こうして手当までしてもらった恩もあるし、とりあえず、私の誠意を見せるため、わかる限りでお話しようと思う。まず我々は、はじめに展望所で襲撃を受けた。リールの盗賊たちとうちの騎士団などが衝突し、最終的には私を除いて双方が全滅した……全滅というのは戦闘不能になったということだ。生きている可能性はある」
ヴィクターはギロリとセラスを見た。
「ほう。それで、そこにはどんな敵がいたのご存知ですかね?」
「まず展望所での攻防から話すが、私の味方のふりをしていて潜入していた敵がいた。ガストン、ベリー、キース、ヘクター……思いつくのはそんな感じだ」
「メスラーという盗賊に見覚えは?」
「知らないな。だが、死んでいるとしたら、展望所で死んでいるはずだ」
「なるほど……それからどうなったんだね」
ヴィクターは話を即した。
「展望所を出てからは、ジョーというとてつもなく強い戦士に執拗に追いかけられた。だが、この男も吊り橋の手前で配下の女剣士によって倒された」
ここでヴィクターは大きく驚いていた。
「ほう……あのジョーを倒したのか……」
「ああ、それは本当だ。だがジョーは、首から血を吹いていたが、死んではいない。……なにせあの強さだ。戦闘不能になったとはいえ、我々は止めを差すのを諦めて逃げたのだよ」
「なるほどそういうことか……では、魔獣使いはどうした?」
「魔獣使いか……最後に配下の女剣士と戦っていたが、一緒に吊り橋から湖に落ちていった。その時、配下の女剣士と筋肉質の2人組は相討ちで死んだ。だが、リーダー格のテイマーは、湖の島の方へ泳いでいくのを見たぞ」
「ほう! ではコレタは生きているか」
ヴィクターはそのテイマーの生存を喜んでいるようだった。
「知り合いなのか?」
「弟子じゃよ。ワシは魔術師でもあり、テイマーでもあるんじゃ。……今回の作戦に助っ人として行かせたのだが……お前さん方も相当強いメンバーをそろえておったのだな」
「ああ。だが、私以外は全滅……生き残った私もこの様だ。共倒れと言っても過言ではない」
「なるほどな……」
ヴィクターは頷くと、後ろに控えていた男へ指示を飛ばした。
「おい、ガット。お前がリーダーとなって捜索してこい。……いいか。船で向こう岸にわたって、中の島と、吊橋の向こう側、展望所、この3か所捜索するんだ。もし、誰か生きている者がいたら、メガ婆のところへ連れていくんだ。そこで治療を受けさせろ。大至急だ! 20名ほど連れて行け」
「へい、わかりやした」
ガットはそう返事をすると、部屋から出ていった。
ヴィクターはそれを見届けると、セラスの方へ向かい合った。
「さて、ひとまずはこれで良し……」
そう言って笑うと、セラスの方をじっと見た。
「それで、あなたの処遇なのだが……色々考えたが、人質になってもらうのが一番現実的だと思うのだが、どうかね?」
セラスはそう言われて、困った顔をした。
「それは困る。金が惜しいのではない。あなたも知ってのとおり、緊急の要件でヴァルハラまで行かねばならぬのだ。今は手持ちしか持ってしないが、必ず金は用意する。だから、とりあえず解放してもらえないだろうか」
そういうと、ヴィクターはゆっくりと首を振った。
「セラス殿。金の問題ではないのだ。これは心の問題。信仰の話だ」
セラスは怪訝な顔をした。
「信仰の話だって?」
「ああ、そうだとも。セラス殿……あなたを人質に取って、エスタリオン王国に、デスモン教を認めてもらう交渉に入りたいのだ」
セラスは目を剥いて言った。
「冗談じゃない! 私のような侯爵家の娘ごときが、そんな国の大事と引き換えになどできるはずがないだろう! 私を人質にとったとて、そのようなことを国が認めるはずがない。下手すれば軍が動くことになるぞ」
「なにを興奮しておるのじゃ。ワシはなにも国教として認めて欲しいとは言っておらん。今のような隠れて布教するような立場を改善してほしいだけなのじゃ」
ヴィクターの主張に対して、セラスは真向から否定した。
「しかし、デスモン教とは、巷では悪魔教と呼ばれ、人々に幻覚や幻影を見せ、世を惑わすともっぱらの評判ではないか」
セラスの主張に対して、ヴィクターは困ったような顔をした。
「それは偏見ですよ、セラス殿。敵対宗教のことを悪くいうのは世の常。女神教信者の皆さまはすぐにそういう、悪意を込めて我々を語りたがる」
それに対して、セラスはヴィクターを凝視しながら、口を開いた。
「私は人々の苦しみを和らげ、苦悩を解き放ち、迷える者の道しるべとなる宗教なら一向にかまわんのだ。だが、デスモン教はどうだ。信者の財産を巻き上げ、無償で労働をさせ、国民を苦悩の坩堝へと叩き込んでいるではないか」
そういうと、ヴィクターは大げさに両手を広げ、眉間に皺を寄せながら大仰に言った。
「何をおっしゃる! 私財の提供は、信者自身がデスモン教を維持したいがために行っていることですぞ? それをそんな悪意に捉えられては、信者たちも悲しむだろう」
「だが、わがバクスター領でも、色々と問題になっているのだぞ。変な花瓶を売りつけられたとか、家を取られたとかな。回りの家族はたまったものではないのだ。もっとも、信者自身は夢を見せられ、幸せなのかもしれぬがな」
それを聞いてヴィクターは、ハハハと笑い飛ばした。
「何を言うかと思えばそんな事を。要するに、あなたは本人より周りの人間のことを気にしておられるのですな? しかし、本人の金を、本人がどうしようと勝手ではありませぬかな? それを回りの人間が、とやかく言うなど図々しいと言わざるを得ませんな」
「お前たちがそのように誘導しているのだろう? 例えば栄養失調状態にして思考を鈍らせたり、薬物を使用したりして……私はそう報告を受けているのだぞ」
セラスの物言いに、ヴィクターは少しムッとした顔付きで見下ろしてきた。
「まあ、何かと誤解はあるようで、どうやらセラス殿には理解してもらえぬようだ。……仕方がない。それではデスモン教の真の力をお見せしようではないか」
「なんだそれは、力を見せるだって?」
「ええ、そうですとも。デスモン教は実務の宗教……デスモン教の教えを知ると、色々なことが出来るのですよ。デスモン教の経典を読むと、魔術の体系とは離れた形で魔素を扱う……そういった実用的なことも学べるのですよ。つまり、我が神デスモンの力によって、強力な力を授けてもらえるわけです」
「何を馬鹿な。そんなことあるはずがない。ただ、表現を変えて同じことを別の言葉で語るのは、魔術と別体系とは言えないのだぞ!」
「それほどまでいうなら見せてやろう。セラス殿。あなたのその目で、しかと見るのだな」
そういうと、ヴィクターは立ち上がった。
「おい!そこの扉を開けろ!」
ヴィクターがそう叫ぶと、部屋の正面にある窓の付いた大きな扉が開かれた。
その先には大きなプールのようなものが広がっている。ヴィクターはそこへ魔石の埋め込まれた杖を向けると、魔力を流し始めた。
すると、水の中から1匹の巨大なカニが現れたのだった。
「な、なんだこれは!」
セラスが驚いていると、ヴィクターはその姿を見て愉快に笑った。
「は、は、は! この大蟹は魔獣、カルキノス。この巨大プールの中に10匹ほど飼っておる。こいつは剣も槍も、矢も効かぬ。たとえ軍を派遣されたとて、そう簡単には敗れぬぞ?」
ヴィクターは、そういうと杖を一振りする。すると、1匹のカルキノスがノッシ、ノッシと前へ出てきて、セラスの部屋へ爪を伸ばしてくる。
「きゃああ!」
セラスは思わず悲鳴を上げて、身を捩った。
「は、は、は、囚われの身でありながら、反抗的な態度を取るからだ。何が軍を派遣するだ。何が騎士団だ。この、カルキノスを前にして何ができるか、己の身でよう味わってみい!」
そういうと、ヴィクターは杖を振った。するとカルキノスは半身を部屋の中へと突っ込んできて、大きな爪を雑に振り回したので、セラスのそばにあった小テーブルや家具などが木っ端微塵に吹き飛んでしまった。
「きゃーっ!」
カルキノスは爪を所構わず振り回し、天上や柱も倒し折った。その騒動でセラスも爪で追われて、悲鳴をあげながら逃げ惑っていた。
「は、は、は、なにを驚かれる。カルキノスは、教祖である強大なワシの魔力によってのみ支配可能な魔獣なのだ。こんな大量の大蟹を従えることのできるワシは、王国一のテイマーと言ってよいじゃろう。これこそ、デスモン教信仰の結果というものじゃ!」
ヴィクターは得意気にしゃべっている。
「自慢か!」
「いやいや、事実を述べただけじゃよ」
大蟹カルキノスは、セラスを甚振るように、部屋を破壊し続ける。
「は、は、は、これはすまない。セラス殿がくつろぐスペースがなくなってしまったな! 失敬、失敬」
ヴィクターは、そんなことを言いながら、セラスへ手枷をかけた。
「悪いが拘束させてもらうよ。どうやらあなたと私では随分と意見が違うようですからな。……だが、これでも牢へ入るよりましだろう。セラス殿への処遇が決まるまでは、部屋で軟禁させてもらう。心配せずとも、殺しはしない……今のところはな。おい、誰か隣りの部屋へ連れていけ」
「はい」
「セラス殿。くれぐれも、逃げようなどとは考えないように。もし、そんなことがあったら、目の前のプールから大蟹カルキノスがワラワラと這い出して来ますからな」
見張り役の女が2名近づいて来て、セラスの両脇を抱えて立たせた。そして、セラスを扉から連れ出していく。その去り行くセラスの背中へ、ヴィクターは声を投げた。
「それではセラス殿。私はまず、あなたから頂いた、魔剣の力を試させてもらうとするよ。感想はまた、後ほど……」
セラスは振り向いて言った。
「あの剣に魔力はもう残っていないぞ」
するとヴィクターはニヤリと笑った。
「ご心配には及ばぬよ、セラス殿。わしも魔剣は一振り持っておる。魔力充填の魔道具は保有しとるよ」
それを聞いたセラスは振り返ったままヴィクターを睨みつけた。
その顔を見たヴィクターは、満足気に笑ったのだった。




