第27話 赤龍のブレス
リールの街の西側には、商人が多く住むエリアがある。
そこに、一軒の中規模なお屋敷があった。
ダウル商会の支配人、ダウルの屋敷だ。
ダウルは元B級冒険者である。
有能な冒険者だったダウルは、稼いだ資金を元手にして商売を始め、魔物素材や薬草などを扱い手広く儲けていた。いわゆる今、最も勢いのある新興勢力の商人なのだった。
その、ダウルの屋敷近くに、3人の人影が見えた。
この3人は一応、冒険者だ。パーティー名は「赤龍のブレス」といって、A級冒険者として活動をしている。
前衛の斬り裂きベリー、回復役の薬屋ヘクター、魔法使い火事場のキースの3名である。
表向きは冒険者だが、裏では汚れ仕事も請け負う犯罪者としての一面を持つ、なんとも薄汚れたパーティーなのである。
「明日からガストンさんのお供でヴァルハラまで行くっていうのに、あの人は、前日にこんな仕事をさせるのかよ」
「そうぼやくなキース。仕事をした後、街から離れる用事があるなら、身を隠すのに都合がいいじゃないか。ましてやギルドマスター直々の依頼だ。疑われることはまずないだろう。喜ばしいことじゃないか」
「そうは言ってもよ、ベリー。明日の朝6時出発だぜ? お前だって眠くてあくびが止まらないと思うぜ。……なあ! そうは思わねえかよ、ヘクター?」
「それに関しては同意だが、そんなことを言っても仕方がない。さっさと終わらせて帰るだけさ……。それに、ギルドマスターの後ろ盾は失いたくないからな」
「そうだ。後ろ盾があるからこそ、裏で汚れ仕事をしていても、お咎め無しなんだからな」
「フン! 取り締まる側の冒険者ギルドのトップが、暗殺の依頼も取りまとめているなんざ、みんな夢にも思っちゃいないだろうがな」
「ホントそうだな。……まあ、そんなことはどうでもいい……さっさと終わらせて、帰るとしようぜ。俺は眠りたいんだ」
「違げえねえ。……おい、そろそろ覆面を被っておけ」
そう言いながら、3人はダウル邸の門までやってきた。
門の前には2人の警備員が立っていた。
「それじゃ、行くか」
そう言いながらヘクターは、警備員に剣を抜いて近づいていく。
「何だお前は!」
「それ以上近づくな!」
「近づくなだって? ああいいとも……これ以上近づかないでやろう」
ヘクターはそう言うと、剣を中段に構えて、剣先をひとりの警備員へ向けた。
すると、バシュッ! バシュッ! と音がしたかと思うと、警備員は腹から血を流しながらうずくまったのである。
もう一人の警備員は、驚愕の表情を顔に浮かべながら、倒れた同僚を見ていた。
「何だ……一体何が……?」
警備員がヘクターを見ると、ヘクターはニヤリと笑って剣を構えた。
警備員はうろたえて剣を手放した。
カラン……と剣が地面に落ちる音がする。
「……魔法か? 頼む! 許してくれ! 命だけは!」
「ふむ、命を助けろと? ……いいだろう。だが、その対価は払ってもらわなければならないな。まずは、そこの門の鍵を開けろ」
「わ、わかった……今、開けるから!」
警備員は、震える手で鍵束を握ると、門の横にある通用口の、鉄の扉にある鍵穴へと差し込んだ。
ガチャリと鍵が開くと、警備員はギーッと金属のこすれる音を出しながら扉をゆっくりと開いた。
「ご苦労、ご苦労……」
「で、では、助けてくれるので……」
警備員が脂汗を流しながら振り返ると、その視線の先には、ヘクターの剣先があった。
「ちょっと、鍵を開けたじゃないですか!」
警備員が脂汗を流しながら、両手を広げて抗議したが、ヘクターはニヤリと笑うだけだった。
そして、剣の鍔にある5ミリ程度の穴がピカリと輝くと、警備員の眉間にドスンという音を立てて石ころが突き刺っていた。
「ぐぁあっ!」
警備員は、悲痛な顔で恨めしい目をヘクターへ向けながら、その場へ崩れ落ちた。
額は割れ、血がこぼれていた。
「相変わらず、えぐいな。お前の魔剣は。だが、お前なら、そんな石ころを飛ばさなくても、剣で斬った方が早かっただろう」
「こんな雑魚に使うまでもないのだが、たまに使っておかなければ、射撃勘が鈍るからな」
そう、この剣は、射撃する魔剣……ストーンバレット。
これはヘクターが改造を施した魔剣なのだが、土魔法の魔石が埋め込まれていて、魔力を込めると小さな石を生成し発射される。そのため、被害者の死体を見ても、凶器はその辺の石つぶてだと思わせることができるわけだ。
それよりも、剣と剣で打ち合っている時に発射されると、相手の剣士はたまったものではない。中段に構えたと思ったら、ノーモーションで石が飛んでくるのだ。
「それにしても、簡単に扉を開けちゃって。安い給料で雇おうとするから、こんな雑魚しか集まらねえんだよ」
キースがそう言うと、ベリーは首を振った。
「いや、高くても、こんな退屈な仕事には、腕利きは集まらんぞ。それにな、いくら腕利きでも、こんなところに突っ立って暇を持て余していたら、腕も錆びついて駄目になっちまうだろう」
そう言いながら、3人は中へと入って行った。
まずは、事前にもらっていた情報をもとに、使用人たちの寝込みを襲っていく。ベリーたちは、声ひとつ立てさせないよう口を塞いで、剣で刺していった。
そして最後は商会の主・ダウルの寝室である。
キースは部屋へ入るなり、夫婦の眠る布団をはぎ取った。
「おら! 起きな! 朝だぜ!」
いきなり、布団をはぐられたダウルは驚いて目を覚ます。
布団には、ダウルとその妻が、裸のまま眠っていた。
「お前ら一体何だっ!」
ダウルは起き上がったが、裸なので手元に武器もない。
ダウルは素手で、キースとベリーへ殴りかかっていく。
そんな相手に、2人は剣を抜くなどという、無粋なことはしない。
2人がかりでボコボコにして、ゆっくりと甚振るのだ。
ダウルはそこそこ戦える冒険者だった。だが、キースとベリーの武力は突出している。しかも2対1だ。
しばらくすると、ダウルは血を流しながら床へと倒れ伏した。
「良し、準備運動はこのくらいで良し……」
そういうと、ベリーは、ベッドへと向かって改めて布団をはぎ取る。
「キャア……許して……許してください……」
中から蚊の鳴くような声がして、裸の女が丸く蹲りながら震えていた。
「許して……許して……」
ベリーは女の手を乱暴に引っ張りあげた。
「お前が、そんな恰好で寝ているのかいけないんだよ」
ベリーはそう言いうと、女を裸のまま引きずって隣の部屋へと向かった。
「俺はちょっと一汗かいてくるから、お前らはそいつと遊んでろ」
そう言うと、ベリーは扉の向こうに消えた。
その一部始終を見ていたダウルは、ふらつきながらも立ち上がって、拳を構えた。
「妻を……妻を一体どうするつもりだっ!」
ダウルは血の涙を流しながら、吠えた。
キースとヘクターは、ニヤニヤしながらダウルに言った。
「さあな。だが、だいたい解んだろ? 何をするか。……お楽しみさ」
「ちくしょう!」
ダウルが飛び掛かろうとするのを、キースは制止した。
「ちょっと待った。……お前、女房のことが心配なんだろ? いいのか? そんな投げやりな態度で。いいか。……正直に金の在処を吐けば良し。吐かなければ……お前の女房の命はないだろうな」
ダウルは拳を握りしめ、近くにあった小さなテーブルに叩きつけた。
「ちくしょう!」
ダウルは苦々しく歯をギリギリと噛み締めると、顔をあげて言った。
「わかったよ! わかったから……妻だけは許してやってくれ……」
「フフフ……素直になるのはいいことだぜ……」
キースがそういうと、ダウルは裸のまま、隠し金庫のある部屋へと先導して行った。
そして、金庫の前で魔道具を起動させて、重い扉を開いていった。
「さあ、ここにあるものが金のすべてだ。権利書も借用書も、現金もここに入っている。あとは妻の鏡台にいくつか宝石があるくらいだ。さあ……頼むから妻を解放してくれ……頼む」
キースとヘクターは、言葉を失っていた。
「ほう……これは中々の金額だ」
「持って帰るのに骨が折れるな……」
そこで、奥の部屋から女の悲鳴が響き渡った。
「ぎゃぁぁぁ!」
ギョっとしたのはダウルである。
「何だ? 何なんだ? 今の悲鳴は!」
ダウルは縋るような顔で、キースとヘクターを見た。
「やめてくれよ! なあ。金の在処は教えただろう? 頼むよ! 妻にひどいことしないでくれ!」
キースはヘラヘラと笑った。
「あいつは変態なんだ。体を切り刻んで、血を見ながらするのが好きなんだと。頭おかしいだろ」
ダウルの顔は絶望で真っ青になり、それから怒りで真っ赤になっていた。
ダウルは言った。
「なあ! 妻への乱暴はやめさせてくれ! ここにある金はもちろん、土地や建物の権利書など、換金し辛いものも、金に換えて渡すと誓うから! 頼むから妻への乱暴はやめさせてくれ!」
「ほう」
ヘクターは関心を示すかのように声をあげた。
「なかなか魅力的な提案だが、却下だ」
「なっ、なぜだ?」
「金庫が開いた今、もう手に入ったようなものじゃないか」
「そんなっ……じゃあ、お前ら嘘をついていたのか! 金の在処を吐いたら、妻を助けると言ったのは嘘だったのか!」
「おいおい、俺はお前の女房の命はないと言っただけだぜ?……まあ、金庫の在処を吐いたからといって、助かるとは言ってないがな」
「ちくしょう! すべて出鱈目なのか! この嘘つきめ!」
そう罵られると、キースの顔色は変わった。
「そこまで、言うならチャンスをやるぜ。今からお前に5分、時間をやる。その間に剣と防具を身につけるんだ。そのうえで、俺を倒してみろ。そうしたら、俺たちはここから立ち去るぜ」
そういうと、キースは剣を鞘へ納めた。
それを見て、ダウルは無言で服を着始めた。
「俺は、金を運び出しておくぞ」
そういうと、ヘクターは、金を背嚢に詰めて、下に用意している馬車へと運び出す作業を始めた。
ヘクターが部屋から出て行くと、ダウルはニヤリとした。
これはチャンスかもしれない。
ダウルは服を着て、靴を履いて防具を装着し、剣を腰に差した。
そして、剣を抜いて、剣先をキースへと向けた。
それを見たキースは、待ちくたびれたとばかりに、雑に剣を抜いた。
「用意は出来たか? じゃあ、相手をしてやろう」
「ほえずらかくなよ!」
そういうと、ダウルは斬りかかって行った。
ダウルの剣は、重めの長剣。
振り回しながら、キースへ斬りかかっていく。
キースはダウルの剣を受けとめ、お互い剣と剣とを打ち鳴らす、激しい戦いとなった。
剣と剣とがぶつかり合って、ガンガンと金属音が鳴り響く。
単純な力という点では、2人の力は拮抗しているように見えた。
それもそのはず。
ダウルはその剣撃の激しさから、暴風のダウルと呼ばれていたのだった。怒涛のような振り下ろし……そこには怒りに満ち溢れ、いつもの数倍力が籠っているかのように見えた。
早く倒さないと、ダウルの愛する妻の身が、どんどん危険にさらされていく……。
ダウルは怒りのため、我を忘れたバーサーカーとなっていた。
ガキン! ガイーン!
鋭い刃と刃がぶつかり合う。
剣と剣との衝突で薄い刃先は欠けて飛び散り、その破片は2人の顔や体に突き刺さっていく。
そして、あまりに打ち合いが激しかったため、ダウルの剣先が折れ飛んだのである。
折れた剣先は、ヒュルヒュルと飛んで、壁へと突き刺さった。
「まだまだっ!」
怒りに燃えるダウルの剣は、まるで強大な鈍器のように、相手を打ち潰そうと叩き落としてくる。
その、振り下ろされた剣をキースは右に弾き飛ばして、そのままダウルの左腕を斬り落としたのだった。
「ぐああああっ!!」
ダウルの剣は、腕ごと床へ、ボトリと落としていた。
血が噴出し、みるみるうちに床が赤く染まっていく。
「なかなか、良い戦いだったが、俺にはまだまだ及ばねえ感じだったな」
キースはそう言うと、ニヤリと笑った。
「くそ! もう少しだったのに!」
ダウルはその場で膝を付いて、そう叫んだ。
その言葉に反応したキースの目が、だんだん細くなっていく。
「もう少しだって?」
キースは笑いだした。
「あはははは、お前は、どれだけ節穴なんだ。B級冒険者風情が、本気で勝つつもりだったのかよ?」
「なんだと?」
「まあ良い……冥途の土産に見せてやろう……。俺の必殺技をな」
キースはそう言うと、なんだか小さな玉のようなものを投げてきた。
ダウルは剣でそれを弾こうとしたが、それは剣に触れるとすぐさまそこで割れて、中の液体がダウルの頭から降り注いだ。
「これは……!」
ダウルはギョッとした。
「この臭い液体……まぎれもなく、油!」
ダウルはキースへ顔を向けて睨みつけた。
「その通り。それは油。そして、この剣の名はフレイム。その名の通り炎を纏う剣……」
そう言うとキースは剣に魔力を込めて行く。魔力が入るに従って、刀身が赤く炎に包まれ、チロチロと揺らめいていた。
「その技……お前、まさか! 赤龍のブレス!」
「そのとおり! 見ろ! この剣から立ち上がる炎は、龍のブレスみたいだろう? さあ、知られてしまったからには生かしておくわけにはいかねえ……死んでもらうぜ」
「ぐうう、やめろ! ……やめてくれ!」
「もう、遅い!」
そして、キースが魔剣フレイムを振ると、剣先から炎の玉が飛んで、ダウルの体を包み込んだ。
「ぐああああ……!」
燃え上がるダウルの体。断末魔の悲鳴を上げながら、時間をかけてゆっくりと焼かれていく……。
「マイン……マイン……すまない……すまないーっ!」
そう言いながら、ダウルは焼かれていく。
「あああーーっ!」
ダウルは叫びながら、妻のいる部屋へと歩いていこうとしていた。
だが、その歩みもすぐに緩慢となって、ついには動かなくなった。
ダウルは立ったまま燃えていた。……だが、やがて、ドスンと音を立てて倒れ落ちた。
ヘクターが部屋に入ってきて、キースに声をかけた。
「終わったか?」
「ああ、終わった。まあまあ楽しめたぜ。あんたの言う通り、予行練習は必要だな。ガストンさんの仕事じゃあ、この技も使うことになるかもしれねえ」
「そうだな」
キースがヘクターと話していると、ベリーがすっきりとした顔をして帰ってきた。
「キース、もう終わったのか?」
ベリーはシャツの前ボタンを留めながら、キースの方へと歩いてきた。
「ああ、終わったよ。あんたが遊んでいる間にな」
「へへへ、すまんな」
「まあ、いいさ。その代わり、明日はぞんぶんに働いてもらうぜ。俺たちは少々疲れたからな」
「ああ、任せておいてくれ」
そう言うと、ベリーは笑った。
「ところで女はどうした?」
今度はヘクターが聞いてくる。
「死んだよ」
「死んだか……」
「ああ……。それじゃ、とっとと、お宝を運び出して帰ろうぜ」
ベリーは袋を掴んで金庫へと向かった。
「ベリー。てめえが一番運ぶんだぞ。なにせ仕事をさぼっていたんだからな」
「ははは、じゃあ、もうひとがんばりするか」
そう言いながら、3人は金目の物を運び出して、そのまま馬車で逃げ去った。
次の日、騒ぎを聞きつけた自警団によって屋敷の中が捜索されたが、中にいた侍女や執事、護衛からコックに至るまで、すべての命が断たれていたという。そして、最も凄惨だったのは、妻のマインの遺体だった。
マインは裸のまま首を絞められ、全身、至る所に刀傷があり、鼻や指などの欠損部位が多数見られたという。
その腕は虚空を掴み、爪には何者かの血肉が詰まっていた。そして、マインの顔は、恐怖と絶望、怒りと悲しみで歪み、何才か年を重ねたかのように皺だらけになっていて、それが貼り付いたように硬直していたという。その様相はまるで悪鬼のごとく恐ろしいものだったそうである。
「ああ、マイン……お前は地獄を見たのか!」
「なんと……なんということを……」
この屋敷で働いていた侍女や執事の家族をはじめ、多くの人々が屋敷に駆け付けた。
そして、この凄惨な光景を見たものは、立っていることすらできず、その場へ膝をついた。
滂沱、ただ、滂沱だった……。
集まった人々は、この鬼畜の所業に対して、涙を抑えることが出来なかったのである。




