第16話 闇の銀狼
リールの街を行く、馬に跨る一人の男。
「痛え…痛え…」
エルザに足を折られて、リールの街まで逃げてきたデニスは、一目散にメスラーの所へ向かっていた。膝の治療を後回しにして、デニスは涙目になりながら馬を走らせていた。
黒い蝙蝠のアジトまで来ると、デニスは落ちるように馬から降りた。
「痛ててて……ちくしょう……」
あまりにも痛いので、デニスの目からは自然と涙が零れ落ちたが、こんな姿を他の盗賊に見られるわけにはいかない。デニスは袖口で涙を拭いてから、アジトの扉を叩いた。
中の盗賊に事情を説明すると、デニスは、他の盗賊に両脇を抱えられながら、奥の部屋へと連れて行かれた。奥の部屋にはメスラーがソファに腰かけながら、舌の上でウイスキーを転がしていた。
「メスラーさん、連れてきやした」
メスラーは、口に含んでいたウイスキーをゴクリと飲み干すと、ソファを指差して言った。
「ああ。そこのソファへ座らせてやってくれ」
「へい」
メスラーがそう言うと、デニスは両脇を抱えてくれていた二人の盗賊に介助されながら、なんとかソファに腰を下ろした。
「痛ててっ!」
デニスは声をあげた。
「メソメソするなデニス。なんだその様は」
メスラーが冷たい目でそう言うと、デニスは脂汗を流しながら口を開いた。
「すみません……今日はこの足のことも関係する話しで……例の赤髪の女がリールに向かってます。アッシはリール郊外であの女と戦って、足を折られたんです」
するとメスラーは薄らと、口の端を上げた。
「ほう……赤い髪の女はいつ、リールに着くんだ?」
「ええ。それが今日の夕方にはリールに着くんですよ。それで、急いでメスラーさんに知らせなきゃならんと思いまして、足の治療も後回しにして、急いで駆けつけたってわけです……」
「あの女と戦って、よく足だけで済んだな」
「アッシ、一人だったら死んでやしたよ。実はドゴンの親分と一緒に、ゴント村からリールへ向かう駅馬車を襲ったんです。そしたらその馬車に赤髪の女がいて……ドゴンの親分もやられちまいやしたよ」
「何? ドゴンがやられたのか……」
メスラーは軽く驚いていた。
「へえ、殺されてはいないようでしたが、腕か足を斬られたか、折られたか……歩くことも出来ねえ感じでした」
「ふむ……じゃあ、恐らくドゴンもリールに連れて来られるな……。治る程度の怪我だったら、助け出して仕事を手伝わせてもいいんだが……まあ、そっちは別の者に探らせよう。」
そういうと、メスラーはウイスキーを口に含んだ。
「それともう一つ情報があるんで……。赤髪の女と一緒に行動している小娘がいるんですが、そいつは帝国の少数民族、タミル族の女なんです」
「なんだ、そのタミル族というのは?」
「生まれつき治癒魔法が使える民族でして、帝国に高値で売れるそうなんすよ」
「ほほう! それはいい話だな。……気に入ったぞデニス。……よし、お前は、メガ婆の所へ治療に行って来い。後はこっちでやる」
「へえ……ありがとうございます……」
メスラーは部屋の外へ向かって大声をあげた。
「おい! 誰か、デニスをメガ婆の所へ連れて行ってやれ」
すると、2人の盗賊が部屋に入ってきた。
デニスは、その盗賊たちの介助を受けながら、部屋を出ていった。
「エルザめ、いつかはリリスに会いに来ると思っていたが……ついでにお土産まで担いでくるとはいい感じだ。……ようし、このチャンスに動いていくぞ。おい、誰か馬を出せ。今からライナーの所へ行くぞ!」
「へい、今すぐ準備します」
そういうと、メスラーは慌ただしく馬に乗って、街の中へと駆け出していった。
◆
薬を調達すべく王都を出発したセラス一行は、2時間ほど走った郊外で、20人ばかりの賊に襲われていた。セラスは、父よりヴァルハラ行きの命を受けてから、わずか1時間で王都を出たのである。なのにこの待ち伏せは一体何なのか。セラスは怒り狂っていた。
「くっ! 一体どこから我々の出立がもれたのだっ!」
セラスは歯軋りした。苛立ちと怒りで顔を真っ赤に染めながら、敵の賊どもを睨みつけていた。
「全員、戦闘配置につけ! この程度の賊ごとき、一気に片付けるぞ!」
セラスはそう言うと、馬上でグレイブを構えた。
騎士団では、馬上で戦うことを想定して槍を使う所が多いのだが、セラスの隊では槍の穂先が剣になっているグレイブを使っている。もちろん、槍よりも扱いが難しい武器だが、セラスの隊では、乱戦となった時、多様な戦い方の出来るグレイブを選択したのだった。
エルランディの薬を調達に行くメンバーとして、セラスは、自分の騎士団から、信用における者を6名選んでいる。メイス副団長、バートン、アリスの3名はグレイブで接近戦を、アデル、リース、カイルの3人は弓を担当している。
「弓隊は先制攻撃! その後、拡散して群れから離れた賊を射抜いていけ! メイス、バートン、アリスは私に続け! 突っ込むぞ!」
そういうとセラスたちは、弓で先制攻撃、その後、賊の群れに突撃していく。
「うおおおおーっ!」
突入の勢いに任せて、4名の騎士たちは、グレイブで賊を突き刺していく。
「ぐわっ! おおっ!やられたっ!……」
敵の悲鳴と味方の怒号……そして、グレイブによって斬り裂かれる骨と肉の音が響き渡った。
「ぉぉおのれええ! 賊どもぉ! 騎士をなめるなぁっ!」
セラスは白い顔を真っ赤に染めて、怒りの刃を振るった。その刃には全く容赦というものはなく、セラスが通りすぎた後はまさに血で真っ赤に染まり、刃先が届く場所にいた賊で、無事に立っているものは一人もいなかった。
「うわっ!やられた!」
「こんなに強いなんて聞いてないッ!」
セラスたちが賊の群れを突き抜けた時、賊たちの人数は半減していた。
セラスが馬首を返して賊を睨みつけると、生き残った賊たちは背中を向けて逃走していた。セラスはその背中を苦々しげに睨みつけると、馬首を返して皆に言った。
「今は一刻の時間も惜しいッ……いちいち雑魚を追うのも面倒だ。先を急ぐぞ!」
「ははっ!」
セラスはそう言うと、砂煙を上げて、猛烈に馬を走らせて行った。
セラス一行の立てた砂煙が消えゆく頃、一人の男が茂みの中から姿を現した。
「やはり、急場しのぎの素人では、時間稼ぎにもならなかったか……」
この男こそ、エルランディ暗殺に関わる実行犯。ジェームズである。黒い蝙蝠がゴント村を襲撃した際には、旅商人と称して頭領ガスタと接触していたが、実はメラーズ男爵家の執事という肩書きも持っている。メラーズ男爵家は、第三王女派の貴族で、最も過激なグループに属する貴族である。
「せっかく病気に見せかけて殺そうとしたのだから、そのまま死んでくれれば良かったのだがな。あの医者も珍しく仕事をしたもんだ。……だがこのあたりまでは想定内。この先で待ち伏せしている双頭の竜には、もう少し準備の時間をやりたかったが、まあ仕方がない。あいつらならうまくやるだろう」
そう言うと、ジェームズは馬に飛び乗った。
「この際、あの生意気なバクスターの娘を始末してやろう。双頭の竜には、払った金に見合う働きを見せてもわねばな」
そうつぶやいたジェームズは、口の端を少し上げた。そして馬の腹を蹴って、セラスたちの後を追うのだった。
◆
日も暮れようとする夕方のこと。
駅馬車の発着場では、遅れていたゴント村からの駅馬車が到着したことで、俄かにざわついていた。
護衛のアルヴィンが先触れに来ていたこともあってか、リールの街での対応は早いものだった。
街の自警団はすでに到着しており、冒険者ギルドのギルドマスター・ガストンも顔を出していた。そして、今回、取り押さえられたドゴンとリックは、自警団へ引き渡されていた。
到着した駅馬車から降りてきた御者のバートは、待っていた駅馬車の経営者・ロジャーに一部始終を報告していた。それと、今回の防衛で活躍したエルザを紹介し、事情の説明等行っているようだった。
「おい、あの女だ。見てみろ」
メスラーは、遠眼鏡の筒をライナーに渡しながら言った。
「どれどれ……」
「駅馬車のロジャーと話をしている赤い髪の女がいるだろう? そいつがエルザだ」
「ほほう、なかなかの美人じゃないか……あんなのにやられたのか?」
ライナーは笑った。
メスラーとライナーは、駅馬車の発着場を見下ろせる建物の3階にいた。
そこから遠眼鏡を使って発着場を観察しているのである。
「見た目に騙されるな。ライナー、ガスタはそれで殺られたんだぞ。まともに戦ってたら負けるはずがねえのにな」
「そりゃ、そうだろうよ。女に負けるわけがねえ」
「とにかく油断は禁物だ。隙を見て、さっさと殺してしまうに限る」
「そんなに焦らなくてもいいだろう……俺は、縛り上げてから抱いてみたいんだが」
ライナーがヘラヘラと笑って言う。
「冗談を言ってるのか? 本気だったら正気を疑うぞ」
「もちろん、本気さ……誰だって、良い女を見たら抱いてみたくなるだろう? いくら強いと言ったって、薬で眠らせるとか、いろいろやり方はあるだろう。銀狼でもらうから、団員の性処理に活用させてもらうぜ」
ライナーの軽薄は発言に、メスラーは少しイラっとしたが、今回はそれをグッと呑み込んだ。
「だったら、好きにしたらいいさ。俺はあいつの死体が見れたらそれでいいんだ。過程のことまで問うまい。……お前達が性処理に活用したいって言うんなら、ちょっとだけ待つくくらいの辛抱はできるつもりさ。だがその後は、ちゃんと始末するんだぞ」
そう言うと、メスラーは、遠くにいるエルザを睨みつけた。
それを聞いたライナーは、肩をすくめた。
「おお恐い。メスラー様には睨まれたくないもんだな。赤髪エルザも可愛そうに。最後に女の喜びだけは、俺が教えてあげなくちゃな」
と言っていやらしく笑った。
「まあ、とりあえずはエルザを始末することだ。お楽しみにするんなら、なんかうまい手を考えろよ。暴力じゃ、ちょっと手こずるからな」
するとライナーは、嗜虐的に顔をゆがめて言った。
「まあ、心配するなメスラー。お前だって知ってるだろ? 俺たち闇の銀狼は手ぬるい真似はしねえ。ちゃんともらった金の分は働かせてもらうさ……さて、今日のところは、女の顔を拝んだからこれで仕事は終わりだな」
すると、メスラーはライナーを制止して、もう一度椅子に座らせた。
「そう慌てるな。話は他にもあるんだ」
「まだ、何かあるのかよ」
ライナーはそう言いながら、椅子にふんぞり返った。
「例のな、王都の貴族から来ている仕事の話だ」
「ああ、あの大金を先払いするって話だよな」
「ああ。その、記念すべき初仕事なんだが……。まず今朝方、王都で政変があった……第二王女に毒を盛ったらしい」
「ほう、それは穏やかじゃないな……?」
「このあたりにはない毒らしくてな。そのまま数日後に死んでしまうと思っていたらしいんだが、なんと向こうについた医者が解毒剤を見つけたらしい」
「へえ、執念だな」
「それで、解毒剤はヴァルハラにあるんだいうんだ」
「ヴァルハラか……飛ばせば往復6日ってところか」
「ああ。その解毒剤を取りに、王都の騎士が昼過ぎには出発したらしいんだ……人数は不明だが、おそらく5,6名ってところらしいな」
「相手も対応が早いな……で、俺たちには何をすればいいんだ?」
「もちろん、その騎士たちをせん滅することだ」
ライナーは少し険しい顔をした。
「相手が騎士となると、うちの精鋭を突っ込まなければならないな……ルートはつかんでいるのか?」
「だいたいはな……今晩リールに着くらしい。そして明日は三日月湖……明後日にヴァルハラって感じらしい」
「ほほう、俺たちの縄張りを通るわけだ」
「そうだ。仕事がし易いだろう……。さらに良い話がある。俺たちが騎士たちと戦う前に、王都の盗賊が一戦交えて数を減らしてくれることになっているらしい。そいつらが打ち漏らした奴らを、俺たちが狩るってわけだ」
「なるほどな……だが、エルザやリリスの始末と時期が重なってしまうのは困るな……」
「どちらも手を抜いてもらうのは困るんだがな……」
そう言われて、ライナーは少し思案顔をした。
「じゃあ、こうしよう。お前んとこのガルベスを貸してくれ。後のメンバーは俺の所で用意する。明日にでも、合同でリリスとエルザを殺ってしまおう」
「……わかった。ガルベスには協力するよう伝えておこう」
「その代わり、騎士たちの攻撃には、全戦力を投入しよう」
ライナーがそういうと、メスラーの目が光った。
「いいだろう……だが、ジョーは必ず最前線に投入しろ。いいな? 出し惜しみはするな」
「ああ、わかった。うちの最大戦力、ジョーとベッカーはお前の下に付けるから好きに使え。それでいいか?」
「ようし、いいだろう」
メスラーは笑った。
「それで、お貴族様を待ち伏せする場所なんだが……」
そういって、ライナーは地図を取り出して広げ、ある1点を指さした。そこには、地図上からでもわかるような、大きな湖が描かれていた。
「三日月湖か?」
「そうだ。銀狼のアジトもあるからな。ここなら決して打ち漏らすことはねえ」
「ジョーやベッカーと共にお前が攻撃して、逃げてきたやつらをこのあたりで待ち伏せする」
そういってライナーが指したあたりに吊り橋の印が書かれてあった。
「ここに、魔獣使いコレタを配置しておこう……そして、挟み撃ちというわけだ」
仮にそこを突破されたとしても、その先に俺とバクスが控えておく……万が一にも逃がすことはないだろう」
「なんだか、お前が楽をしている気がするんだが、まあいいだろう」
メスラーがそう不満をもらすと、ライナーは心外だ!といった顔をして、両手をあげた。
「なんなら、代わってやってもいいんだぜ? お前にジョーを付けたのは、黒い蝙蝠の手で奴らを葬ったという大義を与えるためでもあるんだぜ? その方がお前の顔も立つんじゃないのか」
ライナーはそう言ってニヤリと笑った。
「ふん! 良く言うぜ。まあ、文句は言うまい。とにかくこれを成功させよう。まずは、王都の盗賊がどれだけ戦力を削ってくれたか楽しみに待っていよう。門に見張りを立ててくれ。それで、何かわかったら、使いの者を走らせてくれよ」
「ああ、わかった。それじゃ、そんな感じでよろしくな」
そう言って、メスラーとライナーは、お互いの顔を見てニヤリと笑った。
「ふふふ、対抗勢力の俺たちが手を組むとはな」
「すべては金のためだ。狭いリールだけであれこれ算段をつける時代じゃなくなってきたんだライナー。王都やヴァルハラなど、他の地域から金を集める大きな商いをやらないとな……。裏切りさえしなければ、継続的に儲けさせてやる。だがその前に……エルザとリリスを血祭にするぞ」
そう言うとメスラーは、遠くにいるエルザを睨みつけたのだった。
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