解決編その2(中)
「密室の犯行現場。このことが今回の事件の最大の謎です。もちろん、犯行現場と南山さんの部屋を結ぶ隠し通路を使って南山さんが殺したというのであれば、物理的には矛盾は生じない。そういう意味では、南山さんは犯人候補筆頭でしょう。しかし、南山さんが犯人だと仮定すると、説明しにくいことがあります」
「南山さんが犯人だと何か不都合があるんですか?」
「あります。なぜ南山さんが哀辻の部屋の鍵を閉めたのか、ということが分からないんです。つまり、なぜ南山さんはわざわざ密室を作ったのか、ということが分かりません」
美人を陥れるのは趣味ではないが、僕は菱川に反論した。
「南山さんが密室を作った理由ですか? それは哀辻さんの自殺に見せかけるためですよ。密室で死んだとなれば、犯人の出入りは不可能なんですから、消去法で自殺だと判断されるでしょう。そのために南山さんは隠し通路を使い、密室を偽造したんだ」
「ワトスン君、月並みな回答をありがとう。ただ、やはりその説明だとオカシいんです。仮に自殺に偽装したいんだとすれば、もっと別の方法があります。たとえば遺書を偽造するとか、高所から突き落とすとか。少なくとも、凶器に包丁を用いることはないでしょう。戦前の切腹じゃないんですから、今のご時世、包丁で心臓を刺して自殺する人間などいないでしょう。毒を使うにしろ練炭を使うにしろ、もっと痛みのない自殺の方法がいくらでもあります」
「たしかに……」
それに、わざわざ宿泊先で自殺するというのも妙な話である。
「第一、隠し通路が発見されてしまえば、南山さんに容疑が集中することになります。壁を強く押せば簡単に姿を現す隠し通路です。警察が捜査すれば一瞬で見つかるでしょう。南山さんが犯人だとすれば、隠し通路を使って『密室』を作りだすことはあまりにもリスキーです。むしろ哀辻の部屋の鍵を開けておいた方が、容疑を分散できてよいでしょう」
「つまり、南山さんは犯人ではないということですか?」
「その可能性が高いですが、これだけではまだ言い切れないです。探偵界の格言に『美女はまず疑え』ともありますしね」
そんな格言、少なくとも僕は聞いたことはないが、それほど探偵界に明るいわけではないので、僕は頷くしかなかった。
「次の問題はこういうものです。仮に犯人が南山さんではないとすれば、どのようにして犯人は密室を作り上げたのか。これは先ほどとは打って変わって、完全なる物理の問題です。南山さんが犯人ではないとすれば、犯人はどうやって哀辻の部屋から脱出したのか」
たしかにそうだ。南山さんが犯人でないとすれば、密室の謎を解かなければならないのだ。
「哀辻の部屋に入るは簡単です。『少し話がある』とか言って、哀辻にドアを開けさせ、正面から入ればいいのです。ただ、出るのが難しい。哀辻の部屋のドアから出てしまえば、鍵を掛けることができない。とはいえ、隠し通路を使って出ようと思うと、当然、南山さんの部屋を通過しなければならない?」
「南山さんが寝てて気付かなかった、ということは考えられませんか?」
「それはないでしょう。だって、哀辻を殺した時点で、哀辻は悲鳴を上げているんです。南山さんが起きないはずがない。南山さん、実際に悲鳴で起きましたよね」
探偵の問い掛けに、南山がコクリと頷く。
「ですから、犯人が脱出することはできないんです」
「じゃあ、やっぱり犯人は南山さん? いや、もしくは南山さんと共犯とか?」
「ですから、常識的に考えると、それはないんです。共犯だって一緒です。南山さんの部屋に通じる隠し通路を使う時点で、南山さんに容疑が掛かってしまうわけですから、南山さんは主犯であれ、共犯であれ関わっていないと考えるべきでしょう」
「だとすると、矛盾するじゃないですか」
結局、密室の謎は解けないということなのか。
「いいえ、ワトスン君、諦めるのはまだ早いです。脱出不可能=犯行が不可能というわけではありません」
「どういう意味ですか?」
「犯人は脱出していないという意味です」
たしかに論理的にはそうかもしれない。
ただ、状況的にはありえない。
「ちょっと待ってください。それはありえませんよ。だって哀辻さんの部屋は狭くて、人が隠れられるようなスペースはありませんから」
「ワトスン君、本当にそうでしょうか?」
「え?」
「本当に隠れる場所がないでしょうか?」
まさか——
「……隠し通路ですか」
「そのとおりです!! 犯人は、哀辻の部屋と南山さんの部屋を結ぶ隠し通路内に隠れていたのです!! そうすれば、体当たりで哀辻の部屋のドアを開けた西田さんにも見つかりませんし、南山さんの部屋を通過する必要はありません。隠し通路の中であれば、犯人は誰からも見つかることがなく息を潜められるんです」
実際に見たわけではないが、隠し通路は、3階の哀辻の部屋と2階の南山の部屋を結んでいるという。ということは、おそらく隠し通路は階段状になっているのであろう。当然、人が隠れるスペースは十分にある。
「犯人は、隠し通路の中でも、南山さんの部屋寄りの位置に隠れていたのだと思います。そのようにして、南山さんの部屋の物音に耳を澄ませる。そして、哀辻の悲鳴を聞き、南山さんが起き、南山さんが部屋から出たことを音で確認してから、壁を開け、南山さんの部屋に出たんでしょう」
「そして、あたかも自分の部屋から出てきたかのように装い、3階に行ったということですね」
「そうです。北川さんの話によると、西田さんが哀辻のドアを壊してから3階に訪れたのは、南山さん、北川さん、東野さんの順だったとのことです」
とすると、犯人候補は——
「南山さんより後に3階に訪れた、北川さんと東野さんが怪しいですね」
「そのとおりです。彼らならば、南山さんが部屋を出た後に、南山さんの部屋を通って3階に出て行くことができます。あ、先ほども言いましたが、南山さんも犯人候補からは完全には外れていません」
密室の謎は解けた。
もっとも、これまでの菱川の説明だけでは、肝心の犯人は、3人も候補者がいて、特定できていない。
「先ほど、菱川さんは犯人が分かったと言って笑っていましたよね?」
「ええ」
「どうやって特定したんですか? 推理したんですか?」
「いいえ。犯人候補を3人にまで絞ることが推理の限界でした」
推理の限界。
だとすると、菱川はどうやって犯人を特定したというのか。
「推理じゃないとすると、まさか勘で犯人を特定したんですか?」
「馬鹿なこと言わないでください。ワトスン君、『ノックスの十戒』は知っていますか?」
「……一応」
「『探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない』というのが6項目にあります。僕は探偵ですから、ノックスの十戒を犯すわけにはいきません」
菱川は胸を張る。
口寄せをしたり、殺人用包丁などと言ったりしていた先ほどの菱川とはまるで別人である。
「じゃあ、どうやって犯人を特定したんですか?」
「推理ではなく、演技で特定しました」
「……どういうことですか?」
「まさかこの僕が何の意味もなくあんな狂人を演じるわけがないでしょう? 僕は犯人を演じることによって、南山さん、北川さん、東野さんの3人のうち誰が犯人であるかを明らかにしたんです。ワトスン君、謎の中国人が3人にした質問を覚えていますか?」
たしか——
「窓から探偵姿の男を目撃したか……でしたね」
「そうです。それに対して、3人はどう答えましたか?」
「東野さんは首を横に振り、南山さんも『見ていない』と言い、北川さんだけ『目撃して声を掛けた』と言いました」
「何か気付かないですか?」
——ああ!! そういうことか!!
「北川さんが明らかに嘘をついています! だって、菱川さんは犯人じゃないですし、ペンションの出口に通ずる2つ目の隠し通路も存在していないので、北川さんが探偵姿の男の後ろ姿を目撃しているはずがないんです!!」
「正解です。北川さんは嘘を吐いたんです。それでは、なぜ嘘を吐いたのか。それは、僕に罪を被せるためにほかなりません。もしも2階の宿泊者たちが1人も僕の後ろ姿を見ておらず、誰も僕に声を掛けていないとすれば、僕の自白の信憑性が無くなってしまう。ゆえに、北川さんは嘘の目撃証言をしたのです。このような嘘をつくインセンティブは真犯人にしかありません。この嘘の目撃証言を真犯人から引き出すことこそ、僕があんな小っ恥ずかしい演技をした理由なんです!!」
菱川が、北川を指差す。
「北川さん、犯人はあなたです!! あなたは罪を南山さんになすりつけるために隠し通路を使い、『密室』で哀辻を殺したんだ!!」




