解決編その1(上)
《加純様からイラストをいただきました!!ありがとうございます!!》
……………
「ニーハオ、探偵さん」
「ようやく主役が登場か……」
僕がドアを開け放つと、広間に集められた宿泊者の視線が、一斉にこちらに向いた。
僕を見ているのではない、僕の隣にいる男を見ているのである。
シャーロックホームズのコスプレとしか思えない丈の長いコート、そしてブリムの付いた帽子を被っているこの男の名は菱川あいず。
これまで幾度となく困難事件を解決してきた名探偵である。
「遅れてしまいすみません」
菱川は、帽子を外すと、へこへこと頭を下げた。
有名人の割には腰の低い男である。
「いえいえ。菱川さん、謝らないでください。先ほどまで別の館で、別の事件の推理をしていたんですよね?」
「ええ」
「ネットニュースで読みましたよ。華麗な推理で連続殺人鬼を追い詰めたって。すごいです!」
キラキラと目を輝かせながら菱川をおだてたのは、今この空間にいる唯一の女性である。
かなりの別嬪さんでスタイルも良い。
美人におだてられた菱川は、
「ニュースが出るのが早いですね。日本のメディアは優秀だ」
などと誤魔化しながらも、まんざらでもない表情を浮かべていた。
「待ちくたびれたぜ。さっさと始めてくれ」
菱川と女性とのやりとりが「茶番だ」と糾弾するがごとく厳しい口調でそう言ったのは、偉そうに脚を組み、椅子にもたれかかっている強面の男だった。
この男が菱川に対して「始めてくれ」と言ったのは、推理のことに違いない。
関係者が集められた広間で探偵がすることといえば、それしかない。
「いやいや。僕らはたった今このペンションに来たばかりで、事件のこともぼんやりとしか知らないですし、宿泊者の名前すら知らないんです。いきなり推理なんて無理です」
僕は当たり前のことを言ったに過ぎないのに、男は僕のことを睨んだ。
「あんた誰だ?」
「僕ですか? 僕は樫井み……」
「ワトスン君です」
僕の自己紹介を遮ったのは菱川だった。
「彼はワトスン君。つまり、僕の助手です」
菱川は、当然ながら僕の本名を知りつつも、僕のことを一貫して「ワトスン君」と呼んでいた。
「ワトスン君の言うとおり、僕がいくら名探偵だとはいえ、関係者の名前すら分からない状況では推理はできません。どなたか、僕とワトスン君に事件について説明してくれませんか?」
「私が説明します」
説明役を名乗り出たのは、僕を睨んだ男とは対照的に、見た目から理知的であることが分かる細身の男だった。
その細身の男——北川玄也の話によれば、事件の内容は以下のとおりである。
この建物は、スキー客向けに建てられたペンションである。3階建てのうち、1階は広間や台所、洗濯室などがある共用場で、2階と3階は客室となっている。
宿泊者のうち、北川玄也、西田虎児(先ほど僕を睨んでいた男)、南山朱里(美人。実際にファッションモデルをやっているらしい)、東野龍介(先ほどから一言も話さない若者)、そして、哀辻悔人(被害者)は、昨日の朝からペンションに滞在していた。いずれもスキー目当てで単独で訪れた客であり、相互に面識はなかった。
不用心なことに、このペンションには、いわゆる管理人が滞在していなかった。
費用は事前に振り込んでもらっているため、後は宿泊者が勝手に使ってくれ、というらしい。
今日もそうなのだが、昨日もすごい吹雪であった。
そのため、宿泊者たちは、わざわざ雪山まで来たにもかかわらず、館から出ることはできなかった。
とはいえ、広間で交流することはわずかで、ほとんどの時間をそれぞれの部屋に閉じこもって過ごしていた。古い建物だったが、幸いなことにwifi環境だけは完璧であり、TwitterもYouTubeも使いたい放題だったのだ。
なお、部屋割りは、3階の客室に西田、哀辻。2階の客室に南山,北川,東野が入った(【見取り図】のとおり)。
惨劇が起こったのは、宿泊者が寝静まった深夜のことだった。
「ぎゃああああ」という悲鳴が哀辻の部屋から発せられた。
その悲鳴にまず反応したのは、同じ階にいた西田だった。
西田は、悲鳴を聞くやいなや廊下に飛び出し、哀辻の部屋のドアをノックした。
——しかし、哀辻からは何の返答もなかった。
「開けるぞ」
そう断ってから西田は、哀辻の部屋のドアを開けようとした。
——鍵が掛かっていて、ドアは開かない。
このドアは、内側からつまみを回すことによってロックができる仕組みであり、外側から開けるためには、キーを差し込む必要がある。
普通に考えれば、キーは、哀辻自身持っているに違いない。
窓が開いているかどうかは分からないが、ここは3階であり、窓から人が出入りすることはできない。
要するに、哀辻の部屋は密室だったのである。
悲鳴から、哀辻の身に何かが起こったに違いない、と考えた西田は、ガンガンと体当たりをして、ドアを壊して開けようとした。
しかし、ドアは頑丈で、なかなか開かない。
それでも西田が繰り返し体当たりをしているうちに、ようやくドアが破壊され、密室の中身が晒された。
そこには危惧したとおり、ベッドの上で仰向けに倒れる哀辻の死体があった。
ちょうど心臓の位置にナイフが突き刺さっており、そこから赤い染みが白いベッドシーツにまで広がっていた。
なお、キーは部屋のテーブルの上に置かれており、窓の鍵も閉まっていた。狭い部屋には犯人が隠れられるようなスペースもない。
やはり部屋は完全な密室だったのである。
凄惨な光景を前にして西田が立ち尽くしていると、哀辻の悲鳴と、西田がドアに体当たりをする音で目を覚ました2階の宿泊者たちが、南山、北川、東野の順で3階に訪れた。
部屋の様子を見て、3人とも絶句した。
北川は警察に通報しようとしたが、西田がそれを止めた。
西田は過去にやってもいない窃盗の罪でしょっ引かれたことがあり、警察を信用していなかったのである。
「これは密室殺人だ。警察ごときに解決できる事件じゃないだろ」
そう言って、西田は、警察ではなく、日本で一番有名な探偵である菱川の探偵事務所に電話をした。
菱川は、(先ほど南山がネットニュースを見たと言っていた)別の館の事件が先約してあることを伝えたが、西田の熱意に負けた。
ただし、菱川は条件として、到着が明日の夜になること、そして、到着するまでの間、関係者を含めて現場を保存しておくこと(つまり、宿泊者がそのままペンションに滞在し続けること)を求めた。西田をはじめ、宿泊者たちは渋々ながら菱川の命令に従うことにした。
宿泊者たちが想定していなかったのは、翌朝、謎の中国人が現れたことである。
その謎の中国人は、王李と名乗った。
どうやら日本語は喋れるようだった。
もっとも、完全に日本語を理解しているのかは甚だ怪しかった。
その証拠に、王は、現場を保存するようにという菱川からの命令を伝えたにもかかわらず、それを無視し、犯行現場の部屋にズカズカと入っていったのである。
西田と北川が謎の中国人の謎の行動を止めるべきかどうかを相談していたところ、王は「見つけたあるよ!!」と突然叫んだ。
何事かと思い、哀辻の部屋を覗くと、壁に穴が空いていた。
——否、穴ではない。
それは隠し通路だった。
そして、その隠し通路は、ちょうど真下にある部屋に繋がっていた。
南山に割り当てられた客室である(【見取り図】のとおり)。
「違います! 私はやってません!!」
南山がヒステリックに叫ぶ。とはいえ、客観的な状況からすると、犯人は南山しか考えられないように思えた。
南山のみ、哀辻が殺された「密室」に自由に出入りできたのである。
ただ、南山は、そもそも隠し通路の存在すら知らなかったと一貫して否認し続けた。
南山の部屋の壁も、哀辻の部屋の壁同様、強く押すと開くようになっていたのだが、南山はそんなことにはこれっぽっちも気付かなかったと主張した。
「それが、僕がこのペンションに来るまでに起きた全てですね?」
「そうあるよ」
説明したのは北川であるにも関わらず、菱川の質問に答えたのは、なぜか王だった。
「菱川さん、私の冤罪を晴らしてください……」
南山が菱川に懇願する。
こんな美人に潤目でじっと見られたら、男なら一肌脱がざるをえないだろうな、と思い、菱川を見ると、やはりやる気に満ちた目をしていた。
「それでは、今から犯人を当ててみせます」
この菱川の宣言には、宿泊者だけでなく、僕も大変驚いた。
なんせ、たしかに北川から一とおりの説明はあったが、真相を突き止められるほどの情報は提供されていないように思えたからだ。
名探偵であるとはいえ、犯行現場も見ないまま、たったこれだけの情報から犯人を当てるのはさすがに無理だろう。
「菱川さん、もう犯人を当てられるんですか?」
「南山さん、もちろんです」
菱川の自信に満ちた表情からすると、単に南山に格好をつけているわけではないようだ。
「……それでは、犯人は誰なんですか?」
「僕には分かりません」
「!??」
場が静まり返る。
それはそうだ。
菱川のカミングアウトは、ある意味では、犯人の名前を言い当てる以上に衝撃的なものだったのだ。
「おい。どういうことだよ。名探偵を名乗っておきながら、全然使えねえじゃえか」
「西田さん、僕を罵るのは止めてください。たしかに、犯人が誰かは今の僕には分かりません。ただ、僕は、ある方法で、犯人が誰であるかを直ちに明らかにすることができます」
「ある方法?」
「口寄せです」