六回裏
デッドボールで医務室送りにされた選手たちに代わって、ブリュンヒルデ陣営の女性兵士たちが守備に着く。
結局スタメンで残ったのは、捕手の樋口、一塁手の弥生、中堅手の由貴の三人だけだ。
「喜久姉は、あくまでチアー・チェリーを貫くつもりか」
投手交代のアナウンスを聞きながら、和哉は左打席に向かった。
改めてマウンド上のチアー・チェリーに目を遣ると、桜色のワンピースは丈が短く、大胆に両足を露出している。胸元には真紅のリボン、腰には革ベルト、足元は赤いハイヒールとどう見ても野球をする姿ではない。
「俺たちのダッグアウトが一塁側で良かった。足を上げたら丸見えじゃないか」
チアー・チェリーはしかし、投球練習を行わない。手の内は明かしたくないのだろう。
「こんなこともあろうかと、どんな球が来ても打ち返すけどな」
和哉は球審に促されて打席に立った。
「プレイ!」
審判の合図に従って和哉は構える。対してチアー・チェリーは左腕を真っ直ぐに和哉に向けて伸ばした。右腕が上がり、顎の下に球を保持する。その姿はまるで弓を引き絞っているように見えた。
「行くよ、和くん」
宣言と共に、チアー・チェリーの右手に光が集まる。
「チアー・チェリー・ファイナル・フラーッシュッ!」
「何者だよ、あの人は?」
チアー・チェリーの手元から煌めきが放たれた。それは一直線に和哉に迫る。その途上で球が燃え上がり、真っ赤な炎を纏った。顔面に迫る熱気にも和哉は怯まない。
「てやっ!」
掛け声と共に打棒を一閃させた。
パカーンと乾いた音を響かせて、迫る球は打ち返される。紅蓮の炎を纏った球は飛来した弾道をなぞるようにチアー・チェリーに向かった。その途上で火勢は一層激しくなり、青白い炎(注1)へ変化する。
「え?」
チアー・チェリーは打ち返されると思っていなかった為、反応が遅れた。気が付いた時にはその胸を打球に打ち抜かれている。
チアー・チェリーを打ち抜いた打球はセンターを守っていた由貴の右を抜け、外野フェンスすら貫いた。
「またつまらぬボールを打ってしまった」(注2)
居合抜きの要領で打棒を腰へ納める仕草をした和哉は、おもむろに走り始める。ダイヤモンドを一周して戻って来ると、捕手の樋口に呼び止められた。
「桐下さん、降参です」
彼女の真意を確認しようと審判が聞き取りを行っている間、和哉は仲間たちとハイタッチを交わす。
「審判が呼んでいる」
「よし、整列だ」
一同がダッグアウトを飛び出し、両チームで健在の者だけがホームベースを挟んで並んだ。
「ゲーム・イズ・オーバー、礼!」(注3)
両チームが健闘を称え合う。
「センセー!」
佐藤の娘が樋口に飛び付いた。それを見て、佐藤が怪訝な表情を浮かべる。
「先生?」
樋口は佐藤の娘の担任教師だった。先日感じた既視感が解決され、佐藤は胸のつかえが取れた思いになる。
「樋口先生でしたか、いつも娘が世話になっています」
「佐藤さん、こちらで先生は照れます」
「お父さん、こんなところでやめてよ」
由貴は佐藤に抗議の声を掛けているが、佐藤と樋口の世間話は終わりそうにない。
「父さん」
「弥生、強くなったな」
尾藤は和哉の豪速球を受けても平然としている愛娘に対して、目尻が下がっていた。後は言葉を交わすこともない。
ブリュンヒルデ陣営の選手たちが引き揚げる中、和哉たちは一塁側の応援席前に整列していた。
「今まで、応援ありがとう!」
惜しみない拍手が送られる中、和哉が宣言する。
「俺たち、球場に入る前の、普通のオッサンに戻ります!」(注4)
その場に打棒を置いて、一同はダッグアウトへと消えて行った。
「和くん」
本拠地へ戻り夕刻を迎えた頃、喜久代、祐子、ペンテシレイアの三人が和哉たちの目の前に現れる。現れるなり喜久代は和哉に抱き着いたので、クリスの頬が引きつった。
「和哉、どういう関係?」
「あたしは和くんの、お姉ちゃんだよ」
和哉の顔面を胸元に押し付けながら、喜久代は満面に笑みを浮かべて答える。
「喜久代姉さんの病気は死なな治らへんと思てたけど、悪化しとるがな」
祐子は呆れ顔である。彼女は周囲を見回して目的のものを見つけると、ツカツカと歩み寄った。
「あんた、何してんの?」
「い、いや、あの……」
しどろもどろになったのは山岡である。逃げようとした彼の首根っこを、祐子は無造作に掴んだ。
「私の夫なら、もっとシャキンとしてんか」
「はいぃ」
「祐子ちゃん」
夫婦に近付いて来たのは照美だ。
「紙にーさまと仲直りしたんですね?」
「こんなしょーもない人でも、私の夫やし」
和気藹々としている山岡たちとは対照的に、クリスと喜久代の間には不穏な空気が漂っていた。
「浩殿、あの喜久代殿は本当に和哉殿の姉上なのか?」
ジョアンヌがモリモットに尋ね掛けると、神妙な面持ちで言葉を返して来る。
「それなら話は簡単でござるが、説明が難しいでござるお」
「確かに、あの人の立場を説明すると却って火に油を注ぐだけだろうな」
佐藤が二人の横に来た。しかし不穏な空気が流れる和哉の周囲には誰も近付けない。
「どういう関係なのだ?」
「説明しよう」
佐藤の説明によると、佐藤と和哉、祐子と喜久代は同じ団地に住む幼馴染みであったという。同年の和哉と佐藤を中心に、年上の姉の立場で三人に接していた喜久代と、年下故に妹キャラを演じていた祐子。だが祐子が山岡と交際を深めてやや疎遠になったのとは別に、喜久代は姉としての立場と和哉への思いをこじらせてしまったらしいとしか佐藤も分からない。
「こじらせ女子(注5)とか、アニメの中だけと思っていた時期が、確かに拙者にもあったでござるお」
「つまり、喜久代殿は和哉殿とは他人で、恋愛感情をこじらせていると?」
「その通り過ぎて、ぐうの音も出ないな」
ジョアンヌの確認に佐藤も困り顔だった。そのようなやり取りを尻目に、喜久代は挑発とも取れる発言を繰り出す。
「和くんのお世話は、お姉ちゃんである私がするから」
「和哉は、私とその喜久代さんと、どちらが大切なのかな?」
クリスの口から出たのは最後通牒に近い質問である。選択を間違えた場合、全てが無に帰す。
「そこまででござるお」
険悪な雰囲気が漂い始めようとしたところで、モリモットが割って入った。
「拙者、腹が減ったでござるお」
その台詞に場の緊迫感が砕け散る。ジョアンヌは額に手を当てて軽く首を振った。
「浩もああ言っていることだし、話は食事の後にしよう」
「そうね、そうしましょう」
ようやく喜久代から解放された和哉の脇腹に、クリスの強烈な肘鉄砲が打ち込まれる。
「ぐお……」
「和哉、信じてるからね」
顔を近づけたクリスの瞳は、僅かに潤んでいた。
「それでは晩餐にしましょう」
広間のテーブルに腰掛ける一同。上座中央の席を空けて右側へジョアンヌとモリモット、シュガー四天王、山岡夫妻、喜久代と並び、左側へはクリス、和哉、ヘファイストス、ペンテシレイア、秩父三銃士、藤井姉弟が並んだ。流石にこの並びであれば喜久代が席替えを主張することもなく晩餐が終了する。
「山岡、鍋奉行(注6)に任命するから、後は頼んだ」
「任せておけ」
クリスとジョアンヌ、祐子と喜久代、佐藤らが先に行ったのを確認して和哉はテーブル上にすき焼きを準備してから、クリスらの後を追った。六人が集まったのはジョアンヌの私室だ。
「和くん、ゴメンね」
入室するなり、喜久代が謝って来る。
「お姉ちゃん、和くんの幸せが最優先だから、クリスさんと末永く幸せにいてね」
「あ、ああ……」
クリスに視線を移すと、花のような笑顔が返って来た。
「お姉ちゃん、三十年ぶりに変身したから、興奮が過ぎてたみたい」
「三十年ぶりに変身とか、意味が分からないんだが?」
「二人は知らんかった?」
祐子が小首を傾げる。
「街の平和を守ってたんは喜久代姉さんやで」
「その前に、何でお前が知ってるんだよ?」
「一緒に頑張ってた仲やさかい」
佐藤の質問に祐子はサラリと答える。
「この際、細かいことはいい。これからは共に戦う仲間だ」
和哉が強引に話をまとめ、一同は大きく頷いた。
声の想定
・桐下 和哉 鈴木達央さん
・小見 敏夫 前野智昭さん
・尾藤 大輔 稲田徹さん
・佐藤 竜也 櫻井孝宏さん
・武藤 龍 玄田哲章さん
・今井 雄三 蒼井翔太さん
・紀井 多聞 森久保祥太郎さん
・モリモット 関智一さん
・山岡 次郎 下野紘さん
・聖女クリス 小林ゆうさん
・ジョアンヌ 河瀬茉希さん
・藤井 照美 伊藤かな恵さん
・藤井 羅二夫 うえだゆうじさん
・ヘファイストス 中尾隆聖さん
・鉄器川 華蘭 竹達彩奈さん
・佐藤 由貴 芹澤優さん
・井ノ元 喜久代 丹下桜さん
・ペンテシレイア 日笠陽子さん
・長野 恵梨香 原由実さん
・倉田 祐子 阿澄佳奈さん
・樋口 鞆絵 喜多村英梨さん
・尾藤 弥生 沼倉愛美さん
・鉄器川 香崙 悠木碧さん
注1 青白い炎
炎の色は発熱温度で変化する。
摂氏千五百度程度までは赤い炎だが、温度が上昇すると、橙、黄、白、青と変化。
青白い炎はおおよそ摂氏六千度ぐらい。
なお、タバコが摂氏六百度、鉄を溶断するアセチレン酸素バーナーは摂氏三千度と言われているので、牛皮の硬球は燃え尽きてもおかしくないが、神ヘファイストスの造った球場と道具なので特殊加工がされているのだろう。
注2 またつまらぬボールを
アニメ『ルパン三世』の登場人物、石川五右衛門が斬鉄剣で物体、殊に不二子の服などを斬った時のセリフ「またつまらぬものを斬ってしまった」のパロディ。
なお、『巨人の星』の花形満と『侍ジャイアンツ』の眉村光が五右衛門と同じ声優さんなので、同様のパロディは意外と古い。
注3 ゲーム・イズ・オーバー
試合終了の合図。よく使われる「ゲームセット」はテニス用語。
注4 普通のオッサンに戻ります
昭和のアイドルグループ『キャンディーズ』が人気絶頂期のコンサート終了間際に突然、「私たち解散します。普通の女の子に戻りたいんです」と宣言して騒然となった。
余談ではあるが、マイクをステージに置いて退出したのは山口百恵さんである。
注5 こじらせ女子
上手く恋愛ができなくなった女性を指す呼称。
その類型は六つ。
「恋愛の仕方を忘れた」
「現実逃避」
「大和撫子型」
「オンリーワン型」
「自虐」
「完璧主義」
喜久代は「現実逃避」「大和撫子型」「オンリーワン型」「完璧主義」に当てはまる、立派なこじらせ女子である。
注6 鍋奉行
鍋料理をする時に差配する人を称して鍋奉行と呼ぶ。
鍋同心から始まり、鍋与力、鍋目付と昇進し、鍋奉行に就任する。
鍋奉行からは、鍋年寄、鍋老中などを歴任して鍋将軍に就任するのが目標である。
鍋帝と呼ばれる存在があるとかないとか。
鍋奉行の他には、灰汁を掬う灰汁代官、ひたすら出来上がりを待つだけの待奴と待娘、それらを統括する待奉行など多くの役職がある。待奉行は待奴や待娘に、会計時に姿を消す忍びの者が紛れていないか目を光らせる。
なお、それでも尊敬の念を集めるのは、まとめて会計を済ませてしまう勘定奉行である。
切ないのぅ、切ないのぅ。




