7.プロローグ
あれから、俺達は相当の時間を逃げ続けた。
もう流石に追っ手も来ないだろう、と思えたところで、
『——まずは、自己紹介から始めようじゃないか』
小休止をかねて立ち止まった俺は、一同にそんな提案をした。
お互いを知る。
コミュニケーションの第一歩目だ。
人類、皆兄弟。
ビバ友好。
だが、そんな人類愛に充ち満ちた俺は、異文化交流の難しさに早速直面することとなる。
「待て待て――何故、剣に手をかける」
連れたって逃げた仲である女騎士の片割れ――黒髪の方が、俺の素晴らしい提案に対し、一瞬呆けたと思ったら徐に剣を抜こうとしたのだ。
「いや、それがアンタ達の礼儀だとか文化だとかなら仕方ないが、ちょっと待って欲しい」
我が国に、そのような挨拶の風習は無いのだ。
せめて、もう少し歩み寄ってほしい。
「貴様、何が目的だ」
「何がって言ってもな……」
完全に警戒されている。
まぁ、命からがらの状況から脱したばかりだ。
怪しい相手に対し、警戒する気持ちは分からなくもない。
彼女達からすれば、まだ危機は去っていないのだろう。
目の前に、危険な存在が居る限り。
「割と純粋に、まずは自己紹介と思っただけなんだがな……」
頬を掻きつつ、ぼやいてみる。
どうにか警戒を解かなければいけない。
包み隠さずに表現するならば、相手は貴重な情報源なのだ。
せめて情報を得られる程度には、信用を得る必要がある。
「信じると思うか? 昨今の襲撃騒ぎ、先程の奴らだけの仕業とは思えん。貴様らもグルなのではないか?」
「襲撃? 何のことだ? いや、それ以前に俺達は――」
「白々しい態度が、ますます怪しいぞ」
おっと、聞く耳すら持ってくれない。
これは非常に不味い傾向だ。
彼女の中では命の恩人である前に、プレイヤー=グルの図式になっているのか?
つまるところ、美人局を疑われていると?
これなら、先程の野盗プレイヤーの方が、まだコミュニケーションが取れたほどだ。
どうやって警戒を解いたものか、と頭を抱えたい気分を抑えつけながら考え込む。
すると、思わぬ方向から救いの手が。
「――カミーラ。そこまでにしましょう」
金髪美人な方の女騎士が、黒髪――カミーラを諭してくれる。
「お嬢様……」
「貴女の気持ちは分かるけれど、我々は救って頂いた身よ」
「しかし――」
「今の言動は、彼の言うとおり礼儀を疑われる行為よ。それにもし私達に害をなすのであれば、いつでも出来たはず」
「はい。ですが――」
「ですが、は無しよ。今はまず知る必要があるわ」
「……承知しました」
「ありがとう、カミーラ」
あちらの相談は、割と手短に終わった。
彼女らの関係性が、若干ながら垣間見える結果だ。
黒髪の方は、どうにも金髪の方に対して弱いらしい。
「――失礼しました。命の恩人に対しての無礼、まず以て謝罪を」
「いや、状況が状況だ。警戒するのは当然だろう」
何はともあれ、当面の警戒を解いてくれたことには素直に感謝しよう。
だが、気を引き締めた方が良いらしい、とも理解できた。
当然の話だが、あちらもこちらを値踏みしている。
今はまず知る必要があるに過ぎないのだ。互いに。
だからこそ、幾らでも聞かれない方法がある中、わざわざ聞こえるように話してくれたのだろう。
こちらにも警戒心を抱かせるため。
「ご理解に感謝を。そして何より、危ないところを助けて頂いたことにお礼をさせてください」
優雅ともいえる動作で、礼をする騎士二人。
鎧よりも、ドレスの方が余程似合いそうだ。
「ご挨拶が遅くなりましたが、私の名はアルトリューゼ・フリューリンク・バーン=フリートと申します」
アルトとお呼びください、と微笑む金髪美人。
その態度はまさに貴族のご令嬢といったところだろう。
そして、やはりというべきか、彼女の名前は見た目通り日本では聞き馴染みの無い類のものだった。
ここが日本では無さそうだと判断する理由が、また一つ積み重なる。
「こちらは、カミーラ・クレイ。この辺境伯領を治める、クレイ家当主のお孫にあたる方です」
「……カミーラと申します。お見知りおきを」
ここは辺境伯領でクレイ家が領主、更にその孫娘、か。
情報は増えたが、当然のことながら全てにピンと来るものが無い。
辺境伯ということは伯爵位で、その娘なら大分偉そうだな、そのお偉い娘に『お嬢様』と呼ばれるとはこいつ何者だ? とか、その程度だ。
分かったことより、増えた疑問の方が多い。
これはそもそも根本的に、前提となる常識が足りていないためだろう。
まずはそこから把握する必要がありそうだ。
思ったよりも苦戦する予感しかしない。
「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。私はアイン。そして、こちらがロック。共にしがない迷い人でございます」
「――ロックです。どうぞ、宜しく……」
心中では大きなため息を吐きつつも、完全余所行き仕様の営業スマイルを浮かべておく。
イケメン度にプラス補正がかかるスキルだ。
ロックよ、そんな顔で俺を見るな。
「そして、こちらが――……」
自然と少女を紹介しようとして、固まる。
そういえば名前も知らない完全な初対面だ、と今更に気付く。
「??」
謎の少女Aにアイコンタクトを送るが、首を傾げられた。
「――名前……」
小声で告げると、あぁ、と察した顔を浮かべる。
「ハル・キュー……いや、今はただの、ハル? よろしく」
小首を傾げながら、疑問形で自己紹介をする少女。
思わず、俺が首を傾げたくなる。
とりあえず、ハルと心の中では呼ぶことにする。
「以後、お見知りおきを――」
そう締めつつ、見よう見まねながらそれっぽい礼をしてみる。
イメージは執事みたいな感じだ。
「――いや、無理があるな。止めよう」
わずか数十秒で、余所行きに限界がきた。
何より相手の雰囲気に無理して合わせたところで、すぐにボロが出るだけだ。
俺も一応は社会人の端くれである以上、それなりの礼儀は知っているつもりだが、貴族様のそれとは間違いなく違うだろう。
「悪いんだが、素のままにさせてくれ。どうにも堅苦し過ぎて窒息しかねない」
率直に過ぎる言葉に、アルトはポカンとした表情を浮かべ、やがて快活そうな笑顔を見せる。
「ええ……そうね。実は私もそういうのは苦手なの」
気が合うわね、等と笑う姿は、先程までとは別人のようにも見えた。
鎧姿の騎士としては、そちらの方が似合うような気もする。
まぁ、正直どこまでが本気なのか分からなくて、やや怖い面もあるが。
勿論、向こうもそう思ってくれているだろう。
そうであって欲しい。
「それじゃあ……打ち解けられて挨拶も出来たことだし、移動しない? 続きは落ち着いて話したいわ」
アルトの提案は、一面だけ見れば尤もな話ではある。
スタミナの都合により休憩がてら立ち止まっているが、俺達は未だ逃走中の身なのだ。
もっと安全な場所があるのならば、移動するのが当然だ。
だが、それよりも。
「続きを求めても良いのか?」
「ええ、構わないわ。それともお礼だけ言って『はい、さよなら』で済ませてくれるの?」
「それは……まぁ、困るな。だが、危険だとは思わないのか?」
カミーラを見れば、『お嬢様、危険だから止めてください!』と顔に書いてある。
とはいえ、別に彼女の胃痛を慮って確認している訳じゃない。
あまりにも都合の良い――求めている展開過ぎて、裏を疑ってしまうのも勿論ある。
だが正直な話、思っていたより彼女達の身分が高そうなのだ。
彼女らに俺達の後ろ盾となってほしい、という思惑が芽生えてしまった。
この異世界――としか、もう表現のしようが無いのでそう言い切る――で、何も分からない俺達に必要な物は、社会的な信用と後ろ盾だろう。
仮に人が居ない場所であればそんなもの不要かもしれないが、ここはそうでは無い。
人が居る限り如何なる文明圏であろうと、それは確実に必要な武器となる。
今後のことを考えると、後ろ盾となる人物がリスクヘッジも出来ないようでは困るのだ。
「――勿論、危険だとは思うわ。何となく人柄は良さそうに見えるけど、どう転ぶかなんて分からないもの」
「なら、何故?」
「私達にも求めるものがあって、貴方達がそれを持っていそうだからよ」
「つまり、利用できそうだから、と?」
ニコリと笑いながら、何も返答しないアルトお嬢様。
大人の対応を求められているご様子だ。
互いに藪蛇になる以上、こちらも黙るしかない。
「念の為の確認なんだけど、行く当てはあるのかい?」
ロックが話の方向性を変えようとしたのか、疑問の声をあげる。
当然のことながら、アルトはそれに乗っかるように大きく頷く。
「勿論よ。この森を抜けた先に、少し大きめの街があるわ」
そう言いながら、腰に下げた革製のポーチからペンダントのような物を取り出した。
「方角は――このまま、あっちの方ね、多分」
取り出した物を見ながら、俺達が逃げ進んでいる方向を指差す。
「大分走り回ったから少し怪しいけど、少なくとも北に進めば、この森は抜けられるわ」
「それは、方位磁針か?」
「ええ、そうよ。珍しいでしょう?」
ふふん、と若干のドヤ顔。
可愛らしい姿ではあるのだが、先程までの外面とギャップが激しい。
「あぁ、けど、『プレイヤー』の人にはそんなに珍しくないんだっけ?」
「まぁ、確かに珍しくは無い、のか?」
「それは残念ね」
ふむ……。
少し大きめの街とやらで技術的水準を確認、と心のメモ帳に刻む。
「さて、それじゃあ出発しましょうか」
アルトの言葉に、全員が同意の意思を見せる。
やや主導権を握られつつあることに危機感を覚えるが、致し方ないと半ば諦める。
土地勘も常識も持ちあわせていない以上、ある程度は仕方ない。
だが、これだけは主張しておこう。
「移動は大いに結構なんだが、その前に少し良いかな?」
「ええ、どうぞ」
「俺達は急にこんな状況になっていて、何も分からない状態だ」
「どうも、そうらしいわね」
信じてるわよ、という表情を見せるアルト。
本気でそう思っているかは分からないが、少なくとも信じている体裁を見せるつもりはある。
そこが揺らがない間は、とりあえず大丈夫だろう。
だが、心底から安心してはいけない。
「移動しながらで構わないから、色々と教えてくれないか? 俺達はここが何処なのかすら分からないんだ」
状況が分からない現状では、慎重にならざるを得ない。
「なるほど……事情は分かったわ。こちらも出来る限りの協力はする」
同情を誘ったようで、少し嫌な気分になった。
時には素直さも駆け引きの材料となり得るのだ、と自らを誤魔化しておく。
「ありがとう。感謝する」
俺に駆け引きなんて出来るのかは別として、だが。
「お礼は結構よ。命の恩人だもの」
アルトは裏の無さそうな、素直な笑顔を見せた。
「あ……それじゃあ、まずこういうのはどう?」
何かに気付いたような顔をした後、今度は悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
どうも、良くも悪くも笑顔が多いタイプらしい。
「――フリーデン王国へようこそ。異世界の人」
知らない国の名を告げられ、不思議と胸が高鳴る。
それが冒険の予感によるものか、その笑顔にやられたのか、俺には分からなかった。