4.レディ・プレイヤー・ツー
西暦2046年。
とある科学者の予見は外れた。
人工知能の発達は加速的な自己進化の果てに、やがてそれは技術的特異点を迎え——人工知能は遂に人類を超える。
そう主張していた科学者の予想——もしくは予言は、外れたように見える。
確かに人工知能は、驚くべき勢いで社会に浸透した。
2020年代後半、量子コンピューターが実用化したことで、その成長は間違いなく加速した。
軍事分野から始まり、大惨事となった戦争が終わる頃には、医療分野、機械工学、通信技術、情報処理、娯楽、ありとあらゆる場面で、人工知能が活躍するに至ったのは事実だろう。
だが、人工知能が人を超えたのかと問われれば、首を捻る。
確かに最新の——生体ナノマシン型の群体ハードウェアは、自己増殖を実現したことにより、無限の可能性を秘めている、等とニュースでは報じられていた。
しかし彼らは——そう、敢えて彼らと称するとしても——感情を解さず、自らの意思を持っていない。
あくまでも与えられた命令に対して、最適解を模索する存在でしかなかった。
つまるところ、自我を持ち合わせてはいないのだ。
『——いらっしゃませ。新作の武器デザインデータは如何だニャン』
眼前の、愛想よく笑顔を見せて喋りかけてくる獣人族NPC——ノン・プレイヤー・キャラクターも、自ら何かを考えている訳ではない。
『お客さんの今の鎧に合わせるなら、この黒い色の武器デザインがお勧めニャ。禍々しい感じがイカすニャンよ』
バックグラウンドの人工知能のお蔭で、殆ど人と見分けのつかないような受け答えをするが、自らの意思を持っている訳ではない。
こうした全没型のゲームも、人工知能が発明した医療・軍事技術を娯楽に転用したものだが、それも彼ら自身が必要だと欲した訳では無いのだ。
『ねぇねぇ、買ってなのだニャン』
脳の誤認により作り上げられた、偽りの曇天を見上げる。
人工知能が降らせる、この冷たくも暖かくもない――花を咲かせることも出来ない、出来損ないの雨を眺めながら思う。
NPCは結局、どこまでいっても、魂が無いのだ、と。
————
森の向こうから、喧騒が聞こえる。
馬の嘶き、複数の怒声、そして金属が衝突する鈍く甲高い音。
そのどれもが、普段聞くことのない音色だった。
大自然が身を挺して隠しているため正確な距離は分からないが、恐らく大した距離は無い。
「もう少し早く検知していれば、どうにでもなったんだがな……」
「まぁ、仕方がないさ。むしろ僕だけだったら、目の前に来るまで気付かなかったかもね」
慰めの言葉に、少しだけ救われた気分になる。
だが、これは命に関わるかもしれない問題だ。
慰められているだけで終わりには出来ない。
「それで……どうしようか。僕にはまだ騒ぎが聞こえないんだよね」
君が決めて構わないよ、と言わんばかりに肩をすくめるロック。
長い耳のお蔭だろうか。
どうにも俺だけ耳が良くなっているらしい。
「――分かった。時間的猶予がどの程度あるか分からない。端的に状況を整理しよう」
「了解」
「対象の数は多くない——十人前後で、戦闘になっているようだな」
本来であれば、運が良ければ僅かに聞こえるかもしれない程度の戦闘音。
それを自分の聴覚は確実に捉えている。
「距離はどれ位だい?」
「多分この感じだと、百メートルも無いな」
「随分と近いじゃないか……」
「発砲音や爆発音が無いからな、静かなもんだよ」
「発砲音が無い? 喧嘩とかそういうレベルの騒ぎかい?」
ロックは怪訝そうな表情を浮かべる。
戦闘=発砲の図式は、以前の職業柄もはや染み付いた発想だった。
「いや、そういう類じゃないな。声から察するに、恐らく既に死傷者が出ている」
「それはまた、穏やかじゃないね」
「あぁ、出来れば関わり合いたくない。ついでに言えば、馬の嘶きやら金属音が聞こえるぞ」
「それは、また……」
何と表現して良いか分からない。
喧嘩と呼べる規模でもなく、発砲音も無い。
強いて分類するなら暴動の類いだが、その割には背景の効果音が特殊に過ぎた。
「つまるところ、近代戦ないし現代戦ではない、と?」
「まぁ……そういうことだな」
自分達——眠りこけている少女を含めて——の格好を見る限り、その方が合うといえば合っていた。
冗談のような話ではあるが。
「現実なのかゲームなのか、いよいよ分からなくなってくるね」
「激しく同意だな」
出来れば、非現実であって欲しい。
これを現実だと受け入れるには、正気度が高すぎる。
「それで? アイン、君はどうすべきだと思う?」
判断を聞こう、という言葉に少し悩む。
「眠り姫をかかえた状態で取れる行動か……」
今も意識を取り戻さない少女の姿を見る。
魔法の試し撃ち等で相当な騒音だったはずだが、未だ目覚める気配は無い。
ただ、死んでいるとか、重篤な症状で目が覚めない、といった危機感を覚える状態ではない。
「んー……お腹、いっぱい……」
実に健康的な寝顔を晒している謎の少女A。
実際にこんな寝言を吐く奴が居るんだな、と寧ろ関心する次第である。
「レンジャーとメイジの二人に、お荷物が一人か」
「有事の際には戦力的に不安だね。逃げるにしても、一人抱えてとなると……」
逃げきれるか不安が残る、か。
正直に言えば、情報源は欲しい。
出来れば早々に、人と接触をはかりたい。
留まりたい欲求が全く無い、と言えば嘘になる。
しかし、心の底から面倒事も避けたい。
果たして、現在進行系で戦闘真っ最中と思われる集団と、接触するメリットはあるだろうか?
いや、無いな。
即断言できる類いの問題だ。
ここは、命の危険は極力避けるべき、という生物全般にとって不変の大原則に従うべきだろう。
俺達がしたいのはコミュニケーションだ。
間違っても殺し合いではない。
ファーストコンタクトは、もう少し穏やかな集団とが望ましいだろう。
結論。
以上の点から、三十六計逃げるに如かず、だ。
「気付かれないことを祈りながら、全速力で退散だな」
「そうだね、僕もそれが無難に思えるよ」
よし、方針は決まった。
そう考え、俺は喧騒に背を向けて眠り姫を抱えようとするが——
『——!』
その瞬間、背後から複数の叫び声と共に、爆発音が轟いた。
「!?」
咄嗟に振り返る。
「——爆発物か?」
「いや、さっき僕がやったことと同じかもしれない」
「なるほど……魔法、か」
数メートル範囲を吹き飛ばす程度の魔法ならば、通常魔法に幾つも存在する。
もし仮に、自分達以外に同じ境遇の連中が居るなら、有り得ない話ではない。
自分達だけが特殊、と考えるのは都合の良い解釈だろう。
よく言うじゃないか、誰もが特別だ、と。
もしくは、魔法が普通に存在する場所に居る可能性も有るが。
「よし、何にせよ早く逃げよう——って、アイン、どうしたんだい?」
振り返ったまま動こうとしない俺の様子に、訝しげな声がかかる。
どう答えるべきか、と逡巡。
悪い知らせを口にするのは、いつだって躊躇われる。
「いや、事態は思った通りに進展しないもんだ、と思ってな」
前向きに考えるなら、ある意味では良い教訓かもしれない。
「それは……つまり?」
「こっちに、四人ばかり向かってきてる」
次からは、もっと時間に気をつけるべきだろう。
次があれば、だが。
—
まず最初に視界に入ったのは、こちらの方に走ってくる二人の若い女性だった。
年の頃は、共に二十歳くらいだろうか。
片方は背が少々低めのプラチナブロンドの美人。
セミロングの髪は普段であれば透き通るように美しいのだろう。
だが、今は所々煤け、一部は焦げてしまっているように見える。
そのやや後方を走るのは、対照的に長身黒髪の眼鏡美人だ。
こちらも普段はクールな佇まいであろうと想像できるが、今は眼鏡にヒビが入り、あちらこちらに火傷の痕が見える。
町中で歩いていれば、十人中十人が振り返る美女だと思う。
しかし、ここは森の中で、彼女らの表情は必死そのもの。
間違っても、お茶に誘うようなシチュエーションでは無い。
まぁ、あの格好を見て、ナンパ出来る勇者が現代日本に居るとは思えないが。
美女二人は主要部位のみ金属で覆い隠した軽鎧を着込み、その手には剣を握りしめていた。
その姿は、一言で表現するなら、女騎士だ。
二言で表現すると、オークに襲われそうな女騎士だ。
そんな益体の無い感想を抱いていると、気付けば女騎士達との間に遮蔽物が無くなっていた。
距離も数メートルほど。
視線が合う。
「——新手!?」
金髪の女騎士が、悲鳴にも似た声をあげる。
「――ッ!」
全力疾走からの急停止、そして剣を即座に構える。
一連の動きは実にスムーズだ。
明らかに訓練された者の動きだろう。
「……お嬢様、ここは私が」
黒髪美人が金髪美人を後ろに隠すよう、一歩前に。
冷静そうな佇まいからは想像もできない程の――尋常では無い殺気に、思わず気圧された。
張り詰める空気。
物理的な圧力で抑えつけられているような錯覚を抱く。
この空気が断ち切れる時、眼前の黒髪の獣は、間違いなく俺に襲いかかってくるだろう。
極力刺激しないように、しかし自衛のためにも、そっと腰の短剣に手を伸ばす——
「はっはっは! ピアース様参上! かわい子ちゃん! 追いかけっこはおしまいか?」
——瞬間、間の抜けたナンパ男の登場により、空気が狂った。
「ちッ——!」
黒髪の女騎士は、俺達と闖入者のどちらも視界に入るよう、素早く位置取りを変える。
間抜けそうな雰囲気の男相手にも、一分の隙も見せている様子は無かった。
勿論、こちらに対して油断している気配も一切無い。
その様子を見たナンパ男と、更に後方から現れた長髪の男が、揃ってこちらの存在に気付く。
「――可愛い姉ちゃん達のお仲間、って感じでもなさそうだな」
軽薄そう笑みを浮かべている男——ピアース様と自ら名乗った方が、こちらを一瞥。
対するこちらも、目の前の男を警戒と共に観察する。
チャラチャラした明るい茶髪に、ピアスだらけの耳。
一見すると、そこらに居そうな普通のチャラ男だ。
生息地は、恐らく渋谷あたりだろう。
重鎧を着込んで、その手に槍を持っていなければ、だが。
「ダークエルフとは、実に珍しい……」
後ろの長髪男が、俺の姿に興味の——珍獣でも見つけたかのような視線を向けてくる。
こちらは、ナンパ男とは対照的な雰囲気を醸し出していた。
真っ黒な外套で全身をすっぽりと覆っており、怪しげな魔法使いそのものだ。
胡散臭い表情、大袈裟な身振り、異常に長い黒髪が、危ない印象を演出している。
「ふむ……君達も『プレイヤー』だろうか?」
どちらの男も、それぞれ別の意味で話が通じなさそうなのが、厄介極まりない。
しかし、現状は極力戦闘を避けるため、対話を試みる必要がある。
「質問に質問で返すようで悪いんだが、プレイヤーってのは、どういう意味だ?」
当たり障りの無い返答をするが、実のところ回答は期待していない。
聞くまでもなく、直感的に思い当たる節があるからだ。
少なくとも俺とロックは、ゲームのプレイヤーという点で共通している。
「ふむ……その反応はルーキーのようだ」
そして恐らくそれは、この二人の男にも当てはまるような気がする。
「ならば、何も理解できていない状況だろう」
抑揚の少ない平坦な喋り方。
そのくせ、どこか熱っぽさを感じる。
胡散臭い印象が、否応なく増した。
「私達の邪魔をしないでいてくれるなら、悪いようにはしないが、どうだろうか」
怪しげな表情のままに、女性二人の方に視線を向ける男。
「おい! その姉ちゃん達は、俺が先に狙ったんだぞ」
そして、ナンパ男——ピアースは、自分の獲物を取るな、と言わんばかりの表情を味方である長髪男に見せた。
「君の徹底した実利優先主義は、誠に敬意に値するのだが、目的を忘れられては困る」
「お前の目的なんざ知るか! 可愛い姉ちゃんとヤる、それ以上の目的はこの世に無い」
目的という言葉に、少し引っ掛かりを覚えるが、今は置いておく。
とりあえず今のやり取りで、この男達が女騎士達を襲撃している、という構図は確信できた。
「やれやれ、困ったものだ。独創的な発想は、良い演者の証拠なのかもしれないがね、脚本の大筋には従って貰わねば」
「だあぁ! 回りくどい! 何を言いたいか、さっぱり分かんねぇよ!」
こちらを無視して、言い合い――というには、やや一方的なやり取りを繰り広げる二人。
完全に舐められているようだった。
逃げられる等という想像は、毛先ほどもしていない。
それを隙と見たのか、女騎士達は少しずつ距離を取り始めた。
勿論、俺達からも離れられる方向に。
「……どうしようか? このまま放っておけば、面倒事は避けられるかもしれないけど」
ロックが小声で話しかけてくる。
肩をすくめる仕草は、相変わらずだ。
「邪魔をしなければ、か……」
「状況の主導権を失うのだけは、間違いないだろうね」
従ったら最後、後は彼らに流されるままとなるだろう。
それは、好ましい状況とは思えなかった。
「主導権を握ろうにもな……」
現状が把握出来ていなさ過ぎて、判断材料にすら困る有り様だ。
ついでに言えば、時間も足りない。
こうしている間に、彼ら仮称『プレイヤー』達も、女騎士達が距離を取っていると気付くだろう。
そうなれば、こうして内緒話をする時間も無くなる。
「どうしたもんかね……」
ぼやいてみたものの、そもそも取れる行動は非常に限られている。
判断材料と時間が足りない以上、情報収集と時間稼ぎをするしかない。
つまるところ、必要なのは適切なコミュニケーションだ。
穏やかならざる相手を対象に行うのが難点ではあるが、致し方ない。
覚悟を決める。
「なぁ……楽しく話してるところ、割り込んで悪いんだが、少し質問していいか?」
この場で尤も状況に関係が無く、空気と化していた俺が声を発すると、視線が集まる。
少しずつ距離を取っていた女性陣に関しては、焦りを見せつつ、牛歩のごとき逃避行を中断した。
そいつら逃げるぞ、と告げ口されるとでも思ったのだろうか。
「ふむ……なんだろう?」
長髪の男が、芝居がかった仕草で言葉の続きを促す。
不思議と、少し面白がっているような表情に見えた。
内心、話を聞く姿勢があることに安堵する。
聞く気のない相手に、何を喋っても意味がないからな。
しかし、まだ油断はできない。
極力相手を刺激しないように、かと言って弱腰にも見えないよう、言葉を考える。
「端的に聞くんだが、アンタ達は何者だ?」
興味を引くため、あえて回りくどい言葉は無しだ。
「端的に、か……それは、難しい問いだ」
少し考える様子を見せる長髪男。
「敢えて……そう、我々を、敢えて一言で言い表すならば、野盗、だろうか」
それが何か? と言わんばかりの態度で、長髪男は聞き慣れない単語を口にした。
いや、勿論野盗の意味は分かる。
盗賊や山賊と置き換えても、同じ意味になるだろう。
だが、現代社会でその単語を耳にしたのは、初めてかもしれない。
果たして、ここが現代社会なのか。
それが一番の疑問ではあるのだが。
「……ちなみに、そちらの彼女達は?」
俺の余計な質問で、話の矛先が自分達に向かったためだろう。
女騎士——特に黒髪の方の表情が、より一層厳しいものに変化する。
「……NPC、と言ったら、どうするかな?」
「NPCだと……?」
有り得ない話ではない、のか?
もし仮に、この違和感満載の状況が、ゲームの中だとすれば……。
女騎士達を見る。
警戒心をあらわにした表情の内に、怯えにも似た色が浮かんでいるのは、気のせいなのだろうか?
これが、偽物なのか?
「……いや、違うな、有り得ない」
俺は思わず、かぶりを振る。
「ふむ……どうして、そう考えるのだろうか?」
別に表情がリアルだとか、感情表現が豊かだとか、内心怯えていることに気付いて同情しただとか、そういう理由では無い。
もっと単純な話だ。
「ここがゲームの中じゃないと判断できる材料が、多すぎるからだよ」
そもそも最初に、ロックと検討した通りだ。
ゲーム内だと想定すると、環境要因的に辻褄が合わない部分が多すぎる。
「つまり、ゲームの中じゃないなら、NPCが居る訳もない」
居たとしても、それを動かす人工知能は不在だろう。
もし仮に、生身の人間の姿をした何かを操る存在が居るとするならば、それは神と呼ばれる代物だ。
もしくは悪魔か?
まぁ、どちらでも似たようなものだ。
「なるほど……」
少なくとも、そのどれもが、俺には到底信じられない。
「――及第点のようだ」
「及第点?」
「大半のプレイヤーが、一般的に認識している現状と、大きな相違は無い。察しの良い新参者は、歓迎するよ」
「……試すような物言いは、感心しないぜ?」
「会話を楽しんでいる、と言ってほしいものだね」
人を食ったような態度で、実に楽しそうに笑う長髪男。
阿呆相手であれば、文字通り食い物にするタイプに違いない。
いい性格してやがる。
「では、素直に答えようじゃないか。彼女らは、我々の標的で、王都の貴族だと聞いている」
王都……? またもや現代社会では聞き慣れない単語が飛び出た。
少なくとも、我が麗しの日本では聞いたことが無い。
「今更な質問なんだが……ここは日本——いや、地球なのか?」
「そう見えるだろうか?」
質問に質問で返すな、と今回ばかりは言うまい。
さっき自分でもやったばかりだ。
そして何よりもこれは、何を当たり前のことを、という意味の言葉だろう。
むしろ丁寧な表現をした返答だ、とさえ感じられる程だ。
「それで、質問は以上だろうか?」
長髪男が、やや挑戦的な視線を向けてくる。
ここまで会話に付き合ったのは、考える時間をくれた、と見るべきだろうか。
怪しげな雰囲気とは裏腹に、その瞳の奥には理性的な光が見える。
「あぁ、十分とは言い難いが、察するに、今はそういう状況じゃないんだろう?」
「正しく、その通りだとも。理解が早くて非常に助かるよ。これ以上の質問に、今は答えられない。もし、答えを求めるのであれば、少し待っていて欲しい」
「何が起きても、何もせずに、か」
俺の言葉に、ニッコリと音がしそうな程の笑みを浮かべる。
「あぁ、正しくその通りだ」
その瞬間悟った。
これを相手に戦闘を回避するには、文字通り『何もしない』以外の選択肢が無いらしいことを。