3.ユニットテスト
「さて、それじゃ少し性能試験をしてみよう。そうだな、これ位が丁度良いかな——」
そんなことを口にしながら、ロックは適当に拳大の石を拾い上げ、俺に放り投げてくる。
「——ちょっと、それ握り潰してみてくれないかい」
我が友は……あまりの事態に、少し頭が残念になってしまったらしい。
「いやいやいや、待て待て。常識的に考えて無理があるだろう」
「そうかい?」
小さな石コロならまだしも、躊躇いもなく割と大きいのを寄越してきやがった。
もう少しなんと言うか……手心というものを考慮してほしい。
痛くなくとも人は覚えられるのだ。
「まぁ、今更常識なんて気にしても意味は無いし、物は試しでやってみようじゃないか」
笑顔でのたまうロックの目を、思わずまじまじと見つめてしまう。
こいつ、やけになってないよな?
「何だい? 僕にそっちの気は無いよ?」
「安心しろ。俺にも無い」
そもそも別に好きで見つめている訳では無い。
現状数少ない身内が、正気を失っていないかが怖いだけだ。
俺はよく知っている。
混乱はいとも容易く伝染し、状況を最悪の斜め下まで落とし込む。
それこそ実地で学習済みなのだ。
「……大丈夫だよ、問題ない。割と状況を楽観視しているつもりだよ」
「それはそれで問題だろうが」
「はは、違いないね」
俺の内心を理解しているのかは分からないが、ロックはわざとらしく肩をすくめた。
いつも通りだ、とでも言いたいのだろう。
「まぁ……状況が状況だ。多少の混乱はしょうがないな」
「もう少し、安心できる材料が欲しいところだね」
俺達はあの後、幾つかの疑問に対し無意味な議論を行った。
何事が起きているのか、謎の胞子に害はあるのか、等々だ。
だが、情報不足な現段階では考えても分からない、以上の回答は出なかった。
ましてや現在地を把握するのは不能、と早々に結論付け——概ねの疑問を棚上げとした。
本来であれば、幾つか手段は考えられる。
動植物の分布を調べ、夜に星の配置を確認してみれば良い。
しかし、まずは身の安全の確保を優先した。
――いや、ごまかさず正直に告白しよう。
万事を尽くした上で、現在地不明という結論に至った場合どうなるか。
そう考えてしまい、怖じ気づいただけだ。
無論、お互いそれを口にすることは無い。
ちなみに身の安全の確保後は、衣食住の問題に取り組む予定だ。
ここがどこか、どうすれば帰れるのか。
それらについては、健康で文化的かはともかく、最低限度の生活が確保できる状態になってから考える問題だと思うことにした。
幸いにして、と言うべきか。
俺達は前職の都合により、多少サバイバルの心得がある。
万が一、ここが無人島だったとしても対応可能だ。
情報源を得るためにも、早々に人里を探したいところだが、ぐっと堪える。
まぁ……これも実際問題、本当に人が居なかったら、という不安を隠しているに過ぎない。
何はともあれ、まずは最も手近なものを確認しようというのが現状だ。
つまるところ、自分の身体がどういう状態にあるのか、だ。
何が可能で何が不可能なのか、そもそも害は無いのか。
それらによっては、今後取れる行動も変わってくるだろう。
とは言え、この点は然程悲観していない。
むしろ正直に言ってしまえば、半ば期待している面もあった。
理由は口にするまでも無いだろう?
俺達は今、明らかにゲーム内の姿形なのだ。
ならば、と期待してしまう。
男の子であれば致し方ないことだ。
「——よし。それじゃ、テストしてみるか」
「君がテストなんて言うと、赤点になりそうで不安だね」
「ほざいてろよ、俺は割と成績優秀なんだよ」
心のどこかにこびりつく不安を拭うよう、努めて期待感を表面に出していく。
実際のところ、少し期待しているのは事実なので、自分を騙すのは容易だ。
「見てやがれよ――」
期待と不安と共に、強く石を握りしめると――
「おおぉ! 割れた! 本気で割れたぞ!」
粉々に砕け散る……とまではいかなかったが、手中の試験課題が容易く砕けている。
その呆気なさに、驚きを覚えた。
「思ったほど派手では無いけど、まずまずだね」
「かなり簡単に砕けたぞ。握力どれくらいだ、これ」
「どうだろうね。骨が二百キログラム位で砕けると聞いた覚えはあるけど、それ位なのかな?」
えらく曖昧な返答に苦笑してしまうが、感覚的に俺もそれくらいだろうと思う。
元の握力が確か六十キロ位だったはずなので、概ね三倍程度か。
確かに派手ではないが、現実的な数字だと言える。
チンパンジー程度の握力だと考えれば、同じ霊長類であれば出せても違和感は無いだろう。
「ゲームの設定自体が地味だからな……」
どうせなら、トン単位であればもっと面白いのだろうが。
「そうだね。けど、あんまり早すぎたり、力が強すぎても人間の方が追い付かないからね」
これは全没型ゲーム全般の弱点といえる部分だ。
操作する中身の性能に引っ張られて、キャラクターが思ったほど強くないのだ。
「何にせよ、少なくとも身体能力は見た目通りの可能性が高いな」
「そう結論付けるのは、まだ早いよ」
ロックにしてみれば、走力や跳躍力、その他諸々を調べたいらしい。
試験というよりは、身体測定になりそうだ。
どう考えても、絵面的につまらない。
「折角だ、開き直って少し方向性を変えてみようぜ」
「どういう意味だい?」
「魔法の方はどうだ? 身体能力に比べれば派手なんじゃないか?」
俺の提案に、ロックの瞳が一瞬輝いたのを見逃さなかった。
「ちょっと……試してみようか」
ローブ姿のロックが背中の杖を手にする。
割と乗り気なのは、一目瞭然だ。
「さて、どう使えば良いのやら……いつもの感じで良いのかな……?」
首を捻りながら悩んでいる姿は、どこか楽しそうにも見える。
恐らくゲームに始めてログインした時と、似たような気分なのだろう。
「一発、ドーンと派手なのを頼むぞ」
「あんまり期待されても困るよ」
苦笑するロック。
こいつは、その見た目から想像できる通り主に魔法を使う。
具体的には、アークメイジと呼ばれるものをメインクラスに選択している。
アークメイジは何か特化した性能こそ無いものの、回復魔法、支援魔法、攻撃魔法をバランス良く使えるクラスだ。
何でも屋な点から、やや半端扱いではあるが、戦況に応じた対応力が売りと言えるだろう。
ちなみに俺のメインクラスは、弓職もしくは斥候職に分類されるレンジャーだ。
近接戦闘も出来なくはないが、基本的には敵や罠の探知と、弓による遠距離攻撃を主としたスキル構成になっている。
正直、この二人だけのメンバー構成は、ゲーム内であれば恐ろしくバランスが悪い。
揃って運用思想が遠距離戦主体であり、防御力も紙に等しい。
盾になり得る防御力が高い近接職が必要となるだろう。
先手必勝の対人戦闘を除けば、だが。
「お——」
試行錯誤を続けていたロックの間の抜けた声。
それを合図に、杖の先に拳大の火が灯った。
「おお!」
思ったより容易く魔法が使えたことに、驚きを隠せない。
身体能力向上についてはまだ納得しようもあるが、超常現象の類いまで再現できるとは。
一体全体、どういう原理なんだろうか。
「よし、ゲームと同じように考えるだけでも良いみたいだ」
「発動用のキーワードは?」
「一緒みたいだね」
全没型のゲームでは、キャラクター操作は身体を動かす感覚で行える。
詳しい仕組みを理解している訳ではないが、なんでも脳の運動野からの信号をデバイスが受け取って動作しているらしい。
但し、魔法やスキルに関しては、本来人間に備わっていない機能のため特殊だ。
とは言っても、別に難しい操作は求められない。
決められたスキル名を口にしながら、所定の動作を行うだけだ。
口に出すのが恥ずかしい人向けかは不明だが、頭の中で考えることでも代用出来る。
実にお手軽な必殺技だろう。
しかし、これには一つ大きな問題点がある。
普通の会話や思考と、区別がつかないのだ。
たまたまスキルのことを考えたり喋っていたら暴発、なんて事も有り得る。
そこで発動用キーワードの出番である。
スキルを発動させたい場合に限って、特定単語をスキル名の前に入れることで、通常の思考や会話と区別できる。
発動用キーワードは、三文字以上の任意の単語を設定する必要がある。
何も設定しなければデフォルトの『発動』。
但し、対人戦に慣れている連中ほど、三文字のキーワードに変更することが多い。
スキル使用時間を少しでも削るための涙ぐましい努力だ。
「どうせなら威力も確かめてみないか?」
「オーケー……とはいえ、どうしようか」
「少し強めのやつを、そうだな……そこの木にでも撃ってみてくれよ」
リクエストしつつ、十メートルほど離れた位置の樹木を指差す。
「了解——起動『火炎放射』」
その短い呟きに応じて、人間の胴体ほどは有りそうな太さの火柱が、指定した木に叩きつけられる。
空気を介して伝わる熱波と轟音。
それがその威力を、肌に伝えてくれた。
付近の樹に止まっていた鳥達が、非難の鳴き声をあげながら慌てて飛び立っていく。
その光景は、正に文字通りの火炎放射器だ。
ゲーム内では見慣れた光景だったが、圧倒的なリアリティに思わず呆けてしまう。
こんなものを喰らったら、大火傷だけでは済まないだろう。
「——流石に、立ち木を焼き尽くす、とまではいかないようだね」
数秒ほどの短い放射の後、火柱は自然と消えた。
ロックの言葉通り、期待と共に放たれた魔法は、水気の多い樹木を焼ききるまでには至らなかった。
表面を黒く焦がした木。
周囲に立ち上る黒い煙。
そして、焦げ臭さ。
もはや魔法が存在したという証拠は、その痕跡のみとなった。
「いや――十二分な威力だと思うぞ」
「そうかい? 意外と欲がないね」
どことなく不満そうな気配を残すロック。
いつにないその表情に、俺は苦笑する。
「お前が欲張りなだけだよ」
これでも『火炎放射』は、高威力で使用し易い魔法の部類に入る。
確かに、半径数百メートルを焼き尽くすような魔法も有る。
だが、それらは例外の類いだ。
そういった大規模な魔法は儀式魔法と分類され、発動までに数分を要する。
更には『火炎放射』ですら、再使用までに数十秒の再使用時間が存在するが、大規模魔法になると数時間にも達し、使いどころが非常に難しい。
「一撃必殺が連発できるようなバランスじゃ、楽しくないだろ?」
「それは……まぁ、その通りだね」
いつもの通り、ロックは肩をすくめる。
善人を絵に描いたような見た目をしているが、俺は知っている。
こいつは火力という名の神を信奉しているのだ。
別名トリガーハッピーとも言う。
「何はともあれ、これで火種には苦労しなくて済みそうだな」
おどけるような俺の言葉に、ロックは僅かに嫌そうな表情を浮かべる。
大方、サバイバル技術を叩き込まれた頃のことを、思い出したのだろう。
「全くを以って、同意だね」
可能か否かはともかく、知性ある人間ならば楽が出来るに越したことはない。
そう考えるのは当然であり、もはや義務であるとすら言える。
その点、魔法という摩訶不思議な現象は、例えライター程度の火力だったとしても、有効活用できる可能性に満ちていた。
近代兵器並みであるならば、尚のことだ。
「さて、アイン。次は君の続きを——」
嫌な記憶を掘り起こしたことに対する報復として、試験項目追加をロックが告げようとした瞬間、ふとした違和感を感じた。
「——ちょっと待ってくれ……」
ロックの言葉を右手で遮り、俺は慌てて背後を振り返る。
遠く森の向こう、木々に遮られ先。
まだ視界にも入っていない位置に意識を向ける。
「なるほど、これがパッシブスキルか」
タイミングの良し悪しは分からないが、試験項目が一つ完了したことを理解する。
ゲーム内であれば、常時起動の探査スキルが何か検知するとアイコンが表示される。
しかし、この状態ではより感覚的になるようだ。
遠くに存在する薄い第二の肌に、何かが触れるような感覚。
実に表現のし難い、奇妙な感覚だ。
「……どうしたんだい?」
俺の様子に何かを察したような表情を浮かべたロックが、念のためといった様子で聞いてくる。
「いや、何だ……どうも、ここが無人島なんじゃないかって心配は、もう不要らしい」