19.配管工の仕事(中編)
「冗談だろう……」
薄暗い部屋の中、分厚い扉を前に愕然とした想いで呟く。
「まさか、そんな――」
暗がりの中、希望を求めるように辺りを見渡す姿は、見る者が見ればさぞ滑稽だろう。
「――ここまで簡単に侵入できるなんて……」
「――ちょっと、あまり大きな声を出さないでよ」
しー、とアルトは口元に人差し指を立てる。
潜入工作さながら――いや、そのものの最中だというのに、コミカルな仕草が妙に可愛らしかった。
「悪い……逆にびっくりしてな」
あまりにも拍子抜けな事態に、気が緩んでしまったようだ。
「確かに、ここまで上手くいくとは思わなかったね」
「全くだな……」
ロックの言葉に頷きで返す。
打合せ後、別宅地下の隠し通路を発見した俺達は、とんとん拍子にここまで来てしまった。
強いて問題が発生した部分と言えば、潜入メンバー選出くらいなものだ。
それも結局、城内を知るアルトと、逃げ足に定評がある俺とロックの三名で落ち着いた。
クレイ家の二人は脱出の準備を進め、ハルはその護衛。
「一応……本当に一応、念の為に確認なんだが、ここがお姫様の部屋で間違いないんだよな?」
「ええ、間違いないわよ」
豪奢な部屋を見渡す。
どうにも、奥の天蓋付きベッドでお姫様はご就寝中のようだ。
夜分に突然の訪問をしておいて何だが、あまりにも呆気なさ過ぎる。
「この城の警備状況はどうなってるんだ?」
「普段はちゃんとしてるわよ……」
「クーデターの影響かもしれないね」
「……かもな」
曖昧に返答したが、概ね正しい予測だと思う。
急激な交代劇に、大半の兵が逃げ出したか追い出されでもしたのだろう。
もしかすると、抵抗して蹴散らされた可能性もある。
まぁ、何にせよ都合が良い。
城内で遭遇した兵はほんの数名。
それも全てロックの魔法で眠って貰っている。
この程度の警備であれば、お姫様を連れて逃げることも難しくはない。
「アルト、お姫様を起こしてくれ。眠らせた兵士が起きると、流石に騒がしくなるかもしれない」
睡眠魔法の効果が設定通りかは分からないが、回復魔法と同様で効きが弱い可能性もある。
勿論それを抜きにしても、可能な限り早く撤収するに越したことは無いだろう。
あれやこれやと逃亡の段取りに悩んでいると、
「――ご心配には及びませんよ。もう起きております」
「姫様」
天蓋のカーテンを開け姿を現すお姫様に、アルトは膝をつき畏まる。
俺も真似た方が良いだろうか、と一瞬悩んだが止めておくことにした。
時間が勿体無いし、何より無様を晒すだけだ。
「――ご無事で何よりです」
「ありがとう、アルト。心配をかけてしまったわね……」
「身に余るお言葉です」
更に畏まるアルトを立たせると、お姫様はこちらに向き直る。
「お二方にも感謝を。異国の地で危険に晒されながらも、こうして来て頂けたこと大変嬉しく思います」
「恐縮です、殿下」
「あぁ、お気にせず。こっちも、し痛ッ――」
仕事なんで、などと口にしかけるもお嬢様キックにより未然に阻止される。
シリアスな場面が台無しだ。
「お前な……」
「自業自得でしょ」
「貴族のお嬢様が蹴りってのは、どうなんだ」
「お家芸よ」
お家芸って……。
「この国には猪武者しか居ないのかよ……」
「ふふ……」
お姫様に微笑ましそうな笑みを向けられてしまった。
「ほら見ろ、笑われてるぞ」
「アナタがでしょう?」
「いやいや、今のはお前の蹴りにだろう。公爵家令嬢様がナチュラルに蹴り入れるって、おかしいだろ?」
「ダークエルフが捻くれてる方がおかしいわよ。気弱なくせに妙に無頼ぶっちゃって」
「誰が気弱だ、慎重と言え。イメージが悪くなるだろうが」
何だやるのかこの野郎、とまでは言っていないが、概ねそのようなテンションにヒートアップしたあたりで、ロックがため息を吐く。
「……二人共だよ。状況を考えた声量にしてくれないかな?」
「……ごめんなさい」
「――悪ぃ……」
「ふふふ」
再びの微笑み。
何だろう……慈愛的な雰囲気すら感じる。
「ひ、姫様……」
「あら、ごめんなさい。あんまり仲が良いから、嬉しくなっちゃって」
「お、お戯れを」
そういえば以前、妹のようなものだと言っていたな。
これは、友達の少ない妹に友達が出来て喜ぶ姉の図か。
実に微笑ましい光景だ。
状況を考えなければ、だが。
耳の痛い話である。
「さて、宴もたけなわなところ申し訳ないが……そろそろ、マジな話をしよう」
アナタがそれ言う? といったアルトのジトっとした視線は極力無視する。
「お姫さ……殿下。まずは本人の意思を確認したい」
「お姫様で構いませんよ、アイン様」
「俺も、様は勘弁して欲しいな。アインで頼みますよ、お姫様」
「では――アイン卿と」
サーかよ……。
受勲した覚えは無いし、忠誠を誓った覚えはもっと無いんだけどな。
まぁ、良い。
怖い話だが、今は置いておこう。
「――俺達は、アンタを救出に来たつもりだ。それに乗っかるつもりは有るかい?」
「……」
沈黙。
行間を読み取れるお姫様のことだ。
勿論、こちらの意図は通じているだろう。
つまるところ、御輿になるつもりがあるか、と。
微笑んだ顔のまま熟考していたお姫様は、ややあって口を開く。
「恐らく……このままでは早晩処刑されるなり、良くて他国に売り払われるのが末路でしょう」
「そんな……! まさか、幾らなんでも!」
「兄君であれば……と、申し上げるよりも、兄君に入れ知恵をしている者であれば、そうするという話です」
有り得ない話ではない。
どこの世界の史実かはさて置き、世界史を紐解けば、念の為に殺された王族など腐るほど居るはずだ。
「そして何より、このままでは……この国は滅びます」
民衆が全て息絶える、とは言わないが、国としては無くなる可能性はある。
どのような形になるかまでは分からないが、内輪揉めの挙げ句に国家が維持できなくなるなんて、これも茶飯事だろう。
「今さら足掻いたところで、それを止められるかは分かりません……むしろ、もっと酷いことになるかも。それでも私は、何もせずにはいられません」
「姫様……」
内心は止めたいであろうアルトが、何かを言いかける。
「――承知いたしました。何よりまずは御身の安全が第一」
だが、結局それが言葉になることは無かった。
「我々と共に来てください。私共が必ずや、お守りしてみせます」
「分かりました。私も貴女方の忠義に全力で応えると約束いたしましょう」




