15.漢達の茶会
「ほれ……」
「悪いな爺さん」
誰が爺さんだ、という文句をよそに、細工の細かい金属製のコップを受け取る。
「どれどれ……」
久しぶりの酒――しかも異世界の酒に、迂闊にも浮かれながらコップを口元に運ぶ。
瞬間、ほんのりと甘い芳醇な香りが鼻孔をくすぐり、遥か彼方の景色が脳裏に浮かんだ。
これぞ文明の香りだ。
愛郷の念が薄い俺ですら、思わず地球が恋しくなるほどの香り。
遥か彼方の故郷を想い、そして振り払いながら、期待感と共に異世界の酒精を呷った。
「……ッ」
甘さと熱が口に拡がり、高いアルコール度数が喉と胃を焼く。
そして、それでも尚、強烈に感じる深い味わい。
恐らくお高い酒なのだろう、と理解出来る味だった。
「こいつは中々……」
「良いお酒ですね」
「ふん……小僧共には勿体無い酒だ、味わって呑むと良い」
エルダー・クレイ翁は言葉とは裏腹に上機嫌そうな表情を浮かべながら、葉巻を咥え、手元の蝋燭で火を点ける。
その一連の流れを、思わず目で追ってしまう。
「何だ……物欲しそうな目をしおって」
やれやれ、と葉巻の入った袋を、こちらに投げて寄越す。
「有り難く……」
葉巻を仰ぎ持ち、爺様に態度で以って感謝を伝え、彼を真似て蝋燭で火を点けた。
こちらも恐らくは上物なのだろう。
ただのニコチン中毒者には勿体無い代物だ。
「――」
「……」
暫く無言の――穏やかな時間が流れる。
聞こえるのは、紫煙を吐く音色と、無音の静寂だけだ。
氷の鳴る音でも加われば、更に文句なしだっただろう。
だが、残念なことに、そんな時間も無限に続けられはしない。
「それで……?」
俺は自らの声で静寂を止めなければならなかった。
「それで、とはなんだ?」
「爺さんが呼び出したんだろ? こんな夜更けに、しかも俺とロックだけを」
今、この部屋に集っているのは、悲しいかな男が三人。
シックな調度品に囲まれた爺様の私室だからこそまだ良いが、野郎臭さは拭いきれない。
「お主らの連れのお嬢ちゃんに、酒は早かろう」
「別に酒の相手が欲しかっただけじゃないんだろう?」
孫娘を含めても綺麗所が二人も居るんだ、何が悲しくて男だけで集まるものか。
若くもない男だけで夜に密会だ。
これで何の意図も無かったら、即刻逃げ出す必要がある。
「では、率直に聞くとしよう」
ああ、そうしてくれ、とコップを傾ける。
「――お主ら、どこまで付き合う気がある?」
「……男同士でそういうのは、ちょっと」
組み合わせ的に、絵面も汚いしな。
全力で遠慮したい。
「ワシも衆道の毛は無いわ。それ以前に相手くらい選ばせんか」
「そりゃこっちの台詞だ、爺さん」
やれやれと首を振る爺様。
見た目に反して、存外ノリが良いのかもしれない。
「小僧よ、冗談は抜きだ。お主らは、どのような状態になれば逃げ出しよる」
「心外だな、俺達が逃げ出すように思うのか?」
「冗談は抜きだ、と言ったぞ?」
鋭い視線が返ってくる。
少し、お巫山戯が過ぎたようだ。
「お主らは、あの子達に忠誠など誓ってはおるまい?」
「まぁ、そらそうだな。逆に誓っているなんて言っても信じないだろう?」
「無論だ」
断言された。
いや、まぁ……事実ではあるのだが。
「お主らは、現実を知っている。故に無闇に忠義など誓わん」
貴族とて同じよ、と爺様は頷く。
「どこまで許容できるか、と聞いておるのだ」
「そいつはお優しいことで、涙が出そうだよ」
ある程度は、それも含めて要員計画を立ててやる、と言われている訳だな。
実に現実主義的だ。
現実を無視した計画を立てても、芳しい進捗率にはならない、と知っている者特有の思考形態だろう。
逆を言えば、そこまでは確実に酷使されるのだろうが。
とりあえずは素直に応じておこう。
「命の危険度次第だろうな。これはどうやっても助からない、なんて事態になる前には尻尾を巻くよ」
契約内容上、どうしても危険はゼロにはならない。
それを踏まえて、確実に負けが見える前には逃げ出しておきたい。
「本来は社会的に不味い立場になり得ることにも、首を突っ込みたくは無いんだがね」
リターン次第ではあるが、現状他に行く宛も無い以上、目を瞑るしかない範囲だ。
何より、ダークエルフは目立ち過ぎるようなので、他に行く宛を見つけるのすら困難ときている。
一蓮托生になっているロックには、実に申し訳無い話だ。
「そちらの小僧も、同様の意見と考えて良いのか?」
異世界人は心が読めるのだろうか……?
俺の考えを見抜いたかのように、爺様はロックの意思も確認した。
「ええ、若干意見の相違もありますが、概ねお世話になっていた方がメリットが多いと判断していますよ」
ロックの答えに、満足なのか不満なのか分からない表情で、爺様は酒を呷る。
「爺さん……こっちからも質問だ」
「何だ? 機密は答えんぞ」
「安心してくれ、そういう類じゃない。それ以前に、俺は裏切りだけはしない」
逃げ出しはするだろうが、敵方に寝返る真似はしないと誓っておこう。
仮に寝返ったとしても、ロクでもない結果になるのが目に見えているからだ。
そしてなにより、それは俺の主義と美学に反する。
生存は最優先だし、人道主義者でも何でも無いが、その程度の矜持くらいは持ち合わせている。
「小僧。お主、騎士道なんぞ信じていたのか?」
「まさか。冗談だろう」
時と場合によって使いはするかもしれないが、そんなものを信じたりはしない。
「守秘義務は尊守するってだけの話だよ」
仕事である以上――特に汚いことも職務に含まれる分、最低限人として契約くらいは守りたい。
それだけの矜持に過ぎない。
まぁ、逃げ出すことがオプションに入る点については、目的遂行に向けて命がけで戦うとは契約したが、一緒に負けて死ぬところまでは含まれていない、と解釈してほしい。
「ふん……まぁ、良い。それで? 質問とは何だ?」
納得したのか判別のつかない表情のまま、爺様は続きを促してくる。
「質問は簡単だよ。爺さん……アンタ、勝てると思ってないだろう?」
「言ったはずだぞ、そもそも戦うつもりはない、と」
なるほど、流石の豪快爺さんでも、貴族様だ。
表情に変化が一切無い。
「お嬢様方のしていることは効果を出しそうなのか? そもそも、あんな直球で動いて、相手に気取られるだけだろう?」
「いざという時の手段が悟られぬ限りは、問題無かろう」
「得もしないだろう?」
「何が言いたい? 今更止めろとでも言うつもりか?」
臆したのか、と言わんばかりの目を向けられる。
先ほど裏切らないと言ったばかりではないのか? と、口にはせずとも、その目が意味するところは言葉以上に雄弁だ。
「――そんなことを言い出しはしないさ」
「ならば、何が言いたい?」
何かに気付いたのだろう、苛立たしげな表情の中、その力強い目が一瞬怪しい光を放つ。
「方針を転換すべきだ、と進言しようじゃないか」
「どのようにだ?」
爺様は素知らぬ顔で、二本目の葉巻に火を点ける。
今度は何も言わずとも、葉巻入れがこちらに放り投げられた。
「なに、実に簡単な話さ」
何気無い風を装い、葉巻に火を点け、大きく吸い込む。
「もう、いざという時だと考えなおした方が良い、それだけのことだ」
そして、紫煙と共に、感情が篭っていない殺意を吐き出す。
「時間が経てば、リスクが増える。情報漏えい、相手方の防備強化、突発的な開戦……」
「ふむ……」
当初は、社会的に死にかねない裏稼業に手を染めるのはご免だった。
だが、街を歩く度に、視線で理解した。
求めるべき保障を得るには――目的を達成するには、相当に強力な後ろ盾と、社会的な地位が必要であると。
そのためには、現状のままでは不足している。
無論、手っ取り早く、別のパトロンを得る手段も無くはないだろう。
だが、目立つ『プレイヤー』――そして奇異の目で見られ続けるダークエルフでは、非常に難航するのは目に見えている。
誰とはなしに言い訳するならば、自分の主義に反する行為だというのも、大きな理由ではあるが。
「これは、誰でもないアンタに言うべきだと思った」
「――分かった。少し時間を寄越せ、検討する」
提案を終え、内心安堵する。
場合によっては、爺様を敵に回す可能性も考慮していただけに、反応は悪くないと感じられたのだ。
「ああ、そう言えば――あと、もう一つ良いか?」
「なんだ? まだあるのか」
「本当の本当にいざって時に、全員が逃げられる方法を用意できないか?」
思い出したように付け加えた言葉に、爺様は呆れ顔を見せる。
「小僧……お主――」
そう呟きながら、爺様がかぶりを振る。
「――大胆なのか、小胆なのか、ハッキリせい」




