10.はじめての
――夜明け前、鐘の音が三度打ち鳴らされた。
薄暗い夜闇に溶ける甲高い音色は、まるで悲鳴のようにも聞こえる。
その拍子が何を意味するかまでは知らないが、危険を伝えるものであろうことは察しがついた。
「何事だろうね……」
緊迫さを感じさせない様子で、ロックは呟く。
だが、既にベッドから起き出している姿勢は、流石と評するべきだろう。
状況を理解した上で、落ち着き払っている。
「……さぁな。何にせよ、安眠妨害は勘弁してほしいもんだ」
そのお蔭か、こちらまで妙に冷静になれた。
混乱は感染するというが、果たして冷静さも感染するものなのだろうか。
「とりあえず、まずはアルト達と合流した方が良さそうだな」
まだ戦闘音らしい喧騒は聞こえてはこないが、慌ただしい雰囲気が階下から伝わってきた。
こういう時は、慌てず、騒がず、大急ぎが鉄則だ。
「おい、お嬢さん――って、起きてるのか」
「――うん」
てっきり、また眠り続けているものかと思っていたが、起こす手間が省ける。
「何か宜しくない状況らしい、アルト達と合流する。戦闘も有り得るが……平気か?」
何を今更な質問ではあった。
だが、契約内容の説明責任は果たさなければならない。
後で条件が違ったと言い出されても、双方不幸になるだけだ。
とは言えど、現状ハルに『ノー』と言われると、非常に困る立場でもある。
何故なら戦力評価として、彼女がこの三人の中で最も優れているのだ。
少なくとも肉薄した混戦になった際に、彼女が居ると居ないでは選択の幅に大きな差が生まれることだろう。
年端もいかぬ少女を戦わせて良いものか……と、良心は囁くが、目前の問題予防のために黙殺しよう。
この状況で彼女に離脱されて確実に問題になるかは不明だが、戦力が不足するくらいなら過剰な方が良い。
故に、内心では大丈夫だろうと当たりをつけつつも、断るなよ、と心底願う。
「問題ない」
悩んだ様子も無い最小限の返答に、とりあえずの安堵。
自らの葛藤については『プレイヤー』なら見た目と年齢が一致しているとも限らない、と言い訳しつつ目を瞑ろう。
怖いので事実確認は決して出来ないが。
「よし。それじゃあ、行くぞ」
「「了解」」
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アルト達とは結局官舎では会うことができず、俺達が街に入る際に通過した正門で合流した。
既に何事が発生しているか、駐屯兵から聞き取っていたらしい。
「――アルト」
「あぁ、アイン。来てくれたのね」
俺達の姿を見て、アルトはほんの少しだけホッとしたような表情を浮かべた。
心細くて不安だったから、知った顔を見て安心した顔――――では無いだろう。残念ながら。
あれは、頭数に入れていた戦力が順調に合流したことを安心した指揮官様の顔だ。
「貴様! お嬢様を呼び捨てとは馴れなれしい!」
「はいはい、カミーラ。今はそういう状況じゃないから、落ち着いて」
どうどう、と諌める姿には、どことなく年季を感じる。
大方、昔からいつもこんな感じだったのだろう。
少しおもしろい関係性かもしれない。
と、普段なら温かい気持ちになれるのだが、残念ながら今はそういう状況ではない。
手早く仕事の話を済ませる必要があった。
「状況は?」
「夜番の兵が、野盗の一団を発見したわ。奇襲前に発見できて不幸中の幸い、ってところかしら」
「数は?」
「夜目は貴方が一番効きそうね。悪いけど確認してくれない? 恐らく十人以上って話だけど」
「了解」
早速のお仕事だ。
全員で街壁に備え付けられた梯子を登り、歩廊の上に移動する。
「――どうかしら?」
「目に見えるだけで二十人以上だな。距離は五百メートル程度。あそこの森の端あたりだ」
大雑把に、野盗が隠れている辺りを指差す。
まばらに広がり、それぞれ木に隠れているため、元の身体なら見付けられなかっただろう。
あれを見つけた夜番の兵士は凄い、と素直に感服する。
「ただの野盗にしては大人数だけど、この街を襲うには数が足りないわね」
「こちらの人数は?」
「駐屯兵が二十人、兵役経験のある住人が二十人、非戦闘員は二百人を超えるわ」
後は私達ね、と最後に付け加えたアルトは訝しげな表情を浮かべる。
「全周を壁に覆われた拠点を落とすには、かなり不足していそうに見えるな」
戦力に数えられる人数だけでも、眼前の野盗達の倍は居る。
更にこちらは拠点に篭っての防衛だ。
「考えられる可能性は何かしら? 貴方の意見を聞かせて」
試すような物言いだった。
とはいえ、馬鹿にしているような感じではない。
どちらかと言えば、面接官のそれだ。
「一つ、目前の部隊は陽動。本隊は別に居る。二つ、敵戦力に『プレイヤー』が存在する。一と二は複合しても良い」
より良い雇用条件のため、少々真面目に考えたが、模範解答的な意見しか出なかった。
「――少し気になってたんだけど、貴方達は兵役を経験しているの?」
「何で、そう思う?」
「『プレイヤー』の多くは、戦ったこともない素人だって聞いたことがあるわ」
「まぁ……そうだろうな」
三度目の大戦は、大惨事ではあったが期間が短かった。
『プレイヤー』の多くを占める層――今の二十代は、当時はまだ十代だ。軍に居た訳が無い。
仮に俺達と同年代であっても、入隊していた割合は相当に低いはずだ。
「聞いていた印象と比べると、貴方達ちょっと冷静過ぎるのよ」
「なるほど……そりゃ確かに疑問にも思うか」
特に隠すことでも無いが、確かに俺達は数少ない側だった。
とは言え、軍役経験者だとしても、大規模戦闘の経験者は基本的に居ない。
あの大戦はテロとゲリラ――つまるところ非対称戦と、無人兵器による遠距離攻撃が主流だった。
つまるところ、実戦経験者も概ねは治安戦が主だ。
「まぁ、想定している兵役と食い違いはありそうだが、俺とロックはその通りだな」
「あれ? そうなんだっけ?」
肩をすくめて、とぼけるロック。
この期に及んで、ゴネる算段らしい。
「それで? 経験者だと給料は上がったりするのか?」
ロックの案に乗っておく。
一応は、即戦力の中途採用だと考えれば、雇用条件が良くなっても良いだろう。
「あら? 素直に雇われてくれるのかしら?」
「えぇ、勿論ですとも。信用して頂けるならですが。お嬢様」
せめて、目的を共有してくれる位には、信用して貰わないと困るのだ。
目的不明のまま雇われるのは、リスクが高すぎる。
後ろ盾が彼女達しか居ない状況で、社会から追われるような業務には手を染めたくない。
「ええ、勿論信用してるわ。私達以上に親切な人間が他に居ないことも、だけどね」
「随分と足元見てくるなぁ……」
惚れ惚れするほどの、良い笑顔を浮かべるアルト。
この笑顔と、昼間の素直な笑顔と、どちらが本物なのだろうか。
いや、どちらも本物か。
「分かったよ、とりあえず労働条件等については、追って相談しよう」
「そうね、今はこの状況を脱するのが先決」
ロックとハルに視線を送る。
勝手に話を進めてしまったが、問題無かっただろうか。
二人とも表情の変化が乏しいタイプなので、そこからは何も読み取れなかった。
まぁ、多分問題無いだろう。
問題があれば、止めているはずだ。
とりあえず今は、目の前の問題に集中しよう。
「――こちらに警戒されていると気付いて、諦めてくれるなら楽なんだが」
などとぼやいていると、敵が動き始めた。
毎度、間が悪いと嘆くべきか、自分の動きが遅いと反省すべきか。
恐らくはその両方なのだろう。
「松明? 隠れる気はもう無いのかしら」
アルトの疑問に答えるように、野盗達は驚くべき行動を取り始める。
「――ッ! 奴ら、収穫前の麦畑に火を……」
カミーラが怒りも顕に目を剥く。
普通、野盗の目的といえば略奪だろうと察しが付く。
だが、それなのに、火を点けた?
どういうことだ?
俺はそういう行為に明るくはないが、素人目に見ても利益が思いつかない行動だ。
そもそもの話だが、仮に俺が略奪行為を行うならば収穫直後の時期を狙うだろう。
つまりこれは、略奪が目的では無いということか?
そうなると、主目的は何だ? 嫌がらせか?
「不味いわね……」
いや、今は敵の目的は置いておこう。
陽動にせよ、嫌がらせにせよ、早急に対策を取る必要がある。
「この街の出入り口はここだけじゃないよな?」
「北門が、ここの反対側にあるわ」
「そちらには何人居る?」
「駐屯兵のうち、五人が向こうに回っているわ」
正面の敵が陽動だとすると、危ないな。
「ロック頼む!」
「了解、すぐ向かうよ」
「ハル――も、それで良いか?」
「了解」
淡々と了承された。
肝が座りすぎていて、とても素人には思えない言動だ。
良く言えば、ビジネスライクでやり易い。
しかし、その小さな見た目とは相当に乖離した態度だ。
何故か途轍もなく不安になる。
だが……それでも、今はその方が都合が良い。
詮索は後回しにしよう。
「ロック、緊急時は――そうだな、何か目立つ魔法を打ち上げろ」
「了解。通信機が欲しくなるところだね」
見逃さないでくれよ、と言葉を残しながら、ロックとハルは梯子を駆け下りていく。
「カミーラ、貴女も北門へ」
「お嬢様をお一人には出来ません!」
一応俺も居るぞと言いたいが、だからこそだ、と返ってくるのが目に見えているので自重する。
「北門で指揮をとれる人間が必要だわ」
つまりは監視役も兼ねてのことだ。
彼女からすれば、俺達をフリーハンドにさせる訳にもいかない。
とはいえ、実際問題として外様の俺達だけでは住民や兵への指示も儘ならない。
監視云々は抜きに必要な人材だ。
「……承知しました。北門へ向かいます」
アルトの真意を理解したのか、渋々ではあるもののカミーラも北門へと向かった。
「さぁて……こっちも、どうしたもんかな」
北門への援軍を見送り、敵の方に振り返る。
秋の乾燥した風が、放たれた火を盛大に延焼させようとしている。
このまま放っておけば、収穫は全滅してしまうだろう。
この街の財政状況は知らないが、洒落では済まない事態になるのは、考えるまでもない。
「――このままでは今年の冬が越せない! もう打って出るしか!」
「落ち着け! 数で負けているのに、打って出てどうする!」
周囲の兵士達が、焦燥感にかられ次第に言い合いを始める。
この正門に居る兵士の数は十五人ほど、対して野盗は二十人強。
守りもない状況で戦えば、どう転ぶか分からない人数差だ。
いや、人数も多く、殺しに慣れている野盗の方が有利だろうか。
「多分、これも狙いの内なんだろうな」
「ええ、そうでしょうね。出てこなければ、嫌がらせは達成――」
「――出てくれば、防備の硬い街を落とし得るチャンスが転がり込む、か」
「野盗の割には悪くない方針ね」
「感心してる場合じゃないだろ」
そして、俺も手をこまねいている場合では無いと承知している。
今後のことを考え、雇い主に有用性を示す必要がある。
「確認だが、捕らえる必要はないな?」
逡巡。
「ええ、被害の最小化を優先で」
「了解」
雇い主と合意形成が完了した。
俺は背負った弓をおろし、構え、矢を番えて、引き絞る。
何故、俺が弓職を選んだか。
正にこういう時のためだ。
戦場において、一方的に攻撃できるという状況は、正しく正義だ。
俺の一念と主義と、指に篭めた力が捻り込まれるように、弦が嫌な音を奏でる。
思いの丈に、糸が切れないかと思わず心配になる。
「届くの? この距離で?」
正直に言えば、試してもいないので分からない。
だが、素直にそう伝えるメリットも無い。
「狙撃が本業だからな」
適当に、自信ありげな台詞を返しておく。
距離は概ね五百メートルほど。
無論、普通の弓では届かない距離だ。
仮に届くとしても曲射でギリギリなはず。
とても狙える距離ではない。
「――」
だが、知識ではなく、感覚で理解する。
何の問題も無いと。
矢は必ず届く。
しかも、曲射ではなく、直射で、狙い撃てる。
「――ふッ!」
弦が限界だと言わんばかりに、音をあげた瞬間、矢を手放す。
銃弾もかくやという速度で飛翔した矢は、寸分違わぬ精度で野盗の一人を射抜いた。
『――――!!』
倒れ込み、転げ回る相手。
致命的な傷ではあるが、即死しない腹部に当てた。
戦場ならば衛生兵の出番だが……『プレイヤー』は出てくるか? 居るなら動くか? 居ても無視するのか?
苦悶の声をあげている野盗、慌てふためく野盗、逃げ出す野盗――それら全てを注視する。
いつ『プレイヤー』が現れても対処できるように、次の矢を番えながら。
「…………居ない、か?」
この場にロックが居たなら、それは居るフラグだ、と笑うだろう。
野盗の一人が、倒れ込んだ男に近付く。
「――ッ!」
間髪入れずに、二の矢を放つ。
『――!』
遠くて叫び声は曖昧にしか聞こえないが、確実に胴体を射抜いた。
同じことを、更にもう一度繰り返し、倒れた仲間に近付こうとする野盗は居なくなった。
この状況で何のリアクションも無いのであれば、正面の敵に『プレイヤー』は存在しないと判断しても問題ないだろう。
そして、敵の目的が陽動や嫌がらせであれば、これ以上の無理はしないはずだ。
『――――撤収だ!』
辛うじて聞き取れた意味のある言葉を最後に、野盗達は三々五々に帰還していく。
「ふぅ……」
緊張の糸が切れると、感慨も何も無く、安堵から吐息が漏れた。
抱くのは若干の罪悪感。
とはいえ、相手は野盗だ。
何も、問題は、無い。
大昔に覚えた習慣から、そう自分自身を騙しきる。
問題ない。
「――流石の『プレイヤー』ね」
「あぁ…………惚れたろ?」
アルトの言葉に、我に返る。
「そうね……その腕には、惚れられそうよ?」
「はっはっは、抱きしめて欲しくなったら、いつでも言ってくれ」
軽口を叩く。
これは生活習慣の相違だろう。
切った張ったに慣れているアルトは、殺人への忌避感が薄いように見える。
これがこの世界では、概ね一般的な認識だろうか?
まぁ、戦争のある国では当たり前の話か。
「さて、大丈夫かしら?」
「――何がだ?」
「……大丈夫なら、良いの」
内心を悟られたようで、少々こそばゆい。
あとは、自身より年若い女性に、気遣われたことが、か。
「大丈夫だ。それより、仕事の話をしよう」
「そうね。とりあえず、正門はもう大丈夫だと判断しても良さそうね」
その言葉と共に、アルトは付近の兵に畑の消火を開始するよう、素早く指示を出していく。
まだ野盗が残っているかもしれないから、警戒は厳にするようにとも、抜かりなく指示を出している。
「あとは北門だな。結局何も知らせは無かったが、襲撃は無かったんだろうか」
「知らせる暇も無く……は、無いわね」
「だろうな」
アルトはカミーラへの。
俺はロックへの。
それぞれの信頼から、流石にそれは無いだろうと判断する。
「向かいましょう」
「了解」
アルトの言葉に従い、二人で北門へ移動する。
北門へたどり着き、俺達は絶句した。
そこは、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
一面真っ赤に染まり、人間だったものが多数転がっている。
「――来た」
その中央に立つ――真っ青な重鎧を来た少女が、感情の起伏を感じさせない様子で、こちらを見つめてくる。
「やぁ……アインにアルトさん。こちらは今終わったところだ」
珍しく狼狽えた様子のロックが出迎える。
「どういう状況……だ、も何も無いか」
「そうだね、本隊はこっちだったらしい。カミーラさんは住民の避難誘導に当たっていたから、今は居ない」
やはり正門の方は、陽動が主目的だったか。
「一応、止めたんだけどね。敵が肉薄してくるなり、ハルさんが飛び出しちゃって」
この有り様さ、とロックは惨劇の現場を指し示す。
「――頑張った」
表情の変化は一切認められないが、褒めろと言わんばかりの様子だ。
「そうか……頑張ったか」
本当に、彼女は何者だろうか。
そんな疑問を抱きつつ、ハルの頭に手を載せておく。
殺人行為を褒めるのは倫理的におかしい、だが仕事を完璧にこなした彼女を認めないのは、職業倫理的に正しくない。
相反する問題が曖昧な態度をとらせるが、すぐにかぶりを振る。
「……今更だな」
良心は黙殺したばかりじゃないか。
何より、生存より尊いものは無い。
今はとりあえず、異世界で最初の夜を、無事に生き残ったことを喜ぼう。
気付けば、空が朝焼けの色に染まっていた。
赤と青の入り混じったコントラストに、自分達の未来を見るようだった。




