9.壁の向こう側(中)へ
――フリーデン王国 南部辺境領 グレンツ
「おぉ……思ったより、デカいな」
夕焼けに赤く染まった街壁を見上げる。
気付けば、もう目と鼻の先――あと数分程度の距離になっていた。
遠巻きに見ていると分からなかったが、全高四メートル程の壁ともなると、如何に木製であろうと威容を感じさせるには十分だった。
「ただの街にしては、やけに厳重だね? ここはどういった場所なんだろう?」
ロックの疑問はもっともだ。
ただの街やら村の全てを、堀や壁で囲っているとは思えない。
通常は費用対効果を考えて、要所のみ防御を固めるのが定石だろう。
その点から、石造りではないとは言え全周を壁で覆うからには、ここが何らかの要所であることが伺える。
「ここは辺境領の最南端に近い街なの。つまりフリーデン王国の最南部、帝国との国境に最も近い街ということね」
アルトの言葉と共に、道中聞いた地理を大雑把に思い出す。
確かに……王国の南部が唯一地続きで他国と面しており、その相手が帝国だと聞いた記憶がある。
正直、そうと言われない限りは思い出せない程度にしか覚えていないが。
「つまり、ここが国境の守りの要なのかい?」
「まさか、流石に違うわよ。ここから更に南部、私達が出会った大森林のはずれにアンファング砦という城砦があるわ。そこが国境防衛の要ね」
ロックの疑問を、即座にアルトが否定する。
「この街は、その砦への補給路上に存在するの。最も近い補給の中継地点、ということね」
まぁ、流石に国境防衛をこの街でしろというのは無理がありそうだ。
未だ技術レベルの程は未確定だが、彼女らの鎧――の加工技術や、方位磁針が存在しつつもそれが珍しい、という発言から想像するに、火縄銃くらいなら存在していても不思議ではない。
仮に想定が正しいとした場合、地球の歴史に照らし合わせると概ね中世終盤から近世序盤くらいだろうか?
中国を基準にすると、もう少し遡るか? まぁ、どちらでも良い。
該当の時代の戦争を想定したとして、相手の規模次第だが……仮に数百程度の相手が攻めてきたとすると、この程度の防備では大した守りにはならないだろう。
防衛戦力次第だが、保って数日といったところか?
いや、大砲の有無によっては一日も保たない可能性もある。
ものはついでだ、確認してしまおう。
「一応、確認なんだが……火薬って有るのか? というか、存在を知ってるか?」
「知っているには、知っているわ」
微妙に歯切れの悪い返答が返ってきた。
「見たことは?」
「無いわ。そもそも王国では見れないと思う。少なくとも正規のルートでは」
王国ではか。
「どこなら使用するんだ?」
「えっとね、まず前提を説明すると、火薬は宗教上禁止されてるのよ」
「宗教上……?」
「そう。だから、国教として宗教が存在する国では、火薬は使われていないはずよ。少なくとも表向きは」
「けど、知ってると?」
適当な質問だったはずが、妙な話になってきた。
「北方のドワーフなんかは使っているみたいね。正直、宗教を重要視しているのって、人間とエルフ位だから」
「何に使っているんだ? 鉱山の発破とかか?」
「詳しくは知らないけど、そうらしいわね」
ドワーフと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、鉱夫か鍛冶屋だ。
ご多分に漏れず、この世界でもそのイメージは通用するらしい。
「あと、最近帝国で火薬を使用した武器を研究しているとか、どこかで話は聞いたことがあるけど」
「ほぉ……」
確か、一応は交戦国だったはずだ。
もし仮に、一方的に銃火器が配備されたとしたら、どうなるか想像に難しくはない。
「製造方法自体、出回っていないのか?」
「もし製造や研究していると聖王国に知られたら、糾弾されるわ」
「それは、不味いのか?」
「相手は唯一、魔法を運用している軍隊を持つ国よ」
「あぁ、なるほど……そうか、本当に魔法、有るのか」
「そうよ? 信じてなかったの?」
宗教家の言う魔法を信じていなかったせいか、実は魔法の無い世界なんだと思い込んでいた。
なるほど。
どうやら強権を発動できる程度には、魔法が実在するらしい。
ただ、一部が独占しているため出回っていないのだ。
国家戦略としては、間違っていない選択に思える。
魔法の対抗馬になりそうな火薬の研究を制限するあたり、実に国家理性に忠実じゃないか。
正直、宗教国家と聞いたせいで、妙なバイアスがかかっていたようだ。
宗教も魔法も、上手く利用している国なのだろう。
そして帝国とやらは、それをはね退けられる程度には力をつけているようだ。
「――さて、着いたわ。ちょっと待ってて頂戴」
正門前まで辿り着くと、アルトは正門脇で立哨している門番の元へと近づいていく。
念の為、さり気なく周囲を観察する。
街壁の外に広がる黄金色の麦畑、そこに居る人々、街壁の上の――やはり木製の胸壁の間に見える弓兵。
「ご苦労様」
「これは、バーン=フリート卿。お戻りでしたか」
門番がチラリとこちらを様子見してきた。
「しかし……その、一緒に出立された皆様は?」
「残念だけど……」
アルトは少し俯き加減で、首を小さく横に振る。
「そうですか……では、やはり噂通り、野盗団に『プレイヤー』が?」
「いえ、聞いていた話とは違って、大人数ではなく二人組だったわ」
また、門番がチラリとこちらを見てくる。
疑う余地も無く、完全に警戒されている様子。
「では、その……捕らえたのですか?」
「え? いえ、そうじゃ……あぁ――」
門番の視線を追うように、アルトもこちらを見て、理解する。
「――凄い! 悪魔に魂を売り渡して暗黒の力を得たダークエルフを!」
「いや、違うのよ! ちょっと待って頂戴!」
アルトが慌てながら、勝手に興奮していく門番に事情を説明する。
ワタワタした光景が少々面白かった。
「やっぱり、ダークエルフはそういう扱いなんだね」
ロックが実に楽しげな表情で喋りかけてくる。
余程、俺の不幸が嬉しいようだ。
「らしいな。悪魔の使いの『プレイヤー』の中でも、更に悪魔に魂を売り払ってるみたいだぞ」
「二重契約かい?」
俺に聞くな。
一度も悪魔になんて会ったことはない。
「ふん……貴様にはお似合いだぞ」
「何だ? 急に喋ったと思ったら、随分と酷いこと言うな。二重契約の事実は無いぞ?」
背後のカミーラが、俺にコンプライアンス上の疑念を投げかけてくる。
一社会人として、今まで社会通念に反することをしたことは無い、と断言しよう。
多分。
「――お嬢様は貴様らと手を組むと考えているようだが、私は貴様らを信じた訳ではない。それだけは覚えておけ」
俺のジョークは通じなかったらしく、二重契約云々はスルーされる。
代わりに大きめの釘を刺されてしまった。
とは言え、そもそもの話だが、アルトも俺達のことを信頼した訳じゃないだろう。
正確には、お互いの利益が合致している間は信用できる、とは考えているだろうか。
まぁ、本当の信用や信頼を得るのは時間がかかる。
この段階で、心から信頼はすまい。
だからこそ、カミーラの態度にも怒りを覚えないのだ。
彼女の警戒は、権利でもあるし義務でもある。
「了解だ。まぁ、安心してくれよ。俺は二重契約するほど、無節操じゃないさ」
「ふん……どうだかな」
俺の答えに満足したのかは甚だ疑わしいが、とりあえず矛を収めるには足りたらしい。
もしくは、門番とのやり取りを終えたアルトが、こちらに戻ってくるのが目に入っただけかもしれない。
「いやー参ったわ。悪のダークエルフを捕らえた勇者に祭り上げられるところだったわよ」
苦笑しながら、こちらを伺うアルト。
別に気にしちゃいないさ、と肩をすくめておく。
「今後も街に入る度にこうなるのか? ダークエルフってのは」
「まぁ……ね。実在するのかは知らないけど、プレイヤーが現れる前なら悪魔の使いといえばダークエルフ、というのが相場だったみたいよ」
「そりゃ面倒な……」
ダークエルフは日光下では弱くなる種族特性のせいで、ゲーム内においても人数が少なかった。
恐らくは『プレイヤー』として、こちらに居る人数も少ないだろう。
つまるところ、誰もが見慣れていないということだ。
これは、今後も苦労する予感しかしない。
「それで、僕らは街には入れそうなのかな? アインだけ野宿でも、僕は構わないけどさ」
「おいおい、勘弁してくれよ」
ロックの言葉は、割と冗談になっていない。
一人で夜空を天蓋にして寝るなんて、出来れば勘弁して欲しい。
「大丈夫大丈夫。道中で護衛を依頼した『プレイヤー』だって説明したから、私達と一緒なら入れるわ」
「そうか、それは安心したよ」
そして、俺は不安になった。
今後一人では街に入ることすら苦労するということだ。
「それじゃあ、行きましょうか。駐屯兵用の官舎が使えるから、今夜はそこで一泊ね」
「屋根と布団が有れば、それで天国だ」
兵隊用の部屋に期待は出来ないが、一人野宿よりは万倍マシだろう。
俺達は素直にアルトの後を着いていく。
道中、何度もギョっとした顔をされたが、気にしないことにした。
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「あー……疲れた……」
官舎備え付けの兵隊用ベッドに倒れこむ。
あの後、俺達は官舎に辿り着くなり本日初の食事を摂り、今日は全員疲れきっているだろう、ということで食後すぐに解散となった。
ちなみに、食事は麦粥と、少量の肉が入った野菜スープだった。
兵隊向けなのだろう。塩気が効いていて意外と美味かった。
食文化的にはあまり馴染みの無いメニューだったが、元々中東やらにも出張していたので、割と何でも食べれるのが幸いしたかもしれない。
あと、実に今更ではあるが、やはり味覚が機能していることから、これがゲーム内の出来事である可能性は更に減少した。
いや、本当にもう今更だな。
どうにか信じたくない一心で疑える要素を探していたが、もうここまでくると疑問を探すのも厳しくなってきた。
「本当に、ゲームじゃないんだなぁ……」
「何だい? まだ疑っていたのかい?」
「一応、な……そうじゃないとなると、帰る方法を探す糸口すら無くなる」
ゲームなら、どうにかログアウト方法を探せば良い。
それは言うほど楽じゃないかもしれないが、異なる世界からの帰還を望むよりは現実的だろう。
別の世界への転移なんてのは、何故起きたのか、それはどういう原理なのか、まずはそこから想像がつかない。
異なる世界からの帰還とは、つまりそれを探る必要がある。
課題のあまりの大きさに、思わず頭が痛くなった。
「帰り……たいの?」
今まで黙りこくっていたハルが、急に口を開く。
どうでも良い話だが、ここは三人部屋だ。
男女同室なのはどうかとも思ったが、もう気にする気力も無かったので素直に受け入れた。
そもそも本人からして、気にしている様子も無いしな。
「君は、帰りたくないのかい?」
ロックが優しげにハルに問う。
デフォルトの表情が笑顔なので、こういう時に羨ましくなる。
「別に……どこでも一緒だから」
「どこでも一緒、ね……」
思わず、ハルの言葉をなぞってしまった。
すきま風の入る、木の壁を見ながら思う。
快適度合いやらに大きな違いはあるが、確かに……どこでもやることは同じかもしれない。
食事中にも彼女らの目的について聞いてみたが、結局聞けずじまいだった。
もしかしなくとも、話すことを避けられている可能性が高い。
だが、道中に聞いた彼女らの立場とこの国の現状を総合するに、何となく期待されている内容は想像が付く。
攻勢なのか防衛なのか、用途や目的そのものは分からないが、云わば兵力を期待しているとしか思えない。
もしそうだとすると、目的そのものが重要情報になり得るのだろう。
仮にそうであれば、信用のおけない部外者にはおいそれと喋らない。
それは例え命の恩人が相手だとしても、例外にはならない。
損得を考えた時、恩義や感情は無意味だ。
そう判断してのことだとすれば、クレバーであり、むしろ好感すら覚える。
彼女ら……いや、より正確にはあの善人そうな――事実善人に思える――アルトは、俺達に目的をギリギリまで悟られず、引き込むように努めるつもりなのだろう。
もしくは俺達が信用を得るのが先か、だ。
人格的には善人でありつつ、クレバーに立ち回れる雇い主なのであれば、非常に有難い。
以前の雇い主――日本という国は、その点が非常に下手だったからな。
是非、そうであることを祈ろう。
「とりあえず、小難しいことは、一回寝てからだな……」
「そうだね、今日は色々とありすぎて、頭が混乱しているよ」
そうは見えない様子でロックは言いながら、ベッドに横たわる。
「――同意」
いや、お前は殆ど寝てただろう。
と、言いたいところだったが、ハルの働きで俺達は助かったのだ。
一番の功労者に文句は言うまい。
……こいつが何者だとかも確認しないといけないな。
「まぁ、良いや。流石に……今日は、疲れた」
こうして、異世界最初の一日は、終わった。
――深夜に夜襲を知らせる鐘が鳴り響くまでは。




