8.異世界のいちばん長かった日
初めに、この世は氷と静寂の世界だった。
幾千年と続く静止した世界を神は嘆かれ、大いなる火を放たれた。
偉大なる炎は天を舞い、死した氷の大地を溶かし尽くす。
氷は水となり、やがて死した大地を蘇らせた。
次に、万能なる神は、世界を精霊で満たされた。
精霊は風となり、草木となり、雲となった。
世界は神の恵みで満たされる。
最後に、絶対なる神は東の果てより、命ある者を生み出した。
神の眷属たる竜を初めとし、巨大なもの、矮小なもの、穏やかなもの、荒ぶるもの――ありとあらゆる生物を生み出した。
そして、最後に一一神は自らの思い描く似姿として、人をお作りになられたのだ。
〜 著者不明『聖典』より抜粋 〜
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「なるほど……宗教? 神話? ってのは、文化圏関係なく似るもんなのかね」
どこかで聞いたことが、有るような、無いような。
それが彼女ら――アルト達、異世界人の神話を聞いた感想だった。
「もしかしたら、神様は全ての世界で同じ存在なのかもしれないわよ」
「へぇ、それは面白い発想だね」
アルトの斬新な解釈に、神官風な服装のロックが思いのほか食い付く。
「もしそうであれば、異なる世界で何故人の形が同じなのかも説明がつくかもしれない」
「ほーほー」
「環境が異なるのだから、生物にもっと差異があるはずだと思っていたんだけど、アルトさんの解釈なら解決しそうだ」
思っていた以上に前のめりで、そして早口なロックさん。
服装に影響されて、妙な宗教に嵌ってしまったのだろうか。
少し心配になる。
そして、この手の話題に対する反応は、どの世界でも共通するらしい。
所謂、引き笑いだ。
「む、難しいこと、考えているのね? ロックさんは、学者様なのかしら?」
「いや、全然そんなんじゃないんだよ?」
適当な雑談――情報収集を続けながら、かれこれ数時間は歩いただろうか。
俺達はどうにか森を抜け、もう少しで目的地、という段階まで来た。
既に太陽も沈みかけており、空は茜色。
その間、主に喋っていたのは俺とロック、それにアルトの三人だけ。
残る二名は、ほぼ口を開くことはない。
俺はチラリと後ろを振り返った。
ハル――と名乗る少女は、特に問題ない。
不思議ちゃんらしく、何を考えているか分からない表情のまま、重鎧をガチャガチャいわせながら黙々と歩いている。
少々問題があるのは、黒髪美人なカミーラに関してだ。
露骨なまでに『お嬢様に何かしたら殺す』と顔面に貼り付け、こちらを睨みつけながら、背後を陣取っている。
恐らく、ナニかやらかせば、即座に刃傷沙汰へと発展するのだろう。
黒髪メガネのクールビューティ風なのだが、割と表情に出易いタイプなのかもしれない。
もしくは、隠す気が無いだけかもしれないが。
「ふぅ……」
思わず、ため息が漏れ出た。
人並み程度に敏感な自分としては、露骨な悪感情は少々辛い。
所詮、現状の関係性は、互いに利害関係者に過ぎないかもしれないが、嫌悪よりは好感の方が余程良い。
「大丈夫? 疲れたかしら?」
「いや、大丈夫だ」
「そう? 慣れない状況で気も張るでしょうし、辛かったら言ってね?」
笑顔が眩しかった。
薄汚れた心には、少々眩しすぎる位だ。
「皆、あと少しで目的地だから、頑張りましょう」
自分も辛いであろうに、皆を気遣う姿に良心が痛む。
アルトとカミーラの態度が、所謂『良い警官・悪い警官』の手口ではないかと疑ってしまう自分の捻くれた感性が、煩わしい。
「えぇ子やのぉ……」
「そうかしら? 普通だと思うけどな」
素直に善人なのだろう。
元は大貴族のご令嬢だったそうだが、内戦の折に両親含む親族が全て殺され、同盟関係だった伯爵家に十歳くらいから厄介になっているとか。
そんな目に遭って、よく真っ直ぐ育ったものだと感心する。
俺だったら確実に歪む。
というか、実際歪んでいるか。
いや、今は俺の生い立ちはどうでも良い。
問題は現状についてだ。
まだ出会って数時間の身としては、あまり深い話まで聞けていないが、この移動中に聞いた話は大まかに三つ。
一つ、二人の素性について。
二つ、この世界について。
最後の一つは、国について。
二人の素性は、伯爵の孫と元大貴族の娘、二人揃って王家に縁があり騎士となった。
肝心の目的については、道端で話す内容じゃない、ということで後回しにされた。
まぁ、半ばプライベートな話なので、この程度だ。
こちらとしても、後ろ楯の社会的信用度と、背後のネットワーク有無が知れれば良い。
その点、この二人は現状では問題無しだ。
自己申告が事実である限り、という但し書きは付くが。
二つ目については、この世界について……等とあまりに漠然とした質問なので、そんなに大した情報は得られていない。
俺も、元の世界って? と聞かたとしても、あまり明確な回答は出来ない自信がある。
当たり障りの無い質問等を繰り返し、得た回答を要約するとこんな感じだ。
この世界は、思っていたような『剣と魔法の世界』では無く、魔法は別に一般的ではない。
但し、聖王国なる宗教国家の神官達は、宗教上の洗礼を受けた後に魔法が使えるようになるが、聖王国の秘奥のため詳細は不明。
正直、宗教家の語る魔法という存在に関しては眉唾だったが、実際に存在はするらしい。
そして地形に関して。
これは詳細不明だが、大陸が恐らく一つだけしか無いようだ。
恐らく、と枕詞が付くのは、外洋には攻撃的な巨大生物――所謂モンスターと呼称される生物が生息しており、遠征が出来ないため他の大陸を発見できていないらしい。
モンスターについて根掘り葉掘り聞きたいところだったが、大陸の話の流れのまま、国に関する情報を次に確認した。
まず、現在地の名はフリーデン王国。
王国の名が示す通り立憲君主制の国なのだそうだが、貴族の発言力が強く王様が絶対という訳でも無いらしい。
その人口は周辺国家の中で最も多く、二千万を超える。
大陸北東部に位置する半島のため、一年の半分近くが冬の気候となる。
土地そのものは肥沃であり、平地が多いことから耕作可能地が広く、食料自給率は高い。
また、北を海峡、東を外海、西を内海、南こそ地続きの部分はあれど、それは狭く、更に山脈で囲まれており、非常に守りやすく攻め辛い地形になっている。
ほぼ海洋国家のようだが、先述のモンスターのせいで海路は然程機能していない。
どうにも立地としては、周辺諸国の中で最も恵まれた国らしい。
だが、そのせいも有るのだろう。
貴族間の派閥争いや、王家の求心力低下、更には国王が余命幾ばくという状況で、王位継承権問題が勃発したことにより危険な内政状態のようだ。
既に十年前に貴族間の激突が起きており、未だに火種が燻っているとか。
外敵の少ない国の典型例らしく、内ゲバの臭いが濃厚だ。
このことから、俺達に求められているものの内容にも自然と察しがついたが、口にはしなかった。
続く周辺国家に関しては、更にざっくりとした内容のみを聞いた。
フリーデン王国を中心に、海峡を挟んだ北側から内海を挟んだ西側までが北方諸国群――概ね人間以外の亜人――エルフやドワーフ等の国が、多数存在する。
魔法がほぼ眉唾な話になっていたところ、モンスターに次いでエルフやドワーフと聞き、少し興奮したのはここだけの秘密だ。
そして、唯一陸地で国境を面している南のエストルド帝国。
こちらは人種は雑多らしいが、完全実力主義な軍国国家とのこと。
帝国とは国境を面している関係上、常時戦時下にあるようだが、ここ数年は小競り合い程度の関係。
暮らす人々からすれば、あまり戦争をしている認識すら無いようだ。
恐ろしいことに、貴族も含めて。
立地条件が良すぎる弊害なのだろう。
帝国の更に南が聖王国。
国号は無く、ただの聖王国だ。
完全な宗教国家で、国土の大半が砂漠。
その砂漠の向こうこそが生命発祥の聖地らしく、そこを守っているらしい。
その反面、聖地から現れる荒ぶる生命――モンスターを食い止める人類の盾でもある。
聖地からモンスター? というのも妙な話だが、良きも悪しきも生命の故郷は同一なのだろう。
モンスター……そう、モンスターだ。
分類的にドラゴンは神の使いらしいし、ゴブリンもオークも亜人なのでモンスターには分類されないそうだが、確かにモンスターが居るそうだ。
外海に出現する全長百メートル級の蛸だの、人より大きな蜘蛛だのが存在するらしい。
話を聞く限りでは、どうにも巨大な野生生物なだけな気もするが、モンスターとは本来そういう意味合いの言葉かもしれない。
人の手に負えない生き物は、人の身からすれば総じて怪物だろう。
最後に神話の話を聞いて、現在に至る。
国教であるかは別にして、概ね大陸全土で共通した宗教観であるとのこと。
ちなみに、その聖王国ご推薦の宗教観に照らし合わせると、我々こと『プレイヤー』は悪魔の使い、ということになるそうだ。
それは非常に不味いんじゃないか? という俺の問いに対して、
『まぁ、多少の不便や差別はあるけど、王国内では、もう平気よ』
との、回答が返ってきた。
どうもプレイヤーという存在は、既に約二十年前から現れ始めているらしく、年々増えていたそうだ。
当初はそれこそ魔女狩りよろしく、プレイヤー狩りなるものも存在したそうだが、次第に無くなっていった。
理由は大まかに二つ。
一つ、文字通り一騎当千……というと多少誇張があるようだが、少なくとも常人では歯が立たない存在だから。
狩るのが困難だし、兵器として有効活用しよう、と次第に取り込みが始まったようだ。
そして二つ目、『プレイヤー』にも悪人が居れば善人も居て、接してみれば別に何てことは無い唯の人間――亜人を含む――じゃないか、という風潮に変化したようだ。
偉大なる先人達に感謝しつつ、ふと疑問に思う。
恐らく、プレイヤーなる出鱈目な存在の出処は同一だ。
では何故、出現した時期に年単位の差異が発生しているのだろうか。
「見て! 着いたわよ!」
答えが出るはずもない疑問に悩んでいると、アルトが歓声と共に大きな身振りで進行方向を指差した。
夕日を背景に、街の姿が目に入る。
木製の外壁に申し訳程度に囲まれた、街の姿が。
正直なところ、思っていたよりは小さい街だ。
だが、どこか牧歌的なその街の姿に、まだ遠巻きながらも懐かしさすら感じた。
「やっと……人里か……」
思っていたより、どうも疲弊していたらしい。
間違いなく、今日は人生で一番長く感じた日だろう。
疲れた心に、見知らぬ街は郷里すら感じさせてくれた。
思わず漏れる言葉は、当然。
「ただいま……」
答えは期待していなかった。
「――おかえりなさい」
だが、彼女は応えてくれた。




