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川ノホトリニテ


五分ほど走り、鴨川のほとりにやってきた。


鴨川…京都市中を一本の長い線の如く通る川だ。その歴史は古代まで遡ることができ、京都を代表するシンボルと言っても過言ではない。


そう。私は今、江戸時代の鴨川にいるのです。息を切らして。


はあ、はあ、はあ、

体中が血生臭いよ〜…


地面に膝をついた。五分も走ったのなんて、何年ぶりだろう…。日頃の運動不足が祟ったといって良い。江戸時代に転生してしまう事を知っていたら毎日ランニングでもなんでもしていたよ…!


ふと義経さんの方を見る。

何事もなかったかのようにただ立っていた。無論、息は切れていない。


いいなあ、私も体力ほしい…


「おい君」


義経さんが目を眇めた。


「その刀、とっととしまった方がいい」


……ふぇ…。あ、刀…


利き手で握る刀をチラッと見た。刃を月明かりが照らし、綺麗に輝いている。


…ん?月明かり……?


空を見上げた。

気付くと日が沈み、夜になっていた。


江戸時代のお月さん…なんだか綺麗です。そこはかとなく書きつくりたい美しさです。


「おい、聞いていたか。刀をしまえと…」

「あ、はい…」


義経さんが言い終わる前に返事をしてしまった。感じ悪かったかな…。まあいっか。


刀をしまう…か。

私は手に持った刀を顔の前に近づけ、よく見る。


…ん? あれれ、この刀……

刃に可愛らしい桜の線画が描いてある…


…なんだっけ…どこかで見たようなぁ…


「…あ」


この刀、あれだ。私が切腹した時の、お爺さんにもらった刀だ。


うぇぇぇ…。でもなんで私のお腹なんかに…


「早くしまわんか」

「ふぁ…。は、はい。ごめんなさい…」


……。


ところで…うーん。これ、どうやってしまうんだろう…。鞘に収める…? いや、鞘がない。お腹から出てきたんだもん。


「ねえ義経さん…。」

「ん?」

「これ、どこにどうやってしまうんですか…?」


義経さんは「ああ」と言うと、ピッと血まみれの私のお腹を指差した。


「元あった場所にしまいなさい」


元あった場所に…だとぅ? お腹の事でしょうか。つまり、この傷口に入れないといけないんだよね…。え、なんかやだ…


「ちょっと、それは致しかねます…。」


「はあ?」


「出したまんまじゃダメですか…?」


義経さんは首をフルフルと横に振った。


「いいか、その刀をしまわないと、傷は塞がらないぞ。塞がらなければどうなる…?」


「傷口が腐ります…。それから膿が出ます…」

「そう言う事だ」


そうやって死んでいく武士さんを小説や時代劇でよく見る。


うーん、でも怖いな…。傷口に刀を指すことになるんだよね…。痛くないかな。それ以前にあの痛々しい傷を見たくない。


まあ、膿んで死ぬ方がいやだよね。

再度、腹を決めます。


私は目をつむり、セーラー服をめくった。刀を持っていない方の手で傷口を弄り、恐る恐る、そこに刀を差し込んだ。


ふわわわわぁ…入ってる…。スーって、スーって入ってるぅぅ。


痛みは感じなかった。ただ、これは精神的に参る。なんとか精神を落ち着かせて刀が全て入りきらせた。目を開ける。まぶたの裏が少し熱い。…でも、これで傷口は塞がるんだよね。


それにしても……


己のお腹から下に目を向けた。

赤黒いなぁ……。もうこの制服はダメだな。お気に入りの制服だったのに。お兄ちゃんになんて言おう…。

足も血まみれになっていた。腹を弄った手も…


「うぅぅ…血生臭い…」

「鴨川の水で血を洗い流したらどうだ?」

「はあ」


思いも寄らぬ提案をされた。

川の方を見る。川の中に月が、浮いていた。星も散らばっている。そして、小川が水面をユラユラと揺らしていた。


…綺麗だ…。だけど…


「冷たそうです」

「だからどうした?」


どうした?って…


「寒いですよ、風邪引いちゃいますよ…。あと、冷たすぎると痛くなるじゃないですか。それが嫌です。」


「はあ?血生臭いままだぞ」

「痛いより、血生臭いの方がいいです!痛いのは嫌いです!」


ぶんぶんと両拳を振った。痛いのだけは、嫌いな私です。


義経さんの表情が変わった。眉を潜めて、なんていうか…ムっとしている。

あ、これはやばいやつだ。今までの経験上、この顔したら義経さん私のこと蹴る。


慌てて言い直した。


「い、痛いのは嫌いだけど…。でも、そのくらい耐えなきゃいけないですよねっ!全然苦じゃないですっ。洗ってきますね。」


ニコっ。はにかみながらも笑顔を作る。冷たいのは好きじゃないし、痛いのは嫌いだけど…義経さんに蹴られるよりは良いかな。ていうか今ここで蹴られたら川に落ちてしまうかも…。手足を洗い流すよりもっと被害が大きそうだ。頑張る。


川の深さは、見る限り30センチほどか…。ローファーと靴下を雑に脱ぎ捨て、川の中にソッと、足を入れた。


ひぃぃい!冷たいよー!


キーンと凍るような感覚が足から膝、もも、傷口へと伝わってきた。ピリっと腹が痛む。

それから、スカートをめくりあげ腿を洗い、両手も洗った。急いで川から上がる。


うぅ…寒い……


「あ……」


大変な事に気付いてしまった。

ふ…拭くものがありません…!

しまった。全然考えてなかった。私はハンカチを持ち歩くようなお淑やかな女の子ではない。うぅぅ…どうしよぅ。


すると目の前にスッと手ぬぐいを持つ手が差し出された。あ、と顔を上げると、義経さんが呆れたような顔でこちらを見ていた。


「拭くものを持っていないんだろ。」

「は、はい…」

「夜風が当たればさらに冷えるだろ。これを使え」

「……はい」


呆気。


手ぬぐいを受け取り、私はせっせと水を拭った。ふきふき、ふきふき…っと。足を拭いている時に、ハッとした。


…しまった…。『ありがとう』って言ってない。


お兄ちゃんから、『ありがとう』を言えない人はクズだ、愚者だ、と教えられた事がある。危うく私もそれに該当するところだった…。あ、ちなみに『ありがとう』を言えるリカは世界一かわいいよ、とも言われました。お兄ちゃん大好き。


私は拭いた後、靴下とローファーを履き終わると、義経さんに手ぬぐいをきちんと畳んで返した。


「えと、ありがとうございます…。助かりました…」


最後にしっかりと頭を下げた。


「ふん。別に良い」


義経さんはそう言うと、手ぬぐいを懐にしまった。…いや、ちょっと待って…。その手ぬぐい、水で濡れて超冷たいんじゃないかな…!しまった!そこまで気が回らなかった…。


「あ、あの…。義経さ…」


「それより!」


義経さんは強い口調でそう言うと、人差し指で私の額を強くグリグリと押し始めた。


え…えっ…何……?!


「僕に何も言わず寺を抜け出すとはどういう料簡だ」


グリグリグリグリグリ


顔が、怖い。眉を寄せて、ムの字になってる。ひぃぃぃ怒ってるぅぅ!ど、どうしよぅ。うーん、ここはやっぱり正直に「江戸時代の京が見たくて抜け出しちゃいました」って答えるのが誠の武士だと思う。ただ…


もう一度、義経さんの表情をよく見る。

怒ってる。イライラしてる…。


正直に言ったら蹴り飛ばされちゃうかな!それはやだな!うーん、うーん…


仕方ありません。嘘をつきましょう…


「えっと…井戸の水を汲みに行ったんです。そしたら、塀の外から小鳥の囀りが聞こえたんです」

「ほう?それで、どうして塀の外を出る事になるんだ?」


どうしよう!なんて言おう!この先を考えてなかったあ!言い訳を用意しておくべきてました。


「えっとですね…」


グリグリグリグリ

オデコが…痛い。


考えろ、考えろ私。上手な言い訳!


「その、小鳥さんは、どんな姿なんだろう…て、見てみたくなったんです。それで、ちょっとだけ塀の外を覗いたら…」


覗いたら…、覗いたらどうしたの?!何が見えたの?必死に自分に問いかける。今こそ、己の想像力…いや妄想力ををふんだんに回転させる時です!


「お爺さんが、倒れてたんです!わあ!これは大変だー!って事で、外に出て看病してやりました!」


信じられない程の棒読み。まあでも、口からの出まかせにしては中々なんじゃないかな…。うん。これで理由になる。そう、私はお爺さんを助けるために、ダメって分かってるけど、不本意だけど、涙を飲んで塀を越えたのです!


…なにこの罪悪感。


言い終わると義経さんは私の額をグリグリする指を離し、今度は鼻をムギュッと摘んだ。それはそれは強く。


むにゅっ


…痛い


「嘘だね」

「嘘、じゃないです…。本当です……たぶん」


…え。ば、バレてる…?それとも、カマをかけてるのかな。……き、きっとそうだよね。うん。こんなに巧妙な嘘、見破れるわけないよ…。


すると義経さんはその綺麗な顔をさらに強張らせた。


「水を汲みに行くとか言って、なにか様子がおかしいと思ったんだ。そしてら案の定、抜け出していてね。爺さんなんか倒れてなかったぞ」


ひぃぃ。分かってたの…


「大体君みたいなひ弱な奴が、倒れている人間を運べるわけもないしね。ずいぶん外連味たっぷりな事を言ってくれる」


名推理です。そ、そんな落とし穴があったなんて…。私は黙りこくることしかできなかった。閉口です。


義経さんは呆れたようにため息をつくと、ボソリと言った。


「正直に言っていたら今回は大目に見てやろうかと思ったのに」


………ふぇ…?


「そ、それってどう言うことですか?」


「見知らぬ女を助けるために己が犠牲になったのは、まあ中々根性の座った奴だなとは思ったさ。」


あ、あれ?褒めてます? ねえ、褒めてます?


「ふへへ…」

「あと、男に蹴りを入れた時は痺れるものがあった」

「えへへへ」


義経さんは少しだけ口角を上げて微笑を見せた。

褒めてる…よね…? なんだか嬉しくなってしまって、思わず頰が緩む。


「が、その後はダメダメだったな」


……は?


「血が出たと思ったら子供みたいに泣き喚く。刀の構え方もなっていない。真剣中も常に逃げ腰」


「はあ」


義経さんはビシっと私を指差した。


「一から鍛えてやる」


「はあ」


…ん?ええ?!

鍛えてやるって…。義経さんから刀を教えてもらえるってこと?なにそれ贅沢にも程があるでしょうっ。わぁぁ。あの源義経から。私もお侍さんになれるのかな……。


「えへへ」

「なに笑ってんだ。そろそろ行くぞ」

「はい!」


義経さんが川の流れに沿って歩き出したので、私もそれについて行った。

…それにしても、目的地ってどこなんだろう。行き先聞いてなかった…。ま、いっか。


数歩歩いたところで、前を歩く義経さんがピタっと足を止めた。そして、クルリとこちらに振り向いた。


…?


「言い忘れていた事があった。君、極度の興奮状態に陥ると腹の傷が開いてしまう事があるから、注意しなさい」


はあ……。なるほど、だからさっき急にお腹の傷が開いたんだ。納得。


…って、、


いや、それってかなり危うくない?! 剣呑じゃない?! だって興奮したらお腹の傷が開いちゃうんですよね。血も出ちゃいますよね。…日常生活にめちゃくちゃ支障をきたすじゃないですか!


…うへぇ…まじか…。さいあく。


心の中でそう呟いて、トボトボと歩き出すのであった。


夜明けはまだ遠いぜよ。


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