シュッタツ!
少し歩いていると、突然、どこからともなく
「きゃあああああぁぁぁぁああ」
という、女性の悲鳴が聞こえた。
び、びっくりしたぁ…。
一体なんなんだろう。あ、でもこの声、江戸時代の女の人の声なのかぁ…。麗しい悲鳴だなあ。気分はルンルンです。
すると、次は「おらおら」とか、「黙れ」という男の人の乱暴な声が聞こえた。
……?
…ふぇ……何…。何かあったのかな…。
なんだか事件の匂いがします。
声の方に向かってみる。といっても、この時代の人とは出くわせないように、あくまでも慎重に。この服装は珍妙ですからね。
曲がり角を五つほど曲がり、そーっと次の角を覗くと…
「あ…」
なんと、女の人が男の人五人に囲まれているではありませんか!
私は両手で己の口を覆い、もう一度、恐る恐るその光景を見た。
女の人が一人。綺麗な淡黄色の着物を纏っている。顔は非常に整っていて、プルンプルンの唇が可憐な人。
…江戸時代の女性って、麗しい!
そしてーーあとの男の人たちは…なんていうか、汚い。着物の着方もだらしなくて、肩が出ている人もいる。中には顔に傷跡がある人もいたり、草をクチャチャと噛んでる人がいたり…。五人の男の人たちに共通しているのは、そのクソ悪い目つきだ。
ーー悪党
だ。見た限り。
一人が女性の袖を掴み、もう一人が刀を女性に突きつけている。
ぶっそうだあ…
男の一人がたまぎるような声で言った。
「おい姉ちゃん、俺たちの相手をしねぇか」
「……い、いやよ…」
わぁ。何この寸劇のような場面は。時代劇で見たことあるよ…。はあ、もっと見たい…。
男が、乱暴に女性の着物を引っ張り、脱がそうとした。
女性が泣きそうな声で叫ぶ。
「やめて!」
男の一人がクククと笑った。
「へえ、元気な女は嫌いじゃねぇ」
わわわわ、時代劇みたい!…じゃなくて、、
流石にこれはやばいのでは…。
強姦…だよね。
一人刀突きつけてるし…。うーん、とはいえ、私に出来ることなんてないだろうしな…。それに、こういうの、リアルに見ると結構怖い…。
ーーだけど、
女性の泣きそうな顔を見る。
「……」
すると、脳裏に土方先生のお顔がよぎった。
あの、どこか遠くを見るような人斬りの目、スッと通った鼻筋。そして目鼻とは対照的な可愛らしいあのお口。
カッコいい…
こんな時、土方先生だったらどうしてたかな…。
そんなことを考える。
土方先生だったら…
『俺たちの京の街を荒らす不逞者はお前らか。』
そう、静かに言ったあと、慣れた手つきで刀をスッと抜く。
そして、相手の男たちが次々と刀を抜き…丁々発止の斬り合いが始まる。
結果…土方先生は彼ら5人全ての指を切り落とし、3人が右袈裟に斬られて死亡。残りの二人は体中傷だらけになり命からがら逃げ出す。土方先生はそれを見て、刀にこびりついた血と脂を手拭いで拭き取ったあと鞘へ納める。
そして、残された女性の元へ土方先生はゆっくり近づき…
それはそれは優しく言うのです。
「あんた、綺麗な顔をしているよ」
土方先生はそっと、女性の唇を親指で撫でたあと…その唇に、己のそれを、押し付ける…
なーんて、ふ…ふへへ、
「土方先生やっぱり素敵だなぁ。私も土方先生みたいになりたい…」
顔が緩むのを感じた。あーもう、ニヤケが止まらない。
そういえば、さっきの寸劇はどうなったのかな…
チラッと角の方を覗く。
「あ……」
……あれ、なんでだろう。男の人も、女の人も私と目が合っている気が…。
…気のせい……?木の精……?
…いや、合ってるな。ガッツリ合ってる。
全員、こちらを向いている…。
「おいガキ、何見てやがる」
男の一人が言った。
これ、明らかに私に向けて言ってるな。でも、なんで…
…あ、そっか…
さっき土方先生のこと考えてる時、つい声に出ちゃってたかも。たまに授業中に犯してしまうミスを、時代を超えてここでもやってしまったようだ。
うーん、うーん、どうしよう…。
とりあえず、何か返答を…
「あ、ごめんなさい。見ちゃいました…」
「コソコソしてないでこっちへ来い!」
わぁぁ!怒ってる!江戸時代の人が、怒ってるぅぅ。私、今、江戸時代の人と会話してるんだよね。何これ感激…。
うるうる。
「こっちへ来い」というご指名を受けた。が、言われるがままに行くかどうかは考えた方が良さそうだ。江戸時代の人とは言え、皆んなが皆んな善玉の持ち主というわけではあるまい。少なくともこの人たちは、悪党だ。
だって、女性を襲ってるし、刀持ってるし…
うーん、相手との距離は結構あるから、走って逃げれば恐らくは難を逃れるだろう。
走るか…
うーん、
うーん、
うーん……
女性の方を見る。
……震えてる。今にも泣きそうな顔だ。
うーん。
どうしよう、あの人を置いて逃げるのは、なんていうか…罪悪感が残るというか…。
自分の中の善意が疼くのを感じた。
はあ、何これ、すごく怖い。怖いけど……
…でも、私に出来ることなんてないし…。私なんて弱いし、頭悪いし…。
うーん、うーん、
仕方ない。
私はパッと男たちの前へ駆けて行った。
そして仁王立ちをする。
「お?なんだその珍妙な格好は」
男たちが笑った。
あ、そっか…私、今セーラー服だもんね。脚丸出しだし…。
…………ていうか、なにこれ……。
男たちが私のことをギンと睨む。口元は笑っているけれど、目が、すごーく怖い。
なにこれなにこれ…………
超怖いんですけど!!!!!!
はわわわわわ。どどどうしようっ。平氏の怨霊さんの時よりは怖くないけど…。
でも、絶妙に怖い!!
うるうるうる
と、まぶたの裏が暑くなるのを感じた。
涙が、涙がぁ。ドバーッて!ドバーッて今にも出そうだよぅ。
本当、自分から出てきておいて今更なんだって感じだけど、やっぱりいざ刀を握っている強そうな男の人たちを前にすると、おとろちいっ!
う…うぅぅ。土方先生ぃ…。
ど、どうしよう。えと、とりあえず…
「ぎっ…祇園精舎の鐘の声……」
「はあ?何言ってやがんだこのガキ」
だめ!相手は人間だよ!生きてるんだよっ。平家物語読んだって仕方がないじゃないっ。
うーんと!どうしようぅぅ…。人間相手か…。人間相手に言うセリフはぁ…
……それは…やはりあのセリフが100点満点でしょうか…
私はズンっと左手を前に突き出し、強い口調で言った。
「御用改めでありますっ」
そう。新選組でおなじみ。あのセリフです。池田屋事件の時に、近藤勇局長が言ったとされる、あれです。本来は『御用改めである!』なんだけど、一応相手は年上のおじさま方なので、敬語風にアレンジしてみました。あ、ちなみに、このグーパンの左拳は、エアー提灯です!
……って、、
バカなの!私バカなのですか。貧弱で泣き虫の私が、こんな大柄な男5人を御用改めできるわけないじゃないっ。考えが傲慢なんだよ!
男の一人が鼻で笑い
「ヘンテコなガキだなぁ」
と言った。
うぅぅ…おっしゃる通りです。
…仕方ありません。出てきたからには、なんとかしてこの女の人の事を救わなければいけません。無論、自分も。
えっと…
「あ、あの…ちょっといいですか…」
談判します。
男の一人が私に目線を合わせるために腰を曲げ「なんだあ?」と笑った。
「えと、その…。女の人を、見逃してやってくれませんか…」
言い切った。かみかみだけど言い切った。自分で自分のことを撫でてあげたい。
「ああ?やだよ」
…ですよね。ここで引くようなら悪党じゃありません。さて、どうしたものか。
うーん、うーん、、
ーーこうなったら。奥の手です。
私はそっと、本当にそっと、何事もないように、女性の方へ近づいた。
男たちが私の動きを不思議そうに見つめる。
「えっと…」
女性の着物の袖を、掴み、
「失敬!」
と叫ぶと、女性の袖を引っ張り一目散にその場から逃げ出す。
それはそれは猛ダッシュ。走る。走る。走る。後ろの女の人は困惑しながらも私と一緒に走った。
男たちは不意を突かれたのか、私たちが駆け出すと「はあ?」と言うように固まっていたが、やがて走って追いかけてきた。
ど、どうしよう…!追いつかれちゃう!
数十メートル走ったところで、男たちが間近に迫ってきた。やっぱり逃げ出せるわけないよね!それでも、今は駆けるしかない。
とにかく、とにかく走った。女性の息も切れかけている。私はとっくに切れていた。
はあ、はあ、
涙が、涙がボロボロと流れ落ちる。
怖いよ、怖いよぅ……
後ろを見ると男たちはあと1メートルもないくらいの至近距離に迫っていた。
ーーあ、これは無理だ。
そう、確信した瞬間、私は立ち止まり、女性に向かって、
「逃げてください」
と言った。
女性は一瞬「え?」というような顔をしたが、やがて可憐に泣いた。
「あなたを置いていくなんてできないわ」
そういうの良いから!あなたの人の良さはその涙で分かったよ!だから、なんとしても逃げてほしい。
ーーこんな汚ねぇ男たちに汚されて良いような女じゃねぇっ!!!!
「私は実は天然理心流免許皆伝なんですっ!超強いから、武術の心得はめちゃくちゃあるんで、行っちゃってください!!!」
私は泣きながら、精一杯の声で叫んだ。そして女性を、ガンっと強く睨みつける。目で「行って!」をした。
女性は気圧されたのか「ごめんなさい」と言うとどこかへ駆け出して行った。
男の一人が女の後を追おうとする。
ーーそうはさせない。
その時、脳裏によぎったのは、土方先生…ではなく、義経さんだった。
あの人なら…きっと…
私は片足をできる限り上げ、男を思いっきり蹴り上げた。自分が義経さんに何度もされたように。それはそれは強く。
ーードガッ……
すると意外なことに、男の体は宙を舞い、吹っ飛んでいった。
「え…」
うそ、まじで…。成功した。男の人の走る勢いを上手く利用できたのかもしれない…。
ドサっ
と、鈍い音が辺りに響いた。
背中から地面に落下したようで、体がピクッピクッと痙攣しているように見える。
他の男たちは足を止め、唖然としていた。
「…このガキ…」
一人の男が呟くと、私をものすごい強さで羽交い締めにした。
「…え?えっえ……?!」
ちょ、ちょっと待ってください!
ジダバタと抵抗するが男の力に、ただの貧弱なJKが勝てるはずもない。
…う、うそでしょう…?
もう一人の男が私の前に来て…。
「やりやがったな…弟の仇!」
そう叫ぶとガンっと思いっきり私の顔面をグーパンで殴った。
「がふっ…」
……痛いなんてもんじゃない…。顔が、潰れたかと思った。お尻くらいしか叩かれたことのなかった私にとって初めての痛みだ。
鼻血がチロチロと垂れているのが分かった。
うっ…うぅぅぅ……
ついでに涙がポロポロも流れ出る。
怖いよ…。痛いよぅ。
涙で視界が霞む。
「しかし珍妙な格好してよ。一体ナニモンなんだコイツ」
「メリケン人だったりしてな」
ははは、と男たちが笑った。
やだよ…。こわい!江戸時代こわい!
すると男の一人が懐から何か光るものを取り出した。
…な、なに……?
涙で視界が良く見えなかったので、よーく目を凝らす。
「あ…」
うそ、でしょ……。
短刀だ。
刃がよく磨いてあるようで輝いていた。
「兄貴、ガキの顔に傷、つけてやりましょうぜっ」
私は、むんむんむんむん!と、顔を必死に横に振った。
「痛いのはいやです…」
率直な気持ちだ。痛いのだけは、やだ!
「そりゃ良いや!やったれ」
うそうそうそうそうそうそ
やだっ…!やだよっ……!
刃が、顔の数センチまで迫ってきた瞬間、私は大声を上げた。
「きずつけないでっ!!!!!!!!!!」
その声は、静寂な住宅街一面に響いた。
木霊した。山じゃないけど、木霊した。
「うるせぇガキだなぁ」
後ろで私を羽交い締めにしている男がそういうと、短刀を持った男がいきなり、目の前で尻餅をついた。
…え…?なに……?
「おいおい何尻餅ついてるんだよ。そんなに驚いたか」
後ろで男が笑った。
…しかし…
「ちっ…ちげぇよ兄貴…。このガキ、このガキ…」
ふぇ…?
と、その時だ。
突如として腹に激痛が走った。
ビリ、ビリリリリリリ
と、まるでお腹が破けるような、嫌な痛み。このまま死んでしまいそうな、こわい痛み。
「はっ…あうっ」
まさか…刺されたか!と思い、腹部に目向ける。が、そんなことはなかった。ナチュラルに腹痛である。
……いや、ちょっと待って……
「なにこれ……」
信じられない光景が目に映った。
よく目を凝らして見ると…
真っ赤なのだ。お腹から下が、どす黒い、深紅色に染まっていた。
ーー血だ。
そう認識するのに数秒かかった。
急に…どうして……?
短刀で刺されたわけでもない…。
ズキン、ズキン、ズキン
腹の痛みがドンドン増していく。まるで腹を引き裂かれるような…
ーーあの時みたいな…
ビリ、ビリリリリリリ
「ゔっ…ぐぐ…」
目の前で、尻餅をついている男が叫ぶ。
「兄貴、このガキ、このガキよく見たら大傷負ってますぜっ」
「はあ?」
その瞬間、後ろで私を羽交い締めにしていた男が手を離した。
「きったねぇ。なんなんだこのガキ」
私はあまりの痛さにその場でしゃがみ、お腹を抱えてうずくまった。
痛いよ…
「……ふぐぅっ…。だれか…たすけて……」
ビリビリ……ズキン、ズキン、ズキン
色んな痛みが交差した。死んじゃう。こんなに血が出て、出血多量で死んじゃうっ。いやだよ!!やだよやだよやだよ!!!!せっかく江戸時代に来たのに!!!!江戸ライフエンジョイしたいのにっ!!!!
「助かりたいか?」
顔のすぐ近くから声が聞こえた。聞き覚えのある美声だった。
顔を上げる…。
「…あ……」
そこにいたのは、しゃがんで私と目線を合わせる義経さんだ。
表情は…ニコっと微笑を浮かべていた。なんたいうか、どことなく嬉しそうだ。
…い、いつの間に………?
なんてしている間にも腹からは大量の血が流れ続ける。激しい痛みと共に、ドロドロとした気持ちの悪い感触が走った。
ビリビリビリ、、
「……たすかり…たいです…」
痛みを堪えて義経さんに訴える。
すると、彼は静かに言った。
「腹の傷口に何か感じないか…?」
依然、義経さんの顔は微笑を浮かべている。気味が悪いような感じではない。なんていうか、無邪気で可愛らしい笑顔だ。
…『何か感じないか』って…。
感じるのは、痛みだけだよ…
私は義経さんの方を見て、首を横に振った。
ズキン、ズキン、ズキン。
「はうっ…ぐっ……」
痛みで、思わず声が漏れる。正直、気絶しないのが不思議なくらいだ。
男たちは私を囲んで、その顛末を見届けようとしていた。
……みてないでたすけてよ…
こんな悪党たちにそんな事を祈るのが、傲慢な考えだというのは自覚している。しかし、今は藁にもすがる気持ちだ。
いたいよ、しんじゃうよ、、
義経さんが再度、強い口調で言った。
「本当に、腹の中になにも感じないのか…?感じなかったら助からないぞ」
……なんと!何か感じないと、助からないというの…。
命がかかっている。もう、義経さんを信じるしかない。痛みを堪えて神経をお腹に集中した。
ズキン、ズキン、ズキン、
先程のビリリというような痛みはもうない。なんていうか、裂けきった、という感じだ。残るのはただの激痛。
汗と涙が顔を濡らした。
はあ、はあ、
お腹に…何か……何か感じるもの…
「……あ…」
あった。違和感だ。何か違和感を感じた。この違和感は…えっと……硬いもの?が、お腹の中にあるような…
義経さんはピョンと跳ねるような声で「おっ」と言った。
「何か感じたか?…いや、何かあったか?」
声が、優しい。まるで小児科のお医者さんが子供を診るような、そんな優しさ。
私はコクコクと首を縦に振る。
「そこに、手を伸ばして」
言われた通りにした。制服の中に手を入れる。ドロっとした血の感触が、手を包んだ。
「傷口に、手を」
傷口の中に自分の手を突っ込む。痛みは、変わらない。というか、もう痛すぎて何が何だか分からない。
「…っ…」
腹の中を弄っていると、何か硬いものが手に当たった。
は……?
細長い…
なに…これ……
お腹の中に硬い鉄のようなものが埋まっている。そんなのはあり得ないことだ。
だけど、今は義経さんを、己の腹を信じるしかない。
思い切ってソレ掴んだ。
…分かんない。分かんない。もう何が何だか、意味不明だ。タイムスリップしちゃったことも、源義経に出会ってしまったことも、こうやって血が出ていることも…
でも…だけど……これが、痛みの元ならばっ
そのまま外へ勢いよく引っ張り出す。
ビシャァっと血飛沫が辺りに舞った。
「……っ」
……こ、これは……!!
ーー刀ー
だ。
「え?え?うそ!なにこれ!ねえ義経さん!これは何?!」
ポテン、と尻餅をついた。地面に流れ落ちた血が、スカートを濡らす。
…あ、あれ……?
気付くと、腹の痛みが一切消えていた。
うそ、こんなこと、こんな事って……
義経さんは私の問いに答えずに、バッと立ち上がった。そして、右手を前に突き出したかと思うと、男たちを勢いよくビっと指差した。
……ふぇ…?
そして、たまぎるような声で言った。
「復讐の時間だ」