初夜。
私はせっせと布団を敷いていた。
ちなみにその間、義経さんはというと…
横で壁に寄っ掛かりながら腕を組み、目を瞑っている。
…きれいなまつげだ…
ふと、そう思った。
目を瞑っているからその黒々とした長いまつげが、普段よりも強調されていた。いやいや本当、嫉妬しちゃいますよ。そのまつげに。
そんな彼を見ていると、一つの疑惑が浮上した。
それにしても……よく目をつむる人だなぁ…もしかして寝てるのかな…
「……」
試しに、小さな声で名前を呼んでみる。これで寝ていたら傑作です。
「…義経さん、」
「何だ?」
「……あ、いえ、なんでもないです」
寝ていませんでした。残念無念。
さて、私は敷き終わるとすぐさま布団に潜った。
…もっふぅぅー!ふわはぁぁぁ…あったかぁい…
昨日は地べたで寝たものだから、起きたばかりの時はお尻が痛くて痛くて…。
その点、布団は優秀だなぁ。こりゃあ人をダメにしますよ…。何年でも潜っていられる。
…感無量というやつです。
改めて布団の有り難みを知る事ができた。それだけでもタイムスリップをした意味があったのかもしれない。いえ、もちろん、タイムスリップをした意味は、これからもっともっと見出す予定ですが。
義経さんは私の横で胡座…ではなく体育座りをして、膝に片肘をついていた。その格好も合間ってか、彼の事が本当に中学生みたいに見える。
うーん……。が、しかし。体育座りって…いくら畳でもそれはお尻が痛くなるのでは…。なんだか自分だけ布団に入って気持ちいい思いをしているのが、申し訳なくてたまらなくなってきたよ。
私はそう思い、布団から出て敷布団の上にチョンと正座をした。
義経さんが「はあ?」というような表情を浮かべる。
「寝ないのか」
「はい」
ぬへへ、と笑ってみた。
私なりに愛想を振り向く。
なんか、義経さんうるさい時もあるけど…今、ちょっと可愛いって思っちゃった。やっぱり体育座りは強い。
ーーそれはさておき…
気になる事が、ある。
私は小首を傾げながら聞いた。
「ねえ義経さん、なんでこの部屋にいてくれるんですか…」
そう。きっと彼の事だから『甘えるな!』とか『はあ? 君、僕に頼るんじゃないよ』とかいう風に拒否されるのではないかと思っていたのだけれど……。今、こうして同じ部屋で、布団の横で体育座りをしている義経さんがいる。うーん、腑に落ちません。
すると、彼は「うーん」と言った後、無表情で、冷徹…とまでは言わないけれど、本当冷たい口調で答えた。
「はあ?君が頼んできたからだろう」
確かにその通りだ。だけど、この人、私の要求に素直に応えるような人ではない。
「…け、蹴られると思ってました…」
あの時は頼んだ後に自分がリスキーな事を言ってしまったと焦りましたからね。本当、伸るか反るかの大博打。一瞬身構えましたよ。
義経さんは「うむ」と頷く。
「蹴りたいのは山々だった。が、これから付き合っていく上で、君の事を知りたいと思ってな。まあだから、すぐには寝かせないつもりだ」
「……」
『すぐには寝させない』という魅惑的な言葉に一瞬、ドキリと心の臓がうごめいてしまった。いや、義経さんには…その、変な意図はないのですが。私は変態です。
「どうしたら君みたいに箸の持てないような娘が育つんだ。」
「ふん」と彼は鼻を鳴らす。
なっ…なんですか急に。、
皮肉めいたご指摘をいただいた。
そ、そう言われましても…。私だって分からないよ…。まあ、お箸が使えないのはこの日本ではかなり少数派というのは分かるけれど。『どうしたら』って。
しいていうなら、日頃の鍛錬の怠慢…かな。
ーーが、
「なんででしょうね…」
ヘニャっと適当な返事を返しておく。下手な事を言うと蹴られそうで怖い。
すると、義経さんは呆れたように「はあ」とため息をついた。そして…
「まあいい」
と呟くと、その小さな顎に手を当て、何か考えるような仕草で床に視線をやった。彼は、考えるときは下に目線を送るタイプのようです。そんなことはどうでも良い。
…義経さんは、やがて、こちらに目を向けた。
「君の、身の上話でもしてくれないか」
ふぇっ。そ、それって、生い立ちとか境遇って事ですよね…。困りました。困惑です。人に語るような大したビッグイベントなんてもの、今までの人生でなかった私。そもそも『身の上話』なんて大層なもの、私にはない。戦争も経験していないし、まだ15歳で選挙権もない。
うーん…。強いて言うのであれば…「のんのんと生きてきました」って言うくらいかな。いやいや、いくらなんでも馬鹿にされそうだ。もう少し具体的にいうと、幼稚園に行って、小学校に行って、中学受験を受けて高校は無試験ででそのまま行けた…なんて言っても分からないだろうな…。
生い立ちはさて置こう。
「えと、家族構成を言いますと、父と母がいます。…あ、でも今は長期海外出張中で…」
「ちょうきかいしゅ…?」
義経さんは首をひねった。
そっか。長期海外出張も分からないよね。なんて説明しよう…。この時代でいうと…
「欧米列強に渡航……していて、家にしばらくいないんです」
うちのパパとママは政府のお偉いさんかよ!とか思われそうな説明だ。
まあこの御開府から丁度260年目に当たる世において、政府とかないし…、それになんか文明開化の音が聞こえそうなカッコいい言い回しだからいっか。
話を続ける。
「それで、現在は大好きなお兄ちゃん……兄と、2人暮らしという感じです。へへ、お兄ちゃんとっても優しいんですよ。いつも私の大好きなメロンパンを買ってきてくれるし、お部屋の掃除もしてくれるし、泣いたら慰めてくれます」
少し語りが多くなってしまった。
誰だって大好きな人のお話をすると、どうしても長文になってしまうよね。…まあ、それを短く端的に正確に伝えられるかどうかが、プロとアマの違いなんだろうけど。私はアマチュアですから。永遠に。
とはいえ…お兄ちゃんの事を考えていると、とっても落ち着くし、我が家に帰ったような安心感、温かみを感じます。えへへ。
義経さんはというと、顔が、強張っていた。…いや、強張っていたというより、怪訝そうな表情を浮かべている…?
ーーなんででしょうか。
すると、彼は呆れたように口を開いた。
「なるほど。諸悪の根源がお前の兄にあるという事が分かったよ」
その声はため息混じりである。
「…しょ、しょあく……」
思いも寄らぬ言葉。衝撃的な言葉。そ、それは、それはないですよ。お兄ちゃんが諸悪…? さらに根源…? 甚だしいです。そんな言葉、口に出すのも憚れるくらいの、フェイクです。
だってお兄ちゃんは学年でトップの成績を誇るほどの勉学少年だし。しかも昔からスポーツ万能で、中学生までサッカーのジュニアユースをしていたんだから。今は日本一の大学に入るためにやめちゃったけどね。
顔もいいし、性格もすごくいいし、友達だってたくさんいる。
立派な人は毀誉褒貶だとか何とか、よく言うけれど、お兄ちゃんには『誉』と『褒』しかなかった。
だから、私は否定します。
「…義経さん、それは違うよ…」
「……」
彼は黙って、私を射抜くような目で睨んでいた。が、その後己の袴に目を移し、埃を指までつまんでペッペッと捨てていた。
まあ、私のお話はどうでもいい。それよりも…
「私、義経さんのお話聞きたいです!」
「僕の話?」
義経さんは目をパチクリとさせた。
その様子がなんだか新鮮で可愛く思えた。
私はうんうんと前のめりに頷く。
「そうです!宇治川の戦いとか、壇ノ浦の戦いとか、あと、義経さんのお兄ちゃんのお話とか!静御前さんとかもっ」
ね!ね!ね!と強く迫る。気づくとブンブンと両拳を上下に振っていた。おっと、失敬。土方先生絡みになるとしてしまう動作を、何故だか義経さんの前でもしてしまった。
慌てて膝の上に戻す。
ーーまあでも
せっかく歴史の人物に会ったんだもん。それも源義経なんて歴史の中でも特に人気度が高い人だよっ。某歴史小説作家さんはつまらない人物だとか言っていたけれど、その人だってしっかりと義経さんの小説は書いてるしっ!
ご本人はどんなお話しをしてくれるのかな。
ふへへ、楽しみです。
すると、義経さんは顔をいつもの無表情に戻し、首を横に振った。
「それはできない」
「……へ?」
できない…?
それは、話したくないということ?それとも、神様に禁じられているとか?いや、あの神様めちゃくちゃ緩そうだからな…。
それぐらい許してくれるでしょう。
だとしたら、やっぱり私にお話ししたくないのかな…。
すると、義経さんは静かにかぶりを振った。
「記憶がないんだ」
「……」
……そうきましたか。
記憶が、ない…と。そっか、そうなんだぁ。
いや、予想だにしなかったわけではない。当たり前だ。義経さんが亡くなったのはとうの昔。幽霊とて記憶力に優れているわけではないようです。…しかし、ちょっと残念。
「……まあ700年前の話ですもんね。覚えてるわけないですよね…」
小さく、心細い千切れるように言った。その己の声で、落胆している事に気づく。
とはいえ、これはしょうがない事。義経さんのお話を聞くのは諦めるとして、次に百襲媛さんのお話をーーー
「いや、そうじゃない」
義経さんはまた、首を左右に振った。体育座りのまま、その視線を己の袴にしがみつく埃から、私へと視線を移した。
「経験していないんだ。16つ以降の生涯を」