オ箸ガ使エマセン!
特訓は日が暮れるまで続いた。…特訓と言っても、ただ義経さんに刀を当てるためにずぅっと振り回していただけ。腕が疲れた。もっと構えとか、秘奥義とか、そういうカッコイイやつ教えてくれるかと思ってたのに……。
ちなみに、特訓の時、切腹をするという事はなかった。
…切腹は痛い。当たり前のことだ。そして、私は痛いことが大嫌い!だから絶対に切腹という選択肢はない。…例え、うどんがかかっていたとしても…ね。
へとへと。
夜。義経さんと、体中疲れきった私は蚕ノ社に戻った。
そして、そこで百襲姫さん手作りの夜餉をいただいた。桃の入ったお味噌汁に、桃で作ったふりかけご飯。そして、その御膳の上には、お箸が置かれていた。
「……あ。」
それを見た瞬間、心の中で「しまった!」と悲痛の声をあげた。
…実は私、お箸が使えません。
お箸、挑戦したことはあるけれど…、どうしても二本を一本にまとめて握って、食材をぶっ刺すという事しかできない。他人がお箸を使う様を見ていても、指とお箸がどうなっているのか、よく理解できない。
いつも見て思う。
…指が、棒に絡まりついてる!
本当、お箸の使える人は器用な人たちです。
普段は和食でもフォークやスプーンを使って食べていたのですが…。さて、どうしよぅ。
「いただきます」をした後、義経さんと百襲姫さんがお箸に手を付けた。そしてお箸に指を絡ませる。
「……」
私は依然、箸に手を付けず、正座をして、膝の上に手を置いていた。
…どっ…どうしよう…
「どうしたの? リカちゃん」
百襲姫さんは不思議そうな顔で私に聞いた。
「あ、えっと…うーんと……」
なんて言おう。
「お箸が使えません」なんて恥ずかしくて口が裂けても言えない。うぅぅ…前の時代にいる時に練習しとくんだったぁ。
お兄ちゃんは優しいから「それもリカのアイデンティティだよ。」って言ってくれたけど…、やっぱり使えないと困ります!
「リカちゃん…もしかして、苦手なもの入ってた…?」
ひゃぁぁぁぁ
決してそんなことはないんです!いや、すっぱい桃はちょっとだけ苦手だけど…。人様に出されたものを残すほど嫌いなわけではないのです。
「違いますよ!全然!桃、大好きです!食べたすぎて、今にもヨダレが垂れそうです」
それは嘘だ。おべんちゃらが過ぎたかな。
まあいいや。
それよりも……これ以上黙りこくってご飯と睨めっこしているだけでは、百襲姫さんを悲しませてしまう。苦手なものがあるからって人様のお料理を口に入れない嫌な奴になってしまう。
ーー仕方ない。
恥をかきます。優しい百襲姫さんをかなしませるよりはましだ。
私はお箸を手に取り、一膳の箸を一本の棒とみなす。そして、拳で握った。
「はあ?」
義経さんは箸を止め、声を漏らした。
怪訝そうな顔で私を見つめている。
うぅぅ…。もう、知らないんだからっ
私はお味噌汁の具に箸をブッ刺すと、それを口に入れた。
「何やってるんだ?」
「食べてます」
もごもご声で答える。
ああもう!これは今までお箸の練習をサボってきた、怠慢の結果です!
なんだか瞼の裏が熱くなってきた。
「リカちゃん」
すると百襲姫さんがニコっと穏やかな笑みをこぼしつつ、口を開いた。
「お行儀が悪いよ」
その後、私は百襲姫さんと義経さんの二人掛かりでお箸の持ち方を特訓させられるのだった。
2時間半のお箸の特訓が終わったあと、百襲姫さんは「ちょっと」と言って私をお社の外へ呼び出した。
外はもう夜で、少しだけ肌寒い。
空を見ると、満開の星空が広がっていた。
…幕末の夜空は綺麗です。
空を眺めていると、百襲姫さんは洗濯され丁寧に畳んである私の制服を返してくれた。
「はい。リカちゃん。これ、とっても良い生地ね。」
百襲姫さんは血色のいい桃色の頰でニコニコと笑った。
「…あ、ありがとうございます…!」
へへ、別に自分が褒められたわけではないのだけど、なんだか嬉しくなる。
「じゃあ私は寝るから。はいこれ」
そう言って手渡されたのは、鍵だ。
…ん?
「…これは……」
「本堂の鍵よ。この蚕ノ社では私一人で寝るの。寝てる間に神様のお告げが聞こえることもあるから、夜はここには絶対に入っちゃダメよ。」
…はあ。なるほど。それで桃を投げる…というか、射るのですね。承知。
…でも、前の時代ではいつもお兄ちゃんと同じベッドで寝てたから、広い本堂の中で1人はなんだか寂しいなぁ。ていうか暗闇はやっぱり怖い。
しゅん
すると百襲姫さんは目をパチクリさせながら私の顔を凝視した。
「…リカちゃん? どうしたの?」
「…あ、えっと…なんでもないです…」
しまった。顔に出てたかな。百襲姫さんにはこんなにもお世話になってるんだから、迷惑をかけたくない。私は空を見上げて、慌てて「へへへ」と笑った。
「寂しいの?」
「ふぇっ…」
…見透かされた!
な、なんでわかったんだろう。この人は心の中を読む力でもあるのでしょうか。
とりあえず、否定しないと……
「ちっ…ちちち違いますよ!寂しくなんかないですよ。」
噛み噛みになってしまった。
ううぅ。嘘をつくのは苦手です。しかもこんなに優しい人に対して…。
すると百襲姫さんがニコっと嬉しそうな顔で笑みを浮かべた。
「寂しいんだ。」
「ふぇえ!違います!」
否定したのにっ!
「大丈夫だよ。なるべくリカちゃんを1人にしないようにって、牛若に頼んであるから。寝る時も一緒だよ」
…なっ…なんですと……。
寝る時も一緒って…。それは寂しくなくて良いかもしれないけれど。さすがにお兄ちゃん以外の男の子というのは。なんか、なんかいかがわしくないですかね…。淫乱、ふしだら!
…って、それは自意識過剰だよね。
別にそういう関係じゃないし。なんなら赤の他人だもん。うむ。
…なのに、
かぁぁぁぁ
と、頰が熱くなるのを感じた。
うぅぅ…。やっぱりちょっと気にしちゃうかも。
変な意識をしまっている自分がなんだか恥ずかしい。
だって思春期だし…。発育不足だし…。
「ふふふ、じゃあ私は寝るから、牛若と一緒に本堂にさっさと行っちゃって。多分あの子三本鳥居の辺りにいると思うから。」
「……はい。」
私は蚕ノ社を追い出され、参道を通り三本鳥居へと向かった。
するとそこでは、鳥居の柱に寄っ掛かり、鞘から抜いた刀をただジィッと見ている義経さんがいた。
…でもなんでだろう。なんだか悲しそうな目をしているように見えます。
声をかけて良いのかな…。と思って、オロオロしていると、義経さんの方から声をかけてきた。
「鍵は借りてきたか」
言いつつ、尚も、その目は刀に向いている。
「は、はい…」
義経さんはスッ…と静かに刀を鞘へ納め、こちらにやってきた。
「……」
三本鳥居と本堂はほぼ隣にある。
本堂の鍵穴に鍵を入れた。辺りは真っ暗だったけど、幽霊の体質になったから夜目が効いてよく見える。
ーーガチャッ
戸を開けた。
義経さんは中に入るなり、行燈に火をつけた。
室内がバァっと真っ赤に照らされる。
「わあぁ」
思わず声を漏らした。
なんだか幻想的です。
部屋の隅に、布団が畳んであった。
義経さんがそれをビッと指でさす。
「そこに、布団があるから自分で敷いて、さっさと寝ること。まあ本当は寝る必要なんかないんだけどな」
「…はい」
「じゃあ」
と、義経さんは言うと、戸を出て行こうとした。
ふええ!え、え、ちょっと待って…。どこに行く気なんですか…。
ーーパシッ…
私は咄嗟に彼の手首を掴んだ。ぎゅうぅぅっと強く力を入れた。非力だけど…。
「んん?どうしたんだ」
義経さんが不思議そうな顔で私を見る。
「…あ、あの、えっと…」
どどどどうしようぅぅ。
掴んだは良いものの、その後のことを考えていなかった。うう、「寂しいから行かないでください」とか言えば良いのかな。女々しすぎやしないかっ!ていうか、義経さんの事だから、それを言った瞬間に「甘えるな」と一蹴りされそう。
それは、それはやだっ…!
うーん、うーん、でも夜一人でいるのが寂しいのは本当だし…。
とりあえず…睨む!睨んで訴える。
お兄ちゃん相手の時はよくそうしていた。お兄ちゃん、わたしが睨んだら何故だかいつも、とっても優しくしてくれたもん!
むぅぅぅぅ
義経さんの目を、睨んだ。
むむむむむぅ
「はあ?」
義経さんが小首を傾げた。
「何してるんだ?」
「えっと…睨んでます……」
「そう。じゃあ僕は外で夜が明けるのを待っているよ。おやすみなさい」
ふわぁぁぁ、行っちゃう!
「だから!あの、一緒に寝てくれないんですか…!」
私は率直な気持ちを口にした。
義経さんは再度首をひねる。
「なんで僕が君と寝るんだ…?」
…たしかに。それといった理由が見つからない。
うーん、まあでも…
「百襲姫さんがそう言ってたから…」
だよね。
それ以外にないよね、今言えることは。
「別に1人でも寝れるだろう。それに僕は寝ないんだ」
うぅぅ。そうなんですけど。そうなんですけどね。
はあ。…仕方ありません。正面突破です。
私は真っ直ぐに、義経さんの目を直視した。
「寝るまでで良いから、横にいてくれませんか…」
あわよくば添い寝もっ!と、心の中でそっと付け加える。いつもお兄ちゃんと寝ていたから、人肌のない夜は寂しいです。
ーーというのもあるけど、義経さんのお話を聞きたいなって気持ちも少しあったりする。
…あ、でもこれ…。
もしかしたら非常にまずい事をいってしまったかもしれない。だって、明らかに『甘え』だもん。
「僕に甘えるなって」と叱られた後、バチコーン!と蹴りを入れられそうだ。
ーーしまった…
ひぃぃぃ
きゅうっと目を瞑る。
すると……
「いいよ、寝るまでだからな」
「…ふぇ……」
意外な言葉が返ってきた。…蹴らないんだ。ていうか、いいんだ…。な、なんででしょう。
…まあでも、蹴られずに済むという事だよね…
や、や、や、やったぁー!!
ひと安心です。