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序章


ーー目が覚めると、切腹していた。


♡☆♡


夢見坂リカ、桃魅舘高校一年、15才。


重度の歴女です。好きな時代は幕末。

夢はタイムスリップをすること。

もしタイムスリップするのであれば、江戸時代か、2000年以上前の神代の時代かなぁ、と、妄想するのが常日頃です。


推しは新選組副長・土方歳三先生。

彼は頭が良くて、俳句も読めて、刀も強い。さらに現存する写真を見ると、ものすごーくイケメン。まさに、『男の美学の集大成』と言っても過言ではない。


最近の趣味は土方先生の似顔絵を描くことです。元々の絵柄のせいで少し漫画チックになってしまうけれど、これをネットに上げたらそれはそれは評判がいい。

画力だけは、自負してます…


こんなオタク気質な性格が相まってか、学校ではいつも一人です。

人と話すのは中学生の時から大の苦手で、時たま『陰キャ』とか『根暗』等という悪口を聞いたりもする。


だけど、私はそれで良い。

だって土方先生がいるから。歴史が好きだから。それだけで明日を生きる活力になる。たとえ学校に友達がいなくたって、私にはこれがある。だから、それでいい。


ーーそれに私には大好きな兄さんがいるからね。『愛』には困っていません。


その日、眠気が生徒を襲う午後の授業。

日本史の先生が淡々と授業を進めていた。


歴女の私にとって、歴史の授業というのは実に憂鬱です。なぜなら学校の授業は、歴史の魅力をちっとも伝えていないから。


学校で習う歴史はつまらない。


第一、教科書が良くない。

教科書には主観がない。誰の視点からその歴史を見ているのか、はっきりしない。年表をただ文字にしているだけ。だから、歴史には欠かせない物語要素というものがない。


……などとツラツラ文句を言っても仕方がないので、その日の授業では教科書の内側に昨日買った『切腹の歴史』という本を重ね、読んでいた。


ページをめくっていると、江戸時代に書かれた切腹絵図が載っていたり、切腹がどのようにして行われたかがかなり具体的に書かれていて、なんだか痛々しい。


「…う、うへぇ…」


思わずお腹をさすってしまった。


「扇子腹…」


扇子腹。江戸時代、泰平の世になり本当に腹を掻っ切る勇気のある武士が少なくなった。そこで、大抵の武士は目の前に扇子を置き、その扇子に手を伸ばした瞬間、後ろから首を斬られ、介錯するというのが一般的となったそう。


…これはもう、切腹ではないのでは…


いやまあ、いざ自分が切腹するとなったら私だって腹を自ら掻っ切る勇気はないんだけどね。


「無念腹……」


理不尽な理由により切腹を命じられた者をそう言う。うーん、かわいそう…。私だったらその場から逃げ出すけどなぁ。無理なのか…。


と、その時だった。


「おい、夢見坂」


頭上から怒声を孕んだ声が聞こえた。

恐る恐る、見上げる。するとそこには、顔をプンプンに膨らませた日本史の先生が仁王立ちをしているという、恐ろしい光景が広がっていた。


はわぁ…。しまった。声に出てたかも…


「本を貸しんさい!没収じゃっ…!」


「は、はい…」


私は力なく返事をした。今まで読んでいた『切腹の歴史』を差し出す。本当、情けないことだけれど、いかに大事な本であっても、私は学校の先生に抵抗できるほど果敢ではない。

クラス中から笑いが起こった。


放課後。


全ての授業が終わり、私は職員室に呼び出され、本でいっぱいになった大きくて重いリュックサックを背負いながら、説教を受けていた。


日本史の先生、もとい担任の先生はだらだらと覇気のない声で言った。


「夢見坂、お前なあ、気付いてるんだからな、いつも授業中内職してるってこと」


「…はい」


「そんなんじゃ卒業できんぞ」


「…はい」


実を言うと、叱られることに慣れていない私は、大の大人に説教を受けてかなり落ち込んでいる。瞼の裏が熱い。拳をギュッと握り、肩の震えを一所懸命に耐えていた。


「歴女だかなんだか知らんがな、学生として最低限のことはやれ」


「…はい」


「なんだ同じ返事ばかり、聞いてないんじゃないのか」


「…はい…。あ、いえ」


先生は大きなため息をつき、授業中私から没収本を私に手渡した。


「いいか、しっかりと授業を聞くこと。次、内職したらタダじゃおかんからな。」


「…はい」


「まったく、幕末なんて特に入試には出にくいところなんだからな、それよりも授業の予習復習。わかったか?」


ああもう、早くお説教終わってくれないかな。いい加減泣きますよ。それに、同じことをツラツラ言ってるだけで何の身にもなりませんよ、こんなのもの。福沢諭吉先生や吉田松陰先生みたいな立派な先生だったら、きっと私みたいなやる気のない生徒もどうにかしてくれたんだろうなあ。


いやいや、この考えは少し傲慢すぎか。


でもまあ、目の前のこの教師は本当に尊敬できない。見識もなさそうだし、覇気がないし、…唾飛ぶし…。


本当ーー


「…たいした授業もしないくせに…」


「…………はあ?」


「あ…」


慌てて口に手を当てた時にはもう遅かった。


心の中で呟いたつもりが、声に出てしまった。不覚。

その後、さらに1時間、お説教の時間は延長された。



放課後のさらに放課後、職員室でこっぴどく叱られた後、私は本を返してもらい、やっとの事で帰宅の途につくことができた。


…うーん、お説教長かったぁ。

それに、涙を我慢するのに必死だった。

こ、怖かった…。やっぱり教壇の前の席で内職をするというのはリスキーすぎたかな…。


…ま、いっか。兄さんとの会話の話題も出来たことだし。そうだ、新しく増えた切腹の知識も教えてあげよう。


自然、笑みがこぼれた。


時刻は午後の5時。もう夕刻で、空は真紅色に染まっていた。


ーー逢魔時。


世間一般ではこの時間帯をそう呼ぶ。『逢』、『時』という、なんとも切なく感慨深い文字の真ん中に、『魔』の字がドーン!と鎮座しているのがこの言葉の魅力。


近道のため、狭い路地裏を通っていると、


グゥ…


「あ…」


腹の虫が鳴いた。

そういえば今日はお弁当を忘れて朝から何も食べていないんだった…。


購買で、大好物の苺メロンパンを購入したことを思い出し、リュックサックのチャックを開けようと……その時だった。


「お嬢ちゃん」


背後からかすれた声が聞こえた。


…はて、


振り返る。


ーそこには年老いたお爺さんが1人、杖をついて立っていた。顔はしわくちゃで、大きな瞼がその瞳を覆っていた。背中はこれでもかと言うくらい曲がっていて、服装は地味な色の和服に、黒いローブの様なものを羽織っている。


…ていうかこのお爺ちゃん何歳だ。打ち身、200歳くらいに見える。まあこの年齢は大袈裟かもしれないけれど、すっごーく老けてます。


「お前さん、江戸時代に興味はないかぇ?」


「えっ…」


唐突に、『江戸時代』という単語が出てきて、少しドキリとした。『江戸時代』とか、『幕末』とか『新選組』とか、そういう単語を聞くと心臓が一瞬浮く様な感覚になる。

歴女あるあるだ。


しかしこのお爺さん、どうして急にそんな事を……。もしかして私が幕末を好きな事を知っているのかな。面識はないと思うんだけれど…。


兎にも角にも、返答してみる。


「だっ…大好きですが…」


するとお爺さんは、クククと笑い、ローブの中を、その小さなシワクチャな手で弄り始めた。…何か取り出そうとしているみたいです。


時折ゴソゴソ、という怪しい音や、スー、という何か固いものが擦れる音が聞こえる。


「……」


私はただ、黙ってそんなお爺さんを見ている事しかできなかった。真っ黒な装束に身を包んだしわくちゃなお爺さんの一連の言動は、奇怪、としか言いようがない。


ーー怖い


もしかして、懐にナイフを忍ばせていて、いきなり私に斬りかかったりなんてこと、あったりしないよね…。そんな、辻斬りみたいなこと…私別に何か怨みを買うような事していないし…。



そして、お爺さんはしばらくして、バッと勢いよく何かを取り出した。


「ふぁっ…」


それを見た瞬間、私は思わず声を漏らした。



ーー刀だ


まさかの、刀だ。鞘に収まっている。

想像していたナイフよりもさらにランクアップした、刀。一瞬、我が目を疑った。お説教の時間が長すぎて頭がおたんちんになっちゃったのでは…、とも考えた。が、目をパチクリしてみても目の前の光景は変わらない。


何度でも言う。お爺さんの小さな手に握られているそれは、まごう事なき刀だった。


鞘に収まった刀をローブの中から取り出したのだ。


「な、な、な、何でそんなの持ってるんですか…」


驚嘆の声を上げる。

こんなヨロヨロのお爺さんがズシリと重そうな刀を片手で握っている。その摩訶不思議が光景が、なんというか異様なオーラを醸し出していた。


「お前さんにこれをやるよ。刀、好きだろぅ?」


そういうとお爺さんは私の方にその刀を突き出した。


…受け取ってくれ…と…?


嘘でしょう。ていうか別に私は刀剣女子という訳ではない。歴史館に行った時に刀が飾ってあれば五分ほどは魅入っちゃうけど、あくまでも私は歴史が好きなのであって、刀が専門的に好きなのではない。


…このお爺さんは何を根拠に私が刀を好きだと言っているんだろう…。


恐らく初対面だし。


…だけど、江戸時代が好きなのは本当。幕末は江戸時代だしね。


かー、かー、かー、と三回、頭上で鴉の子が鳴いた。


私が困惑しながら、黙って突き出された刀を見ていると、お爺さんはクイクイと私の方へ刀を押し付けてきた。


…ふぇえ……なにこの人…押しが強いです。


とりあえず…


「あ、あの…知らない人に物をもらうのは危険だって兄さんが言ってて…」


するとお爺さんはニヤリ、と妖しく笑った。


「ほう? お前さんに甘々な兄のことかぇ? そんな奴の言うことなんざ、気にするこたァねえよ。」


奴って…。ちょっと酷くないですか。甘々って言うのも引っかかる…。というかこのお爺さん、まるで兄さんの事を知っているかの様な口ぶりだ。


…もしかして、お兄ちゃんの知り合い…?

だとしたら、信用してもいいのかな…。


「これは」


お爺さんはかすれた声をさらに潜めるようにトーンに落とした。


「土方歳三が手を触れた事のある刀だ」


ドキリッ…!


体内の内臓という内臓が飛び跳ねた。

土方歳三…って…。その名前を出されると参ってしまう。なんてったって長年の想い人だからね…!


ーー欲しい


私は、ゆっくりと目の前に突き出された刀へ手を伸ばした。


…って、いやいやいや。あやしいです!剣呑です!


このお爺さんの言っていることが本当である可能性は極めて低いでしょう。


だってそんな貴重な刀、こんなお爺さんが持っているわけないし…。もしこの人が言っていることが本当なら、即国宝にすべきです!つまるところ、嘘だよね。


ごくり、と一つ唾を呑み込み、私はお爺さんの手を握られた刀を見据えた。


「そんなの、何で、あなたが持っているんですか…。わ、私は、信じないですから…」


「お前さん、相変わらず素直じゃねえなァ。本当は喉から手が出るほど欲しくなったんじゃァねえか?」


「……」


図星。

お爺さんの言う通りだ。実のところ、心の中でどれだけ否定しようと、私は先ほどの『土方歳三が手を触れた』というパワーワードで喉から…いや体中の穴という穴から手が出るほど欲しくなってしまった。



…いやいや、お爺さんが言ったことを信じた、と言うわけではないのですよ?

だけど、私の中での土方先生はそれほど大きい。仮にこれに病名があるとしたら『土方依存症』とでも言いましょうか。


壬生にある前川邸の新選組グッズ屋さんに訪れた折にはもう、お金の許す限り買いまくってしまう。


…ここは…あれです。素直になりましょう。


「欲しいです…」


私はそう言うと、ゆっくりと刀を受け取った。

ズシリと見た目よりもかなり重い。でもこれ、本物の刀なのかなな…。いや、そんなはずはないよね。銃刀法違反になってしまう。恐らくは刃が削ってある模造刀だろう。


…とはいえ、初めて刀を握った私はとても興奮していた。むんむん、と、己の鼻息が聞こえる。


とりあえず、お爺さんにお礼を言おう…


と、前方に目を向けた。


「……あれ…?」


いない。先ほどまでそこに立っていたあのめちゃくちゃ老けたお爺さんが、いないのだ。

辺りを見渡してみても、あのしわくちゃのお爺さんの姿はどこにもない。


ーー消えた、魔法使いのように。


一瞬そんな考えが脳裏をよぎったが、いやまさか手妻使いでもあるまい。

きっと、私が刀に魅入ってしまって、お爺さんがここを去った事に気付かなかったんだよ。それしかないよね。


それから私はモヤモヤしつつ、刀を両手で強く抱きながら、足早で帰宅した。周囲の人が私の持っている刀に目を丸くしながら見ていたが、そんな事は気にせずにせっせと家に向かう。


ーー早く鞘から抜いてみたい…


その一心だった。


うーん、兄さんが見たら怒るかな。それとも一緒に喜んでくれるかな…。まあお兄ちゃんは怒らない人だし、優しいから後者だよね。


家に着いた。靴を雑に脱ぎ捨て、兄さんとの共同部屋の扉を開けた。


が、兄さんはまだ帰ってきていないようだった。そういえば今日は生徒会の会議の日だったっけ…。ちょっぴり残念。

私はお気に入りの猫さんのぬいぐるみを枕にし、寝っ転がった。刀を持ち上げる。


…重いな


重い。重いけど…、こと重さが、良い! これで軽かったなんて言ったら、それこそ拍子抜けにも程がある。貴重なものは、重くてなんぼです。


「では、さっそく」


スゥーーと鞘から刀を抜いた。

ギラリと光る刃が姿を見せる。


「うわぁ」


刃は、よく磨いて、お手入れが小まめにされているように見える。その磨かれ加減は、その刃に己の顔が映し出されるほどだった。


しばし、魅入っていた。

うーん、綺麗だぁ。宝石みたい…。京都にある創業260年目の本格的な包丁屋さんにあった包丁は、このくらい綺麗だったかなぁ。


しばらくその刀に魅入っていると…


「…あ、あれ……?」


おかしな点に気付いた。

う…うーん、この刀、よく見ると…これ、刃の部分に模様がついている…?


さらに目を細め、その模様の方へ神経を集中させる。


「…あ……」


桃色の線画で、桜の絵が描かれていた。こんな刀、見た事ない。霊山歴史館に飾られてあった土方先生の『大和守源秀國』には確か、持ち手の部分に梅の木の絵が書いてあったけど…。刃に絵とは、聞いたこともない。

…おかしな刀。


…でもでも、可愛いなぁ


こんな刀もあるんですかね。私は刀には詳しい方ではない。あとで、ツイッターに上げてフォロワーさんに聞いてみるか。でもまあ、今は私が一人で堪能するとしましょう。こんな綺麗なもの、人目に晒してしまうのは惜しい気もする。


刀を己の顔の真横に置き、しばらく撫でていた。


つるつる…


触り心地が異常なほど良い。刀なんて触ったことないから、興奮する。


「あのお爺さんに感謝しなきゃ、だね…」


なんだろう。今すごく穏やかな気持ちだ。ポカポカァとした心地の良い空気。窓から差し込む真っ赤な陽射し。生暖かい部屋の中。その中心で、私は刀と横になっている。


興奮はしているけれど、ウホってはいない。土方先生の俳句を見るときみたいな、胸がホワァってなる感じに近い。


「ふへへ…」


うとうと…


なんだか眠くなってきた。

兄さんが帰るのも遅そうだし、少し寝るとするかなぁ…。そして、先生に怒られてしまった事、切腹のこと、そして、この刀の事をお話ししよう。すべては兄さんが帰ってきてから、すべては目が覚めてから。私は静かに瞳を閉じた。



♡☆♡



ーーー夢を見た。



見たこともない場所に、私は立っていた。


(…ふぇ……)


地面が畳になっていて、壁が一面、白い布だ。ものすごく広かった。辺りを見渡すと、ちょんまげを結い、武士の格好をした大勢の人たちが私を見つめていた。異様な静謐が漂っている。


…なんだか怖い。


夢、という自覚はあった。



ーー江戸時代でしょうか。



ところで、体中が冷たい。冷たい…というか、冷水でビショビショになっていた。

クチョッ、と小さくクシャミをする。


「…さぶい…」


そう呟き、何気なく真下に目を向けると、おかしな物が置いてあった。


三方だ。

三方…神様に何かを捧げる時の小さな台。そして、その上には閉じてある真っ白な扇子が置いてある。


あ、と思った。


これ…切腹するところなのでは…


…そうだよ。絶対そうだよ。だって体中びしょ濡れだし。これ絶対、水で体をお清めしたからだよね。

切腹前の作法だ。


…これから私、切腹するのかな…。

変な夢。


まあでも…夢とはいえ、切腹という貴重な経験が出来るんだ。せっかくだし、してみようかな。痛くないだろうしね。切腹ぷくぷく。


私は三方の前で正座をし、居住まいを正した。真後ろを見ると、武士さんが刀を構えて立っている。


…この人が介錯をしてくれるんだよね…


さて、三方の方に再度目を向けた。


「……」


扇子かぁ。

これあれだよね。『扇子腹』だよね。きっと私がこの扇子に手を伸ばした瞬間、スパッと首を斬られるやつだよね。

せっかくの切腹なのにもったいない気がする。やるならちゃんと腹を掻っ切りたい。


……よし


私は真後ろで刀を構える介錯人の武士さんに声をかけた。


「…あの、私ちゃんと切腹がしたいので、刀を貸してくれませんか…?」


穏やかな口調で言った。

すると武士さんは表情を変えずに懐から短刀を取り出し、無言でそれを私に手渡してくれた。


「ありがとうございます…」


私はぺこりと小さく頭を下げた。


そういえば切腹をするときは着物を脱ぐんだっけ…。それはちょっと恥ずかしい。女の子だし…。いいや。


短刀を鞘から抜く。そして、刀の切っ先を己の腹に向けた。


ごくり、と一つ唾を飲む。


…緊張する。まあ夢だし、痛くはないよね。


ドキ、ドキ、ドキ…


そして……


ーザクッ


私は意を決して思いっきり己の脇腹に刀を刺した。痛みはない。


そのまま勢いよく横へ掻っ切ろうと、力を入れる。が、思ったより刀が進まない。お腹の中には内臓とか色々詰まっている。それが邪魔をしているようだった。


ーーズキンッ


「…え」


あ、あれ…。痛い?


少し痛みが伴った。リアルな夢なのかな…。まあいい。私は気にせず、さらに力を入れグググと腹を横に斬った。


切り終えた。お腹を見ると、血がドバドバと溢れ出ていた。


うわぁ、グロテスク…




ーーと、その時だった。



己の中で何かがバチリと弾けた感覚が走った。


ーーその瞬間。


ズキン、ズキン、ズキン、ズキン…


腹に、痛みを感じた。


……?

…痛い。夢なのに。


ズキン、ズキン、ズキン、ズキン…


痛みが徐々に増してきた。

…え?嘘でしょ…。夢、だよね。


ズキン、ズキン、ズキン、ズキン…


その痛みはやがて強烈な激痛に変わった。


ーー痛い…!なにこれ痛い!

こんな痛み感じたことがないっ…!ゆ、夢…なんだよね。


私はお腹を抱えうずくまった。


「はうっ…。うぐぐぅ…」


思わず声を漏らす。




ぱちり




ーーー目が覚める。


見慣れた電気が目に入った。私は、部屋の中央で、猫のぬいぐるみを枕にして、仰向けになってる。


が、腹の痛みは収まらなかった。


…え……


ズキン、ズキン、ズキン、ズキン…


「はうぅっ.……」


嘘……なんで……


腹に、目を向けた。


ーーそこには


ビリビリになった制服と、それを染めるドロドロとした赤黒い血という、非常に阿鼻叫喚な光景が広がっていた。


……そ、そんな……


混乱しながら、左手で何かを握っている事に気付く。


「あ…」


ーー刀だ。先ほどお爺さんにもらった刀を握っていた。そしてその刃は真っ赤に染まっていた。


……まさか、私、この刀で切ったの…?


ズキン、ズキン、ズキン……


と、激痛は激しく続いた。


……いっ…痛い……でもなんで……


一つの言葉が、脳裏をよぎった。


ーー夢遊病


睡眠障害の一つである。頭は眠っているのにも関わらず体は起きていて、眠っている間に思いもよらない行動をとってしまうと言う。なお、起きたらその記憶は無くなっているらしい。


ーーそういえば、寝ている間に切腹をしてしまった武士がいた、なんて話も聞いたことがあるが…


もしかして…私…それ…?


ズキンッ、ズキンッ、ズキンッ


「はううぅぅ」


痛みは増す。

腹がえぐれるような痛み。事実、腹はえぐれている。死んじゃうよっ。


自分で救急車を呼ぼうとしても、痛みで体が自由にならない。


涙が溢れ出てきた。


「……兄さん…」


「兄さんじゃぁなくて悪かったよ」


「……ふぇっ…!」


頭上から声がした。聞き覚えのあるかすれた声。

痛みで意識が朦朧としたがらも、声の方に目を向けると……


……あ、


先ほどのお爺さんだった。私に刀を譲ってくれた人。あの、しわくちゃなお爺さん。その人が、真上から私の顔をのぞいていたのだ。


……な、なんで…


「これはお前さんの希望って事でよ。悪いが俺のこたぁ恨まねえでくれよな」


……は? 私の希望…?


お爺さんは懐からスッと短刀を取り出した。


「介錯は俺が務めさせていたくぜ。リカちゃんよぅ」


お爺さん粋な口調が聞こえた瞬間ーーー


…ドッとした感覚が頭に走った。


その瞬間、腹の痛みがなくなる。


……あ、


首ちょんぱっ


された……?


意識がだんだんと遠ざかって行き……



世界は暗転した。




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